時忘れの実 @


        



 冬島だったドラムを離れて幾日か。海路はどんどん気温を増して、随分と過ごしやすい亜熱帯の気候へ突入しつつあった。どこか鈍色
にびいろで、いつだって雪催もよいぽかった空も、トルマリンのように煌くような青さに晴れ渡り、吹き寄せる潮風もたいそう温もって来て、髪に頬に触れてゆく感触がくすぐったくて心地いい。
「おーい、ナミー。」
 メインマストの見張り台から、ウソップの声が降って来た。
「なにー?」
「島が見えんぞー。」
「島ぁ?」
 飛び切り目の良い狙撃手からの報告へ、こちらは甲板から意外そうな声を返した航海士さんで、
「変ねぇ。ここいらって隠れ島の情報も聞いてなかったけど…。」
 グランドラインは強烈な地場嵐に翻弄されている海域。よって、一般的な方位磁針は役に立たず、島々が放つ強い磁力のログ(記録入力)に頼ってしか航行出来ない魔の海で。だが、大して磁力を放たない小島もあるにはあって、ただの無人島から、大きいものでは…制覇を諦めた人々が集い、物資補給地としての商いを営んでいるものや、海軍居留地が発展して出張地とした港町だとかまで、海図にも記載のない"隠れ島"としてこっそり存在していたりする。絶やしてはならない補給のためにと、隠れ島情報は常に注意を払って集めているナミでさえ知らなかった島が現れた訳で、
「おお、あれかぁ。」
 甲板に集まった皆が見やった先、確かに…ボウルに張った水の上へ浮かぶバセリのような、緑の塊りが遠くに見えた。
「どんな島だか判る〜?」
「ああ、ちょ〜っと待ってろよー。」
 望遠鏡だけでは足りず、ゴーグルまで動員して観察すること数刻。
「無人島みたいだな。周りに船影も見えないし、停留に丁度良さそうな岩場の入り江があんのに、桟橋だとかもないみたいだ。」
 まあ、桟橋は環境が良いからとわざわざ作らないだけの話かも知れないが、
「…ふむ。人が寄ってもリゾート程度ってことかしらね。」
 何しろ、只今の彼らはアラバスタまでのエターナルポーズを指針としていて、1つ1つの島を追っての順当な航路に沿っているとは言えない航行中。真っ当な補給地はおろか、行き交う船ともそうそうすれ違わないような海路を辿っている訳で。
「誰か住んでる訳じゃないかもな島…か。」
 補給と一口に言っても、店屋から完成品を購入することによる補給のみとは限らない。食料や燃料は、ともすれば野生のものを捕獲・収穫という直接的な手段でも補給出来る。
"食料は? 足りてるの?"
という眸を振り向けた先、咥え煙草の金髪シェフ殿は、
「そうっすねぇ。困ってるほどじゃあないですね。ここからは魚だって釣れるでしょうし、まあ何か新鮮な果物が手に入れば助かるかなってトコですかね。」
 そうと応じ、
"薬草は?"
