月下星群
 〜孤高の昴

     其の二  生成りの月光
 

        



 ふとした拍子に、どっかで見たことがある顔だなと思った。会ったことがあるというのではなく(それはまずなかろう。あんだけ個性の強い奴、一度でも会ってたら再び会った時にさっさと思い出せている筈
あんたもね)、同んなじような表情に接した覚えがあって、しかもそれは…不意なものながら、温みまでまざまざと思い出せるほど馴染みがあったもの。気を取られていると、その当人と目が合って、
「? どうした、ゾロ。喰わねぇのか?」
 今度は怪訝そうな顔をされた。
「ああ。いや、喰うさ。」
 手際よく並べられる晩餐。頭数にしては…というより料理の量に対しては少々狭いテーブルなせいか、メニューの数々は皿が空く端から取っ替え引っ替え順番に入れ替えられて、
「ほら、ルフィ、食いもんを口に入れたまんまで喋るんじゃねぇっ。」
「悪りぃ、悪りぃ。」
「ウソップ、肘がコールスローの皿に当たる。引っ繰り返さねぇように気ィつけろよ。」
「おう。」
「ナミさんっ、デザート行きますか? 今日のはミルクレープ、プチトリアンヌ風です。」
「わお、美味しそう♪」
 台詞だけ並べると掛け合いの激しい戦場みたい。ところで…これは筆者の勝手な言い草だが、男性がカラーワイシャツの腕まくりで鼻歌交じりに料理を作る図というのは妙に色気があるような気がすると思っていたらば。いやだわ、どうしましょ、まんまの構図がこんな形でお目見えするとは思わなかったわよ、いやホントに。きっちりコックの恰好じゃなく、かと言って日曜日の気まぐれクッキング風の、ラフ or パステルなユニクロっぽい普段着でもなく
おいおい、さっき会社から帰って来ました風のの着崩しなのが男の色香を滲ませてて素敵なんですって♪ カフェのボーイさんのちょっとセミ・フォーマルっぽい制服もそういうトコを狙ってない? いゃ〜ん、尾田センセったらオタクのツボつくのがお上手♪…というミーハーな独り言も閑話休題。おいおい 時折ルフィの作法…を越えた行儀の悪さに"だぁ〜、もうっ"という舌打ちが混ざるものの、そんなにも口うるさくはない。食べ物を粗末に扱わない限り、基本的には何をどう喰っても良いという感覚でいるらしい。喰い盛りたちに甲斐甲斐しく給仕に勤しむ顔が、何だか…ふと目を引いた。男を相手に愛想なんか振り撒けるかと言わんばかりにクールな仏頂面を保とうとしつつ、それでも時折喜々として見えるような顔になる。旨いか、そうか良かったなぁと、食ってる側と一緒に喜んでいるかのような、そんな目をして見せる。
「ゾロ、ソテーまだあんぞ。お代わりするか?」
「あ、ああ、頼む。」
「あ、俺もっ!」
「ああ…って、こら、ルフィっ! 熱い料理は手づかみで喰うなっ! 火傷すんだろがっっ!」

  −たんと喰えよ? お代わりあるからな?

 どんなに腹が立っていようと、虫の好かない奴だと思っていようと、罰にメシ抜きだ…というような仕打ちはしない。海でコックに逆らうのは自殺行為なんだぜと言ったことがあるにも関わらず、それを楯にしたことはないし、しようという素振りもない。
〈んだと、こら〉〈もう一遍言ってみな〉
 一触即発の危険を帯びた怖い怖いガンつけ合い、別名"睥睨合戦"の最中でも
おいおい
〈…っと、ポトフが煮えた。その話は後だ。〉
 それはそれだと、かっちり切り替える奴である。そして大概は"後"まで覚えてて引き擦った試しがない。どんな事情がある奴なのかは、そういえば聞きそびれたまんまだ。自分がそうだったように、ルフィの根気ある"お誘い"に折れて参入することになったらしく、アーロンパークでの死闘というどさくさから呼吸を覚え合ったものの、今の今でさえ判らないままなところが結構ある。まあ…それは奴に限った話じゃあないお互い様だし、それに敢えて知りたいとも思わんが。



