Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
アリスSOS? 
 

 
          




 青い空をついっと横切った白い影。眼下で波をさくさくと掻き分けている、いつもの舳先の羊頭の上で、その何かが落とした陰が帽子の縁をなめたのに気づいて、
「…お、カモメか。」
 大きな黒い眸を上げて、その軌跡を追う。海鳥がいるということは陸が近い証拠だ。
「ウソップ〜っ、島が見えるか〜?」
「ああ〜んと、まだ見えねぇぞ〜。」
 見張り台からの返事に、ふ〜むと腕を組む。行く手に補給港があるのは海図で既に確認済み。しかもそこは、観光…とでもいうのだろうか、外来者が落とす外貨で潤っている街なので、常に何かしらにぎやかな催しに沸いている土地だという。歓迎の街といえば、このグランドラインに入ったばかりのところで訪れた"ウィスキーピーク"もそんなフレーズを謳っていたが、
〈そんなのの比じゃないわよ。
 第一、海賊たちの方が多いこの航路でそんな賑わいがどうして保てると思う?〉
 ナミがふふんと思わせ振りに笑って気をもたせてから言ったのが、
〈海軍が陰についてるからですってよ。〉
〈海軍が?〉
〈そ。警戒されるから表向きには基地も出張所もないし、
 自警団があるくらいで、兵士や警官も常駐してはいないんだけれどね。
 特別なチームが密かに待機していて、
 お尋ね者の賞金首や、密輸密売の世界で暗躍する商船なんかを取り締まってる。
 そのための罠や餌としても、街を重宝がってるんだって話。
 そういう意味じゃあ"ウィスキーピーク"と似てなくもないかな。〉
〈けど、そんな噂が流れてる街なら、すぐにも寂れちまうんじゃねぇのか?〉
〈そうもいかないでしょう? 物資でも情報でも、補給出来るんならそこはやっぱり頼り
あてにしたいし、海賊なんてのはみんな自惚れが強いから、自分だけは捕まんないって思ってる。それと、あまりに小物すぎる手合いは見逃されちゃうってのもある。〉
 で、そんな港へ近づきつつある我らが"麦ワラ海賊団"であり、勿論、寄港する予定。
「う〜っ、早く着かねぇかなぁ!」
 舳先の上で両肘を張ってぶんぶんと上下させ、わくわくと逸る気持ちを押さえ切れずにいる船長であり、そんな背中を見やって、
「こないだは無人島でワクワクしとらんかったか? あいつ。」
 半ば呆れているのが休憩中の一服と洒落込んでいたコック殿。それへと、
「どこでも良いんだろうさ、つまりは。」
 欠伸混じりの言葉を返したのが、いつものように甲板に座り込んではいるが、今日はまだ昼寝モードに突入していなかった剣豪殿である。



           ◇



 毎度お馴染み、海賊王を目指す無敵の勇者・モンキィ=D=ルフィが率いる『麦ワラ海賊団』は、いよいよのグランドラインに突入し、そののっけに途轍もない依頼を引き受けてしまった。この航路の東の果て、悠久の歴史と豊かな文化の栄えたアラバスタ王国を狙う、王下七武海の一人・クロコダイルの率いる犯罪組織『バロック・ワークス』から、王女ネフェルタリ=ビビを守りつつ母国まで送り届けるというもので、その過程の中でバロック・ワークスのボスの正体を知ってしまったルフィ、ゾロ、ナミの3人も暗殺者リストに載ってしまったから、これはもう全面対決、やられる前にやるしかない。こう書くと、彼らが挑むはスリルみなぎるサスペンス満載な旅…という趣きが漂うが、相変わらずに豪気というか暢気というか。それほどの大事さえ“ま・いっか”で乗り切るところが、同じ『週刊少年ジャ○プ』のかつての英雄・孫悟空を彷彿とさせる、頼もしいんだか緊張感に欠けるんだか、ある意味、困った船長さんではある。はてさて、彼らが迎え撃つ騒動や悶着はどこまで果てしなく展開するやら。まずは口上、次いでは本題。皆々様を冒険の海路へお招き致します。ようそろ。






        



