月下星群 〜孤高の昴

          其の三  月の雫


        



 まずは有り得ないことながら…それでも"絶対"という言葉が概念の上でしか存在しないと言われているように、魔が差すというか、好事魔多しというのだろうか、本っ当に稀な"何かの拍子"に、ルフィが海へストーンっと落ちることがある。(原作でも割としょむない場面でバチャボチャ落ちているし、ナミの怒りの一蹴りで海へ叩き込まれている場面もあって、ホントにあんた"キャプテン"なのかね?
あっはっはっ このHPの兄弟シリーズでも、第一話でさっそく…うにゃむにゃ)支えにと掴まっていたマストが突然折れて…だとか、誰かや何かを庇って…だとか、その時々によってパターンは様々で、海に入ればたちまち悪魔の実の呪いが襲い掛かって来て、身動き一つ出来ないままに沈んでいってしまう身だというのに、そういう招かれざるアクシデントがこれまでにも何度かあった。しかも大概"たまたま遭遇した海賊、もしくは海軍の水兵たちと交戦中"という結構?忙しい最中に起こるものだから、仲間内の驚愕度や恐慌度も倍加する。そして、その後の戦闘がいきなり…手加減の入り込む隙さえない"やっつけ仕事"になってしまうから、相手にはお気の毒なこと甚だしいのだが。おいおい

「そーらよっとっ!」
 メインマストの上部の横木、帆を張る桁に、腕をぐんぐんと伸ばして地上から直接飛びついてしまえるだけでも人間離れしたやりようなのに、そこから天高く飛んでいって鉄棒競技…もとえ、曲技のようにくるくるっと回って支索へしがみつく。悪魔の実の能力者というのがイーストブルーではまだまだ伝説どまりなだけに、余計度肝を抜くらしい。
「どわあああぁぁっ!」
「何だ、今のはっ!」
 慌てふためいた輩たちの中、大砲を撃っていた男が…そんな立場でありながらよほど気が小さかったと見え、
「ば、化けもんだぁっ!」
 味方も山ほどいる自分たちの船のメインマスト目掛けて砲撃をぶっ放したから堪らない。マストは中ほどからバッキリと折れて、
「あれぇ〜?」
 状況が判っているのかいないのか、聞きようによっては暢気そうな声を上げつつ、未来の"海賊王"は他多数の敵の皆さんと一緒に海へと弾き飛ばされてしまった。
「ルフィっっ!」
 こういう事態にはいち早く…ゾロかサンジの近い方が救助に飛び込む。一瞬の目配せで"行って参りますわ""ええ、後は任せといて"というこらこら連携がスムーズに行われる彼らであり、日頃の喧嘩腰はどこへやら。今回はサンジが真っ先に飛び込んでいて、一瞬でも遅れれば追い切れない深みまで沈んでしまうからフォローも大変だが、それでも何とか間に合ったらしい。やがて海面から顔を出した彼は、続いて船長の顔を水面へ引っ張り上げると、ゴーイングメリー号の傍まで泳ぎ着く。その間に残りの海賊どもは…ゾロの大竜巻き技"鷹波"で一遍に海へと一掃されていて、正に"眼中に無し"扱いを受けた模様。最初からそうやって追い払えば良いのにね。
こらこら
「お、お、お、おいっ、ど、ど、ど、どうしたんだ? 目ぇ開けてないぞっ! おいっ!!」
 縄梯子ではまだるっこいからと、別なロープを下ろして引き上げられたルフィは、だが、既に意識がなかった。
「大丈夫なの? まさか…。」
 こうまでの事態には慣れがなくって不安になったナミやウソップへ、
「大丈夫ですよ、ナミさん。しばらく寝かしときゃ意識は戻る。そう…腹が減ったって目ぇ覚まします。」
 しごく素っ気なくそんな風に告げ、濡れネズミなまま煙草に火を点けてキッチンへと消えたサンジであり、そして…その通りの数分後、
「…なんかいい匂いがする。」
 開口一番、そんな呑気なことを口にしながらぱっちり目を覚ましたルフィだったものだから、
「あんたねぇ〜〜〜〜っっ!」
 ナミがもう一度気を失いかねない"怒りの拳骨"をお見舞いしたのは言うまでもなかった。
おいおい




