Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
散髪・フルコース


        




「…ああん?」
 意外なことに、いつもいつも一番最初に気がつくのはウソップである。
「ルフィ、お前、ちょっと髪の毛伸びてないか?」
「そっか?」
 一番のお気に入りである剣士でもなく、一番目端の利く航海士でもなく、一番身だしなみにはうるさいコックでもなく、昼間のお遊びの友な彼がいつもいつも最初に気づくのは、他のクルーたちのように毎日毎日穴が空くほどじっと常に見守ってる訳ではないからこそ、却って"変化"に気がつきやすいのかもしれない。すこーんっと良く晴れた青空の下、主甲板の真ん中で"将棋くずし"ならぬ"碁石崩し"なんていうややこしい遊びに興じていた相手の、前髪の一房を摘まんで軽く引っ張り、
「ほら、やっぱりそうだ。お前の低い鼻までかぶさりかからんって長さじゃねぇか。」
「低くて悪かったな。」
 単純にぷくーっと膨れる。お前と比べられたら誰の鼻だって低いよと、そこまで言うほどスレてはいないルフィなところがまた、
"可愛いんだよなぁ、こいつってばよ。"
 苦笑混じりにそう思うウソップで。ともすれば口から出まかせな、ほとんどただの思いつきなゲームでも、デタラメなルールにさえ気づかず、心から楽しそうに熱中してくれるおおらかな王様。それがこの幼い船長なのだ。
「ほら、ルフィ。ナミに切ってもらって来い。」
「ええ〜? まだ良いよ〜。」
 ゲームがなかなかおもしろい様相になっていたため、渋るルフィだったが、
「ダメだ。目に入ったらどうすんだ。それでなくたってデッカイ目ん玉してやがるくせによ。結膜炎とか何とか、怖い病気になっちまうんだぞ?」
 面倒がる船長を立ち上がらせ、後甲板まで引っ張って行く。そこでは、航海士が丁度、皇女や船医たちとお茶を楽しんでいて、
「あら、どうしたの?」
 引き連れて来たその格好が、仲良く手をつないで来たように見えたのだろう。それにしては妙な組み合わせだわねと、小首を傾げたナミへ、
「こいつの髪の毛、切ってやってくれねぇか? ナミ。見てるだけで鬱陶しくってよ。」
 ウソップの説明に"ああ、そういうこと"と納得がいった。
「そういや、こないだ切ってからだいぶ経つものね。良いわよ、今から切りましょう。」
 にこにこと殊更に嬉しそうなナミであるのは、誰にも…日頃はどこか照れが入って素直になれない自分へさえも堂々と、この船長殿へ手をかけて構うことへの"お題目"が出来たからだろう。
「あ、じゃあ、道具を持って来ますね。」
 それはよく気のつく皇女様のビビが言いながら既に立ち上がっていて、ハサミと櫛とケープと洗面器に…と要りそうな道具をあれこれと宙
そらで数えている。その隣りからは、
「オレも見てて良いか?」
 チョッパーがわくわくと身を乗り出して見せる。人間たちの日常風景の内ではあまりにもありふれたものだが、実は一度も見たことがない彼なのだ。ナミはにっこりと笑って、
「勿論よ。何ならあんたの毛もちょっと刈ってあげましょうか?」
「い、い、い、い、いいってばっ!」
 おいおい。






        




