黒い瞳の… A


        


「あーもうっ、しつっこいな。」
 窃盗団の捜査がなかなか進まず、頭から離れないせいだろう。会うたびについつい疑って、同じやり取りに終始して。けれど、ルフィはそれでも呼び出せば会ってくれた。伸びやかな肢体に、ころころと変わる表情豊かな顔。大して違わない筈の自分との年齢差を思わせない童顔で、黒々とした大きな眸の中には、だが何が秘められているのか、ゾロには推し量ることが出来ない。
「だったらさ、ゾロ。俺がもしもその窃盗団の関係者だとして、どうしてゾロにこうやって頻繁に会ってるワケ?」
 人通りのない石畳の街路。夕食を共にしたレストランからの帰り道で、二人は人目がないのを良いことに、ややもすると穏やかではない…相当に物騒な会話を続けている。片やはテイラードスーツを着こなす強壮そうな偉丈夫で、もう片やはラフな格好をし、まだ学齢と言っても通りそうな童顔の少年という奇妙な二人連れ。
「ゾロは口が堅いから仕事の話は一切しないじゃん。何度か会えばそんくらい判ってくる。利用したいから会ってたんなら、もうとっくに見限ってるぜ?」
「う…ん。」
 筋は通っている。考え過ぎかと、自分の頑固さに自分でも呆れてついため息をついたゾロに、ルフィは少しばかり肩を落とした。
「それとも、俺が窃盗団の人間じゃなきゃ会ってくれなくなるのか?」
「…ん?」
 顔を上げると、街灯の下で心細げに細い肩を落とした彼の姿が目に入り、ゾロをはっとさせた。自分のため息を誤解したらしい。
「ルフィ。」
「………。」
 時折思い出したようにやって来ては去って行く車のヘッドライトが、右から左、彼の細っこい肢体を舐めて、輪郭を浮かび上がらせては薄闇へと沈ませる。そんな彼の存在が、何故だろう、儚い幻のようにも見えた。
「そんなじゃない。」
 宥めるように声をかけて歩み寄り、だが、どうすればいいのかと戸惑って、
「………。」
 黙りこくったままな彼としばし向かい合った後、腕を伸ばすと、そっとその上体を抱き締めた。
「…え? あ、ゾロ?」
「ごめんな。どうして疑っちまうんだろうな。こうやってると昔と全然変わらないチビさんだのにな。」
 子供の頃もゾロの方が当然大柄で、悪戯をしては逃げ回るルフィを捕まえてはしゃいだ。ルフィもそれを思い出したのだろう。
「知ってた?」
 小さな声で呟いた。
「ん?」
 促すと、
「捕まえてほしくて悪戯したんだよ? ゾロの耳をくすぐったり、おやつを横取りしたり。」
「…そっか。」
 きゅうっと抱き締める腕に力を込めると、自分からもその身をゾロの胸板へと擦り寄せて"ほうっ"と小さなため息をつく。
「懐かしいな。同んなじ温ったかさで。…でも、匂いは違うや。」
「そうか?」
「うん。すっかり大人の匂いになってる。」
「大人の匂い?」
「ああ。頼もしくってサ、ずっと凭れてたくなる匂いだ。」
 眼下の黒髪が夜風に揺れて。どこか寂しそうにも聞こえたルフィの声。ゾロには何故だか、しんみりと胸に染み入るような声に聞こえた。
「なあ、ルフィ。」
「…なに?」
「………一緒に暮らさねぇか?」
 ルフィがゆっくりと身を起こす。月光が青白く濡らす石畳の街路。一つだった影に隙間が出来た。
「なに、何言い出すんだよ、急に。」
「急かな。」
 見下ろしてくるゾロの顔は至って真面目だ。
「何か放っとけないんだ。俺もそうそう規則正しい生活を送っちゃいねぇけど、一応は毎日家に帰ってる。こうやって会うのの延長で、毎日ウチで会うっての、悪くねぇとは思わないか?」
 決して同情ではない。そんな薄っぺらなものは昔から苦手だったと知っている。だからこそ、判るからこそ、ルフィにはそう簡単に応じられることではなかったようで、
「すぐに返事してくれって言ってる訳じゃないさ。その気になったらで良い。いつだって迎えに行くから。………な?」
 当惑気味に立ち尽くすルフィの髪を撫でてやり、促すように肩に手を添えて歩き出す。

