Diary -過去ログ- 2004年4月(前半)
4月である。
早いもので、博士課程修了してから丸3年が経過してしまった。あの頃は、まともに就職するのにこれほど手間取るとは思ってもみなかった…ってこともないか。薄々こんなこったろうとは思っていた節あり。であるからして、「3年」と言えば、
我々は3年間待った…!!
デラーズ・フリート宣戦布告演説より*1
などという台詞を吐きたくなるものであるが(何故)、ジオン再興を目指して臥薪嘗胆の日々だったかの人々と比べると呑気なことこの上ない3年だったような。棚ボタで研究員の職にありついていたこともあるし。むしろ、「我々」に該当するのは私以外の周りの人々だったと思われ。家の両親とか、大学の指導教官とか。「やっとまともに就職しやがったかこやつは」みたいな感じで、今頃しみじみと上の台詞をかみしめていることでありましょう。
 まあ、あれですな。そもそも私はかの人々のように信念を実現するために臥薪嘗胆、などというタイプではなく、どっちかってーと、
アクシズなんて辺境に導かれた日にゃ、商売あがったりさ!!
シーマ・ガラハウ*2
などとぬけぬけと言い放って言動をコロッと変えるタイプの人間だし(笑)。自分に益がないとわかったら涼しい顔をして白を黒と言い放ってみせましょうとも。
*1、*2: この辺の引用をみてピンと来る人がはたして何人いるのか不明であるが。ピンと来ない人は「機動戦士ガンダム0083」を観るべし。
ちょっと3年前の日記を読んでみたんだけど、なんかもうD論提出が終わった時点で既に研究に対するモチベーションの低さが明らかになってたりして。「そこはかとなく感じられる」レベルの話ではなく、はっきりとその旨が明記されている。これはもう、当時からモチベーションの低さに対して自覚的であったという証拠であって、そういう意味では今回の路線変更はあの時点からすでに既定路線だったと言えなくもない。むしろ重い腰を上げるのに3年もかかったというか。