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アキテーヌ地方東部ぺリゴール地方、Beynac城に負けないぐらいの高い崖の上に建てられたCastelnaud城です。城の建設がはじまったのは、12世紀頃。城の南側にあるキープの部分が一番古く、その周りを15世紀末に作られた4メートルもの厚さを持つ城壁がとり囲み、これまた15世紀に補強された城門によって村へと続く道は守られています。ドルドーニュ川の対岸約5キロのところにあるBeynac城とCastelnaud城は、お互いの城が建設されて以来、宿敵として長年に渡って対立を繰り返してきました。 1214年、Castelnaud城は城主がカタリ派の信徒であったため、シモン・ド・モンフォール指揮下のアルビジョワ十字軍によって攻撃され陥落。一年後の1215年に、城は一時的にもとの城主によって奪還されますがすぐにシモン・ド・モンフォールによって占拠され、破壊されてしまいます。城はその後、1238年に元の城主の下へと返されますが、1259年にフランス王とイングランド王の間で結ばれた条約によってイングランド領となります。(13世紀当時のアキテーヌ地方は、イングランド王の領地であり、イングランド王はイングランド王でありながら、アキテーヌ公としてはフランス国王の臣下の一人であるという、非常にややこしい事態となっていました。) 14世紀半ば、イングランド王エドワード3世がフランス王の座を主張して始まった百年戦争では、イングランドとフランスの国境地帯であったこの地方は両軍の最前線として、激しい戦闘地帯となります。フランス側だったBeynacとイングランド側であったCastelnaudの間ではなんども戦闘が繰り返されたそうですが、いよいよ雌雄を決する時がやってきます。1442年、Castelnaud城は3週間に及んだフランス軍の包囲攻撃によって陥落。およそ200年ぶりにフランス領へと戻ったCastelnaud城は、新しい城主の元で居城として改築され、ルネッサンス様式を併せ持つ城へと生まれ変わります。16世紀の宗教戦争の時代には、城は新教徒派のものとなりますが、その後無人化し荒廃。18世紀のフランス革命によって城の荒廃度はさらに増し、城に使われていた石はどんどん持ち去られていく始末…。 Castelnaud城が国によって歴史的建造物と認定され、ようやく修復作業が始まったのは、1966年のことでした。現在のCastelnaud城は、中世戦争博物館となリ、一般に公開されています。 Castelnaud城は、Beynac城に比べると一回り小さいし、車でお城の近くまで行くことができるので、お城見物には便利なお城です。Castelnaud城って、映画“タイムライン”の舞台となったお城になんとなく雰囲気が似ていると思うのですが…。映画に出てきたあのお城は、撮影用にわざわざ作ったお城だそうですが、どこのお城をモデルにしたのでしょうね。皆さんは似てると思いませんか〜? |
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