月下星群 〜孤高の昴

          其の八 PURE A



        



 甲板に落ちた自分の陰がすうっとその輪郭を鮮明なものにする。腰に指した刀の柄
つか辺りに手を置いて、そのまま頭上を見上げ、夜の空だのに妙に明るめだと気がついた。似たような闇色ながら、濃いグレーにぼやけた雲の峰々がきれいに見て取れる。月を覆っていたのだろう、ちぎり絵の和紙のような淡い雲が、風に追われてか、駆け足で離れてゆく様も。
「…ル〜フィ〜。」
 アレからこっち、妙に大人しかった…ような気がする。口数も態度もさして変わらず、ウソップやチョッパーとはしゃいで騒いでナミから"煩いっ!"と怒鳴られていたり、つまみ食いがばれてサンジからフライパンで叩かれたりと、一見、日頃の彼ではあったのだが。どこか…何かが違ったのが妙に気になった。どこがどうというはっきりとした違いではないのだが、それをはっきり見極められないのは、恐らく自分が細かい物事を拾うのが苦手なせいかも知れなくて。とりあえずは、夜中にまたまた姿を消した彼を追い、甲板へと出て来たゾロである。
「ル…。」
 呼びかけの声が途中で切れた。上甲板へと続く短い階段のところに、探していた少年が腰掛けていたからで、
「こら。夜中にフラフラと外へ出てんじゃねぇよ。」
 この真っ暗な闇の中で海に落ちでもしたなら、探しようがない。厳密なことを言えば、足元の覚束無い幼子でもあるまいに、ただ此処に居るだけでそうそう落ちるものでもないのだが、彼には"悪魔の実"を食べた者にのみ降りかかった海からの呪いがある以上、普通以上に警戒してほしいと思ってやまない剣豪なのだ。
「………。」
 ゆっくりと傍まで歩みを運んで、見上げてくる視線を受け止めて。何とも動かない彼なことへ、
「どした。」
 静かな声を降らせると、身を少し脇へと譲って"隣りに座れ"と仕草で示す。こうまで言葉少なな彼だというのも、やはりどこか訝(おか)しくて。しかも自分との間に漂うの空気だけが妙だと、いくら鈍いことで定評のある剣豪殿でも気がつくというものだろう。


  「…なんで、眸ぇ合わさねぇんだ?」


 昼間の騒動の方
かたがついたあの時、
『………。』
 笑みさえ浮かべて平然としていたようにも見えたのだが、目が合うとふいっと海へとそっぽを向いたのが気になっていた。そこから"どこか様子が変だ"と、何かがざわついて落ち着けなかったゾロなのだ。そして、


