そんなものより大切 A


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"………。"
 時々水が止まるため、いかにもごつい大きな拳でパイプを殴りつけつつ浴びたシャワーで海水を洗い流して。すっかり着替えて出て来た甲板の、誰の姿もない後甲板へと腰を据える。自分たちが一揉めしたのに気がついて、気を遣ってか、それとも関わりたくないからか、他の面々はキッチンへでも引っ込んでしまったのだろう。

『んだと、この野郎っ! "そんなもん"とは何だ、"そんなもん"とはっ!』
『"そんなもん"でなきゃ何だってんだっ! 命と引き換えにされちゃ堪んねぇって言ってんだっ!』
『馬鹿野郎っ! これは俺の宝なんだぞ!』
『判っとるわっ、そんくらいっっ!』

 ただの帽子ではないことくらい重々判っている。奴の…ルフィの信念の源。ルフィに海の魅力と海賊なればこそ体験出来る色々な冒険のワクワクする興奮や夢を語り、勇気や誇りや、友情や覚悟や侠気おとこぎや、他にもいっぱい様々なものを教えた人物の、言わば形見のようなもの。(おいおい、まだ生きてるって。/笑)偉大な海賊王になって、尊敬する彼にこれを返すというのも、ルフィにとっては大事な目標。そこまでの詳細を、だが、本人から一遍に事細かに聞いたのではない。何かの折なぞに少しずつ語られたものを、一つ一つ何気に拾っては積み上げて形にした代物である。そうそうぺらぺらとは話してくれなかったし、こちらも聞きほじろうとまではしなかったからで。特にトラウマとして気にしている風でもないが、過去というもの、自分のものも他人のものにも余り関心を示さず、聞きほじろうとも聞かせようともしない奴だから…という、ルフィの気構えはともかくだ。
"………。"
 彼にとっての、言ってみれば"宝物"なのだから、この自分より優先されるのなら…そんな場面にはまだ遭遇してはいないが、それだったなら何となく理解して容れることも出来る。ただの古帽子ではない扱いだってしてやろうという気にもなる。ただ、彼本人よりも優先されるのは、ちょっと順番が違うんじゃないのか?と、物申したくもなる。これまでどんな無茶にも"しょうがねぇなぁ"と付き合って来たゾロではあったが、自分にとってはそんな古ぼけた帽子よりも船長の方が断然大切だ。自分を仲間に引っ張り込んだ責任を持ってしっかり生き延びろ…とまで杓子定規なことを言うつもりはないが、それでも…彼よりもその帽子の方が格が上なんだと言われても"はい、そうですか"と唯々諾々、飲み込めるものではない。
"………。"
 そんな小理屈のひょいと向こう。何となく、ホントの想いの回りをぐるぐると回っているだけなような気がして来た。そういった"大義名分"なんかより、もっとずっと分かりやすいものが、胸一杯に堂々と閊
つかえているのに。とっくに気づいているのにも関わらず、言を左右にして認めたがらない往生際の悪い自分を、これまた薄々自覚出来ている。………ややこしい人である。(笑)
"………。"
 もともと考え事には向いていないのだ。…いや、おバカさんだという意味ではなくって。
こらこら これが戦術や戦略に関する沈思黙考なら、これまでたった一人で世渡りして来た身だ、策を練るためには頭も回るし、ただがむしゃらに斬り込むばかりではなく、状況や敵の動き・性質を読んだ方が良い場面にも慣れている。も少し譲って…ちょっとばかり柄ではないものの、不器用者なりの思いやり、知っているのに知らぬ振りでいてやるべきだろうと"見ない振りして寡黙であろう"と構えるための考察なぞも、まだ何とか許容の中でこなせることだが、選りにも選って懸想に間近い気持ちを持て余しての考え事だなんてのは…。
"………☆"
 あ、こけた。
"だ、誰が、懸想に間近い気持ちを持て余しての考え事なんてしてんだよっ!"
 えらい細かく繰り返していただきましたが…。あら、違うんですか?
"違うっ。"
 ややもすると意固地になって振り払ったが(何を。/笑)、ただの帽子に付き合って、命まで落としてもらっては困る? 果たしてそれだけだろうか。彼があの古ぼけた帽子を宝だとする、その"付加価値"へこそ、殊の外、腹立たしい自分ではないのか? そんなものと心中されるのは堪らないと、そんな気持ちが、そんな不快感が全くないと言い切れるのか?
"……………。"
 自分にも思い入れの深いものはある。腰から外したままでいる時は、座ると同時、自然な動作で肩に凭れさせるようにして、杖のように抱える3本の刀たち。中でも白い鞘と柄の"和道一文字"には、一方ならぬほどの深い深い思い入れがある。世界一の剣豪を目指そうと、恐らくは生まれて初めて誓った相手であったくいな。その彼女の形見であるこの刀だけは、何につけそれほど執着を持たないでいた自分が、唯一の例外として手からも身からも離したことがない。
"けど、それとは………。"
 違うのか? ルフィが帽子に寄せている愛着だって、同じ思い入れなのかもしれない。ただ、自分が勝手についつい邪推してしまうだけで…。
"だから、誰が邪推なんかしてんだよっ。"
 付き合いのいい人だ。
(ぷぷぷ☆) うぬうと口許をひん曲げているその足元の視野の中、短い陰がいつの間にか差しかかっていて、
「?」
 顔を上げると、いやに胸を張った格好の船長殿が仁王立ちになってこちらを見下ろしていた。
「…あんだよ。」
 いつにも増して自信満々とでもいうのか、反っくり返っていやに尊大な態度なのが、こちらもまだ少々胸中で何とも言えない何かしらが燻っていたものだから…それは正直にムッと来た。それでついつい低い声を放ってしまったゾロだったのだが、
「さっきは悪かった。謝りに来た。」
「………その態度でかよ。」
「そうだ。」
 むんと引き結ばれた口許に、睨みつけるような眼差し。何よりも、立ったままな大上段から居丈高に見下ろしてという態度が、到底"謝っている"ようには見えないのだが、
「………。」
 むむうと黙ったままなのは、もしかして…。
「…もしかして、許してほしいのか?」
「そうだ。」
 やはり偉そうなままだったが、謝り方を知らない子供のようなのが、何だか妙に可笑しくて。
「判った判った。もう勘弁してやるから気にすんな。」
 半ば呆れたように、顔の前で手を振ってそうと言ってやる。
「ホントか?」
「ああ。」
 渋々ではなく、ちゃんと…小さく笑ってやると、ふは〜〜〜っと大きく息を吐き出して見せ、
「良かった。」
 本当に心からの安堵を乗せた一言を洩らして、すとんとその場に座り込んだルフィだった。
「ゾロは助けてくれたんだものな。同じこと、繰り返すんじゃないぞって注意してくれただけなのに。それなのに怒鳴ったりしたのは、やっぱ間違ってるよな。」
 しごくあっさりと言ってのけ、うんうんと訳知り顔になって大きく頷いて見せたりするものだから、
「…お前ね。」
「ごめんな、ゾロ。」
 その単純さにはゾロも呆れた。ついさっきまでちょろっとばかり…柄でもないジャンルの事柄をごちゃごちゃ考え込んでいたのが馬鹿みたいじゃないかと、何だかそこまで引っくるめて単純に片付けられたような気がして。抱え込むような格好で肩に凭れさせた刀たちの柄
つかを、曲げた指の背で軽くこつこつと小突きながら、
「性懲りもねぇのには慣れてるよ。」
 ゾロは、向かい合う童顔へとおもむろに言葉をかけた。
「俺がそんだけの理由であれほど怒鳴ったと思ってるのか? お前。」
 さして押し付けるような訊き方ではなかったせいか、船長殿は“む〜〜〜っ”と考え込んでから、
「何かまだ良く判んねぇんだけど。」
 …おいおい。
「俺は船長だからあんまり"すぎる身勝手"はやっちゃいけないんだ。そういうことなんだよな?」
 やはり単純な、子供っぽい答えを返してくるルフィであり、
"………。"
 あやふや曖昧な部分を、妙な格好で決めつけるように言い表されても何だよなと、
「…まあ、そういうことかもな。」
 微妙にまだどこか噛み合ってはいないのだが。そこはお互いに言葉の足りない同士でもあり、大した齟齬でもあるまいとゾロもここは妥協する。そう。お互いに、互いへの想いを、正確にはまだまだ把握出来ていなかったりするのだから仕方がない。どちらからともなく"くすん"と微笑い合い、そうそう、俺、おやつの途中だったんだ、ゾロも来いよと立ち上がりながらルフィが手を差し伸べる。お前、シャワー浴びてねぇだろ、そんな塩の吹いた手で食ったら、せっかくの甘い菓子が辛くならねぇのかと、ゾロが笑って小さめの手を取り、よいせと立ち上がって。先程のあの罵声の応酬など、一体どこのどなたのお話かしらと言わんばかり、あっさりと元の鞘に収まったお二人さんである。


