Kindness 

Vol,1


        1

 今日も今日とて良い日和。波を風を切って快走するゴーイングメリー号は、うららかな海上を軽快に進んでおり、航行計画の消化ぶりも至って順調だ。穏やかな陽射しの中を涼やかな潮風が吹きすぎるそのバランスがまた絶妙で、
「おうおう、ま〜た寝てんのかよ。」
 金の髪のその裾を時おり潮風に遊ばせながら、上甲板へと上がって来たコック氏がそこでの有り様へと苦笑して見せる。昼下がりのおやつ時。皆がキッチンへと集まって来ない時は配達
(デリバリー)までやってしまう彼だが、決して奉仕の心からでは絶対なくおいおい、一番の食べ時を逃させることなく、口へ押し込んでやりたいからだとか。ナミは自室、ウソップも船倉の研究室に籠もっているため、まずはそちらを回り、それから残る2人と自分たちも同席しようと4人分をまとめて抱えて来た彼らで、
「気持ち良さそう…。」
 甲板に寝転がって恒例の昼寝中な剣豪を見やって、サンジと共に上がって来たビビがどこか羨ましそうな声を出した。今日はいつもの船端に凭れず、甲板の板張りの上へ大の字になって寝ているゾロだ。傍らにいたルフィが顔を上げるのへ、にっこりと会釈したビビ皇女は、サンジがアプリコットのタルトへサワーシャーベットを盛り付けている傍ら、4つのカップをトレイに並べて紅茶を注ぎ始める。料理全般、それが例えお茶一杯であれ、すべて自分の手で準備して出したがるサンジだが、さすがは王宮育ちだからなのか、ビビの入れたお茶はそんなシェフ殿でさえ"…おっ"と唸ってしまった逸品で。それ以来、彼女にだけお茶を任せることのあるティータイムになっていたりする。それはともかく、
「まるで"眠り姫"みたいですよね。」
 その淡い緑髪を温める心地のいい陽射しの中、それはそれは気持ち良さそうに眠るゾロの寝顔をやさしく見やり、そんな風な感慨を述べたビビへ、
「姫〜〜〜?」
 サンジが思いっきり目許を眇めて見せる。
「ビビちゃん、そういう例えはちょっと…。」
 た、確かに"姫"というのはちょこっと違和感が。『三年寝太郎』という御伽話は、この世界にはないのだろうか? 一方、
「眠り姫? こないだ聞いたやつか?」
 そうと訊いたのは船長さんで、相変わらず彼女から色々な"お話"を聞いている様子。
「あ、いえ、この前のは"白雪姫"でしょう? "眠り姫"というのは、魔女の呪いで糸車の針を刺してしまい、いばらの森で千年も眠り続けるお姫様のお話ですよ。今度お話ししましょうね。」
 今はお姫様シリーズなのね。次は『白鳥の湖』のオデット姫あたりかしら。人魚姫とかかぐや姫とか?
おいおい
「けど、どっちも王子様のキッスで目を覚ますとこは一緒だよなあ。」
 美女へのキッスというシチュエーションにだろう、妙に嬉しそうなサンジの言いように、タルトを頬張っていたルフィが、ふと、注意を向けた。
「ふ〜ん。」
 ………って、ちょっと待て。この人の"ふ〜ん"は、いつだってロクでもないアイデアや言動に直結していたような。筆者がそうこう思っている間にも、ひょいっと腰を上げるとゾロの顔あたりの傍らへ移動して。そして、そのまま覆いかぶさると、分厚い胸板に手をついて、

