ゴメンナサイ、アリガトウ。


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 その日、サンジは冷蔵庫の中を覗きながら途方に暮れていた。
「……」
「サンジくん、何してるの…?」
 かれこれ数分間もそのまま無言で冷蔵庫を覗き続けていただろうか。キッチンに入ってきたナミに声を掛けられたサンジは、今、そこにナミが居るのに気付いたという様子で立ち上がった。そして、さも深刻そうに呟いた。

「ナミさん、おれ達は今、結構ピンチかもしれない」
「…はい?」

 サンジが何を云っているのか全く解らない様子のナミだったが、彼の様子からして本当に何か問題が発生しているという事だけは理解できた。
「どうしたのよ、サンジくん?」
 サンジは煙草に火をつけ、大きく煙を吐き出しながら額に手を当てた。

「…おれの食料配分は完璧だった…。ついこの間までは。しかし、ああ何と云う悲劇!新しい仲間を迎えた事がこんな事態を引き起こすなんて!」

「……あー……」
 ナミはそれだけで事態を了解したようだった。
「食料…無いのね…」

 巨人島・リトルガーデンでたっぷりと肉の補給をした。暫くはそれで航海を続けられるはずだった。しかし、ナミが倒れて医者を探すために立ち寄ったドラム島で、図らずも新しい仲間を迎える事になり。彼の歓迎会と称した宴を設けたりしていた結果、食糧事情が厳しくなってしまったのだった。
「うーん…ちょっと補給しないと、マズイわよ…ね?」
「もし、この船に乗ってるのがおれとナミさんとビビちゃんだけだったなら、余裕でアラバスタまで行けるんだが。なにせこの船にゃアホみてェに喰う奴がいますから。このままじゃ、あと何日持つか…」
「そう、ね。…わかった。サンジくん、皆を呼んで来てくれる?」
「はい、ナミさん!!」
 どこまでもナミに忠実なサンジが甲板に出ると、そこではゾロの足を枕にしてルフィとチョッパーが眠っていた。いつもは右足にチョッパー、左足にルフィ、と、何となく定位置になってしまっているのだが、今日はどうしてだか、ルフィがチョッパーを抱え込むかたちで、ふたりして左足を枕にしている。

「おー、またやってんなァ」

 今ではすっかりお馴染みの光景になってしまっているが、この取り合わせを当初は皆で珍しがった。膝枕に慣れないゾロは、いつも足を痺れさせていて、ルフィとチョッパーが起き上がっても暫くそのままの恰好で動けなくなっていたりした。それを見計らったサンジやナミが足を突付き、滅多に見られないようなゾロの苦悶の表情を楽しんでいたものだった。それを見て、はっはっは、マヌケだぞー、ゾロー、と笑う船長に、誰のせいだと思ってんだコラァ!と突っ込みながら、つんつん、と痺れた足を攻撃されて悶絶する剣豪の姿は相当の見物だったと、サンジは今でも思っている。今では、かなりの長時間膝枕をされていても苦にならないようになったらしく、余裕で眠り続けている上に、足を突付いてもたいした反応を示さなくなったので、ナミもサンジもいつしか飽きてしまったのだが。何にせよ、ほっとする図ではあるのだ。それを壊してしまうのは気が引けたが、起こさない訳にはいかなかった。他ならぬナミからの指示なのである。サンジは、大きく息を吸い込んで、云った。

「うおーい、クソ野郎どもォ!我等が女神、ナミさんがお呼びだァ!」

 その声で目を覚ましたチョッパーが、慌ててゾロとルフィを起こしている姿が、なんとも微笑ましい。格納庫で何やら新しい武器の開発に勤しんでいたウソップも、
「誰が女神だって…?」
などと云いながらも、キッチンへと向かってきた。その後ろからビビとカルーもやって来る。どうやらウソップの作業を手伝っていたらしい。
「ナミさん、何の用なのかしらね?」
「さぁなー。でもきっとロクな事じゃないだろ」
 ウソップがビビの問いにそう答えるのを耳聡く聞いたサンジが、彼の鼻先に煙草を突きつけながら云った。
「コラ、長っ鼻。ナミさんに向かって失礼な事云うんじゃねェ」
「長ッ鼻云うな!!!」
 そのまま云い合いになってしまいそうな雰囲気だったが、
「あーもうあんた達!さっさと入んなさいよ!!」
というキッチンからのナミの一声で一気に静かになったのだった。