           ◇




 希代の剣豪も、騒動や戦闘モードに突入していない時は、どちらかと言うと床の間の大黒様や屋根の上のシーサー、もしくは休日のお父さんみたいな置物状態。
おいおい 昼寝をしているかトレーニングを積んでいるか、どっちにしたって船の運用にはあまり役に立っていないところはルフィとご同様。サンジのように料理が出来る訳でなし、ウソップのように物作りや修理が出来る訳でなし…って、いや、言われりゃやるかも知れんが。あと、錨の上げ下げなんていう力仕事も受け持ってるし…。えとえっと。それ以前に、契約して乗ってる"乗組員"ではない。それぞれの自主性に任せた運用という、ぶっちゃけた話、行き当たりばったりの船だしねぇ。だっていうのに、いざ嵐だの海王類だのと航路上に困難が出現すれば、何の打ち合わせもなしにそれぞれが持ち場に飛びついての歯車が上手いこと噛み合う、なんて素晴らしいチームワークなんでしょう。…話が逸れたな。平和で穏やかであればあるほど、特殊技能を活かすという方向ではすることがない。それが"戦闘要員"だ。軍隊なんてものは本来は必要とされない方が良い部署だからねと、かのヤン=ウェンリーさんも仰有ってらしたことだし。おいおい
"………。"
 夕食が済んで陽が沈むと、下のキャビンに集まるか早々にハンモックへよじ登って寝るかが、誰ぞに限らない皆のなんとなくの常だ。愉快でざっかけなく、たいそう気の良い仲間内だが、時には気が逸れて"夜風に当たりたいな"とか"月見でもするか"とか、そんな気が起こることもある。長年独りでいた反動…なんてもんじゃなく、単に"独り"を満喫したくなるだけのこと。わざわざ構えてのものなんだから、いっそ贅沢なもんでもあろう。一番上の甲板では夜の潮風が少々突っ慳貪なので、そこより一段下がったキャビンの上、みかんの鉢植えの傍に陣取った。柑橘類には蝶々や蛾の幼虫がつく。こんな洋上でも、荷のどこぞかに紛れ込んだものがしぶとく生き続け、卵を生みつけているらしく、おかげで釣りの餌には困らないらしい。
おいおい そう言ってたのも確かあいつだったような気がする。ナミの手伝いで木の世話をしていての台詞だったかな。ごろりと横になったその真下からは、水を使う音と食器の触れ合う音がする。丁度後片付けの最中なのだろう。出してる奴とは正反対にたいそう家庭的な音だよなと、そう思うと苦笑が洩れた。ややあって、
"………。"
 厨房のある中央キャビンから誰か出て来た気配があった。シュッという堅いものを擦る音と煙の匂いがしたということは、
「………?」
 むくっと上体を起こすと、丁度上と下から向かい合う格好になった。月光を浴びて、夜陰の中に金の髪がくすんで見える。こちらを確認すると"にやっ"と笑いかけ、
「いい鼻してやがんな。やるか?」
 ボトルをかざした。
「ああ。」
 頷いて見せると厨房へ取って返し、グラスをもう一つ手に戻ってくる。
「ちゃんと味わって飲めよ。でなきゃ分けてやらんからな、ザル野郎。」
 相変わらず口が悪い。
「あんなとこで寝てやがったのか。一体、一日何時間寝れば気が済むんだ? お前。」
「さぁな。ここんとこは暇なんで体がなまってるのは確かだな。」
 これでもまだ"当り障りのないやり取り"のうちである。何も食って掛かる切っ掛けを求めて、常時粗探しをしている訳ではないのだ。そんな中で口唇に含んだ一口目のワインがすこぶる旨かった。
「…ん。旨いな、これ。」
「判んのか? 寝起きの水と一緒にしてんだろ。」
 茶化すような言いようをされたが、そこは平然と言い返す。
