星想 **Star light Star bright ** 2 Su-jinさま 1500hit Request なにをされているのか、理解するまでには暫くの間があった。 晴明の体が胸の上にのし掛かり、博雅の体を拘束している。それは強い力ではなかったけれど、跳ね返すことは出来なかった。具合の悪い彼を思ってのことではない。受け入れた訳でもない。"受け入れる"ということについては博雅の意識がそこまで追いついてはいないというだけのことであったが、とにかくいまの彼には邪険な態度はとれないと無意識の意識が働いているのだ。様子がおかしい、いつもの彼ではない、だから博雅はまるで睨むように見詰めてくる彼の手を振り払えなかったし、大声で威嚇することも出来なかった。 熱のためか、興奮の所為か。 常は白い晴明の顔が赤く色づき、それは見慣れぬ男を思わせ少しの恐慌に呵まれる。こんな晴明は知らない。けれどこれもまた彼なのだ。混乱した頭でそれでも博雅は必死に彼の目を見詰め返した。逸らすことなく見詰め続けた。 「晴明、晴明、どうしたのだ。なにがあった。鬼の気に当てられでもしたのか」 声をかけても、彼は答えてはくれなかった。ただ怖い目で、博雅の知らぬ恐ろしいまでの冷たい目で見下ろしてくる。唇が震えているのは、だから怒りの所為なのかもしれないと怖じける心が強くなる。 「俺がなにかをしたのか?お前を怒らせるようななにかをしでかしたのか」 「…………………」 「晴明、言ってくれ。俺が気に障ることをしたのか。お前になにか、」 「いや…お前はなにもしていない」 「そんなことはないだろう。でなければこんな理不尽を、お前が俺に働くことなどないはずだ」 「お前はなにもしていないさ。…腹の立つほど、耐えられぬほど、お前はなにもしないのだ。俺のためにすることなど…なにも…」 「晴明?なんだ、なにを怒っているのだ。いや…」 睨む瞳はそのままに。 けれど色の違いに息を飲む。彼の瞳の奥底にある、怒りとは異なる色に気付いてしまう。 「お前は…なにを悲しんでおるのだ」 呆然と零れた声に晴明の眉が寄る。悲しんでいる訳ではない。辛いのではない。虚しいだけだ、ただこうして遣りきれない思いに呵まれ友を…"友"と呼び愛するものを恨む気持ちを募らせることに疲れただけだ。 押さえ込む博雅の体からは力が抜け、案ずるような眼差しが強くなる。友人を思うその心は痛いほど伝わり、それは更に晴明の胸を締め付けた。 「…すまない、取り乱した」 小さく呟き彼の上から退くと、二人が包まれていた袿を引き寄せ博雅の体に掛けてやる。夜気は火照る肌を冷たく刺したが、それがなおのこと彼の熱を煽り立て思考はぼんやり霞んでいくばかりだった。 「晴明…」 そっと。 身を起こした博雅が、彼の肩に袿を掛ける。おずおずと回された腕に抱きしめられる。 素肌の触れ合う感触は心地よくそれは晴明の胸にも温もりとして伝えられたが、決して"ほしい"と望む熱ではないことを知っているだけに虚しさが募る。 消えてしまえ、と。 「お前を失えば…俺は生きてはおられぬというのに…」 自嘲に歪む唇で、彼は博雅の胸を押し返す。いつまでこうしていても惨めな気持ちに押し潰されるだけなのだ。手の届くところにある自らの小袖に手を伸ばすと、暖かな指がその手を捕らえ包み込む。 「俺も、晴明を失うことは考えられぬよ」 柔らかな声音で、彼はそう言った。後ろから回された腕が腰の辺りにしがみつく。まるで童のような仕草であったが、それがどのような意味を持ってのことでも安らげる温もりであることは事実であった。 「博雅は…なにも分かっておらぬ」 「訳も言わず、ただ"分からぬ"と言われても答えようがないだろう。だが俺には分かっておるよ。お前がなにを言いたいのか…なにを思っておるのか。いま、分かったから」 分かってしまったから。 動けずにいる晴明を、背中をまるで包むように抱きしめていた博雅はやがて彼の前に回るとその瞳を覗き込んだ。