月下星群 〜孤高の昴

          其の八 PURE



  ――― 約束しろよな。俺より先に死なないって。



        



 船腹に打ちつける波の音も、帆を叩く潮風の唸りも、易々と掻き消すほどの怒号が飛び交う船上。甲板を縦横無尽に駆け回る乱れた靴音は、まるで延々とデタラメに叩かれ続ける、調子の外れた太鼓の乱打のよう。
「覚悟しなっ!」
 閃くのは剣撃から放たれる火花。興奮状態のまま、気勢を上げて突っ込んで来た賊たちを迎え撃つのは、
「覚悟? 誰に言ってんだ、このクソ野郎共がよ。」
 シニカルな笑みの映える端正な顔に、鞭のように締まった長身痩躯。出来の悪いジョークへちょいと眉を上げながら鼻先で嘲笑し、ポケットに両手を突っ込んだまま腰をやや落として身構えていた狂暴コックのサンジと、
「面倒なこったよな。早いとこ、片しちまおうぜ。」
 隙なく研ぎ澄まされた気迫の満ちた眼光に、筋骨隆々と頼もしいまでの体躯。唇の端を片方だけ吊り上げるような冷笑を浮かべて、相手に対しやや半身に構えつつ、親指で和道一文字の把
つかを押し上げて鯉口を切った三刀流の剣豪ロロノア=ゾロ。そして、
「さあぁ、追い返すぞ〜っ!」
 どこまで事態の深刻さが判っているのやら。両手の拳をぐっと握って脇を締め、"ラジオ体操第一、用ォ〜意"くらいのお気楽な雄叫びを上げたゴムゴム船長のモンキィ=D=ルフィという、キャプテン&双璧による"三大・人外魔境"の化け物フルコースだ。
おいおい 相手の船影が見えた時点で、ナミはトナカイドクターのチョッパーを連れてキャビン内へと引っ込んでいる。例によってウソップの姿が見えないが、彼には戦いの後に忙しい仕事が待っている身だからまあ良いとして、チョッパーの方は方で、本人の意志というより…有無をも言わせずという勢いで、ナミの腕に抱え込まれたままの退避だったからこれも仕方がない。
『お医者が怪我したら話になんないでしょう? ホンットに人手が要るような戦いでもない限り、あんたも後方支援組なの。判った?』
だそうだ。
「おりゃぁっ!」「でぇ〜やっ!」
 甲板一杯に広がった面々が、待ち受けた男性陣それぞれに向かって殺到し、自然と三方に分かれる。この行動からして、
"ああ、こりゃあ大した作戦もない勢いだけの一団だな"
と、相手のレベルもあっさり判ったりするのだが。
「そ〜らよっと。」
 サンジの蹴り技は、一見するとただ向こう脛で一気に横へ払って薙ぎ倒しているだけのように誤解されがちだが、実は"脚"よりも"足"を使っている。つま先・靴底・踵を、一人一人の急所へご丁寧にめり込ませて仕留めているから、なかなかの良い仕事ぶり。薙ぎ払っているのはむしろルフィの方で、
「ゴムゴムの鞭っっ!」
などで一気に十数人を彼方へと払い飛ばすし、一打一打を繰り出すタイプの、
「ゴムゴムのガトリングっっ!」
も、どちらかと言えば"面"への連打という体での拳の乱れ撃ちが大人数を一遍に叩きのめす、ともすれば横着な代物だったりする。


  ―――そこへ行くと、


 もう一人の仕事はさすが"戦闘専任"の剣士殿であり、見事なもの。
「てぇやっ!」「おりゃあぁっ!」
 自分へと向かって、前後上下左右の全方向から降りそそぐ刃の雨。それらの間合いや角度、速さ、重さ、etc.…といった攻勢の全てを一瞥しただけで把握し、両の手に握った刀をフル稼働させて、流れるような一連の動きで受け止め、受け流し、躱してしまう。
「な…っ!」
 それらの対応を易々とこなしたその上で、相手の懐ろががら空きになるよう、段取りよく詰めてゆく攻め手の鮮やかさ。気がつけば…剣を弾き飛ばされた勢いのせいで両腕が上がり切っている者、胴がガラ空きになっている者、つんのめってたたらを踏みかかっている者、勢い余って横手へ転びかけている者たちの無様な姿の傍らを、一陣の疾風が通り抜けている。
「がはっ!」「ぐぁあっっ!」
 こちらからの一閃が滑り込める隙をこじ開け、そこを鋭く抉
えぐり去る手際のよさは、まるで最初から緻密な計算をした上での打ち合わせがあった殺陣たてのようだ。無駄な切り返しが一太刀も挟まらぬ、絶妙な一撃一撃が見事に決まって次々と倒れ伏す輩たち。すれ違ったその瞬間に何が起こったのか、気づかぬままに昏倒した者も少なくはないに違いない。しかも彼は複数の刀を操ってそれを成す。ただ2本、3本を数に任せて徒に振り回すのではなく、撓うまま流れるコンビネーションであったり、複合・統合、多彩な組み合わせであったりする動きであり、野獣の牙や爪のような重さで相手の体や陣営へ喰らいつき、容赦なく切り裂いてゆくそれらは、途轍もない集中力の上に成り立っている代物であり、かつて一匹狼の"海賊狩り"として鳴らした時代に磨きをかけた、一撃必殺の技ばかりである。しかもしかもその上に、
「………っ!」
 耳障りな太刀音を響かせて交えた自分の剣が、まるでチーズのようにあっさりすっぱり"刻まれた"のを目の当たりに見て、
「…ひっ、ひぃ〜〜〜っっ!」
 キョトンとした後、青ざめて腰を抜かす輩も少なくはない。そう。この剣豪、なんと鋼鉄をも斬ることが出来るというから、まったくもって只者ではない。手にした三本の剣は名刀でこそあれ特別仕様な刀でなし、無論、魔界の祝福や怪しげな秘術を用いている訳でもない。これもまた武芸者としての極みの一つ、瞬斬に於ける呼吸を体得したからで、これでもかこれでもかと日々伸びゆく彼の才能・技量には、どうやら"果て"というものがないらしい。


