いつでもいっしょ


 その真っ直ぐな坂の上からは、堤防とその向こうにある海がよっく見通せて。堤防に分断された陸と海とが、そして、水平線に分断された空と海とが、どこか妙に嘘っぽい、素人芝居の書き割りのような風景として、いやにあっけらかんと望めた。何と言っても、堤防という地面の端より"上"に存在する、水を湛(たた)えた海に違和感がある。筆者も子供の頃は海に程近い土地に住んでいて、これと同じ情景を毎日見ていたにも関わらず、よくあふれて来ないよなと、不思議だと思う感覚はとうとう消えなかったものだったが。

  「…迷ったみてぇだな。」

 おいおい、のっけから。この一言で情景がすぐ浮かぶぞの、今話の登場人物たちは、屈強な体格にまとった、白いシャツとワークパンツ風のズボンに、ごつくて踏まれると痛そうな
おいおい安全靴。そして、髪の色に合わせてか淡い緑色の腹巻きといういで立ちの、背の高い剣豪殿こと、ロロノア=ゾロ氏。そしてその傍らには、彼ら仲間たちの旗印にも描かれたトレードマークの麦ワラ帽子を黒髪に載せて、赤いノースリーブシャツとぎりぎり膝上丈のジーンズという軽装。成長過渡期にありがちな、ひょろひょろと手足の長い十七歳、これでも船長のモンキィ=D=ルフィという少年の、二人連れでの迷子である。…相変わらず進歩のない人たちだ。

  「うっせぇな、放っとけよ。」
(あはは)


           ◇


 今回立ち寄ったのはさして特徴のないありふれた補給港で、ログポースが次の島を指すために必要なログも1日あれば充分溜まるとのこと。そこで、いつものように不足している物資の補充をすることとなり、食材、備材に燃料、消耗品、日用品に医薬品などなど、それぞれの管理担当者たちが慣れた様子でチェックした後、買い出しのために上陸することとなった。この場合、航行上の日常生活の分野では何の管理担当も担っていない者が約2名いて。しかもその上、困ったことには彼らは揃って極度の方向音痴であるがため、このところはこういう寄港・着岸のたびに"お留守番"を命じられて過ごして来たのだが。今回は、剣豪殿にはちょっとばかり"お目当て"があったらしい。これは間違いなく"必要経費"だと大蔵省をお見事に説き伏せて費用を都合し、万が一にも迷子になったなら…と言っても自覚がないから困った人なので、
『い〜い? その"目的地"から船へ戻って来ようとして、2時間かかっても辿り着けないようなら、潔くその場で"お迎え"が来るのを待ちなさい。』
『お迎え?』
『チョッパーに頼んで匂いであんたを探してもらって"回収"するまでだわ。』
『………判ったよ。』
という約束をナミと交わしてから、ようよう船を離れたゾロだったのが朝食後の9時頃だったろうか。彼の目指した"目的地"は結構有名だった。…というか、この港町に特徴がないと思うのは一般人だけで、ゾロと同じ職種の者にすれば、他の町とは一線を画すほどに飛び抜けて目を引く特長があった。武器や武具の工房の多い町。それも、名だたる名匠が多く住む町。人嫌いだの偏屈だの、どこか特長のあり過ぎる極端な"名人気質"を抱えた仙人のような格とまではいかないが、そこそこ以上、かなりの凄腕と評されて名高い鍛治や工人、職人たちが多く集う土地なのだ。この"グランドライン"という危険で油断のならない海路には、秀でた武器・武具もまた必要不可欠な装備だから、それに関わる職人という人種もまた、必要とされ腕を磨き、その名を競い合っている。そういった人々が、修行のためにと優れた師匠を訪ねて弟子入りしたり集まったりしたその結果、この町がその筋で名を馳せてしまうほどの職人たちが数多く集ってしまったのだろうと思われる。………で、ここまでくどくどと書けば"はは〜ん"と既に気づいておられる方々もいらっしゃることだろう。ゾロがお目当てにしていたのは、その筋では結構著名な刀鍛治だ。日頃から自分で手入れは怠らない。何しろ自分の一つしかない生命を懸けた、それはそれは遠大な野望を遂行するのに必要な道具なのだから、きちんと手入れ出来て当たり前。自分の持ち物であるが故の"癖"もしっかり飲み込んだ、余念のない世話がこなせてはいる。だが、そこはやはり"使い手"だ。鋼から刃を生み出す刀匠や刀鍛治、生み出す側の専門家にしか判らない何かも、もしかしたらあるのかもしれない。特に、一番古顔、彼にとっては一生のパートナーとなるだろう、大業物"和道一文字"は、最後に研ぎに出して相当な歳月が経っている。
「今日中には出港する身だ。夕方までに仕上がるかな?」
 3本全部とは言わない。和道一文字だけでいい。ほとんど勘だけを頼りに訪ねた、結構格の高そうな、それより何より、本人こそがかつては名のあった"剣豪"だったのではないかと感じさせるような気迫と雰囲気のある刀匠にそうと訊いてみると、
「…ふん。」
 3本全てを一通り確かめてから、
「海賊狩り上がりの海賊。三刀流のロロノア=ゾロか。噂には聞いてたがね。その本人が訪ねて来てくれようとは思わなかったよ。」
 あまり唇を動かさず、ぼそぼそと、だが腹の据わった言いようをしたその後で、
「一日で、とはまた、せっかちなことだが、判ったよ。全部、引き受けようじゃあないか。」
 それこそ"挑戦状を叩きつけられた真剣勝負だ、こいつぁ引けないねぇ"とでも言いたげに、初老の刀匠はなかなか渋い風格を見せて"にやっ"と笑って見せたのだった。


