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![]() 今も残る城壁 |
この地に最初のお城が建てられたのは12世紀のこと。当時の城主congost家の元では、吟遊詩人を招いた宴が幾度も催され、この地に中世を代表する宮廷文化が花開いたそうですが、13世紀には悲しい破滅の時がやってきます。congost家は熱心なカタリ派の信徒だったらしく、1210年、puivert城は3日間の篭城のあとモンフォールに率いられた十字軍に奪取されてしまいます。逃げ延びた者の中には、montsegur城に篭ってその後も十字軍に抵抗を続けた者もいたそうで、本当に信心深い一族だったのですね。 |
![]() 中庭からキープを臨む |
![]() キープ |
十字軍に奪われたpuivert城は、モンフォールの仲間の一人に与えられ、その後bruyeres家の物となります。14世紀前半、bruyere家の元でさらに拡張と改築を施されたpuivert城には、現在では見ることは出来ませんが、堀と跳ね橋も設けられており、6つの塔を配した城壁が城を守っていました。東西に伸びる長方形型の中庭の先には、城門と向かい合うように35メートルの高さを誇る4階建てのキープが立っています。その東奥には今ではすっかり崩れ落ちてしまっていますが、居住スペースである建物が作られていました。キープの最上階では、かつては吟遊詩人が数多くこの城に集まったという痕跡を現在でも見ることができます。musicians roomと名づけられたこの部屋には、楽器を奏でる人物が彫られています。彼らはそれぞれ、vielle(5弦琴)、lute(ギターに似た形の楽器)、fluteとtambourin、organ、bagpipe、psaltery(弦楽器)、rebec(3弦の擦弦楽器)、cithern(弦楽器)を持っているのだそうです。どんな音がする楽器なのか、想像がつきませんね〜。 |
![]() キープの窓から 外をのぞく |
![]() キープから中庭を 見下ろす |
またこの城には、ホワイト・レディの伝説というものがあります。かつてこの城に住んでいたアラゴン王国の王女は、城の麓の湖に設けられたベンチに座り、湖を眺めるのが日課でした。しかし、雨が激しく降った日にはこのベンチは水没してしまうため、気を利かせたpuivert城主は、湖の水位を低くするための工事に着手します。ところが、この工事の最中に湖を囲む崖が崩落。この崩落によって引き起こされた洪水に呑みこまれたホワイト・レディは、哀れその命を落とすことになったのでした…。このお話は伝説ですが、本当にこの地では崖の崩落によって、辺り一帯を飲み込むほどの大洪水が1289年に起こったのだそう。この伝説はこの洪水から生まれたものなのでしょうね。 |
![]() かつての居住区 |
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