「判るさ。誰かさんのせいで随分と舌が肥えたんだぜ? これでもな。」
 これは事実。船を降りての外での食事の機会が本当に本当にごくたまにあるが、食事なんてものは腹が満たされりゃあそれで良いくらいにしか思ってなかったものが、旨い・不味いの区別が出来るようになった。船でとる料理の質が上がったことで、そういう区別を体が勝手に覚えてしまったらしい。どうしても挑発するような物言いになってしまうのは日頃からの習いで仕方がないが、悪気がないことは互いに判っている。せっかくの良い夜と良い酒を声を荒げて台なしにすることもなかろうと、冗談の応酬というレベルで相手をし合う。特にあらたまっての話題というものもなく、夜風と潮騒と月光とに目や耳を預けながらグラスを傾け合って幾刻か。
「信念か…。」
 ふと…洩らしたものだろう、ため息にも似た呟きは、潮騒が邪魔をすることもなくこちらに届いて、
「何だよ、唐突に。」
「いや…ルフィといいお前といい、たった一つしかない命をよくもまああっさりと危険に晒せるのなと思ってさ。戦う生きざまを選んだ奴の信念ってのは、そんなに頑丈なものなのかってな。」
 そう言ってこっちのグラスへボトルを傾ける奴だが、それに関して他人に感心するとは変な奴で、
「何を他人事みたいな言い方してやがる。」
「?」
「お前だって"信念"から無謀なことをやっとったろうが。あのドン・クリークにまで飯を喰わせてやったのは、理屈はよくは判らんが…奴を信じたからじゃなく、お前の側の信念からじゃねぇのか?」
 わざわざ言ってやると、
「そうかな。あれも"信念"なのかなぁ。」
 ああ、そんなこともあったかなという苦笑を見せる。そういえば、あの店のオーナーが何か言ってたような。こいつは生死を分けるほどの限界の"飢え"を知っているのだと。ゾロも、例の海軍基地の町で飲まず食わずのまま"はりつけ"になるという賭けをさせられる羽目になったことがある。だが、気概で乗り切ってやると決めていたし、ルフィが現れて思わぬ方向で決着がついた時点ではまだまだ倒れそうにはなかったから…そこまでの飢えは経験したことがない。(でも、信じられない日数を耐えたことになってたよね、確か。)
「俺はコックとか料理人とかいうものを"単なるおさんどん(賄い係)"だって思ったことはないぜ。こっちにしてみりゃ"喰わせて"やってんだ。乗組員や客を満足させるため、極端な非常時なら殺さねぇために、なくちゃならねぇポジションだ。」
 愉快そうな…というよりもずっと、優しい穏やかな眸をする。途轍もない喰いっぷりを見せるルフィや皆を、食卓で眺めやる時の目だ。何か不都合はないか、ちゃんと足りているか、そうか、良かったなというやわらかな眼差し。
「妙な言いようだが、自分の快楽のためかもな。相手を間違いなく幸せにしてやれるんだぜ? 戦って、少なからず相手を傷つけて、膝を折らせてなんぼってのより幾らか上等だろう?」
 こっちへの当てこすりのようで少々ムッと来たが、そう言う割に…ならどうして喧嘩の腕っ節があんなに強いのか。矛盾した奴でもある。じゃなくって…。言い分は理解出来るし、それもまた正しいと思う。にんまりと笑った相手に皮肉るつもりはなかったらしかったので…言ってる本人からして照れ臭くなったか、それともこちらの"瞬間湯沸かし器"が作動しなかったからか…その場は"なんだとこら"といういつもの盛り上がりには、やっぱり向かわなかったが、
"………。"
 強いて言えば、奴の言い分が納得出来た自分がちょっぴり不可解だった。


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