           ◇


 ………で。ゾロは一人でこの刀匠のところへと足を運んだ。どのくらいの時間が掛かるのかが判然としなかったから少しでも早くと急いだせいもあったし、全くの個人的な用事であり、特に誰ぞを同行させる必要も理由も思い浮かばなかったからだ。仕上がるまでそこいらで時間を潰して来な、何なら階上
うえで昼寝してても良いさと言われて、じゃあお言葉に甘えようかなと思ったその矢先。

  『頼もう〜。』

 玄関の方からどっかで聞いたような声がして。他には家人のいない刀匠本人が応対に出ようとしたのを、頭痛のしてそうな顔のままに制して、ゾロが自ら横にすべらせて開いたガラス格子の引き戸。そこに立っていたのは、
『よっ、ゾロ。』
『………何で付いて来た。』
 予測が大当たりした、小型トナカイという姿のチョッパーを腕に抱えた船長殿だったものだから。ゾロはその大きな手のひらで額を押さえると、溜息混じりに彼らを押し出すようにして家の外へと出た。
『付いて来たんじゃねぇもん。探して来たんだもん。な? チョッパー。』
『おうっ。』
 この二人から揚げ足を取られようとは。なかなかの余裕じゃねぇか、こら…とばかり、ゾロの頭痛は自ずといや増した様子。
『…お前ら。』
 腕に抱えられていたチョッパーは、確か薬品類の買い出しにという目的のために港へ降りた筈。それがどうして、船で留守番していた筈のルフィと行動を共にしているのか。その点を言及すると、
『荷物を置きに一度帰って来たらさ、ルフィが"隠れんぼ"の手伝いをしてくれって。』
『はあ?』
 こちらもまたどこか舌っ足らずな幼い声のトナカイドクターが、自分たちの行動の動機とやらをすらすらと語り始める。
『自分が"オニ"でゾロが町のどっかに隠れたんだけど、ゾロは方向音痴で自分でも判らないところへとっとと潜り込みかねないからサ。だから、俺に助っ人してくれって。』
 そ、それはまた。
『…ほほお。』
 船長殿にしてはなかなか小粋な、もとえ、よく考えた出まかせだったが。
"まあ、チョッパーが相手ではな。"
 裏とか何とか、欠片ほども疑わない人物が相手だ。恐らくはもっとたどたどしい、白々しい言いようをしたんだろうに、チョッパーの方で勝手に良い方へと解釈をして飲み込んで出来上がったこの"解釈"であったのだろう。トナカイドクターがそうと説明していたその間、当の本人であるルフィがいやにそっぽを向いていた辺り、剣豪殿の鋭い読みでほぼ当たっていると見て良いご様子。………で、頭数がこうも増えては此処に居る訳にも行かない。これから大切な"一仕事"をしてもらうのに、その刀匠の傍で…恐らくは大騒ぎになるだろうお子様たちの相手をするというのも剣呑だし。それで已なく"そこらを歩こうか"という運びとなったはよかったが、さして時間もかけぬ内、