「うがぁっ!」「どぅあっ!」
 見る見る内に薙ぎ倒されてゆく賊どもであり、こうまで形勢がはっきりしてくると、甲板から及び腰になって逃げ出す者も現れ始める。そんなところへ、
「あ〜、こらこら、そこの。」
「ひ、ひいいぃぃっ!」
 ダークスーツをまとったスタイリッシュな死神から気さくげに声をかけられて、こっそり撤退しようとしていた数人ほどが震え上がった。
「そこらで伸びてる奴ら、ちゃんと全員、連れて帰ってくれよな。片付けんのはかなわんし、何より息の根までは止めちゃあいねぇんだからよ。置いてかれても…まさかウチで養う訳にもいかんからな。」
 味のあるたいそう伸びやかなお声での、冗談めかして余裕のお言葉。だが、じろりと睨
ねめつけて来た水色の眼差しは恐ろしく冷たくて。
「は、はいぃぃっっ! 仰せのままにっ!」
 言われた面子は文字通り飛び上がると、わたわたっと人事不省化している仲間たちを抱えての退去にかかる。これはもうすっかり方はついたというところか。当たるを幸いに次々海へと賊たちを跳ね飛ばしていた船長も、そんな空気を読んでだろう、
「なぁ〜んだ、もう終わりかよ。」
 ややもすると物足りなかったと言いたげに、からからと豪気な声を上げて笑って見せる。今日も今日とて絶好調で余裕な彼らである様子。…と、
「くそぉ…っ!」
 不意にやや甲高い声が上がって、小さな影が一つ、剣豪目がけて突っ込んで来た。
「え…?」
「…何だ?」
 こちらの陣営が一瞬息を引いたのは、それがたいそう小柄な…子供だったから。やっと12、3歳くらいだろうか。サスペンダーで釣った半ズボンに紺と白のボーダーシャツ。まだ伸び切らぬ肢体をもどかしげに扱っているような、こんな小さな子供にまで武器を与えて参戦させているような輩たちなのか?
「たぁーっ!」
 術を知らない無手勝流、目を瞑り、甲板の上をただ一直線に駆けて突っ込んでくる。捨て身で飛び込んで来ようというのかと思わせるような攻撃で、………だが、


  「な…。」
  「…ゾロ?」


 サンジが、そしてルフィが眸を見開く。彼もまた"方はついた"と判断してか、刀を三本とも鞘に収めたばかりでいた。それはだが、問題ではない。居合いも得意な彼であるのだから、どんな形で不意を突かれようと、間合いを読み取って素晴らしい反射で相手を斬り裂ける男だ。そうと思って、恐らくは安心しきって見ていたところが…その少年が腹の前で構えた短刀が、こちらも同じ腹へときっちり深々と食い込んだろうところまで突っ込んでもなお、ゾロの側が身動きひとつしなかったものだから、その信じられない光景に仲間たちは揃って言葉を失ってしまったのだ。何の抵抗もせず、自分の懐ろ、正確には"腹"で少年の構えた短刀の切っ先を受け止めたゾロであり、
「………っ。」
 呆然としているルフィの傍ら、
「な、んで…。なんでだっ!」
 見開いた眸を、次の瞬間、鋭く吊り上げ、サンジが駆け寄ろうと甲板を蹴ったが、