***


「全員揃ったわね?じゃあ、結論から云わせてもらいます。もうすぐ食料が無くなるわ」

 皆がキッチンに揃ったのを確認したナミが、唐突に云った。あまりにも単刀直入だったので、一瞬皆の動きが止まってしまった。
「…えーと、ナミさん…。今、何て?」
 おそるおそる、ビビが尋ねる。
「だからね。もうすぐ食べるものがなくなりそうなの。ホラ、色々予定外のことがあったでしょう。だから、どこかで食料の補給をしようと思うわけ」
「どこかで、って…どこでだよ?」
 顔に『不安です』という文字が見えそうなくらいの不安げな顔でウソップが云う。
「そんなの解らないわよ。取り敢えず、島が見えたら寄っていくから。ヨロシクねー。そう云うことで、解散!」

 よくよく考えてみれば、深刻な内容の会合だった気もしなくは無いのだが。一同の頭に残ったのは、『島が見えたら取り敢えず寄っていく』ということのみである。


見張り台に居たウソップが島影を発見するのは、それから数日後のことだった。


***


「おーい、島が見えたぞ!」

 彼の声に即座に反応したのはルフィだった。いつ食料がなくなるとも知れない状況という事で、(ルフィにとっては)地獄のような食事制限をサンジが強いていたため、『バケモノみたいに良く食う』船長は、殆ど欠食児童の様相を呈していた。
「なに!?ほんとかウソップ!!」
『島が見えた』の声を聞くが早いか、ゴムの腕をぎゅんと伸ばして見張り台まで飛んでいき、ウソップから望遠鏡を奪い取る。
「うおーー!ほんとだ!!島だ! 肉居るかな?肉!!」
「イヤ、肉はそのままでは歩いてないと思うぞ…?」
 さりげなく突っ込みを入れつつ、とにかく、ナミに知らせて来る、と云ってウソップは見張り台を降りていった。そして、予定通りと云うか予定外の事と云おうか。とにかくゴーイングメリー号はその島に上陸することになったのである。

「何か店でもあれば、と思ったんだけど…、見た感じ、森…って云う予感がするわね…」
 島が近づいてくるにつれ、ナミの言葉が的確だった事を皆が納得した。
「…あー、ありゃァ…、まさに森、だな…」
 ウソップが渋面になって呟く。その横でルフィがうきうきと云った。
「森?森って、巨人のおっさんが居たとこみたいな感じなんだろ。恐竜居ねェかな、また?」
「あんなモンがその辺にごろごろ居てたまるかっ。それにあそこはジャングルだった」
「何かちがうのか?」
「あったりまえだっ。いいかー、ジャングルと森の違いってのはなー…」
 そんなウソップとルフィのやりとりを聞いていたゾロが。
「…漫才コンビだな…」
 ぽつりと、そう漏らした。

 そうこうしている内に島はもう目前に迫っていた。ゾロやウソップがそろそろ錨を下ろす準備を始めようかと甲板を離れかけたとき。
「うお!今何か動いたぞ!? おれちょっと見てくる!」
と、云うと同時にルフィは、またも腕を伸ばして、数十メートル先にある島に繁っている木の枝を掴み、船から飛び出していった。ゾロ達が振り返った時には既にルフィの姿は船上には無く。見えるのはぐんぐんと遠くなっていく彼の背中だけであった。

 数秒間、そのままの姿勢で呆気にとられていた彼らであったが、今更、対処のしようが無かったので。

「…仕方ねェから…取り敢えず、船泊める準備すっか…」

と云うゾロの意見に、皆賛同したのだった。


***


 一方、その頃。「動いた何か」を求めて一足先に島に入ったルフィは、思いっきり森の中へ入り込んでしまっていた。
「んんー、さっき、この辺で動いたんだよなあー、絶対」
 船上に残してきた仲間の事など気に掛けるふうでもなく、「何か」を探し続けていた。後ろの繁みで何かの音がした、あそこの木蔭から何かが覗いた気がする、と云っては動き回り、そうやって少しずつ奥深くへと進み続けた結果。

「…あれ?おれ、どっちから来たっけ?」

 彼の現状は、明らかに迷子であった。


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