Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
其の六 “日々是好日”


          




 陰謀に躍らされた激動の時代に終止符が打たれ、やっと明日が見えて来た砂漠の王国を後にして、彼らは新しい旅路に船を進めた。どこか石持って追われるような雰囲気たっぷりな出奔だったが、あの健気で一途な王女ともお別れとなってしまったが。真実は揺るがないと判っているから、あの国のこれからを担う人々にはちゃんと通じているのだから、何も知らない奴がいて誤解を受けても構わない。ビビとはもう二度と逢えないかも知れないけれど、いつまでも"仲間"であり続けるのだから構わない。本当は…ちょっぴり寂しかったけれど、もう良いんだ。

「サンジーっ、腹減ったぞーっ!」
 今日も今日とて、お元気な船長殿の声が甲板中に響き渡り、ご指名を受けた長身の金髪シェフ殿は、作業中だった流しの前からタオルで手を拭いつつ戸口へと歩み寄る。
「だーっ、もうちっと待て。今日のケーキは一旦"発酵"させにゃあならんのだ。」
「発酵って、こないだ言ってた"焦らし蒸らし"のことか?」
「ああ、そうだ。だから、もうちっと待て。」
「判った。けど、早くな?」
 開け放った戸口を挟んでのそんな会話が聞くともなく聞こえてか。テーブルについて難しげな本を読んでいた人物が、ついついだろう、小さく口許だけをほころばせる。やっと甲板の方へと戻って行ったルフィを見送り、腰に拳を当てて"まったくっ"と憤慨半分の溜息をついたサンジだったが、
"…おっと。"
 室内へと振り向いた丁度その瞬間に浮かんだ彼女の笑みを目撃し、何とも言えず鮮やかだったものだから、
「呆れるだろう? ウチの船長には。」
 こちらもついついそんな声をかけていた。存在感がないという訳ではないのだが、すうっと気配を消して思わぬところに居たり、居ると思えばいなかったりする。何につけてもそんな感じで、どこか謎めいたところの消えぬ彼女だから。無頼漢に見えて実は用心深く、ついでに疑り深い剣豪なぞは、未だどこか信用していないような傾向
ふしがあるものの、サンジなぞは逆に好奇心がついつい疼いて、
『危険な彼女? 結構じゃないのvv』
とばかり、切っ掛けさえあれば…あの皇女にそうであったように何かと構けている様子。そしてそして、声を掛けられたご本人はといえば。
「可愛いじゃないの。好きだわ、屈託がなくて。」
 仄かに甘い、掠れた響きをまといつけた声が応じて、締めくくりに再びの小さな笑み。言葉の内容にせよ微笑い方にせよ、どこか形式的な、型に嵌まったそれのように思えなくはないが、くっきりとした口角をきゅうっと持ち上げた、かすかに妖しい奥深い笑みにはそんな形式なぞ吹っ飛ばすほどの色香があって。だだ甘い代物ではなく、どこかビターでスタイリッシュに冴えた艶麗さがまた、
"うう〜、さっすがは大人のレイディだねぇvv"
 いや、なに。ビビが抜けたこの海賊団の平均年齢を、いきなりぐんっと引き上げてくれたところの、実際の"年齢"の話じゃなくって。
(笑)アラバスタを離れて新たなる冒険へと駒を進めるに至った彼らの前に突然現れて、この、どこか風変わりな海賊船ゴーイングメリー号に新しい構成員として乗り込んだ彼女は、ニコ=ロビンといって、聡明そうでどこかミステリアスな、彼らよりずんと年上のお姉様。(くどいって/笑)先日来まで使っていたもう一つの名前は"ミス・オールサンデー"。直訳すると"毎日が日曜日な、お嬢"というところだろうか。おいおい あの憎っくき犯罪結社"バロック・ワークス"の最高幹部で、なんと大ボス・クロコダイルのパートナーでもあった人物であり、ただ、ちょいと奇矯というか、理解に苦しむ言動を取ることもある女性でもあった。限りなく利己的で、傲岸で無慈悲で尊大。悪の悪たる条件を十分過ぎるほどに満たしていたあのクロコダイルから、一番間近に置くだけの値踏みをされていた人物であり、そんな首領殿に一応は忠実でありながら、時々…敵方にあたる人間へ助力の手を差し伸べたり、倒した格好のその陰で、実は庇ってやっていたりと、矛盾する行動を多々見せていた女性。どうやら…壮大な海の歴史の中の何かを追い求めるのが真の目的であるらしく、そんな彼女にとってはクロコダイルさえ"方法"や"手段"のようなもの、道具に過ぎなかったらしいから。結果的には、それを凌駕までは出来なかったにせよ、女だてらに度胸があって、たいそう達観したところのある人物には違いない。