 やがて見えて来た島は、港から続く町並みが内地へなだらかに広がる、随分と平坦な景色が印象的。この地形を生かして、多くの人々が続々と住まわってもいるのだろう。
「…あら?」
 表向き、海軍が常駐していない街だということだったが、島に近づくとどこからともなく水先案内らしき快速船が近寄って来た。言い方がおかしいかも知れないが“怪しい奴”への警戒は万全で、舳先の陰で剣豪が刀の鯉口をいつでも切れるように構えていたところが、
「ようこそ、我らがヴァルファランドへ。」
 船上から挨拶を投げかけて来たのは、身なりもちゃんとした式服姿の、やたら愛想の良い中年男だった。
「歓迎と祭りの街・ヴァルファランドは、いらっしゃる方々の肩書きは一切問いません。街で騒ぎを起こさないという一時的盟約さえ結んでいただければ、どんな方々であろうと通報も干渉も致しません。上陸も補給も休憩も観光もご自由に。お客様方はどうやら海賊さんたちのようですね? ならば、裏手の専用係留地へご案内致しますが…いかが致しますか? そちらへの係留では、どなた様方かということへは一切干渉致しませんが。」
「そんなこと言っといて、警察や軍が待ち受けるトコへ誘い込んで袋のネズミにしちゃう腹なんじゃないの?」
 疑い深さでは海賊団ナンバーワンのナミがチロ〜ンと見やって聞くと、
「とんでもございません、マドモアゼル。」
 男はにぃ〜っこりと微笑んで、
「ぶっちゃけて申しますと、そのようなことをしたところで我々にはさして報酬は回って来ません。たとえあなた方が何千万クラスの賞金首でいらしても、捕まえるのは海軍という段取りになってしまいますからねぇ。協力金としてほんの少し、お小遣い程度の"お足"しかいただけません。我ら自警団は、どちらかと言えば平和に穏便にをモットーにしております。たとえ海賊の方でも、街で気持ちよく遊んで充分に補給して、お金をた〜っぷり使っていただければ、これみんなお客様。良い評判だけを流していただき、今後も何度もリピーターとしていらしていただける方が、よっぽど街のためになるのでございます。」
「…なるほどねぇ。」
 自警団…というよりも、
"金さえ出せば何だって通る…か。"
 そっち系統の筋の人間であるらしい。蛇の道はへびとよく言うが、上手く出来ているものだ。
「ただし、騒ぎは困ります。海軍が乗り込む理由を作られては、そちら筋の方々には評判が落ちて、今後も何もありません。ですので、街にいる間だけは騒ぎを起こさないという盟約書と、使えば海軍筋から容赦なく逮捕される火器・銃器、それから、それを裏打ちする"保証金"を預からせていただくことになっております。」
「…保証金。」
「大した金額ではございません。皆さん全員で何日間の滞在でも一律10万ベリー。勿論、何の問題もなくご出発とあれば、その時に盟約書と引き換えという形でそのままお返し致します。」
 ほんまによー出来てはる。
「仕方がない、か。」
 大蔵省が"やれやれ"と肩をすくめた。冗談じゃないわと踵を返す振りをしてどこやらから潜入という手が使えないこともなかろうが、そこまでするほど切羽詰まってはいないし、にこやかなこのオジさん、どこか抜け目が無さそうで、ここは怒らせずに言う通りにした方が良いのかも知れないと、そんな気がしたナミだったのだ。
「ご理解のほど、ありがとうございます。それでは、係留地までご案内致しましょう。
 あ、それと、港では常時"仮装パレード"とコンテストが催されております。お尋ね者の方々には打ってつけ、いろいろとコスチュームも用意されておりますので、どうぞごゆっくり楽しんで下さいまし。」

 怪しいオジさんが案内してくれた海賊用の係留地には、既に何艘かの先客がいて、それぞれの船上から下っ端の居残りらしき輩がこちらをジロジロと睥睨して来た。だが、それ以上の動きはない。騒ぎを起こせば返って来なくなる保証金を思えば、無駄な悶着を起こすのは得策ではないと、その当たりの計算くらいは出来るのだろう。
「さっきのオジさんの言葉がどこまで信用出来るものやらって気もするけど、まあ…補給のための短い寄港だし。」
 ビビは当然、あまり人の目についてはまずい存在なので、安全確保を優先して船に残ることとなり、
「あたしは補給の段取りをつけるだけで良いわ。荷の積み込みを見届けたいし、ビビと二人で船に残ってる。」
 用心深いナミとしては、得体の知れない土地には近づきたくないらしい。
「食材はやっぱ自分の目で確かめたいし、ボラれちゃかなわんから、市場へは自分で行くぜ。」
 サンジの意見はごもっともで、
「俺はパスだ。遊ぶ店ばっかで俺の好みの装備屋は無さそうだし。」
 そりゃまあ、どっちかというと歓楽街ですからねぇ。
「俺もパス。」
 例によってどうせお金が無いんだしってやつですね? あなたの方こそ無人島の方が楽しめるクチなんでは?
「…で。」
 ナミは腕を組むと、
「あんたはどー…あっても上陸したいのね?」
「うんうんっ!」
 必要以上に頷くルフィであり、
「じゃあ、仕方がないわ。その代わり…。」
「なんだ? その代わりって?」