すべてを見透かす大きな眼(まなこ)が、後悔と懺悔、そしてまだ残る恨みの色を浮かべたそれを見詰め続ける。 「晴明、お前…俺をどう思うておる」 残酷な問いだ。 唇に冷笑を浮かべると、それを許さぬと言うように指先が触れた。あたたかなそれが頬に触れ、真っ直ぐ向き合う視線の中に確かな熱を感じ始める。 「答えよ。お前には答える義務があるのだ」 「…なにを。俺がお前をどう思うなどと、なぜ今更答えねばならぬのだ」 「今更ではないだろう。お前は俺になにも言うてはくれなかった。なにも言わず、何も知らせず、ただそのように悲しい目をして俺を見ているではないか。なにもせぬうちから決めつけて、俺一人を責めたではないか」 焦れた口調が甘く聞こえる。 都合の良い幻聴よと、俯いた彼を許さぬとばかり博雅の指が晴明の肩に掛かる。正面から見詰められるその目は必死で、答えを聞くまでは引き下がらないという決意が伺えた。 「俺に、いうことがあるだろう」 「ない」 「ある。お前は俺に伝えねばならぬことがあるはずだ。ないとは言わせぬぞ」 「ないと言ったらない。お前こそなにを言わせたいのだ」 はぐらかすためやんわり彼の指に手を掛けると、肩から外させようとする。そうはされまいと必死に力を強める博雅はやがて自ら手を放すと、晴明の思ってもみない行動にでた。 首に回された彼の腕が、痛いくらいにしがみつく。 抱きしめる。 「俺は言わぬ。晴明から伝えられるべきものであるから、決して俺からは言わぬ」 「博雅」 「言わぬ」 首を振って、ただ必死にその言葉を繰り返した。縋る力が強くなった。 「聞けば不快になることもある。聞かずに済むことをわざわざ聞き出したところで、悔やむことになる話であれば、」 「悔やむか悔やまぬか、それは俺の決めることだ。言え」 「…言えば…言ってしまえばお前は…」 聞かせたくはいない。聞かせたところでどうにもならぬと知っているのだ。いまのまま友でいられる時を捨ててまで欲望を貫くには晴明は臆病すぎた。自らに自信は持てなかった。 人との交わりを極端に恐れる彼だからこそ、唯一の友であり、恋心を傾ける博雅を失えばこの世というものに繋がる術すらなくしてしまうと分かっている。確信している。 「博雅よ、俺はお前を失いたくはないのだ」 「なぜ失う?何故そのように思う」 「分かるからさ。お前が俺を軽蔑し、離れていくのが分かるからさ」 「どうしてお前を軽蔑するのだ。晴明、言葉にしなければ分からぬことはいくらもある。聞かせてほしい言葉はいくつもある。俺は聞きたいのだ、お前の言葉を。お前が俺に思うておることのすべてを聞かせてほしいのだ。伝えてほしいのだ。いま」 いま、ここで。 この夜に。 見詰めあう瞳の中に、確かな光を見たのは気のせいなのか。都合のいい幻覚なのか。 判じかね、未だ惑う晴明に縋り付く博雅の体温が心地よく染みてくる。素肌の絡むその時を思い心が跳ねる。早まる鼓動の響きが彼に伝わってしまったのなら、それはもう躱しようのないものでこれ以上黙っているならそれはそれだけで博雅を傷付けることになってしまうのだろう。 言ってしまいたい。 言わなければならない。 伝えなければ、進めない。 良きにしろ、悪しきにしろ、もう二人の間に"友情"だけでは納められない気持ちが存在してしまった事実は消し去ることなど出来ないのだから。 博雅の肩に手を掛け、そっと、僅かに引き離す。見詰めたままで唇を開くと、まるで待ちかねたように彼の瞳が輝いた。喉が震える。指先が震える。 心が。 震える。 「俺は…博雅よ、俺は、もうお前に対し"友"としてだけの思いに留めておくことは出来ぬのだ」 「友ではないのか」 「いや、友でいるだけでは満足できぬと言うことだ」 「それは…晴明、俺に分かるように言ってくれ。もう言葉を選ぶのはやめてくれ」 瞳に縛られ、心の震えは更に広がる。けれどそれは確信めいて、淡い期待を晴明の胸に宿らせる。お前は俺を許すのか、俺になにを与えるのだ。 望みは、叶えられるのか。 「博雅よ…俺はいつの日からか、お前を…」 「俺を」 「お前を、恋するものとしてこの胸に住まわせてしまったのだよ…」 甘い痛みに、縛られる。 