  「…迷ったみてぇだな。」

 という、冒頭の台詞へと辿り着いた彼らである。特にどこかへ向かおうという目当てがあった訳でなし、正確に言えば、道に迷ったというよりは、一緒なら安心な筈のチョッパーとはぐれたことを指していて。これがいつもならさしてこだわらず、歩いている間に船だか仲間だかの居るところへ着くだろうと構えて、頓着なく歩き回り続けたりするところだが、今日ばかりはそうはいかない。夕方までには、あの刀匠のところへまずは帰らねばならないゾロとしては、チョッパーに確実に見つけてもらわにゃあと、今日はなかなかに殊勝でもある。二人が居たのは、港へと続く海岸線を見下ろせるよう、なだらかな坂の上に位置した、小さな緑地公園のようになっている広場。背の高い常緑樹が間隔を置いて植えられ、散歩用だろう遊歩道も整備されてある公園の、その縁辺りに並んだ古ぼけたベンチの内の一つに腰掛けたゾロは、背もたれへ背中を任せて吐息混じりに目を閉じる。慌てたって始まらないという気構えはいつもと同じ。見知らぬ町で、しかも丸腰だというのになかなか落ち着いたものである。そんな彼の傍らへ、こちらもぽそんと座って、
「…なあ、ゾロ。」
 ルフィが声をかけて来た。どこか少々大人しめというか、そう…何だかいつものように溌剌と弾けたところのない声音であり、
「んん?」
 そういやもうそろそろ昼で、腹でも減ったかなと目を開けてそちらを見やると、そういうことで愚図り出した時の表情ではなかったものの(分かるのね、一目で/笑)、何かこう、もの申すというような雰囲気のままに、居住まいを正して真っ直ぐにこちらを見つめている彼だったりする。
「どした?」
 その神妙さに、こちらも一応身を起こして訊くと、
「なんで一人で出掛けたんだ?」
「…なんでって。」
 先にも本人に代わってト書きで述べたが、もう一度繰り返すなら、
『どのくらいの時間が掛かるのかが判然としなかったから少しでも早くと急いだせいもあったし、全くの個人的な用事であり、特に誰ぞを同行させる必要も理由も思い浮かばなかったから』である。早い話が理由なんてない。
「刀への用事しかなかったからだ。」
 ホントなら、こんな風に…見物とか時間つぶしとかのために歩き回る予定じゃなかったし。それしか考えてはいなかったという、いかにも彼らしい単純な言いようへ、
「………。」
 だがルフィは、顔は上げ切らぬままの上目使いになり、じっと見つめてくるばかり。
「何だよ。遊びにって連れてってほしかったのか? 今日のは…。」
 相変わらずに子供じみたところの強い船長様だ。お出掛けに一緒したかったのかも知れず、だとしても今日は無理だったんだぞと続けかけたゾロへ、
「違う。」
 きっぱりした声で遮った。
"?"
 時々こんな風に掴み切れないところが多々ある少年で。一番付き合いの長い自分は他の面子に比べると読み取れる方だと思われているらしいが、とんでもない。相変わらずに振り回されてもいるし、事が動いてから理解が届けばいい方。自分だって、もう止められないところまで進んでから気づくのが精一杯だと、ゾロとしてはいつだって苦笑が絶えない。それでも冷静に見えるとするなら、極端な話、ま・いっかとか仕方がないとかいう具合に"覚悟"があるだけのことだ。今も、何が言いたいのかが判らず、続くのだろう言葉を黙って待つと、
「一日丸々逢えないんだぞ?」
「ルフィ?」
「なんでもない時に、だけど逢えなくて一緒に居られないのって、なんかヤダ、俺。」
「…お前ね。」
 何を言い出すかと思ったら。結局は"連れてってくれなかったなんてズルい"と似たようなもんじゃねぇかよと、ガキみたいなこと言ってんじゃねぇよと、吐息混じりに肩を落としたところへ畳み掛けるように、
「ゾロは…ゾロは一人になりたかったのか?」
 そういうところがお子様だというのだと、ますますの実感が涌いた。イエスかノーか、どっち?と。そういう聞き方をすることがルフィには多々ある。白黒はっきり答えろと、そう言わんばかりの聞き方であり、子供の拙さと潔癖なところがいつまでも抜けない彼だったりする。日頃…はともかく、戦いの場においては"正道主義"を貫く人物であるだけのことはあり、だが、
「だから…。」
 そんな彼へと…どこか曖昧だったりどうとも取れそうな"大人なりの答え方"が出来るほど、ナミやサンジのような機転とか融通の利かない自分もまた、そんなルフィといい勝負ではあるよなとかすかに苦笑して、
「…一人で居ても平気になっただけだよ。」
 そうと答えてやった。
「???」
 今までだってそのくらい平気だったじゃんと言いたげな、キョトンとする幼い顔を前にして。何と言えば良いものやらと、短く刈られた頭の後ろ、がりがりとその大きな手で掻いて見せる剣豪殿で、
「だからよ。眸ぇ離せない奴だと思ってたがよ、離れ離れになっても大丈夫って、この頃ではそう思うようになった…って言うかさ。」