「…な? 心配してやるだけ無駄なんだよ、あの二人は。深入りすると馬鹿を見るから、勝手に修復しやがんのを待って、放っておくのが一番なんだ。」
 ウソップのもっともらしい言いようへ、
「サンジがああ言わなくても、放っておいても仲直りしてたのか?」
 チョッパーが新しいお茶を淹れてくれたシェフ殿へと訊く。
「そういうことだ。形状記憶合金みたいな奴らなんだよな。」
「あら。サンジくん、何か仲裁めいたお節介焼いたの?」
「ええ、まあ…ちょっと。」
「やさしいんですね。」
「そんなぁvv ビビちゃんに褒めてもらえるなんて、光栄だなぁvv」
 いつの間にやらキッチンへ集合していた彼らであり、後甲板でのやり取りに聞き耳を立てていた模様。………何だかんだ言って、気になってたのね、やはり。



 ―――そして、その晩のうちにも、
    ナミの手によって、問題の麦ワラ帽子に、
    飛ばされないようにという"あご紐"が取り付けられたのであった。


  〜Fine〜  02.2.10.〜2.11.


  *『SEA SKY』様 7000HIT突破記念
      如月弥生サマへ 「麦ワラ帽子へ嫉妬するゾロ」


  *実を言いますと、
   Morlin.は日頃シャンクスさんのことはすこーんと失念している節があって、
   リクエストされる折に"そういやそうだったわね"と思い出してる始末。
   いや、大好きなキャラではあるんですがね。
   鳥頭だから許容量に限界があって、
   常々から彼のことまで把握してられないんでしょうな。(おいおい)
   こんな出来となってしまいましたが、いかがでしょうか? 如月サマ。
   年寄りにいつもお付き合い下さってありがとうございます。
   ますますのご活躍をお祈り申し上げます。


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