博雅の大きな目が更に見開かれ、唇は言葉を探すように戦慄いた。なにかを言いかけ、そしてやめる。呼びかけようとして、けれど声にならない。 「博雅を愛してしまった。もう戻せない。この心はもう、お前に触れたくて…お前にも俺を求めてほしくて…思いを消すことなど、もう出来なくなってしまったのだ…」 「晴明…」 痛みを堪えるような顔は、淡い期待をうち消すようにも見えた。けれど彼の指は未だ晴明の体に這わされたまま、離れることはしなかった。確かな温もりが伝わるそれを、だから死を前にした罪人のような心地で受け続けていた。言葉を待ち続けた。 どれほどの時が過ぎたのか、それはごく僅かの間であったはずの永遠に感じられる。もしやと抱いた気持ちがゆっくりと凍えていく。告げるのではなかったと、今更の後悔にめまいさえ覚える。"伝えてほしい"と願った彼に、恨みの気持ちさえ湧いてくることを止められず目前の恋しいものの苦しげな顔を見詰めていた。 「晴明、俺は…俺がお前に与えられるものはあるのか」 「与えられるもの、か」 「なにがほしい」 「心がほしい。お前の、俺を思うてくれる心がほしい。俺を求める体がほしい。博雅がほしい」 「俺が手に入ればどうなる。お前は俺を手にして、それで満足がいくのか」 「ああ。だが抜け殻の博雅ならいらぬよ。俺と同じ思いを交わすことが出来ぬというなら、それは俺の求めるお前ではない」 「俺が晴明を好けばよいのか。好いた上でお前の言う通りにすればよいのか」 「酷なことを申すな。確かに俺の願いはお前を手に入れることだが、それがお前の意志ではなく、ただ俺を慰めるためだけのことであれば意味などない。そんなものはいらぬ」 やはり。 首の辺りを頼りなく彷徨う彼の指を外し、晴明は詰めていた息を吐き出した。恋に疎い彼には伝わるはずもないのだ。この卑しき劣情など彼にとっては忌まわしいだけのものであり、晴明という男も浅ましく友の躰を求めるだけの餓鬼のようなものなのだ。 ただ、優しいから。彼という人間はどこまでも無垢に潔く出来ているから。邪な思いにすら応えてしまう、哀しいほど白い思考の持ち主だから。 忘れていた熱がぶり返す。 骨を疼かせる悪寒が全身に広がる。 「もう、よい。博雅、もうよいのだ」 哀れな博雅。哀れな己。相容れぬものをいくつも目にし、けれどすべては不要であると遠ざけてきたいまになって、これほど切ない思いを味わったことなどなかった。 落ちた袿を再度彼の肩に乗せるとそのままふらりと立ち上がり、手にしたままの小袖に腕を通しながら縁に出る。月が。 青い月が、寂しげに輝いていた。広い空にただ一人、佇む姿は見覚えのある光景。見慣れた世界。 太陽と月は、一つの空にありながら決して並べて見ることが出来ぬ。 交わらぬもの。互いを覆い隠すもの。触れられぬもの。 光と影は一対になり得ぬ、そんなことはいやと言うほど知れていたのにこの様だ。己の未熟さを笑いながら口元を歪めていると背後で床板の軋む音が響く。低く、密やかに、それは近付いてくる。 「俺は、姫ではないよ」 「ああ」 「望むようにはあれぬよ」 「ああ」 「お前の、申すなりに生きることなど出来ぬ。…望まぬし、望まれても応とは言えぬ。そんなお前であらば恨むしかない」 「ああ、分かっている」 「だが、晴明」 腕に触れた温もりは彼のものだ。求め焦がれた博雅の熱。 唇に触れる。 「それでも、どれほど無体を言うたとしても、それが晴明であるなら…お前の求めであるのなら…」 ――――――応えてやりたいと、俺は願うてしまうのだよ。 熱い手のひらが彼の頬を撫でる。博雅の指に絡められた己の指が、そっと、彼の頬を這う。溶け始めた眼差しが見詰める。 誘われるまま、歩む足取りは黄泉へと堕るそれのよう。 微笑むきみは、だから修羅へと化した妖しの瞳で。 導く。 |
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