  ………………っ☆

「おっ、ホントに起きた。」
 ルフィが声を出して感心したほどに、がばっと上体を起こして跳ね起きたその姿勢のまま、舳先の方へ逃げるように後ずさりした剣豪であり、所要時間は2秒もあったかどうか。しかも、日頃のクールでニヒルで落ち着いた様子はどこへやら、
「お、お、お前っ! いきなり何てこと、するんだよっっ!」
 これまで…海王類を初めて見た時だって、大クジラのラブーンにぶつかった時だって、こうまで驚きはしなかったぞというくらい泡を喰っている様子であり、
「だってビビがキスしたら目ぇ覚ますって。」
「言ってませんっっ!」
 だよなぁ。ムキになって首を横に振るビビであり、
「あ、そうか。そう言ったのはサンジだっけ。」
「だからっ、そういう風には言っとらんかったろうがっ! …って、お前もちっとは落ち着けっ!!」
 こめかみに怒りの血管を浮かせたゾロが、無言のまま引き寄せた刀の柄に手をかけるのを見て、待った待ったと広げた両手で宙を扇ぐようにして押し留める。一気に慌ただしく?なった只中で、張本人のルフィだけが異様なまでに落ち着いていて、
「ちょっと試してみただけじゃんか。そんな怒るなよ〜。」
 このお暢気な言いようだという事は…自分以外の人々の過剰な反応の真意が全然判っていないらしい。以上のやり取りから、誰が何をどう言って何をしたのか、それがなんとなく判ったらしい剣豪殿は、
「…部屋で寝てくる。」
 事態
(コト)の起こりの張本人が、怒っても非難しても言って判るような相手ではないとの判断を即座に下したらしく、ついでにどっと疲れたらしい。どこかヨロヨロと立ち上がると、刀を手に男衆の寝部屋へ下がってしまった。そのあまりの傷心の様子に、まるで自分が加害者だと言われたような気がしたのだろう。…いや、実際にそうなんだが。
「なんだよ。ただ口と口をくっつけるだけのことじゃないか。」
 実に判りやすくプクーッとふくれるルフィだったが、
「いや…それだけじゃねぇんだって。」
 まったくだ。呆れ半分といった口調で呟いたサンジのその横で、
「Mr.ブシドー、大丈夫でしょうか。」
 色んな意味で傷ついたのでは…と案じるビビで。心配そうなその声音には、さすがにルフィも、
「…ちょっと見てくる。」
 食べかけのおやつを残して渋々と立ち上がった。


「なあ、ゾロ。」
「何だよっ。」
「怒ってんのか?」
「さあな。」
 甲板よりも下にある男部屋へはハシゴで出入りする。昼間は換気を兼ねて蓋扉を開けっ放しにしている。そこから射し込む外光が、間口分の四角いスポットライトのような淡い光を、ハシゴに沿って落としていて。その光に囲まれた部分だけが明るくて、水中のプランクトンのように宙をゆったりと舞う細かい埃を、ちらちらと照らし出している。自分のハンモックへ横になったゾロの背中へ、下から声をかけているルフィで、
「ゾロ、よく俺んこと抱えてくれたりするじゃんよ。だのに、口くっつけるのはダメなのか?」
「そういうのとは全然次元が違うんだよ。」
 掛ける声に応じてくれてはいるが、全くこちらを向いてもくれない。戦闘中以外でこんなこと、今まで一度もなかったことだ。
「どう違うんだよ。」
「言ったところでお前には判んねぇよ。」
「聞かなきゃ、そうかどうかも判んねぇじゃんかよ。」
「…判る奴がいきなりあんな事はしねぇんだよっ。俺は寝るんだから、出てけっ!」
 おお、これは相当怒っている。結局、一度もこちらを見ようとはしなかった剣豪殿であり、気になって…心配して様子を見に来た筈だったのに、
「判ったよっ! ゾロの馬っ鹿野郎っ!!」
 怒鳴り返すルフィの声が、女部屋で海図を描いていたナミにまで届いたほどだ。当然、
「一番のお気に入りにあんなこと言うなんて…何があったの?」
 これは只ならぬ事だと、丁度甲板から戻って来ていたビビに聞く。聞かれたビビは、
「それが…。」
 少々口ごもり、一体何から説明したものだろうかと、小さなため息をひとつこぼしたのだった。