「"焦らし蒸らし"っていうのは、あなたが考えた言い回しなの?」
「あん? ああ。まあね。」
 割と機転が利き、特に女性からは気を逸らさないサンジが、彼女の言葉にすぐさまピンと来なかったのは、彼女の側から何かに関心を示して話を振ってくるのが実はかなり稀なことだから。特に傍観者の位置に居ようと構えている訳でもないらしいが、あまり語らぬ人であり、そのせいでなかなか見透かせない、鷹揚でガードの堅い彼女。
「漢字で喋って通じる奴じゃないからね。」
「そうみたいね。」
 くすんと小さく微笑って、
「………。」
 ほら、会話が途切れてしまう。だがまあ、それはそれでも良い。どこかエキゾチックにくっきりと鋭角的な、謎めいた美女の横顔にただただ見惚れながら、
"良い女ってのは黙っていても鑑賞に値するからねぇ。"
 だそうです。
(笑)ハート型の紫煙を、器用にも連結させては宙へと浮かばせていたシェフ殿だったが、
「……? あら。」
 ふと、その横顔が本のページから上がったのは、サンジからの視線がくすぐったからではないらしく、
「何か音がしない?」
 弾かれたような反応ではなかったから、釣られてサンジの方もどこかおっとりと、
「音?」
 さっき幼い船長を見送った戸口へ目をやったのと、
「やだっ、雨ぇ? 干したばっかりなのにっ!」
 もう一人の女性クルー、切れ者航海士であるナミの甲高い絶叫が甲板中へ響き渡ったのとがほぼ同時。ばたばたという慌ただしい足音がして、
「ほらっ! あんたたちも手伝ってよっ!」
 彼女がこうまで慌てている原因は、どうやら先程すべてを干し出したばかりの洗濯物のことであるらしく、
「通り雨だろ? そのまま干しといて良いんじゃ…。」
 干すのを手伝わされたウソップあたりが不平を鳴らしかけたが、それを強い語調で押し負かし、
「それがダメなの。今日の風向きだと、きっとこの雨、硫黄が混じってる。」
 そこは"天候とお友達"の奇跡の航海士嬢である。ちゃんと正当な理由があると言いつのるところがおサスガだ。
「この先にある火山帯をよぎった雨雲なのよ。せっかくきれいに洗ったのに、匂うと判ってて干しっ放しにするのはイヤよ。ほら、早く早くっ!」
 ほらほらと、甲板に居た男ども全ての尻を叩いて回って取り込み作業にかからせる。マスト経由で船端や手摺りに渡して張られた何本ものロープ。縒
りの荒いロープのところどころ、縒りの間に挟み込んでの干し方をしているため、その部分を一々緩めては外しという作業は、干す時同様に手間がかかってなかなか面倒で捗らなかったが、
「…え?」
 突然、そのロープのところどころや籠に"にょきにょきっ"と腕が生えて、手際よく洗濯物を取り込んでくれたものだから、
「あれれ。」
 ぎょっとした面々だが、心当たりはちゃんとあって。キッチン 兼 操舵室である中央キャビンを見やれば、戸口の枠の片側に軽く凭れるようにして立つ人物が一人。先程まで、静かに読書に没頭していたロビン女史である。
「ふわ〜〜〜、こりゃあ便利だ。」
 彼女は"ハナハナの実"を食べた"悪魔の実の能力者"だ。自分の身体の部分
パーツをどこにでも幾つでも自由に"咲かせる"ことが出来、もっぱら手や腕を自在に出現させての攻撃で、これまで数々の強敵を"関節技サブミッション"でもって軽々と伸して来た凄腕でもある。…やはり手しか使わないんでしょうねぇ。頭やお尻を幾つも生やしても仕方がないだろうしおいおい、脚も…ああ、サッカーの選手だったら便利かも?こらこら
「ほらよ、これで全部だ。」
「判った。持ってくぞっ!」
 お陰様で干す時の何倍も手際よく大籠に取り込まれたそれらを抱えて、キャビンへと駆け込んだ皆だったが、
「ああ、それでも濡れちゃったわね。」
「そっちの心配かよ、おい。」
 びしょ濡れの仲間たちよりも洗濯物を心から心配するナミへ、ウソップがびしっと手の甲で叩く真似をしつつ突っ込む。
