月下星群 〜孤高の昴

          其の十 長い夜 B


          



 ふっと、我に返ったその途端。夜陰に没していた筈な部屋の中が仄かな青に染まっていて、明るくなりかけていると気がついた。丁度横手にある窓もカーテン越しに白く浮き上がっていて、すぐ外にあるらしい木立ちの枝振りがシルエットになって見て取れる。いわゆる"黎明"の始まる時間帯へ入ったのだろう。
"………。"
 ついつい少しだけ微睡
まどろんでしまったようで、何か夢を見ていたような気もしたが、もう覚えてはいなかった。少ししょぼしょぼする眸は、そのままベッドの上の横顔へと戻る。額の汗が微かに見えて、タオルが向こうへ落ちているのに気がついて。身を起こすと拾い上げ、洗面器に浸して不器用そうに水を撥ねながら絞り上げる。上手に絞れないと看病させてやらないと言われて練習した通り、ちゃんと堅すぎず緩すぎずに絞って、再び額へと載せてやり、
"………。"
 依然として眠り続ける剣豪の顔を見つめ続けるルフィである。昨日の昼からのずっと、ひどく辛そうだった呼吸こそ何とか落ち着いたようだったが、表情的にはさして変わらずに、いつにも増して難しい顔なまま昏々と眠り続けている彼なものだから、
"…俺なんかのこと、庇うなっていつも言ってるのによ。"
 いつだっていつだって、口を酸っぱくして言って来たのに。そんなところまで自分と似て"鳥頭"な彼なのだろうかと睨むと、
『けどよ、それってお前の方が先なんだぜ?』
『え?』
『だからさ。庇ったの、お前の方が先なんだ。覚えてねぇのか?』
 ああ、初めて逢った海軍基地での話かと思い出しながら、
『あれは勘定に入れるの無し。』
『何で。』
『俺には拳銃の弾丸は効かねぇもん。』
『そんなのありかよ?』
『だから、海に落っこちるの、助けてもらうのには文句言ってねぇじゃん。』
『…変なところへ胸を張る奴だな、お前。』
 堪らず"くつくつ"と笑い出すゾロなのが、根負けしてくれるゾロなのが、物凄く嬉しくて。だから、ついつい話がうやむやになってもいたような。
"ぜってー殴ってやるんだからな。"
 昨夜、サンジへと呟いた言葉を繰り返す。一番分かりやすい説教をしてやるんだ。今度こそ、俺なんか庇うなって叱ってやるんだ。うやむやになんかしてやらない。世界一の大剣豪になるのが先だろ? ゾロが大剣豪になれなかったら、俺が腹ァ斬らなきゃなんないんだぞ?
"…なあ、だから目ぇ開けろよ。"
 カッコいい寝顔を見ているのは飽きないことだが、やっぱり起きてる顔の方が断然好きだから。
"うう"…。"
 少しだけうたた寝したせいか、油断すると瞼がぱたりと降りてくる。ぱちぴちと両手で頬を叩いて。それでもダメだと傍らの洗面器の水で顔を洗って。
"あ、いけね。"
 タオルがないやとキョロキョロ見回す。何せ船では潮風が勝手に乾かしてくれたし、それに…。
"………。"
 いつもはゾロが。4つにたたんだタオルを大きな手のひらに載せて、ぱふっと顔へとかぶせて一気に拭ってくれてたから。
"………。"
 ぽたぽたと、顎の先から滴り落ちる水玉が。目に沁みたのかな、あれれ、何か変だ。視野がぐにゃってぼやけて、鼻の奥がツンとして来て。なんか、此処には自分一人しか居ないみたいで。
「………。」
 ぱふっと。掛け布のカバーが濡れるのも構わずに、ベッドの端へと顔を伏せ、そこで顔をぐりぐりと拭ってみる。なあ、ゾロ、変なんだ、俺。胸が痛いんだ。喉の奥とか頭も痛いんだ。目の奥が熱くて、拭いても拭いても水が止まらなくてさ。ゾロの"びょーき"俺にも伝染
うつったんかなぁ。…なあって。聞いてるのかよ。


   「………
ゾロぉ。」


 胸の奥で暴れてた想いは、もうもう目一杯になっていて。抑えが利かなくて、つい…実際の声という形になって、外へ零れてしまったが。
"………。"
 どうせ聞こえやしないんだからと、そう思うと何だかちょこっと…白々と気が抜けもして来て。ええいついでだとばかり、大きく鼻を啜ると、

   「…こら。ちゃんと咬んで来い。」

 上の方からそんな声がして。

   ………え?

 何だったのかと頭の中で確かめる間もなく、ぽそっと頭に。すっかり馴染んだ、大きな手のひらの重みが載っかって来たから。
「………ぞろ?」
 顔だけ"ぐりっ"と枕の方を向くと、
「もう朝か?」
 まだ半分くらいしか開いてない眸でこっちを見ているゾロの顔と、その視線がかち合ったから。
「あ、あっ、えっとっ!」
 わたわたと慌てて顔を持ち上げて、身を起こす。
「えっと、えと。な、何か欲しいもんないか? 喉は渇いてないか? 水、あるぞっ。」
 早く眸を開けろよと思っていたくせに、何をどうしてそんなに慌てたのだろうか。寝ているものだと思っていた。思っていたから、つい弱音が出てしまった。それを聞かれたから慌てたのだろうか。急なことへ混乱しているルフィであると見て取った剣豪殿は、熱でまだどこか輪郭のぼやけた笑みを口許へ薄く浮かべると、
「…そうだな。水が欲しいかな。」
 喉にからむような声でそう言った。
「お、おうっ。」
 これもしっかり準備してあった、取っ手のない片手急須のような形の"吸い口"を手に取って、
「えと…。」
 枕元まで寄ってくと、枕の下へ手を入れて。いかにも不器用そうに頭を抱えてやって…実は患者の腹筋が半分以上機能した上で、水を飲ませてやってから。………さて、と。

"怒ってやんなきゃな。また俺んこと庇い立てして、いつもいつも"すんな"って言ってるのにまた聞かなくて。だから、示しがつかないから、ここはきっちり、キャプテンとして叱らねぇとな。"

 胸の裡うちでは沢山の言葉が、ぐるぐると渦を巻いて待機中。看取っていた間中、ずっとずっとお念仏のように呟き続けていた全部が、待ってた時間の長さだけ濃縮されて詰まってて。
「………ルフィ?」
 そ、そんな声で呼んだって無駄だぞ。俺、怒ってるんだからな。今さっき触った頭がまだちょっと熱かったけど、けどでも起きたら説教してやるって決めてたんだ。俺はキャプテンなんだし、示しってもんがあるんだし。だからだから……………。




















   「良かったよォ〜〜〜っ。」

   「うわっ! 何だなんだ。どうしたんだ、ルフィっ。おいって!」



     おそまつっvv
(笑)



   〜Fine〜  02.6.19.〜6.21.

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   *最初は"蜜月まで"に入れようかと思ってたのですが、
    扱ってる状況が『海に降る雪』や『星降夜』に似てるので、
    何となくこちらに入れました。
    でも、書き上げてみたら、
    一番似てるのは『あのね…』かもなと思ったりして。
(笑)
    芸のない奴ですみません。

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