        2

 結局、夕食にも顔を出さなかったゾロであり、気まずい空気は何だか"お前のせいなんだよ"と無言のまま責められているようで居たたまれず。
"何なんだよ。"
 依然として良く判らない。加えて、何だかとっても詰まらない。いつもなら"しようがないなぁ"とため息混じりに苦笑して根負けしてくれるのに、どうして今回のはダメなんだろう。ゴムゴムの技のとばっちりで思いっきりぶつかっても、空の彼方に吹っ飛ばしても根に持たないゾロだのに
(そ、そうなの?)、殴ったよりずっと痛くなかった筈なことで何でこんなに怒ってヘソ曲げてんだろう。
"………。"
 御伽話の中では、魔法みたいな奇跡を起こす"幸せの象徴"になっている"キス"だのに、試しにホントにやってみたら"こう"である。まったくもって"何だこりゃ"だ。
"キスなんて全然良いことじゃないじゃんか。"
 何だかルフィ本人まで機嫌が悪くなって来た。遊んでくれる…もとえ、いつも傍に居てくれるゾロが居ないこと。そしてその原因を…口を利いてくれないくらい怒らせた原因を作ったのは他でもない"自分"であるらしいこと。この二つは"事実"だからまあ受け入れても良いと思わんでもないルフィだったが
おいおい、その二つ、原因と結果を繋ぐ"途中式"が全然判らないことが、何ともかんとも煮え切らなくて苛立たしい。
"あ〜〜〜っ! 詰まんねぇっ!"
 何だかよく判らないけど詰まらない。どこにいても落ち着けず、どこにも居場所がないみたいな気がして出て来た甲板。ぺたぺたと草履を鳴らして上甲板へ向かいかけ、その足が止まる。夜中に主甲板以外へ出てはいけないと言い置かれている。特に昼間の指定席がある上甲板には近づいてもいけないと…ゾロに言われた。上がってしまうとついつい羊の頭にひょいっと登りかねないからで、
〈いいか? 夜は絶対舳先に登るな。昼でも危ないのに、夜に落ちてみろ。海ん中真っ暗で探せないんだぞ?〉
 一番最初に、一番きつい言い方で、何度も何度もそう言って念を押したゾロだったと思い出す。
"………。"
 あんな奴の言ったこと、守ることない…と唇をひん曲げたが、その時とっても真剣に言い諭されたのまで思い出し、
"………。"
 どうしても足を踏み出せず、肩を落とすほど大きなため息を一つつくと、頭上のメインマストを真っ直ぐに見上げたルフィだった。

            ◇

 さて、こちらは剣豪殿である。
"………。"
 自分でも少々大人げないかとは思う。だが、そっちの方面では世間が言うほど"大人"ではない。恋をする暇なんぞなかったし、唯一胸に刻んである乙女の面影も、どちらかと言えば"親友"という対象だし。
"………。"
 その無骨な手で自分の口唇に触れてみる。あんまりいきなりだったことと、目を開けた時にはもう離れていたため、感触なんぞ覚えてはいない。
〈よく俺んこと抱えてくれたりするじゃんよ。だのに、口くっつけるのはダメなのか?〉
 まだその程度なのだ、あの大ボケな船長の頭の中では。構い甲斐のある"抜け加減"が、こっちの方面にだけ及んでいない筈はなく、
"…ったくよ。"
 とどのつまりは、選りにも選ってそういうオクテな奴により、自分が柄になく純情なことに気づかされたため、泡を食って彼へと八つ当たりしたようなもの。
"………。"
 すぐ目の前、真上のハンモックが空なままなのは、ルフィがあれから一度も戻って来ないからで、結局ずっと顔を合わせてはいない。…ついでに言えば、コックも狙撃手もやって来ない。彼らの夜更かしは珍しいことではないのだが、タイミングがタイミングなので、妙な気を回してのことなのではないかと思うと、それもまたイラッと気に障る代物であるのだが。
"どっかで寝てんだ。気にするこたない。"
 顔を合わせないうちに眠ってしまおうとムキになって目を閉じる。昼間も午睡を中座され、しかもあれから結局は眠れなかったのだから、目を閉じればすぐにも眠れる筈だったのだが、
"………。"
 何だろう、何故だろう。何かがむず痒い。胸の奥やら頭の中の視野の縁やら、手の届かない、視線の至らないところに"何か"があって、自分を少しも落ち着かせてくれないのだ。見えないけれど存在する何か。知らないけれど自分の持ち物。
「…チッ。」
 舌打ちをし、身を起こす。
"判ったよ。探してくりゃあ良いんだろ?"