「だって、あんたたち丈夫じゃない。風邪なんて引かないし。」
「でも、そのままじゃ引くかもしれないぞ。早く着替えるんだ。」
 さすがは医者で、チョッパーが二人の間に割って入り、
「ほら、ルフィ。お前はお風呂に入って来い。どこでコケたか知らないけど、一番ずぶ濡れだ。」
 確かに…どう見ても水たまりに座り込んだとしか思えないほど、ズボンの尻が濡れている。
「良いよ。乾くさ。」
「ダメったらダメだ。言うこと聞かないと、」
「聞かないと?」
「サンジに言って、今日のおやつに苦い風邪薬を混ぜてもらう。」
「う…☆」
 さすがにこれは効いたらしい。
「そうだぞ、ルフィ。チョッパーが病気だの養生だのに関して、今までに間違ったこと言ったことが一度でもあったか?」
 尻馬に乗って言葉を足したサンジの言いように、ぷく〜っと判りやすく頬を膨らませ、
「ずりぃぞっ、二人ともっ!」
「何が。」
「食いもんとケッタクすんのは卑怯だっ。」
「お、結託と来たか。」
「でも、今のって絶対平仮名よね。」
「失敬だな。カタカナだ。」
「…どっちにしたって一緒じゃんか。」
「何だとっ!」
 いつの間にやら、会話はルフィとナミ、ウソップの、漫才のようなワイワイとしたやり取りになってしまった。にぎやかでお元気な相変わらずな仲間たち。仲間という言葉は時に甘くて恥ずかしく、けったくそ悪くなりもするが、そのくせ、そのくすぐったさはクセになるから始末に負えない。そんな風な想いを胸中に転がしながら、仲間たちのじゃれ合いを眺めていると、
「ほら、ルフィ、まだグズグズしてんのか?」
 そんな声が戸口からかかって。見やれば、今頃にやっとこのキャビンへやって来た剣豪殿だ。
「ボイラー点けて来たから、とっとと風呂へ行け。」
「…おう。」
 さすがさすが、ここで話題になるより先に、ずぶ濡れの船長殿のためにと風呂を沸かしに行ってた彼であるらしく、
「ルフィの事に関しちゃあ、頭も回るのな、お前。」
 サンジに言われて、
「ああ"? 何だと?」
 途端に、喧嘩としての言い掛かりなら買ってやんぞと言いたげな、眇めた目許になるのも相変わらず。とはいえ、
「なあ、ゾロも入ろう。俺、自分で頭にお湯、かけらんねぇしよ。」
 その頼もしい腕を船長殿から掴まれて"ゆっさゆっさ"と揺さ振られては、どちらに構うか…もう目に見えていて。
(笑)しょうがねえなぁ、大体、そんなもん、シャワーの真下にいりゃあ済むことだろうがと剣豪が諭すのへ、だってなんか、いつ息継ぎすりゃ良いのか判んねぇし、と、ルフィが唇を尖らせる。いつも通りのほんわかとぬるい風景。陸の暮らしに比べれば、堅気の生活に比べれば、不安定極まりない代物な筈だのに、何故だか落ち着けて心地良い空気。
"…俺自身がぬるくなりつつあるってことかな、こりゃあ。"
 あの『バラティエ』にいた時でさえ、少なからず渇いて飢えていた自分。注ぐ方注がれる方双方互いに無自覚の、ちょいと不器用ながらも芯のごつい愛情に支えられ、立場的には今よりずっと恵まれてた自分だったのに、それでもどこか足りないと不安定さを感じてじりじりと苛立ち、舌打ちを噛み殺していたと思う。それが今はどうだろう。明日をも知れない大海のど真ん中に漕ぎ出している船の上。しかも、いい加減で手のかかる船長に振り回されて、コックとしては緊張感に満ちた日々を送らされ、不安定を通り越してはちゃめちゃな毎日だというのに、時折訪れる何てことのないひとときの空気が、ぶるぶるっと来るほどに心地良い。無論、数々の修羅場を乗り越えたスリリングな冒険も格別だったが、それらとは次元の違う、ささやかな、ささやかだからこそ得難い悦楽感にホッとする。………と。
「…? おいおい、妙なもんをキッチンに持ち込むなよな。」
 テーブルの上、B5ほどの紙を広げて、その上に何だか得体の知れない粉っぽいものを広げるウソップに気がついた。おいおい困るぜという言い方をするサンジへ、
「雨降ってる間だけだよ。湿けっちまったら台なしなんだ。」
 これがチョッパーなら、何らかの薬なのだろうが、この男の場合、怪しい代物である可能性の方が断然高い。
「それってなんだ?」
