najac




ミディ・ピレネー地方アヴェロン県にあるnajacの町です。村から約1キロ離れた岩山の上にあるNajac城は、圧倒的な存在感をまとい、村の後方に控えています。


najacの町からお城までは、一本の道がまっすぐに伸びています。町からお城へ行くには、町の広場からお城へと続くその道を一度下り、再びお城に向かって岩山を登って行かなくてはなりません。上りも下りも急な坂道なので大変ですが、それがかえって中世当時の様子をしのばせます。歩きながら前方のお城を遠く眺め、中世当時の住民たちは、有事の際にはこの道を通ってお城に避難したのだろうな〜、などと考えていました。道の両脇にはいくつか中世の建物が残っており、それを見ながら歩いて行くと、いつしか時がたつのも忘れてお城にたどり着けると思います。
現在見られるnajac城は13世紀に建てられたものです。元々この場所には、トゥールーズ伯によって12世紀に建てられた塔があったそうですが、13世紀に入りフランス王ルイ聖王の命の下、現在見られるような要塞へと作り変えられました。お城を囲む城壁の高さは一番高いところでなんと23メートル。5つの円塔が備えられ、高さ38メートル3階建てのキープを守っています。城壁の下から城を見上げると、そのあまりの堅固さに「はぁ〜」とため息しか出ませんでした。
najacの町は、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステッラへと続く巡礼路沿いに位置するため、早くから交通の要所として栄え、多くの市場がにぎわったのだそうです。
1200年ごろには、najacにも多くのカタリ派信徒がいたそうですが、najac城が目撃した一番の悲劇はテンプル騎士団たちの最期かもしれません。隆盛を極めたテンプル騎士団ですが、その膨大な財産に目をつけたフランス王フィリップ4世によって壊滅へと追い込まれていきます。そしてついに、1307年10月13日の金曜日、異神信仰など数々の容疑をかけられフランス中のテンプル騎士団が捕らえられてしまいます。拷問や自白の強要によって罪を認めた騎士たちは、生きたまま火あぶりの刑に処せられ哀れな末路をたどったのでした。このnajac城も、捕らえられたテンプル騎士たちを収容する牢獄として使われたのだそうです。黒ずんだお城や塔を眺めていると、無実の門で死んでいった騎士たちの無念の声が聞こえるようです…。



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