 ルフィのアパートのすぐ傍まで送ってくれて、手を振って別れたその横へ、一台のオープンカーが音もなくすべり込む。運転席には夜だというのに淡い色のサングラスをかけた女が座っていて、
「いいの? あまり深入りしない方が、あなたとあの人のためよ?」
 そんな声をかけて来た。
「判ってる。」
「ホントに?」
「ああ。心配させてごめんな、ナミ。」
「どういたしまして。あんた、キャプテンなのよ? それを忘れないでね。」
 さっき二人を一つの影にした同じ月光が、今はひょろりと細い少年の影だけを、擦り切れた石畳に落としている。さっきまでくるまれていた、精悍そうな頼もしい匂いと温かさを思い出し、ルフィは何とも言えない小さな吐息を一つついた。

            ◇

 何日かが経ち、まだルフィは何とも返事を返さず、だが、ゾロも急かすようなことはしなかった。
「…今日は聞かないんだな。窃盗団のこと。」
「まあな。もう疑わないって決めたんだ。これまでゴメンな。」
 その夜は初めてゾロの自宅で会っていた。待ち合わせたカフェが臨時休業だとかで、
〈じゃあ近いから来るか?〉
という運びとなってのこと。テイクアウトの中華メニューと、デリバリーのピザでの夕食。材料さえあれば少しくらいなら料理だって出来るぞと、ゾロは自慢げに言って笑った。実家にはまだ両親が住んでいて、電話でルフィに会ったと話したら、是非会いたいと言っていた。それを伝えると、ルフィは…どこか曖昧な笑い方をして、先の一言を訊いたのだった。今となってはどうしてあんなにくどく疑ったのか、自分でも不思議だと思うゾロだ。何かしら形の無いイメージに捉らわれて、何の非もないルフィを疑い続けた。物理的、論理的を重視せねばならない警察官がそんなことでどうすると、今となっては苦笑が洩れるほどだ。だが、
「昔っからゾロの目だけは誤間化せなかったもんな。」
「ルフィ?」
 窓辺に立つ背中が、何だかそのまま消え入りそうなくらい小さく見えた。ブルゾンを脱いでいるからだろうか。カーテンの合わせを少しばかり掻き分けて、夜の帳を背景にすると、ゾロの目にはますます脆弱に映る。何を言い出した彼なのかが判らずに、ソファから立ち上がって傍へ寄る。肩へと手を置くと、顔を上げ、こちらへと振り向いてくる。
「でもホント、ゾロの心配してるようなことはないんだ。少なくとも、ゾロの身が危なくはならないから安心しててよ。」
 その言いようが含む意味。すぐさま飲み込めなかったのは、これまで自分へ突き付けられたことのない種のものだったから。理解した途端、
「…っ!」
 かっと頭に血が昇り、気がつけば胸倉をつかんで相手の小柄な体を吊り上げていた。
「馬鹿野郎っ! 俺が自己保身から訊いてたと思ってたのかよっ!」
 窃盗団の関係者ではないのかと、それだと付き合えはしないという理屈で疑っていたゾロだと思われたのなら、これほど馬鹿にした話はないぞという怒りが、つい爆発したのだ。もっと冷静になれば、その前にさんざん疑った自分だという存在があったのだが、それにしては前後の言葉がまた怪しげで、まるで…実はゾロの差した目串は当たっていて、けれどゾロには難儀は及ばないから安心していてよという意味にも解釈出来るのではなかろうか。そんなこんなで真剣に怒ったゾロの鋭い眼差しを真っ向から受け止めながら、
「…思ってない。むしろ逆だ。俺んこと、凄っげぇ心配してんだろ?」
 ルフィはそれは静かな声で応じてくる。
「昔もそうだった。泣きたきゃ泣けって。子供なんだから我慢しなくて良いんだって言ってくれたろ? 俺、一遍も泣いたことなかったんだぜ? ゾロにああ言われるまではさ。」
「あ…。」
 思い出した。大きく目を見開いて、けれど泣かないルフィ坊やに、そんなことを言った覚えがある。学校へのバスに乗り込むゾロを見送る時、父が母が順番としてゾロから先に抱き上げたり頭を撫でたりした時、何も言わず、寂しくても辛くても泣かなかった坊や。それがあまりに痛々しくて、泣いたことは誰にも言わないからと約束したそのまま、ゾロ自身も封をして忘れていたのだ。ただ無邪気なだけの坊やではないと、それがイメージとしてだけ蘇って、ゾロの記憶を裏からつついていたのだろう。
「全然変わってねぇんだもん。会いたくてついつい市警の周りでうろうろしてたこともあったんだぜ? そんなことしちゃヤバイのに。」
 ヤバイ?
「? どういうことだ?」
 聞き返すゾロにルフィはいつの間にか手にしていた小さなスプレーを向け、ノズルを一瞬だけ押して吹きかける。
「あ…ルフィ………?」
 ほんの一瞬、安物の香水のような癖のある甘い香りがして、途端に平衡感覚が勝手に体の中から抜け出してゆく。
「これ以上はオフリミット。知ってしまうとゾロの身が危ないんだ。」
 薄れ行く意識の向こうで、ルフィが小さく笑った。それは…これまで一度も見たことがない、たいそう堅く強ばった"作り笑顔"だった。