            ◇

 月光に満たされて青白く光る甲板には誰の姿もない。闇溜まりの中も一つずつ覗いて回ったし、前々にあれほど言い置いたが拗ねているなら言いつけを守らなかったかも知れないからと、上甲板や後甲板も見て回ったが、やはりどこにもいない。
"…まさか。"
 ちらっと船端に…その向こうの闇色の海に目をやったが、まさかなと首を横に振る。振った頭の止まった先。無表情なだだ黒い影となって天へと伸びるメインマストに、気がついた。

"…こんなところに。"
 夜の宙空に浮かぶ見張り台。月に近い方の縁から斜めに影が降りて、明暗でくっきりと二分された、丸い小さな空間。その床に、伸ばし切れない身を少しばかり寝相悪く…折ったり投げ出したり丸めかけたりして眠っている。窮屈なんだか奔放なんだか、よく判らない寝方だが、寝顔はすこぶる無邪気なもので、
"………。"
 人の気も知らないで呑気なもんだよなと、縁を乗り越え、中へと上がる。マストの登頂部を挟んで反対側の空間が空いているので、警戒心のまるでない犬っころのような寝方をしているルフィを抱えると、腕の中に収めながらそっちの空間へ座り込む。
"…おい。風邪ひくぞ。"
 直に触れた二の腕が、夜気にさらされてひんやりしかかっていた。張り番用の毛布があったことを思い出し、それを片手で引っ張り出して冷えかけていた肩から掛けてやると、
「ん…。」
 小さく唸って身じろぎをし、こちらの胸板へ頬を擦り寄せてくる。まるで赤子のような顔であり仕草であり、
"…ガキだよなぁ。"
 そんな感慨が自然と洩れる。誇りの価値は知ってるくせに、キスの意味も知らない。お宝にも女にも興味がなくって、食べ物と友達
(仲間)が大切で。
"………。"
 このままでいてほしいような、けれど、
"それだと結局、俺たちが困るんだろうな。"
 苦笑が洩れる。………と、
「………ん。」
 やっと"誰かに抱えられた"という状況が伝わったのか、目が覚めたらしい。無防備もここまで来るとむしろ天晴なもんだ。味方だから良かったが…味方だと判っていたのだろうか?
「…ゾロ。」
「ああ。」
 何だか妙なやり取りになって。とろんとしていた眸が、月光にさらされてピントを取り戻す。胸元へ引き寄せられていた身を起こし、
「何か良く判んねぇけどゴメンな。」
 開口一番…あ、二番か。とりあえず、謝った。相変わらず良くは判っていないのだが、これまでゾロが間違っていた試しはなく、だとすればやっぱり自分が悪いのだろうと思ったから。月光に背を向けているゾロの顔は、影が多くて良く見えなくって、
「判んねぇか。」
 どこか低い声なのも、怒ったままだからなのか落ち着いているからなのか、ちょっと判りにくかった。ルフィは素直に、思ったままを答える。
「うん。御伽話みたいに一番好きな相手にやってみたのにな。」
「………。」
 おや?
「でも、ゾロが怒ったってことは、やっぱ何か間違ってたからだろ? 試しになんて軽いノリでやっちゃいけないことだったんだな、きっと。もうあんなコトしねぇから。…ゴメンな。」
 黒々とした瞳の中に真円を描く月。それを眩しげに見やって、ゾロは小さく溜息を洩らした。
「…判ったよ。もう怒ってねぇよ。」


 ホントにホントか? と何度も確かめ、同じ回数だけ"ホントにホントだ"と繰り返すゾロに、良かったと微笑ってまたぞろ凭れ掛かる。眸を閉じるといい匂いに包み込まれるのが良く判る。カッコよくって大っきくて温ったかくって。傍らに居るだけで、安心出来て気持ち良くって。やっぱりゾロのこと、一番好きだなぁとしみじみ思う。片腕だけでひょいって、ちゃんと脚の上に抱え直してくれた力持ちで。身体が浮いた瞬間に、
"………あれ?"
 頬に当たった柔らかな感触。
"今の…キスだよな。"
 途端に、何だか胸がトクンとなって、身体がぽうって温かい。
"ゾロのキスって、俺のと違うんだ。"
 大人だからだろうか。じゃあ、自分もあと2年経ったら同じキスが出来るようになるのかなぁ。出来ないまでも、キスの意味がちゃんと判るようになるのかなぁ。そんな風に思いながら、とろとろと微睡
(まどろ)んでしまい、再び訪れた睡魔の誘いにあっさり落ちたルフィである。

 好きだよ…という想いがちゃんと籠もっていないと、恐らくは同じキスにはならないということ。それに気づくまで、もう少しかかりそうですね。


     〜Vol,1 Fine〜   01.9.3.

      カウンター1160番 キリ番リクエスト
                Jeaneサマ 『やさしいキス』


  *まずは1本目。
  キリ番お初の連作ですので、コメントは次のお話にて。(こらこら)
 
  


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