  「………怖かったさ。悪かったな。」


 少しだけ予測していたのだと思う。ルフィのこの言いようが、意外ではあったが、さほど驚愕ではない自分に気づいたから。淡々としたまま受け止めているゾロであることに、ルフィの方でもホウッと肩の力を抜いたらしい。すぐ隣りの頼もしい胸へぽそんと凭れて来て、
「修行が足りねぇよな。心臓が迫(せ)り上がったまま、まだ降りてこねぇ。」
 半分嘲笑うように呟いた。この、ルフィの大好きな温かな懐ろへ、敵の凶刃が吸い込まれたかに見えたあの瞬間。目を逸らせなかったのは、いつぞやの対峙の時のようにキャプテンとしての義務から? それとも恐怖に身が竦んでのことだろうか。
「………。」
 大切なら失いたくないなら、何となればこの手で守ればいいだけのことだ…と、口で言うのは簡単だけれど。攻撃で圧倒することで勝てばそれが防御にもなって足りるというような、そう、この腕の尋
ひろで足りるような、自分だけの身を防御する範囲のことではないから。そして、皆それぞれに掛け替えのない大切な存在だから。本音を言えばいつだってある意味で怖い。サンジやナミが、チョッパーやウソップが、血まみれになって倒れるところなんか見たくはない。見たくはないから、悪夢が舞い降りて来ないように、それを振り払うように、がむしゃらに立ち止まらないでいる自分なのかも。一番頼りにしているゾロにしてもだ。鋼鉄はがねまで斬れるようになって、また一つ強くなり、大きく躍進を見せたゾロ。だが、強くなったということは、その分だけもっと強い相手ともっと危険な対峙をすることになる彼ではないのか? 頼もしいその分、一番危険な場へ飛び込む男なだけに、信頼している反面、どんな危険に呑まれるか知れないのだと、騒ぎの波が引いてからぞくっとすることもある。そう、今回のようにだ。
"………。"
 大切な人を失うかもしれないという刹那。殊に、ゾロへのものと限ってはこれが初めての話ではない。
「大丈夫だって信じてるけどな。やっぱ、身が凍りそうになるのは慣れないな。」
 力も器量も誰よりも秀でていると、彼の何もかもを信じているのに、それとは裏腹な想いが胸の底で抗
あらがうように波打つ。形のない"不安"という波が、ひたひたと寄せて来ては胸の底を冷たく浚う。
「………。」
 胸底が寒いのか、無言のまま、胸元へ擦り寄ってくる。
「ルフィ…。」
 小さな肩だなと思った。あっけないほど簡単にくるみ込める。この肩や、やはり小さな背中が、いつも伸びやかに自信に満ちて見えるのは、確かに虚勢なんかではないのだろうが。
「………。」
 決して自惚れてなんかいない。自分で言ったように、怖いと思うことだってあるのだ、彼も。自分に降りかかる"死"は怖くはない。やるだけのことをやっての上でなら本望だと。自信に裏打ちされた行動や実力が、されど敵わないのであるなら、それもまた已なしと後悔なく笑って死ねる彼であろう。だが、仲間のこととなると話は別だと言う。ふと、何かの本で読んだ一節を思い出す。


 <大切なものほど失いやすい。
  知らぬ間に失っているのと、見ている前で失うのと。
  果たしてどちらが辛いだろうか…。>


 彼にとって、仲間は宝だ。冒険を、人生を楽しむために、なくてはならない必須アイテム。一緒に泣いたり笑ったり、はらはらしたり協力したり。自分の専有物
(もの)でないから、思うようにならないのがまた楽しい。フレキシブルな"生き物"同士、完全に判り合えはしないからこそ、どこかで同調し合えると途轍もなく嬉しい。楽観的な彼にかかれば、どんな奴でもそういう解釈の下に"良いトコある奴"になってしまうらしくて。そして、だからこそ、仲間を失うのは辛くて怖い彼なのだろう。
"…自分は後先考えずにひょいひょいと危険に飛び込むくせにな。"
 勝手だよなと思いつつ、だが、そうと聞いて、何故だろう…少しばかり安堵した。孤高の魂として、悠然と彼方へ飛び立ってしまうような、友や仲間より夢や野望の方を迷わず選ぶ彼ではないのだと示されたようで。
"安心していちゃいかんのだが。"
 大いなる矛盾。瑣事に構けてないでどんどん前進してほしい。幾らでも犠牲は払うから、この身を踏み台にしても良いから、もっと遠くへもっと高みへ、翔
けるがごとく進んでくれと望むのも本心。


  「大丈夫。」


 ぽんぽん…と、幼子を寝かしつける時のように、その大きな手のひらでゆっくり背中を叩いてやって、
「俺はそう簡単には死なねぇ。」
 静かに、だが、くっきりと囁く。
「今日は何か不安にさせちまったみてぇだが、俺はいつだって死ぬつもりで生きてやしねぇ。どんな苦境にあっても、だ。今日より今よりもっとずっと強くなりてぇから、死んでる暇なんざねぇ。」
 腕の中から見上げてくる、黒々とした眸を真っ直ぐ見つめ返して、
「だから、誓いを破った時に"この大嘘つき"って怒ってくれりゃあ良い。」
 言うのは簡単だが、それを現実にこなせるかどうかは別だ。


