Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
昨日のボクから、明日のキミへ @ 
 

 
          




 新緑目映い初夏の頃、見渡す辺りにあふれるは萌え出
ずる 翠・緑・緑。やわらかなエメラルドの碧から、萌黄・青瓷・マラカイト、若竹・青竹・常葉ときわに緑青ろくしょう。濃色のビリジアンに木賊とくさ、孔雀。こんなにも種類があるものかと驚いてしまう程の多彩なバリエーションにて、芝となって地を覆い、梢を満たして天蓋となり。光を弾いて生き生きと、生命力の力強さを満たして余りある、それは爽やかな風景を展開する、新しい命の息吹、新しい緑たち。

   ――― そして。

 丁度それと同じことが、海の上でも展開しているから、自然界とは不思議なもので。そこに満ちるは、様々に多彩な空の蒼、海の青。天色
あまいろ・空色、コバルトの青、トルコ石の青。浅黄、藍色、群青色。瑠璃色、搗色かちいろ、縹はなだ、紫紺、紫苑に、紺青。これらのもっと凄いところは、間近に触れている時は"無色透明"なものであることだ。コップに手にと掬った水も、頬に触れ髪を梳いてゆく風も、何の色もない存在だのに、届かないほど遠くにある時はあんなにも青い。
「そんなせいかしらね。世界はこんなにも青であふれているのに、文学や芸術の世界では"自然界には希少な色"という観念があったの。」
「何でだ?」
「花にも鳥にも蝶々にも、青いのは一杯いるぞ?」
「そうよね。でも、何故だか"滅多にない存在"とされていたそうよ。『青い鳥』というお話に出てくる"青"は人間の求めるロマンや幸福の象徴として、中世以前の聖職者にのみ許された青い衣も、得難いものだから…という扱いになっていた。青いばらや青いチューリップの研究も盛んだそうだしね。」
 考古学者であり、専門外の様々なことへの造詣も深いロビンの言葉に、年少さん二人、船長さんと船医さんの二人は、それは素直に"へぇ〜、ふ〜ん、ほぉ〜"と感心することしきり。特に教えのある話を持ち出すでなし、だが、科学的、若しくは論理的にきちんと裏付けのある話をしてくれるお姉さんに、幼い船長さんや幼い船医さんは…彼らだとてそれぞれに、経験値の高い蓄積や蘊蓄もあるジャンルがあるのだろうに、それらとは微妙に得意の範囲が違う珍しいお話に聞き入っては、何でだ?と身を乗り出したり、わくわくとはしゃいだりして見せている。

