![]() | ブルターニュの歴史 | ![]() |
ここでは、「ブルターニュ地方ってどんなところ?」と思われる方のために、彩流社から出ている武部好伸さんの“フランス「ケルト」紀行 ブルターニュを歩く”を参考に、ブルターニュ地方の歴史や文化などを紹介します。 |
ブルターニュの地理ブルターニュ地方はフランスの最西部、北、西、南の三方を海に囲まれた半島に位置しています。 面積は約27,000平方メートル。日本の岩手県と秋田県を合わせた面積に相当する広さなのだそうです。人口は約280万人で、イール・エ・ヴィレーヌ、モルビアン、コート・ダルモール、フェニステールの4つの県から成っています。フランスの一部でありながら、ケルト文化が現在まで息づく地方です。かつてはブルターニュ公国として、フランス国王の廷臣でありながらブルターニュ公爵を中心に独立国に近い権勢を誇っていました。 |
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6世紀ごろにフランスにやってきたゲルマン系フランク族との長い戦いの末、824年ブルターニュ地方はとうとうフランク王国に征服されてしまいます。このとき、フランク王国の国王ルイ敬虔王は生粋のブルトン人であるヴァンヌの土豪ノミノエにブルターニュ公の称号を与え、ブルターニュ地方の統治を任せたのがブルターニュ公国の始まりです。12世紀には、イングランド王ヘンリー2世の“アンジュー帝国”の一部に組み込まれ、一時的支配を受けます。波乱続きのブルターニュ公国ですが、それでもフランスやイングランドといった外敵から何とか独立守り続け、運命の16世紀を迎えます。1532年、フランス国王フランソワ1世の王妃であり、最後のブルターニュ公女となったクロードが亡くなると、後継者を失ったブルターニュ公国はフランス国王の下に統合され、ついに700年に及ぶ歴史に幕を下ろしてしまったのでした。 |
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ブルターニュを旅行してみると、あちらこちらに翻っているブルターニュ旗が多く目に付きます。この旗は、ブルトン語で“Gwenn ha Du”といい、「白と黒」を意味するそうです。黒い列が5列と白い列が4列。それらの列が横向きに交互に並んでいて、アメリカ星条旗の星みたいに、左上のところにはアーミン(白テン)の尻尾の黒い先端をあしらった紋章が11個ついています。黒い帯は、東ブルターニュ地方のかつての五司教区(ドル、ナント、レンヌ、サン・ブリュー、サン・マロ)を、白い帯は西部ブルターニュ地方の四司教区(コルヌアイユ、レオン、トレゴール、ヴァンヌ)を表しており、アーミンの象限儀はブルターニュ公国の紋章からとられたそうです。このブルターニュ国旗、何代にも渡って受け継がれてきたデザインなのかと思いきや、なんと1925年に考案された旗なのだそうですよ。 | ![]() |
ちなみに、白テンを用いた看板などもブルターニュでは多く見られます。居酒屋やレストランなどなど、白テンが描かれた看板が目に付くたびに「この動物はイタチ??どうしてブルターニュにはイタチがいっぱい見られるの?」と最初は首をひねったものでした。ブルターニュ公国の紋章だったのですね、なるほどなるほど…。また、“BZH”と書かれたラベルを貼って走っている車も良く見られます。いったい何の略なのか分からなかったのですが、ある時おみやげ物屋さんで売られていたシールを見て納得。ブルターニュを意味するブルトン語“Breizh”の略語だったのですね。1532年にフランスの一地方になってしまったブルターニュですが、ブルターニュ人の中には現在でも根強い民族意識と誇りが保たれているのだ、ということが良く分かったのでした。 | ![]() |
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