             



 乾いた陽射しを全身いっぱいに受けながら、蒼穹の真ん中に突き出した高い高いマストの頂上に立って、強く吹きつける潮風の只中に居る。見張り台よりも上、正に"天辺
てっぺん"の足場に立っていて、だが、不安定な感じはない。着ているものが肌に貼りつき、余りあそびがバタバタとはためいていて、時折目も開けていられない感覚に襲われるほどの強風だが、それも爽快で心地が良い。見渡す限りのどこにも他の人影はなく、海と空と耳許で唸る風鳴りの音しかなかった世界だのに、

 ――― 誰かが泣いてる。

 ふっ…とそう思ったのは、頬にぽつりと水滴が当たったから。雨だとは思わなかった。声を押し殺して誰かが泣いてる。怖さや寂しさからでなく、口惜しくて歯痒くて哀しくて、それが堪らなく切なくて。本当は泣くのも悔しいのだ。そんな気持ちが却って邪魔をして…水の出ているホースを半分に押さえると却って勢いがつくように、時折激しくせぐり上げるようになりながら辛そうに泣いている。こんな泣き方には覚えがある。子供の頃、悔しくて泣いた。どうしても勝てなくて、どうしてもどうしても勝てなくて、悔しくて泣いた。それから…もう二度と逢うことが叶わなくなったことを自分で認めるのが悔しくて悔しくて泣いた。大声を上げて手放しで泣いたのは、今のところはあれが最後だ。

 ――― …俺が泣いているのか?


            ◇


 ぱちっと目が開いた。何か切っ掛けがあったような気もするが、それよりも…、
"………?"
 すぐ真上のハンモックが空なのが何となく落ち着かない。揺れているところを見ると今さっき離れたばかりなのだろう。圧し殺した溜息を一つ洩らすと、起き上がって部屋を出る。昼間、あんなことがあっただけに余計気になったのかも知れない。大丈夫だというのは重々判っているのだが、どうも…目の届くところに置いとかないと、ふらふらとどこかで何かしでかしていそうで落ち着けない。こんな"心配症"な自分ではなかった筈だし、混戦の最中、持ち場を役割を任せ切ることだってして来た筈なのだが、そういう修羅場と打って変わって"日常生活"というレベルではどうにも頼りにならない奴だから仕方がない。…どうでも良いけど、それって普通と順序が逆なのではなかろうか。
"………。"
 夜目は利く方だし、まだ海より空の方が明るい宵の口だ。満天の星々が360度全方向のぐるりに散りばめられていて、これに慣れて絶景だと感動しなくなった身の贅沢を…じっくり考えてしまうような彼ではないし場合でもない。そっと静かに出て来た甲板を見回すと、船端の手摺りの上に乗っかってぼんやりと海を眺めている背中が薄い闇の中によく見えた。さて声を掛けたものだろうか。そう思ったとほぼ同時、そのまま船縁に立ち上がり、ざっと下へ飛び降りたから、
"…?"
 海へと飛び込んだ訳ではないと判っているから、こちらもさほど驚きはしなかった。船は昼のうちに通りすがりの小さな島の入江に停泊していたから、その浜へと飛び降りたのだろう。足早に船端へ寄ると、砂地をさくさくと真っ直ぐ歩いて行くのが見下ろせる。少し行くとちょっとした林になっていて、密林というほどの密集状態ではないものの、
"あんなとこに入ってって、ちゃんと帰って来れんのか?"
 方向音痴はお互い様。どこかしらを目指して進むのではなく、船に戻るというのなら、樹上の高みへ登って探すという手も使える奴だ。心配は要らない…筈だが、
「…チッ。」
 視野から消えるとやはり気になって後を追う。さっき目を覚ました切っ掛けがどうにも引っ掛かって仕方がない。起き上がった拍子に頬を伝って胸板へ落ちた何か。やっぱり誰かが泣いていた涙で、それが自分の頬へ落ちて来たというのなら、その落とし主は一人しかいないから。砂浜へ飛び降りたゾロは、ルフィの残した足跡をそのまま追った。


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