  「とんだ保育園だわね。」

 キッチン前のデッキから主甲板の車座を見下ろして、その様相へと可笑しそうに肩をすくめたのは、潮風に躍るショートカットも快活な航海士さんだ。もともとお話を聞くのが大好きなルフィは、ホラ話が得意な狙撃手さんや、先日まで一緒だった砂漠の王国の皇女様にも、暇があればしょっちゅうねだっていたものだったが、
「ロビンのする話ってどこかお堅いものが多いのに、それでも楽しんじゃえるものなのね。」
 どうせ小難しい理屈の部分は後々まで覚えていられず、どこかで見事にすっぽ抜けるのだろうけれど。てきぱきと手際のいい話しようがお気に召したか、やはりお話をねだることの多い彼らであって、お話に飽きれば"ハナハナの手"で遊んでもらいもする様子。
「ま、静かで助かりますよ。」
 そんな一言をナミへと返して、夕食の下ごしらえが済んだキッチンから息抜きにと出て来たサンジが、晴れ渡った空を振り仰ぐ。金の髪を透かして仰いだ空はほのかに淡いラベンダーの青。先日から通過中のこの海域は、波も風も甘くて優しい"春島海域"であるらしく、陽射しもぽかぽかと…何もかもがどこか長閑で穏やかな海が続いている。上甲板では緑の髪の三刀流の剣豪が、柵に凭れ、大きな手を組んだ手枕に頭を載せてぐうぐうと午睡中なその背中が見えて、
「あれ? ウソップはどうしてんです?」
 そろそろ"お三時"の時間でもある。皆の居場所を確かめて、呼んでも来ない者へはデリバリーしてやる親切なコックさん。さして広い船ではないが、甲板やキッチンにいないとなると、そこはやっぱり探す手間が必要になる。後甲板かなとデッキを離れかかったサンジへ、
「さっき作業室に入っていったわよ。」
 こちらの会話が聞こえたか、ロビンが見上げて来つつそんな声を掛けてくる。それへと続けて、
「おう、俺も見たぞ。」
 チョッパーがにこにこと付け足し、
「中で寝てたルフィを放り出して、何か始めるって言ってたぞ。」
 横でうんうんと船長が頷いて見せるが…威厳のないところは相変わらずですのな、船長。
(笑) とはいえ、
「それって、ま〜た妙な実験じゃないんでしょうね。」
 ウソップがそこまで…誰ぞを押しのけてまで何かに取り掛かるというのは、そうすることで仲間を危険から遠ざけるため。どうしても優先せねばならないことだからそこまでするのであって、
「爆発の予測があるとか、訳の分からないガスや煙が出る恐れがあるとか。」
 彼の場合、チョッパーやロビンのように薬学や化学の知識があって取り掛かる訳ではないから恐ろしい。これとそれとを足してみて、こないだはこういう反応が出たから、それじゃあ別のこれを加えたらどうなるんだろう…とか。実地で積み上げたものを足したり引いたりの"方程式"で挑んでいる、とんでもない実験なので、どんな反応が出るのか、やってみなけりゃ分からないというケースも多々あって。怪しい錬金術よりもっと性質
たちの悪い、一種の博奕みたいなもの。それを危ぶんで眉を寄せたナミだったが、
「黙って聞いてりゃ失敬な奴だな。」
 丁度デッキの真下になる、その"作業室"のドアが開いて、当のウソップ本人が顔を出した。
「ケミカルな実験は当分やんねぇよ。」
 目元に降ろしていたゴーグルを引き上げ、腰に拳を当てて"う〜ん"と背伸び。それへと、
「あら殊勝なこと。」
 からかうような声を掛けるナミへ、
「やりたくとも薬剤が足りねぇ。真っ当な配合ものはチョッパーに任せてるからな。で、新しい、しかもトリッキーなものとなると特別な材料がいる。けど、もうとっくに使い尽くしたから、新しい実験は当分出来ねぇんだよ。」
 至って真面目なお答えを返す彼だ。
「…こないだの港で仕入れた筈の、珍しい薬品があったんだがな。出港のどさくさにどっかに紛れたか、見つからなくってよ。」
 どうやら、今までそれを探していた彼であるらしい。目を伏せ"う〜ん"とさも深刻そうに唸って見せて、
「お前らも、見なかったか? 透明なガラス瓶に入ってる、茶色の液体で…。」
 デッキチェアに腰掛けたロビンの、少し間をおいた足元に、並んで座り込んでいたルフィとチョッパー。お呑気コンビ二人へ訊いてみたウソップだったが、
「さあ、見てないなぁ。」
 ますはチョッパーがかぶりを振って見せ、
「なあ、ルフィ…。」
 ルフィも知らないよなと、そちらを見上げた視線のその先。
「んん?」
 きゅぽんと軽やかな音立てて。コルクを抜いて、その細い口を自分のお口へあてがって。実にナチュラルな仕草でもって、こくこくこく…と軽快に飲み干されている、紅茶のような琥珀色の液体は………もしかしてもしかすると。


  
「「ルフィーーーーっっ!」」


 ウソップとチョッパーと、二人掛かりで、しかもこんなに至近から途轍もない大声で名前を呼ばれて、
「な、なんだよ。」
 さすがにビックリして、自分の口から瓶を離したルフィであったが。
「ちょ…ちょっと、それってどういう薬なのよ。」
 ナミが眉をギュッと寄せ、
「まさか劇薬ってんじゃなかろうな。」
 手摺りから身を乗り出して、こちらも焦った顔色でサンジがウソップに訊く。そして、
「あ? …え? ゾロ?」
 いつの間に目覚めて、いつの間に駆けつけたのか。そして、あんな遠くで寝ていてどうやって状況を把握したやら。一番あれこれ…様態とか何とか聞かれるべきな困り者の船長さんをひょいと肩の上へと抱え上げ、
「チョッパー、胃を洗ってやれ。」
「あ、うんっ。」
 薬物や毒物の誤飲に対する特効策。口からホースを突っ込んでの胃洗浄をと構えたところは、おさすがな判断力と行動力を見せた剣豪である。ごちゃごちゃ言い合ってる場合じゃなかろうと、真っ先に行動に移した素早さは、船長の身の上に降りかかった危機だからこそだろうが、そんなゾロに抱えられていたルフィが、