 一人が平気というよりは、ルフィから目を離していても心配しないで居られるようになったというか。日頃の何かと抜けているところを、ああ危ねぇなあといつも眸を離せずにいたが、これまでの蓄積にようやっと気がついた。さすがは自分が見込んだ船長殿で、確かにとんでもないことを招くのが得意技だが、その収拾もつけられるようになりつつある。…上手かどうか、無難かどうかはおいといて。
(笑)それをもって、戦いの場で寄せている信頼を、日頃の日常にも置いてやって良いのではないかと、そう思った自分なんじゃないのかなと。
"…なんか他人事みてぇだな。"
 もっとホントのところは、ナミの厳命もあってゴーイングメリー号で大人しくしている彼だと思ったから。だもんだから、自分が並べた言いようが、ちょこっとばかりこじつけっぽいことに気がついて、苦笑を噛み殺すゾロである。そんな彼へ、
「俺だって、戦いん時は信頼してるから離れ離れでもへーきだぞ。」
 ルフィとしては…真に受けたらしく、真顔でそんな風に言って相棒の顔を下から覗き込む。
「………で?」
 頭上で潮風に揺れた梢の陰が、麦ワラ帽子や間近になった少年の顔の上に木洩れ陽をちらちらと揺らしていて、彼の裡
うちで揺らめいている不安がそのまま形になったようにも見えて。それでも納得出来ないというなら、一体何が彼を心配させているのだろうか。それこそ心配になりかけて、眉をちらりと寄せてしまった剣豪だったが、
「今日はゾロ、刀ないんじゃんか。」
「………あのな。」
 あまりに短い言いように、脱力しそうになったゾロだった。ツーカーなご当人同士はともかく、皆様への解説をするならば…ルフィはゾロの外出目的をちゃんと知っていて、その上で追って来たらしい。彼の曰く、刀を研ぎに出してる間、丸腰になるゾロが心配だから。
"見くびられたもんだよな。"
 買いかぶられるのとどっちがマシだろうか。必ず見込まれた以上の働きをこなして来た彼だから、そっちはきっと体験がなくって例として不適当ですかね。
おいおい
「刀がねぇと、俺は危なっかしいってのかよ。」
 ちょいと心外だよなと、今度こそ…それこそ判りやすく不機嫌そうな眇
すがめた眼差しをくれてやると、やはり特に慌てもせず、
「ゾロの刀って、ただの武器じゃないじゃん。」
 ルフィは平然と言い返して来た。
「…あ"?」
「体の一部ってのか、相棒みたいなもんだろ? それが全部手元にいないんじゃあ、少しは…少しは不安なんじゃねぇのかなって。」
 …おや。
「………。」
 この少年にはそんな技巧はないから、裏やらどこやらに何かしらの含みのある言葉ではないのだろう。その彼が言うのは、身の危険云々という次元の話ではなくて、お友達がいなくなってる間、寂しいのではないか心許ないのではないかというような。そんな心持ちになったゾロの傍らにいてやろうと、そう思ったルフィであるらしいということか。
"…ったくよ。"
 拙くて、小細工なぞなくて。だから。真っ直ぐだから、逃れようがなくて。一笑に伏すことも出来ず、短い吐息を一つつき、
「…わ、ゾロっ。やめろよう。」
 伸ばした大きな手のひらで、まずは帽子をぽそっと浮かせて脱がせ、ふわっと現れた少年の黒髪を半分照れ隠しのようにわしわしとまさぐった剣豪である。どうでも良いが、傍から見てる分にはいちゃつく恋人同士のようですぜ、お二人さん。
(笑)………と、
「………っ?!」
 そんな場へと駆け込んで来た人影があった。あっと言う間に彼らの目の前へと駆けて来たのは、どこか血走ったような荒
すさんだ尖りのある青年で。それがそのまま駆け去った後へ、石畳をかつかつと蹴る堅い蹄の音がして、
「あ、ルフィっ、ゾロっ!」
「どした、チョッパー。」
 どう見ても先程の男を追って来たらしい彼は、枝分かれした角も凛々しい、ノーマルトナカイの体型になっていて、
「あのな、あのな、あいつ、悪い奴なんだ。おばあさんの巾着袋、引ったくったんだ。」
「おばあさん?」
「おお。俺に親切にしてくれたおばあさんで、この公園の向こう側に居たんだ。そしたらあいつが…。」
 皆まで聞かずとも話は通じて、
「この野郎っ!」
 ルフィがあっと言う間に駆け出している。
「あ…。」
 あの調子で駆けて行ったら、またぞろ迷子になるのは確実だぞと、思いながらも心情は判るから、ゾロはチョッパーと顔を見合わせて苦笑し合う。
「で、おばあさんてのはどうしたんだ?」
「向こうで待っててって言ってある。今月の生活費が入ってて、ないと困るって。」
「ま、何が入っていようが、盗られて困らねぇもんはあまりなかろうがな。」
 ゾロはくすんと笑い、ルフィが駆けて行った方へ急ぐことにした。

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