という眸を振り向けた先、ここ最近の定位置である船長殿の肩車に乗っかっていた小さな船医殿は、
「どんな植物があるかは行ってみないと判らない。気候群が変わったことで、暑さ対策に向いた珍しいのがあったら嬉しいな。」
 そんなご意見を披露する。資材担当者は見張り台に居るのでおくとして
おいおい、主立った物資管理者たちからの意向や要望が出揃ったところで、
「船長、どうする?」
 ナミが決定権のある総合責任者へと裁決を振ったのは、出来れば急ぐに越したことがない旅路なものの、リトルガーデンからこっちのずっと、皆の間に随分と重い緊張が続いたから。バロックワークスから放たれた刺客たちによる急襲に遭い、それに鳧がついた途端、今度は自分が病に倒れるというアクシデントが発生。勿論、過失的なものではないのだし、生死の境をさまようほどの高熱に苦しんだ彼女を誰も責めたりしないのは当然だったが、それでも全員が目まぐるしく立ち回ることとなり、殊に戦闘担当の男性陣3名のそれぞれが、少なくはないダメージを受けたままになっている。よって、
「よぉっし。上陸しようぜっ!」
 好奇心旺盛で目新しい物が大好きな船長は、大して考えることもなくそう答えるだろうと思ったナミだったという訳で。こうなること間違いなしと踏んだ"確信犯"的な采配を敷いた航海士は、
「ごめんね、ビビ。」
 一番気が急いている筈な皇女にこっそり謝ったが、彼女は彼女で、くっきり判りやすく首を横に振った上でやわらかく微笑んで見せた。
「気候が穏やかなうちに休んでおいた方が良いというのには私も賛成です。アラバスタは夏島で、地域によっては苛酷な砂漠の国ですからね。」
 それに、到着したが最後、休息を取れる余裕なぞなくなる公算が高い。リトルガーデンにて自分たちは始末されたことになっているらしいが、それならそれで、やはり…頭数が限られている以上、敵に察知されぬうちという迅速な行動を取らねばならないことに変わりはない。
「ゆっくり羽伸ばしが出来ると良いですね。」
 ただただ焦ってみても擦り切れるばかりで実がないという、戦略上に於ける色々な"我慢"の意味をちゃんと心得てもいる、それはそれは実戦に長けて来た頼もしい皇女様である。


 一応は用心して入り江の奥まで入り切らない辺りに船を係留したにも関わらず、張り番も残さぬ全員で上陸した島は、緑の濃いしっとりとした空気が快適な、なかなか過ごしやすそうな処だった。澄んだ小鳥の声があちらこちらの梢から洩れ聞こえ、瑞々しい翠の天蓋から降る木洩れ陽が、光のモザイクのようで華やかに目映い。入り江から木立ちへと進んだ面々は、その入り口に下生えが少しばかり薄くなった"道"を見つけた。
「うっすらとした道があるけど…。」
 大方、自分たちのような通りすがりの旅人が立ち寄ることがあって出来たのか、若しくは"けものみち"というやつか。時々"がささっ"と茂みが鳴りもして、その度に少々怖がりな船医殿や狙撃手が"ひえぇぇっ!"と悲鳴を上げたりしてもいるが、
「ウサギよ、ウサギ。」
 女性陣が苦笑するほどで、さして大きな獣はいない様子。絶海の孤島ながら、小動物たちの楽園、一種のオアシスのような場所でもあるらしい。青々とした清々しい空気に胸の奥まで緑に染まりそうな爽快感を覚えながら進んだ木立ちの奥。不意に途切れた木々の向こうに、ちょっとした広場のように開けた空間があって、
「わあぁ…。」
 そこへと出た途端、皆の口から思わずの声がこぼれた。広場を縁取るのはここまで通って来た緑の木々で、だが、その広場の中央には、それらとははっきりと種の異なる樹が立っていた。さして高くはない樹で、根元近くから撓うような幹が幾本にも分かれている。柳のような細長い葉が時折そよぐ風にさやさやと揺れていて、その揺れに合わせて、たわわに実った果実たちが来訪者たちをやさしく誘うようにやはり揺れているのだ。
「きれいねぇ。」
 木洩れ陽を受けて輝いているのは、どこか桃に似た淡い緋色の拳大の実で、近づくと何とも言えない甘酸っぱい芳香が漂う。足元には種が幾つか落ちていて、突然の大きな乱入者たちに驚いたらしいリスが、その種を一つ咥えたままではしこく駆け去った。
「へぇ〜。」
 感心したような声を出したのがサンジで、その傍ら、
「旨そう〜っ。」
 何の衒