            ◇



「いくら街の自警団は見て見ぬ振りをしてくれたって、その他の人間には別な話。10万ベリーの保証金が返って来なくたって、何千万ベリーもの賞金が手に入るんなら儲けもの。だから、あちこちから来た賞金稼ぎは沢山徘徊している筈よ。自警団の連中だって、そういう騒ぎは…よほど度を超さない限りなら、双方の保証金を返さなくて良くなるんだから、ある意味大歓迎なんじゃないかしら。」
「じゃあ仮装パレードっていうのは…。」
「あまりに大騒ぎになると海軍が大手を振って介入して来そうでそこはやっぱり困るのと、肝心な賞金首の側が警戒しないようにって配慮じゃないのかしらね。」
 話している間も、ナミの手は片時も止まらないし、ビビもまた熱中のあまりついつい無言になっている。
「3千万ベリーといえば、イーストブルーどころかこのグランドラインでも結構な金額だわ。その賞金首がひょいひょい歩っててごらんなさい。あっと言う間に完全包囲されかねないわ。」
「だから、この仮装な訳ですよね♪」
 ビビがやっと口を利き、うっすらと引けたアイメイクにご満悦な顔をする。
「こんなものですよね、ナミさん。」
「ん、上出来。可憐で愛らしいってトコで押さえてて素敵じゃない。」
「ルージュはどうしましょう。桜色が合うと思うんですけど。」
「そうねぇ。潮風で傷んでなきゃもっと淡いグロスだけでも充分なんだけど…それにしましょうか。」
 ナミがブラシをかけて整えているのは、自分の髪よりもう少し濃い亜麻色のロングヘア。くせっ毛のあちこちをブラシで整え、服に合わせた真っ赤なリボンで、頭に固定するのも兼ねてくるくるっと飾り立て、
「はい、完成。」
 キッチンのテーブルに広げられた化粧品やアクセサリーのその向こう。メイクアップ用のケープを肩から外されて鏡を見るよう促された人物が、
「………。」
 何とも言えない引きつった顔になる。
「ほらぁ、そんな顔しないの。街を見に行きたいんでしょ?」
「そうは言ったけどよぉ…。」
「口の利き方も気をつけてよ? いくら蓮っ葉な子が多いったって、その格好に合わなきゃ怪しまれちゃうわ。あ、それと足も。座る時はそんな風に大きく開かないの。」
「急に言われても閉じらんないよ。」
「じゃあ、膝んトコで組みなさいよ。いや、待って…そうねぇ、手で両側から押さえて。その方が可憐そうで似合うかも。」
 少々押さえた色味ながら、どっから見ても"真っ赤"なワンピースは、ふくらはぎまである裾と胸元にたっぷりとフリルがひらめいていて、スカートのボリュームから察して中はフリル・ペチコートで埋まっていると見た。丸ぁるく膨らんだ肩のデザインも愛らしく、襟と袖口には白いサテン。上へと重ねた胸当てタイプの真っ白なエプロンドレスがまた、裾と肩回りにはフリルが居並び、ウエストの切り返しや結び紐にはレースのアクセントがふんだんに使われた、一際ロマンティックな代物で、
「いやぁ〜ん、可愛いです♪」
 口紅を塗り終えたビビが、感に堪えないという表情で実に女の子らしい嬌声を上げた。…もう皆さんも薄々お気づきだろう。どうしても上陸したいなら仮装なさいと言うナミがビビに手伝わせて、古風な屋敷のメイドさんか『不思議の国のアリス』調に可愛らしく変装&メイクを施した相手とは、
「済んだのか、ル………。」
 一応は開けっ放しになっていたドアからキッチンを覗いたサンジが息を飲み、ゆうゆう数秒経ってから、
「…チッ、外してんじゃねぇよ。」
 そんな風に呟いた。滑稽に仕上がったら思いっきり笑ってやろうと身構えていたのに、思いの外、いやいや、充分に可愛いから笑えない。大きな眸に小鼻という童顔は、殊の外、メイク映えする顔だったようで、左目の下の傷痕を隠すのに少々手古摺ったが、それ以外はナチュラルトーンで統一しての可憐なメイクに押さえたのがこれまたハマって、衣装ともよく合って可愛いったらない。
「…ちょっと後悔してんだろ?」
「うん。」
 そう、たいそう愛くるしいアリスちゃんに変装完了したのは、この海賊団の船長、麦ワラのルフィさんである。いやまったく、乙女チックに愛くるしくって。さあ皆さんご一緒に、可愛ぃ〜いっ!(…くれぐれも『虹のあとさき』と混同なさらないように。
あはは
「い〜い? 衣装や靴は汚したり破いたりしないこと。借り物なんだから大事に扱ってよね。勿論"ゴムゴム"の技も禁止。正体がバレちゃったら変装した意味がなくなるでしょう?」
 頬や顎にあたるカツラの髪がくすぐったいらしくて、ろくに聞いてないルフィだが、
「まあ、本人よりも付き添いが気をつけてあげてくれれば良いわ。ね? ゾロ、任せたわよ?」
 こちらもまた呆然とした顔つきで口を開けていた剣豪にお鉢が回って、
「…あ"? なんで俺が…?」
「なんでって、サンジくんだけに任せておけると思う? あの、行動力が凄まじくアトランダムで、破壊力世界一な奴の舵取りを。」
 おいおい。
「という訳だから、お前もこれを着ろ。」
 こちらは話が通っていたらしいサンジから手渡されたのは、下手すると彼とお揃いになるのではなかろうかバージョンの
おいおいダークスーツであったりした。
「ボディガードの変装って訳よ。あんたも顔が知れてんだから、せいぜい判らなくしなくちゃね。あ、そのサングラスもかけるのよ? い〜い?」