 よく滑るサテンっぽい素材の、膝までありそうな長いケープをぐるりと肩を覆うように掛け、主甲板の中央辺りへ出された丸椅子に腰掛ける。勿論、麦ワラ帽子は脱いでいて、ケープの中で膝の上に置いていた。最初はブラシをザッとかけ、次に目の粗い櫛を少し濡らして通してゆくナミで、
「んもう、日頃ちゃんと櫛くらい使いなさいよね。せっかくサラサラしてるのに、ああ、ほら此処ももつれてる。」
 適度にコシがあってツヤもあって、しっとりと手触りのいい、結構質の良い髪をしているのに。手櫛で梳く程度の手間しか掛けていないらしいせいで、あちこちもつれていたり寝癖で撥ねていたりと、悲惨な荒れようを呈しているルフィの髪であり、
「…さてと。」
 一応、丁寧に整え終えて、ナミが次に手にしたのは散髪用のハサミだ。串のように細身のハサミで、刃を開いたり閉じたりすると"しゃっしゃりん…"と涼しげな音がする。白い指先が襟足の髪を一房ほどすくい上げ、指の間に縦に挟み込みながら目の細かい櫛で梳いて整えると、ハサミが当てられ、ちゃっちゃっ・しゃりさくっと刃が鳴って、1センチほどに刻まれた髪がケープの斜面へぱらぱらとこぼれた。
「あ、こら。動かないの。」
「だってよ。くすぐってぇよ。」
 襟足や耳の回り。まだ子供っぽくて柔らかな肌は、細っこいナミの指先がさわさわと触れるたびに、ピクピクとくすぐったげに震え、ついついだろう無意識に逃げを打つ。
「じっとしてなさい。よく切れるハサミなんだから、当たると怪我をしちゃうわよ?」
「う…ん。」
 お姉さんぶって叱るような、だが、奥深い柔らかな口調。ルフィも、拗ねたように口唇を尖らせつつも逆らわず、ナミの指が触れている辺りを横目で追いかけている。指先は少しだけ冷たく、でも、手のひらはふんわりと温かい。切りそろえる部分を指先へ櫛で整える時はうっとり温かで、だがその仕草が止まると、指先が肌へヒヤッと当たってくすぐったいのだ。時々首をすくめては"こらっ"と小さく叱られているそんな様子に、
「何だか、親子みたいだな。」
 同じ甲板に足を投げ出して座り込み、二人の様子を眺めていたチョッパーが、そんな感想をつい呟く。小さな小さな声だったので、すぐ隣りで船端の柵に凭れていたビビにしか聞こえず、
「ふふ、そうね。」
 小さく微笑って、こちらもまた小さな小さな声で囁き返した。叱っている方も叱られている方も、どこか楽しげで微笑ましくって。見ているこちらまでが何故かしら嬉しくなるほど、とっても幸せそうだったから。
「さて、次は前髪ね。」
 確かに、少し湿らせるとかなり長くなっているのがよく分かり、
"何で気がつかなかったのかしら。"
 少しもじっとしてはいないルフィだから、髪だっておでこの上で撥ねて躍って落ち着かず。そのせいで、こんなにも伸びていたとは分からずにいたのだろう。
「さ、眸を瞑って。」
「んん。」
 途端に、見ている側が"何もそこまで…"と感じるほど、ぎゅうっと力いっぱい瞼を降ろすものだから、
"可愛いのよねぇ。"
"ホント、可愛い♪"
"オレより大きいのに可愛いぞ、なんか。"
 ナミのみならずギャラリーの皆さんまでが、小さな溜め息混じりにそんな感慨を胸中でこぼしたほどだった。


 ナミの手際のいいカットはほんの30分ほどで終わって、一応はブラシを一通りかけ、指先でも払ってやったものの、粉のようなミリ単位の断ち屑が、鼻の横やら頬やら額やらにかすかにまぶされたようになってくっついている。
「さ、シャワーで切った髪の毛を落として来なさい。そうね、またゾロでも誘ったら良いわ。頭と、そうね…身体も全部、洗ってもらいなさい。それまで帽子は預かっとくから。」
「おうっ。」
 ケープを外されたルフィは、じっとしていた窮屈さから解放された体をほぐしつつ、そのままぱたぱたと上甲板へ向かった。それを見送るナミへ、
「どうしてMr.ブシドーを誘わせたんです?」
「ルフィは一人で風呂に入れないのか?」
 キョトンとするビビとチョッパーであり、
「あ、そうか。あいつの散髪見るの、初めてだものね。」
 二人の怪訝そうな顔へ、ナミはくすくすと笑って見せた。
「あのね、あいつってば、いつもカラスの行水なのよ。濡らすだけも良いトコな入り方。まあ、湯船が怖くて浸かれないからっていうのもあるんだけれど。」
 どうなんでしょうね、実際。真水には呪われてないと思うんですが、そんでも気分的に落ち着けないだろうとか?
「髪の毛の裁ち屑を落とすために入れって言ってんのに、それじゃあ意味ないでしょう? だからゾロに監視させて、ついでだから頭から爪先まで洗わせるってワケ。」
 ははぁ、成程。外したケープをパタパタと払っているナミの傍ら、小さな箒を用意していたビビとチョッパーが簡単に掃除を始めていて、小さな王様専属の床屋さんの臨時営業はこれにて終了という気配である。


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