てらいもなく手を伸ばした若船長には、
「ル、ルフィっ?!」
 ナミやウソップがギョッとした。万が一にも毒のある果実だったら…と、その無防備な行為に驚いたのだ。相変わらず無鉄砲な船長さんである。…が、
「大丈夫だ。これは食べて良い実だから。」
 その船長の頭の上から、船医殿が安心させるように声をかけた。それへと、
「お、知ってたか、チョッパー。」
 サンジが笑って見せるということは、彼も当然知っていたらしい。帽子から出ている枝分かれした角を振りながら、小さな船医殿はその樹を満遍なく見回して、
「ああ。これは"メロン=ベリー"というバラ科の樹だ。実は糖分を含んだ水気が多くて、解熱作用があるから熱射病の特効薬になる。種は乾燥させた胚を粉にして喉の薬として用いられる。」
 バラ科というと、ますます桃と一緒ですな。
「凄げぇな。あんな寒い国にいたのに…実物見たことあんのか?」
「いや、これが初めてだ。でも、資料ならドクトリーヌくれはが一杯持ってた。」
「そっか。これは桃以上に日保ちしないからな。資料でってことは写真とか…。」
「乾燥させた葉と種の粉だ。匂いがかすかに似てたから判った。」
 なかなか高尚な意見交換をしているすぐ傍で…というか真下で、
「旨ぇぞ、これ。皆も喰えよ、ほら。」
 両手にもいだ実を交互にぱくぱくと忙しく口へと運んでいるルフィであり、
「あらやだ。ぼーっとしてたら全部食べられちゃうわね。」
 くすっと吹き出して、ナミが促し、他の面子たちもそれぞれに枝へと手を伸ばす。実は簡単にもげて、柔らかな皮ごと齧れるらしく、
「甘〜い♪」
「ホント、瑞々しくて美味しい♪」
 女性陣にウケているのは判るとして、
「…へぇ〜、これはいけるな。」
 酒好きで辛党な剣豪の口にも合うらしい。そういえば酒飲みは結構果物が好きで、あれは口直しって意味もあるのだろうか。
う〜ん
「何か、後引く味だよな。」
 ルフィに比べればそれほどでもないが、やっぱり食いしん坊には違いない狙撃手が、果肉を頬張りながら感心したように言うと、
「それもその筈、この実は別名"時忘れの実"っていうんだぜ。」
 サンジが笑ってそんなことを言い出した。
「…え。」
「それってまさか…。」
 何とかの実といえば…彼らの頼もしくも危なっかしい船長であるルフィを始め、様々な人々が様々な能力を得た"悪魔の実"をついつい想起してしまう皆であり、自然、口に運んでいたその手までが止まったが、
「そんな物騒なもんじゃないさ。単なる仇名だ。」
 皆の誤解に気づいて言い直し、自分でも一口、実を齧るサンジだ。
「何だよ、驚かすなよな。」
「でも…根拠はあるのでしょう? そんな名前になったっていう。」 
「ああ。」
「おかしな成分があるとか?」
 それを聞いたのは、さすが用心深さではナンバーワンのナミだが、
「そんなでもありませんて。」
 サンジは…手持ちのナイフでするんと皮を剥いた実をチョッパーに渡してやりながら、
「ただ、こういう人気の無いトコに自生してるもんだから、しかも実の旨さは格別と来たもんだから、ついついその場で食べ続けてしまって、気がついたら陽が傾いてたなんてことになりかねない。家まで帰れなくなるから気をつけなよっていう、いかに旨いかの言い伝えみたいなもんですよ。」
 時間を忘れて食べ続けてしまうから"時忘れの実"。ご飯を借りに行ってしまうほど食が進むから"ままかり"というのと似たようなもんらしい。
おいおい
「なぁ〜んだ。びっくりしたじゃない。」
 やっと安心したらしく、再びパクッと齧りつくナミの傍ら、
「でも、しつこくない甘さだし、ほとんど水気だから、いくらでも食べてしまうというのは判らないではないですね。」
 ビビがカルーに食べやすいようにと実を割ってやりながら微笑って言う。
「ホントだわ。…あ、そうか。」
 相槌を打った途端に閃いたことがあって、
「この樹があるから、誰も他の人には言いたくなくて、それでこの島の噂が広まってなかったのかも知れないわね。」
 自分の思いつきにクスクスと笑うナミである。
"あたしも言わないでおこうっと。海図にはあぶり出しででも描いとこうっかなぁ。"
 おいおい。


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