 ルフィに訊かれて、
「聞いて驚け、これはあの伝説の錬金術士、パラケルススが用いたとされる奇跡の品。"賢者の石"のかけらだ。」
 思い切り胸を張るウソップではあったが、
「…まったそういう怪しげなもんを。」
 ゾロのぼそりとした呟きは、その場にいたほとんどのクルーたちの心情をきっちりと代弁してもいた。限定品、プレミア、ここだけの話、etc.…。希少価値という一言にいつもいつも引っかけられては、ロクでもないまがい物やどこか怪しいものを売り付けられずにはいない彼であり、カモにされているのだとどうして気づかないのか、いわんやどうして懲りないのかね、この人は。ただ、
「レンキンジュツシ?」
 意味の分からないものは腐
くさしようがない。おいおい ひょこんと小首を傾げたルフィへ、
「あ、ああ。ずんと昔に結構真剣に信じられてた秘術で、えっと…。」
 どこか覚束無い説明を始めたウソップだったが、
「卑金属から貴金属を作ろうとした研究。鉛や鉄から金を作り出そうとしたり、揚げ句には不老不死の薬を生み出そうとしたりしたのよ。」
 途中から話を引き継いだのはロビン嬢。ちなみに"お金を捻出する術"という意味で、政財界などでも時たま使われている。政治ってのは、なかなかお金がかかるらしいですからねぇ。
「不老不死の薬って、そんなもん作れるのか?」
 大きな眸をきょろんと瞬かせ、それは素直に訊いてくるルフィへ、
「さあ。成功したって話は、正式には残ってはいないわね。ただ、それに使われたのが、古代エジプトまで起源を逆上る"賢者の石"と呼ばれる鉱物だったそうよ?」
 相変わらずの謎めいた微笑みに、ふ〜んと感心するルフィと胡散臭そうな顔になるゾロ。あまり関心はなさそうな顔のナミに、話の内容ではなくロビンの博学なところへうっとりするサンジに、
「そうだよ。なんだ、良く知ってんのな。」
 我が意を得たりとばかり、ウソップの鼻が一層高くなった。理知的な人物からのお言葉添えが、もしかして…ちょっと自信がなかったことへの堂々たる裏付けとなったようである。ちなみに、この錬金術。当然怪しいものが多くて、見世物だったり金集めのための"いかさま"だったりした例も少なくはなかったそうだが、ウソップが例に挙げたパラケルススという人の研究は、薬品による傷病の治療という、後の"医化学"に発展する切っ掛けとなったとされている。ということで、チョッパーもそれには通じていて、
「"賢者の石"って、じゃあウソップは不老不死の薬を作るのか?」
 素直な解釈からそうと訊いてくる。訊かれた側は、
「さ、さあ、どうしたもんかなぁ。俺様もこう見えて忙しい身だし。」
 途端に何だか言い淀むから…おいおい。さては、
"使い道より珍しさから、後先考えずに飛びついて手に入れただけだな。"
 みたいですね、うんうん。彼らしい慌てように、やれやれとばかり、大人組の皆してくつくつと微笑って見せたそんな瞬間だった。

  「えっ!」「うわっ!」「きゃっ、何っ!」「風がっっ!」

 戸口がバタンと開いたその拍子、それだけの勢いがあった突風が、ご丁寧にもキャビンの中へと飛び込んで来たのだ。横手の壁にある窓を開けていたから吹き抜けたらしくて、そして………その風が一気にあおって舞い上げたものがある。
「やだ、これって…。」
「ウソップっ、吸っても、大丈夫なのか、これ。」
 そう。テーブルの上に広げられてあった、例の怪しげな粉だ。さほど湿ってはいなかったのが災いし、あっと言う間に舞い上がったかと思ったら、部屋一杯に霧か煙のように立ち込めて広がった粉末に、皆が皆、ケホゴホと咳き込んで。やがてその霧が晴れた視野には、
「………え?」
 とんでもない情景が広がっていたのである。………いや、ホントに。
こらこら
「な、なんだ、お前らっ。」
 キッチンキャビンの中に、どこから現れたやら子供たちが数人いる。それら一人一人が…どことなく見覚えがある顔立ちをしていて。その代わり、居た筈の仲間たちが姿を消していた日には…。


   「………………えええっっ!?」


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