「帽子は合わないから預かっておくわ。なくしたら困るでしょ?」
「お気をつけて。」
 にこやかに手を振って送り出したナミとビビ、
「どんな土産でも構わんが、騒ぎだけは要らんからな〜。」
 無責任な声を投げてくるウソップに見送られ、
「おっとと…。」
 時折、ヒールによろめく"急造アリス"を両脇から支える、黒ずくめのボディガード二人。
「ふぇ〜、ナミもビビも、こんな靴はいてよく走れるなぁ。」
 それでなくとも、日頃は地べたにジャストフィットな草履履きのルフィなだけに、この落差は大きすぎて、
「ほら、危ねぇからここ掴んでな。」
「ありがとー、サンジ。」
 中身は男だと判っていても、見た目の可憐さがついフォローを招いてしまう。よろめくたびに手を伸ばしたり腕を貸したりと、結構マメに気を遣ってやっているサンジに引き換え、
「船からは見えなくなったから、靴は脱いでも良いんじゃねぇのか?」
 両手はポケットに突っ込んだまま、何とも実質的なことを言うゾロである。扮装に似合わないからと、彼もまた刀を2本ばかり取り上げられている。武器がなくては護衛にならんと食い下がった末に許された…なんでナミからの許可が要るのか、そこへも噛みついていた彼だったが…一本だけを装着していて、腰が軽いのかどこか手持ち無沙汰な様子である。本当なら昼寝で時間をつぶそうと思っていたらしく、不本意なんだよと言いたげな不機嫌顔でいた彼だったが、ナミの目がなくなると少しは素直にもなれるのだろう。
「別にコンテストとやらに参加する訳でなし、ヨロヨロしてちゃあ目立つだろうに。」
 これでも気を遣っているんですよ、彼にしては…な、発言をする。
「けどよ、このカッコに裸足や草履ばきってのもどうかと思うぜ?」
 こうまで凝らずとも、せめて避暑地の観光客程度の扮装にしてくれれば、いやいやそれより何より"男"の扮装をさせてくれれば何にも問題はなかったのだが、そこは自分たちが楽しみたかった女性陣たちなのだろう。
「しゃあねぇか。」
 ならば…と、いきなりアリス・ルフィの胴回りを掴んでひょいっと抱え上げ、そのまま後ろ向きに肩の上へと担いだから、
「おいおい、それはちょっと…。」
 選りに選って荷物扱いしてどうする…とサンジはますます呆れたが、
「うわ〜、楽チンだぜ、こりゃあ♪」
 アリスさん本人は満面に笑みを浮かべて大喜びな模様。ウチのゾロさんたら、めっきり"お父さん"なんだから、もう。(もしくは『阿吽』の"猿回し抱え"再びですね。)
「街へ着いたら違う抱え方を考えよう。」
「おいおい、だからそりゃあ…。」
 そういう問題じゃないってと言いつのろうとするサンジに、ゾロは…サングラスのせいで"恐持て度合い"が倍加した顔でにやっと笑って見せた。
「こうしときゃあ、こいつ自身がとっぴんしゃんな方へ突っ走るのだって防げるだろうしよ。」
 ははぁ、そんな考えもあってのことでしたか。そういや、迷子になる切っ掛けは、彼が勝手に明後日の方へ駆け出すから…ですもんねぇ。ならば異存はないと感じてか、
「な〜る。判ったよ、それで行こうや。」
 サンジも納得して再び歩き出す。至って呑気なやり取りだったが、これから…やっぱりちょこっと忙しい一日が始まることを、今の彼らは想像さえしてはいなかったのだった。さあ、お覚悟を。
おいおい



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