severac le chateau




麓から見上げたseverac城

お城の下に広がるseveracの町

Millauから北へ、世界一高い吊り橋The Millau Viaductを高速で通過し、そのままA75の高速道路を走りつづけると、左手に中世の城塞都市そのままの姿を残したseverac le chateauの町が見えてきます。




実はこの中におトイレがあります。

高速道路から見えたその幻想的な姿に惹かれ、空港へ向う途中だったにもかかわらず、急遽予定を変更してseveracへと車を走らせた姉と私だったのでした。高度817メートルの山頂にお城をいただき、麓に向って家々を従えたその姿は、とても素通りなんてできない美しさだったのです。 現地で手に入れたガイドブックでも、あまり多くを触れられてはいないseveracですが、ローマ時代にはすでにこの地に町が築かれたいたという古い起源を持ち、現在でも中世の町並みを色濃く残した素敵な町です。

現在のseverac城は、ほとんど廃墟となってしまっていますが、14-15世紀に作られた城壁、見張りの塔、井戸、教会などが残っています。比較的一番良く残っている建物は住居として使用された建物で、17世紀のルネサンス様式なのだそうです。かつては、跳ね橋のある城門もあったそうですよ。

現在はフランス領にあるseverac城ですが、建築が始まった12世紀当時、severac領主はバルセロナ子爵の家臣に属しており、Aragon王国と密接な関係を持っていました。そのため、フランスにアルビジョワ十字軍の嵐が吹き荒れた1214年、severac城と町は、シモン・ド・モンフォールによって攻撃を受けます。カトリック教会より異端を宣告されたカタリ派を殲滅するために起こされたアルビジョワ十字軍ですが、当時のseverac城主Deodat3世が、反アルビジョワ十字軍のリーダーの一人であったAragon国王の親戚だというのが、攻撃の理由だったのだそうです。戦闘後、両陣営で持たれた交渉により、Deodat3世は領地の一部を引き続き所有することが認められ、severac城も、彼の元へ返還されました。

その後、severac城は、15世紀初頭には城主を暗殺によって失い、アルマニャック一族に占拠されたり、国王所有となったりと紆余曲折を得て、Arpajon家の手に渡ります。宗教戦争では、新教徒軍の一員として活躍したArpajon家ですが、1679年に最後の城主が亡くなって以後、severac城は荒廃を始め廃墟となってしまったのでした。

severac城が復活するのは、20世紀に入ってからです。1932年、フランス政府によって歴史的建造物に認定されたseverac城は、1966年に地方自治体に買取られ、現在まで続く修復作業が進められています。

思いがけず出くわしたseveracのお城でしたが、severacの町も中世当時の面影を残した負けず劣らず素敵な所です。14-17世紀に建てられた家々がそのまま残っており、また、ローマ時代から使用されていた泉(現在は枯渇…)なんてものあります。全体に、石畳と石造りの家々、気骨組みの家などが細い路地に沿って所狭しと並んでおり、とっても歩いて観光しやすい所だと思いました。


ルネサンス様式の居住建造物

城壁

お城の中庭




気骨組みの町並み

お城への入り口

ローマ時代に起源をもつ泉



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