  『もう二度と敗けねぇからっっ!』


 約束や誓い。日ごと夜ごとに沢山々々積み上げて来たそれらを、だが、今のところは全て破綻なく守っている彼であり、何より、
「………。」
 揺らぐことなく真っ直ぐに見つめてくるこの眸に、誇張や嘘や虚勢はない。自信と信念と、それから…自分へと向けられた確たる自負と豊かな包容と。
「…うん。」
 小さい、だが、くっきりした仕草で頷いてから、ぽそんと再び胸板に凭れ掛かってきた、柔らかな頬の感触に、ゾロは胸中で仄かな吐息をついていた。いつもいつまでも、この、時々つたない、そして時々暴走してはどこかへ跳んでいってしまう、突拍子もない"特別な存在"の…小さな温みの傍らに居たいと思う。遥か彼方の至高を見やる横顔の、その眼差しへの相槌を打てるように。呪われた海から常に守ってやれるように。そのためにも、



 "…強くならにゃあな。"




   〜Fine〜  01.11.7.〜02.2.19.

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  *長いことほっぽってたので、前半と後半で何だか雰囲気が違ってますが。
   (ちなみに、書き始めた頃には本文中にビビちゃんとカルーがいました。/笑)
   確か書き始めた理由は、軽快な戦闘シーンを書いてみたかったから。
   …苦手なくせにね。
   こういうのを"下手の横好き"って言うんですよね。(笑)
   文中の"大切なものほど…"の一節は、大好きで尊敬するSAMI様のお話から。
   何でこんな"真理"をシンプルに言い表せる人なんだろう。
   (あと、ゾロが鉄を斬れるようになっているのなら、
    時間考証上、誰かさんが加わってないと変な段取りなんですが…。う〜ん。
    ニコ・ロビンお姉様は、果たしてホントに仲間になるのでしょうか?
    第2のクロコダイル扱いかも知れなくってよ?)
こらこら

  *さてさて。(今話はちょっと語ります。)
   なんか『星降夜』と似たことを言ってるルフィですが…。
   頭目の責任というのは案外と重たい。
   何ぞ起こってからの責任だけじゃあなく、
   起こる前の"起こらないように"という責任だってあるし、
   そういった"責任"とは別に、
   その存在が仲間たちの"支え"や"よりどころ"でもある訳だから、
   自分の身を自分の願いの行使に使えないことだって起こり得る。
   "あなた一人の身体ではないんだから"
   笑い事でなく、統べる皆から真剣に言われかねない。
   他の面子に庇われることはあっても、
   自分の身を盾になんぞしようものなら、後で散々叱られかねない。
   うかうかと危険なものには近寄れず、
   それこそ、先に身内に殴られて気絶させられた揚げ句に
   どこぞへ匿われる…なんてことさえ起きかねない。
     (だから、ハリソン=フォードの『エアフォース・ワン』はちょっとやりすぎ。)
   (将軍様が直々に城下で悪い武士を成敗して回る話といい勝負である。)
おいおい

  *まあ、そういう極端な扱い方をしようとしても、
   そうはいかないルフィ船長ではございましょうが。(あはは)
   この世にたった一人しかいない一番大切な人を、
   彼だけは失いたくない…と願い、だから戦いたいと思うこと。
   至極"自然な"想いだのに、そんな"我儘"は許されない立場。
   多くの人々からの"特別"であるがために、
   誰か一人を特別扱い出来ない歯痒い立場。
   それはちょっとキツイよなと、そういうところでしょうか。
  (でも、そこは雄々しい男同士の友情ですから、
   馬鹿言ってんじゃねぇよと笑い飛ばされるのがオチでしょうな、本来なら。)