  「ああ、待て待て。」

 選りにも選って、腹を刺された筈の剣豪本人が、腕を上げて制止の声をかけて来た。
「え"?」
 しかも、平生のそれはそれは落ち着いた声音であり、ダメージのようなものはまるきり感じられない。ほぼ密着といった状態で自分の胴へ喰らいついている子供の、短い髪の載った後頭部を大きな片手でむんずと掴むと、
「こうまで的が小さいと、力入れ過ぎちまうかも知れねぇんでな。」
 子供相手だと油断したのではなく、故意に懐ろへ飛び込ませた彼であるらしく、
「ホントに子供だったら、この時点でただ解放してやるんだがな。お前、俺の親父くらい年食ってるだろう?」


 「…え?」


 何を言い出すのやら…と、状況がなかなか飲み込めないまま動きが止まったままなサンジやルフィに見せるためにか、剣豪殿は片手で頭だけ掴んだ相手を易々と自分から引きはがし、ぶんっと甲板の板敷きへ放り出して見せたのだ。子供を相手にこうまでするほど無慈悲な彼かどうかを問うより何より、
「…あ。」
 その"相手"というのの姿を改めて見やって、
「ああ"?」
 皆が一斉に口を開けた。間近で良く良く見ると、成程、確かに…かなり老けている。小柄で身軽。それを生かして子供に見せかけ油断させるという戦法を得手にして来た男なのだろう。そんな彼へと、
「どうするよ。こんまま逃げ出せば追いかけはしねぇし、まだやろうってんなら相手んなってやっても良いぜ。」
 言葉はどこか投げ出すような言いようだが、鋭角的な顔立ちの中、鋭くとがった三白眼が、そのまま岩でも射貫くほどの強烈な眼差しで睨みつけてくる。
「ひ、ひいいいぃぃっっ!」
 甲板へ尻餅をついたその格好のまま、子供のコスプレをしたオヤジは、必死で後ずさりを始め、そのまま逃げ出そうという構えに出た。………が、

  「ちょ〜〜〜っと待ってよね。」

 そんな声がかかって、
「タダで帰ってもらっちゃあ困るわ。」
 どんと甲板を踏み締めての仁王立ち。この華奢な身体の一体どこに秘められているパワーなのか、立ちのぼるオーラさえ見えそうなほどの気迫で立ち塞がったのは、
「出たか、守銭奴"大蔵省"。」
「そこ、うるさいっ!」
 お金の貸し借りには仲間にも決して妥協や容赦はしない、頼もしき"金庫番"ナミの登場である。
「見たところ、どうやらあんたが頭目らしいわね。とっとと賠償金の支払いに応じないと、ほ〜ら薄情な仲間たちが船を離してちゃっちゃと逃げてっちゃうわよ?」
「ば、賠償金?」
「そう。船はあちこち壊されちゃってるし、ウチのクルーたちだってのんびり休んでたところを邪魔されて、随分疲れちゃってて、まったく災難だったわよねぇ〜。」
 ちろりんと見やった先で、
「おおう、そうだったっ。俺なんか昨夜は張り番で、これから寝ようって寝入りばなを起こされたんだぜ? どうしてくれんだ? ええ?」
 おいおい、ホンマか。
「さあさあ、早く支払ってちょうだいな。見積もりはこれ。」
 ばさっと突きつけられた手のひら大の帳面の、目玉クリップで開かれたページ。そこへと綴られているのだろう数字の数々を、キョロキョロと目線で追っている"父っちゃん坊や"にはもう関心がない戦闘班の面々で。ナミの傍らには、むくつけき若者へと変化しているチョッパーが付き添っているから、まあ大丈夫だろう。それよりも、
「なんで無事だったんだ?」
 胸元の内ポケットをまさぐって、つまみ出した紙巻き煙草に火を点けつつ、不覚にも心配しちまったぜ、胸糞の悪い…と言いたげな顔のまま、サンジが訊いてくる。訊かれた剣豪が、
「んん? ああ、ほら。」
 そう言って…某所から掴み出したのは一枚の鉄板だ。
「ウソップに頼まれて倉庫から持って来てたんだよ。」
「………。」
 またそうやって腹巻きをポケットの代わりにする。
(笑)
「よくもまあ重みに負けねぇよな。」
 結構重さもありそな鉄板だのにも関わらず、だらんと下がりもせず、こんなものが入っている気配さえ感じられなかった。
「両手が空いて便利だぞ?」
 だから、そういうことを訊いてるんじゃないって。さばけた口調での余裕の会話は、聞きようによっては屈託のない"あははは…"という笑い声で締めくくられて。ナミから請求されたお宝を差し出した賊が"ちくしょーっ、覚えてろよっっ!"とお決まりの台詞を残しつつ、泣きながら去って行った頃には、
「さぁーて、後片付けに入るか!」
 今の今まで見張り台にて息を潜めていたらしい狙撃手、兼、営繕担当のウソップが、いつの間にやら現れていて。金づちと道具箱を引っ提げて甲板の真ん中で、一段と雄々しい気勢を吐いていた。


  "………ルフィ?"

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