  「………あ。」


 何だか妙な声を上げた。
「ルフィ?」
「おおお、おいっ、大丈夫か?」
 肩の上という抱え方がまずかったのだろうかと、やはり素早く…甲板の板張りへ片膝つく格好で屈み込み、ずるりと身を引いて腕の中、仰向けにして覗き込んだ彼らの船長さんは…。
「どうした? 気分が悪いのか?」
 船医さんが真剣なお顔で聞きながら、腕をとって脈を診る。動悸が出たとか脈が速くなったとか、汗が出るもの、寒気がするもの、薬物中毒は薬の性質によって様々に反応が違うから。一つ残らず拾わねばと、必死で患者に声を掛ける。
「ルフィ? 気持ち悪いのか? 目が回るのか? 苦しくはないか?」
 声で答えられないなら頷くだけでも良いんだぞと、お顔を覗き込むチョッパーの真摯な声での呼びかけへ、
「ルフィ、答えな。」
 ゾロもつい、固い声を掛けている。腕の中、軽々と抱えた愛しい船長さんが、もしもどうにかなったなら。考えるだけでも寒気の走る事態へと、どうか展開しませんようにという想いから、祈るような声を掛け、どこか…びっくりしたような顔でいる船長を見やっている。
「………っ。」
 デッキの上からサンジもヒラリと飛び降りて、彼らの傍らへと駆け寄り、
「いやよ、ルフィ。」
 悲痛そうな顔になったナミが祈るように両手を合わせ、指と指とを深くからませて胸元へと引き寄せる。
「………。」
 突然の不穏な状況に、しばし黙って様子を見ていたロビンも、この元凶を持ち込んだウソップへ声を掛けようとしたが、


   ――― ………っっ!


 ひくりと。

 息を一つ吸い込んで。

  「…ルフィ?」

 ルフィは何かにすがろうとするかのように、その手を宙へと伸ばして見せて。それをゾロが掴み取ると、指に指をからめてきゅうと握って…力尽きたようにがくりと意識を放り出したのだった。その頭から、トレードマークの麦ワラ帽子が乾いた音をかすかに立てて滑り落ち、
「おいっ!」
「ルフィっ!?」
 えらいこっちゃ、医者はどこだ…っ! とパニックに陥るチョッパーの山高帽子をサンジが“おいおい”とこづき、片や、
「………。」
 ゾロは、ただただ瞼を降ろしたルフィの様子を見守り続けている。呼吸は穏やかなままに続いているし、つないだ手にも汗はなく、不自然な強ばりもない。
「狙撃手さん、一体何の薬なの?」
 船長の手から転がり落ちた小瓶は殆ど空で、拾い上げたその口に鼻先を近づけたロビンは、だが、何かしら特殊な匂いもしないことを確かめている様子。青酸カリなら巴旦杏…アーモンドのような匂いがするし、その他の即効性劇薬も誤飲を避けるための何らかの匂いが付きもの。
"暗殺用のなら別だけれど。"
 こらこら、物騒なことを言わない。
"狙撃手さんがそこいらの装備屋で手に入れたものなら、そういう傾向の薬品ではない筈だわ。"
 例えば青酸カリはメッキ塗装の仕上げ洗浄に使われる薬品でもある。入手に許可や身分証明が必要だったりもするが、絶対に手に入らないものではない。だがだが、そういう過激なものに手を出すウソップとも思われない…とは、随分とこの海賊団に馴染んで来た証し。
「どどど、毒薬なんかじゃねぇよ。」
 この展開には、ウソップ本人もどこか泡を食っている様子であったが、
「そんな危ねぇもん、持ち込んでどうすんだ。」
「じゃあ何だ。何の薬だよ。」
 やはり傍らに屈み込んでいたサンジが立ち上がり、そんな彼の胸倉を掴み上げる。気のいい奴だと重々分かってはいるが場合が場合だ。さあ早く言え、とっとと言えとばかり、ぶんぶんと揺すぶっていたのだが、

  「…るふぃ?」

 ふと。

  「ちょっと…。」

 チョッパーが、そしてナミが、どこか…妙な声を上げた。この緊迫した事態の最中に出すにしては、ちょいと気の抜けた、力のない声であり、

  "…え?"

 新たに何が起こったんだと、彼らの覗き込む先、剣豪さんの雄々しい腕の中を見やったサンジは、

  「………あ。」

 これもやはり…言葉を失った。細っこい手足と体に、どこか悪戯っ子のままな趣きが強い童顔。屈託がなく、お日様みたいに元気で無邪気な船長さん。それがルフィを表す形容詞ではあったが、

  「その子供、まさか…ルフィか?」

 ゾロの大きな手の中に余るほど、それまで着ていた洋服の中で泳いでいるほどに小さくなった、黒い髪の男の子。まだ意識がない状態のままなのか、萎えた体はまるでお人形のようにも見えて。すぐ間近にてその"変化"を見守っていたのだろうに、
「おい、ゾロ?」
 呼んでも返事がないところを見ると、一番の衝撃を受けたのはどうやらこの剣士さんであるらしい。全員がこの事態の急変をきっちりと見て、把握したところで。最年長者が見解を一言。

  「まあ、大変。」

 ………何ででしょうか、緊迫感が感じられないんですけれど、ロビンさん。






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