            ◇

 翌々日の地方紙はセンセーショナルな記事で埋め尽くされていた。近頃地元を荒らし回っていた少年窃盗団とその関係者たちが、市警の一斉検挙で全員逮捕されたこと。彼らはとある地下組織の息がかかったグループで、麻薬によって縛られて使われていたこと。先々は町ごと乗っ取られかねない勢力予想図が敷かれていたこと…などなどで、だが、ゾロは丸一日眠り続けていたため、それらの現場に立ち会うことは出来なかったのだ。
"………。"
 どちらかと言えば地方にあたるこの町での前代未聞の大捕物となった昨日の騒ぎを、どこの新聞も…全国紙までもが大きく扱っている。そんな記事を、署のそばの公園のベンチに腰を下ろして読んでいたゾロだったが、どこか忌ま忌ましげに息をつくと、乱暴に畳んだ新聞を傍らのごみ箱へと突っ込んで立ち上がった。
"…まったくよぉ。"
 冒頭に負けないくらいの不機嫌の塊りと化している。何がどうなっているのかがやっと判っての代物だけに、根拠がある分、怒りも重い…というところだろうか。街路沿いの舗道へ出て、歩き出した彼の傍ら、いきなり真横に滑り込んで来たのは一台のオープンカー。その後部座席から、
「よっ。」
 軽く手を挙げ、会釈するのは、
「ルフィ〜〜〜っ!」
 ゾロの唸り声にも一切構わず、ひょいっとドアを飛び越えて一人だけ降りて来る。運転席にはサンジとかいうあの男。助手席には赤毛の女が、何を知ってか愉快そうに笑っていて、ルフィを残して去って行った。
「お前っ! 選りに選ってFB…。」
「ゾ〜ロ、声が大っきい。」
 そっと伸ばされて来た手がゾロの口許を覆う。それで我に返ったのだろう、ゾロは息をつくと声を低めた。
「FBIだったってのはどういうこったよ。」
「どういうも何も。…部長さん辺りから聞いてない?」
 そう。この幼なじみはなんとFBI系の嘱託組織のメンバーであったらしく、今回は窃盗団の背後にいた地下組織をあぶり出すためにこのご当地へと来ていたらしいのだ。
「それに正式な担当官とか事務官とかじゃないよ? あくまでも"嘱託"だもんね。」
 だからこそ、昨日の一斉検挙も市警のみの手柄となっているのだろう。
「お前、俺を引き摺り回しとったな。」
「ピンポ〜ン。」
 ふざけたようにそうと言って、
「だってここの市警さんも、ご多分に漏れず非協力的だったんだもの。どうしても窃盗団の検挙を優先したがっててさ。組織がからんでるっていくら言っても取り合ってくれなかったもんだから、捜査班の優秀な刑事さんを一人、怪しい容疑者候補っていう"レッドヘリング"に張り付けといたって訳。」
 レッドヘリングというのは手品用語でして、観客の注意を引きつけておくための道具や仕草のこと。その陰で本当のトリックが悠々と動いてる訳で、早い話が"目くらまし"若しくは"当て馬"のことですな。推理小説なんかでも、いかにも怪しい容疑者候補を指す用語として使われてます。
………で、FBIというのは連邦警察なので、州ごと、市ごとの警察組織とは折り合いが悪かったり協力を渋られたりもする。映画にも"いきなりやって来て俺らをボーイスカウト扱いするんだぜぇ"と地元警察の刑事が愚痴を言うという台詞があるくらいで(なんだっけな、確かジャッキー=チェンとクリス=タッカーの『ラッシュアワー』だったっけかな。)、広域事件担当ならではな指図なんだろけど、所轄にしてみりゃあ…いきなりやって来てエリート面して偉そうに人を顎で使いやがってよと、鼻持ちならない態度にも見えちゃうんでしょうねぇ。そんなもんだから、地元の事件さえ片付きゃええわいという考え方の市警と、余罪の方も固めてから逮捕した方が確実に有罪に出来ると構えるFBIが、方針で真っ向から対立するってのはよくある話らしい。
「俺がいなくて手薄になったその間に、警察の捜査情報を探ってたのか。」
「そっちはサンジとナミの担当だ。俺、そういうややこしいこと、出来ないし。」
 あっけらかんと笑って見せる。だが、当然のことながら、ゾロとしては何もかもが面白くない。思えば、最初の接触から仕組まれていたのだ、全て。だのに…可憐な様子にほだされて、一緒に暮らそうかとまで言ってしまって。これではただの道化ではないか。
「もう"お仕事"は終わったんだろ? とっとと帰れよ。どっかにあるんだろ? ちゃんとした本宅がよ。」
 ややもすると突き放すように乱暴に言う。ともすれば自分よりもエリートな地位にいるルフィなのだ。さぞかし立派な邸宅を構えていて、執事なんぞにかしづかれているに違いない。だが、
「…やだ。」
 ルフィは短く言った。
「やだって…何が"やだ"なんだよ。」
「俺、ゾロと暮らすんだもん。」
「…はあ?」
「言ってたじゃん。一緒に暮らそうって。」
「あれは…。」
「警察官が嘘ついちゃいけないんだよ?」
 見やれば…いつの間にか真顔になっているルフィで。
「俺、言わなかったことは一杯あるけど、嘘は一つも言ってないよ? ゾロにだけは嘘はつきたくなかったんだもん。」
「…まあな。」
 ゾロの身が危ないと言っていたのも、大方…あのままルフィを捕まえていたら"冤罪逮捕"という汚点を経歴の上につけることになるからという意味だったのだろう。
「それとも、一緒に暮らそうって、もう思ってくれないの?」

