第1章.無精ヒゲ

 まず最初に、王道中の王道・ヒゲの中のヒゲと呼ばれ、数の面でも役割の面でも確かな基盤を持つヒゲ、すなわち無精ヒゲを取り上げる。また、ここでは一般的なヒゲ論についても述べ、以降のヒゲ考察に対する前置きとしたいと思う。

 既に様々な場面で言われていることだが、漫画とは記号の集合である。絵としての表現法、噴出し、効果線、コマ割り・・・全てがある種の暗号であり、読み方を知らない人間には解読不能なものである(荒木飛呂彦のお祖父さんとお祖母さんは、彼の作品を読むことができなかったと言う伝説は余りにも有名であろう。今は読めるのかが大変気になる所であるが、今回の調査では結果が得られなかった)。

 上記のような手法だけでなく、キャラクターの外見に関しても、この記号的な面は非常に大きい。より端的に言うならば、熟練した漫画読者の観察力を持ってすれば、外見を見れば相当な精度でそのキャラクターの性格や役割が判別可能なのである。この文をお読みの皆様も、思い当たる事柄は数多いのではないだろうか。
 例として、メガネで三つ編みの女の子がいたとしよう。その場合、その子は99%内気で恥ずかしがり屋のキャラであり、ほぼ100%素顔は美形であると判断できる。この例では、メガネと三つ編みという記号がそのような性格設定を表し、或いは強調しているものと考えられる。文献によっては、このような記号論は『お約束』とも称されている。

 ヒゲというのもこれらの記号の一種、それも大変に強力な一種である。ヒゲのインパクトは他の要素を打ち消して働くことも多く、その意味では決して軽々しく用いられるべきではない。
 だが、このような記号としてのキャラクターの外見設定は、現在では漫画やゲームだけでなく、小説や映画などのメディアでも同様の使われ方をしているのが実情である(これはわが国に独特な風潮なのかそれとも世界共通の現象なのかは、今後の調査における大きな課題の一つといえよう。今回は内容の散漫化を防ぐため、この考察は保留しておくこととする)。

 それでは、無精ヒゲという記号は創作界において何を表す『お約束』なのだろうか?

 筆者は、数十に及ぶサンプルを検討した上で、無精ヒゲキャラには大きく分けて2通りあると主張したい。
 ひとつはワイルドタイプであり、代表例としてはラルフが挙げられる(※1)。このタイプのキャラでは、無精ヒゲは野性味を加えるアイテムとして重要な役割を担っており、表現型としてのキャラの性格には、無駄に熱いこと、年の割りに分別が不足していることなどの特徴が認められる。
 もうひとつは落ちぶれタイプであり、こちらはコーディー(※U)が例として相応しい。後者のタイプでは、無精ヒゲは堕落の象徴なのであるが、文献によってはこれ渋みと捉えられていることもあり、そのようなケースでは合併症として咥え煙草を伴うことが多い。

 これらの双方に共通するキーワードはやはり『オヤジ』であろう。
 『オヤジ』の定義については現在も盛んな議論がある。教科書的には30代後半程度の年齢で黒髪、太眉、垂れ目、仏頂面、咥え煙草に無精ヒゲを加えた、所謂『オヤジ7徴候』を示すキャラがよく挙げられるが、実際にこの全てを満たすキャラは比較的少なく、卍(※3)など一部の例のみが当てはまる。
 筆者はここでは、オヤジ臭い性格設定であれば女性でも10代の若者でもオヤジと呼ぶ『親父ギャル論』を支持したい。この広義の『オヤジ』に範囲を拡大すれば、無精ヒゲと合併するオヤジの割合は非常に高くなることは明らかであろう。

 ここまで論を展開すれば、一部の人種においてお気に入りキャラクターの無精ヒゲ率が有意に高い事の説明がつく。すなわち無精ヒゲ好き=オヤジ好きなのであり、オヤジ好きは周知の通り、好みの1ジャンルとして既に確立されているメジャー勢力である。ウルヴァリン(※4)、ギャンビット(※5)等、海外においても無精ヒゲキャラクターは常に一定の割合で存在し、根強いファンを持ち、一定の地位を保っていると言えよう。

 この無精ヒゲ好きがさらに重症化すると、逆に無精ヒゲという記号に対するパブロフの犬的な条件反射が起こり、設定画を見ただけで一目惚れする症状が見られるようになる。この手のパブロフ現象を引き起こすアイテム・記号については、他にもメガネやチャイナ服など、様々なバリエーションが報告されている。


※1 ラルフ=ジョーンズ:格闘ゲームKOFシリーズより、オヤジ軍人代表
※2 コーディー:格闘ゲーム「ファイナルファイト」「ストリートファイターZERO3」より、自堕落王
※3 万次(卍):漫画「無限の住人」より、不死身のシスコン
※4、※5 ウルヴァリン&ギャンビット:アメコミ「マーヴル・スーパー・ヒーローズ」より、ワイルドヒゲと気障ヒゲ


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