〈俺、言わなかったことは一杯あるけど、嘘は一つも言ってないよ?〉

 だから…一人暮らしもホントなら、ゾロとの再会にあんなに嬉しそうにしていたのもホントなのだろう。そして…寂しそうだったのも。親とはぐれた迷子の子犬のような、黒々と潤んだ眸。そういえば、この眸には昔から弱かった。
「…判ったよ。一緒に暮らそ。」
 途端に"ぱあっ"と、見るからに表情がほころぶ。こちらまでが抱え切れない嬉しさに切なくなりそうなほどの笑顔で。
「な、それじゃあ、今からどっか行って遊ぼうよ。俺、今日から一カ月ほど休みなんだ。」
「馬鹿、俺は勤務中だ。」
「どうせ何も起こんないよ。昨日あんだけの大捕り物があったんだし。」
「その"捕り物"の間中、かーかー寝てたんでな。そんだけの大捕り物のあった日に無断欠勤したってことで、初めての始末書書かされたんだぞ、こっちはよっ!」
「ありゃ、ごめん。」
「だから、とっとと帰って、荷物まとめて待ってな。夕方んでも迎えに行ってやるからよ。」
「やだ。ねぇ、FBIの調書取るためだって言やぁ良いじゃんよ。」
「あのなぁ〜。」
 つかず離れず、子犬をじゃれつかせているかのように、歩き出す。それはまるで、これからの彼らのスタンスを物語っているかのようでもあった。

  〜それから半年も経たずして、
   このロロノア=ゾロという男もまた、
   ルフィが率いる嘱託機関の一員となってしまうのだが、
   それはまた別のお話にて。


      〜Fine〜 01.8.17.〜8.18.

    カウンター333番 キリ番リクエスト
               アゲハ様 『ゾロルでパラレル』



  *パラレル書いてくださいと言われて
   "刑事もの(それもアメリカの)"を書く変な奴。
   …仰有りたいことは良〜く判っております。
   恐らくは、
   日本の学校を舞台にした"パラレル"を想定してらしたんだろうと。
   申し訳ありません。ごめんなさいっ。
   何とか頑張ったんですが、
   うちのゾロさんがどうしても"お父さん"なため、
   学生服が似合わんのですよ。(涙)
   彼だけ先輩とか先生、社会人という設定もあるんでしょうが、
   どうにも学園ものは鬼門でして。
   (別ジャンルでイヤってほど書いた後遺症もありまして。)
   もっと精進して彼らを使いこなせるようになった暁には
   挑戦してみようかなとも思うのですが、
   今の段階ではやっぱり無理でした。
   今回はどうかこれでご勘弁を…

  *…と、冷や冷やもので心配しておりましたら、
   アゲハ様にはとても喜んでいただけたというメールを、
   掲載当日に頂戴いたしました。
   (このお話自体のネタバレをご配慮下さったそうです。)
   ああ、よかった。


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