BUG & BOM ! バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 4 「いっ一大事でございますっ」 駆け込んできた年若い女房に貫之が眉を寄せる。 「何事だ。人払いをしてあったろう」 「申し訳ござりませぬ、ですがお客様が、とっ殿ににょっ、にょっ、にょぉぉぉ」 「にょ?なんなのだ一体、落ち着いて話しなさい」 「は、殿にっ殿にご面会賜りたいと、にょっ女人のお客人がっ」 シーン、と静まり返る。 「なっなっなにーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」 貫之の絶叫と俊宏が立ち上がるのは同時だった。ついでに八重は座ったまま気をやり、清子は派手な物音を立て後ろへひっくり返った。 「とととと、殿にっ殿に女人の客となっ」 「誰だ、まさか歯の抜けた嫗だなどと申すまいなっ」 慌てて女房に詰め寄る貫之の顔を掌でグキリと背けると、俊宏は噛み付くような勢いで尋ねた。元服の時より顔が変わらぬと言われている彼だが博雅に関することになるとその眼光の鋭さは凄まじい。聞かれた女房は身を竦ませながら蚊の鳴くような声で答えた。 「それが、それが実にお美しいお方でございます。藤の花の香りのする、なんともお美しい姫君であられます」 「姫?身分は?こんな夜更けに訪ねてくるとは尋常ではない、妖しのものではないか?またはただの使いではあるまいな」 「それが、殿とのお約束の刻限になっても一向に参られぬのを心配し、取るものもとりあえず参上いたしましたと。それはそれは涼やかなお声で申し上げておられますので」 「博雅様、本日は町口へ行かれると仰せでございましたね。どういうことです」 「どう、とは…」 それまでポカーンと口を開け、成り行きを見ていただけの博雅は急に俊宏に睨まれどうしていいのか分からない。 今日は確かに晴明と約束をしていた。他の約束などなかったから、もしかしたら晴明の使いではないのだろうか。でもそれなら先ほどのように蜜虫が現れ、家の者の気付かぬうち思念だけで用件を伝えていくはずである。 俊宏の無言の圧力にフルフルと首を振ると、彼は意を決したように女房を振り返りその姫を通すように言いつけた。 「仮に"博雅"という名の間違えで訪ねられた姫であっても、ここで会ったが百年目。逃すまいぞ」 「とっ俊宏?」 「天晴れ、さすがは俊宏じゃ」 ジタバタと起き上がれない亀のようにひっくり返ったまま手足を振り回す清子が叫ぶ。その声で漸く我に返ったのか、八重は清子の腕を掴むと顔を真っ赤にしながら引っ張り起こした。細い八重に同情しつつ手伝わない辺りが博雅らしさであろう。 程なく目通りの叶う部屋へ押し込められた博雅は、どちらが姫か分からぬ有様で御簾の中に蹴り込まれた。いいと言うまで声を上げてはなりませんよと、いつもの調子で言い含められ思わず頷いてしまう。 両脇には八重と清子が座し、これでは逃げ出そうにも無理である。二人は既に生まれてくる子供の名付けにまで話を及ばせていた。 さやさやと衣擦れの音が近付く。 藤の花の香りがする。 これは…もしや。 博雅が顔を上げると、果たしてそこに現れたのは間違いなく蜜虫であった。 御簾の前に座した俊宏が、美しい姫に席を定めるよう勧めている。 その場の誰もが目を見開く美しさを持った姫であった。藤の重ねを上品に纏い、奥ゆかしく結んだ唇は艶々と輝き薄く微笑んだそれが益々彼女の美を際立たせているようだった。 俊宏をはじめとするその場の全員が"GO"サインを出したのは言うまでもない。 「このような夜更けにあなたのような女人が何故お一人で参られたのですか」 「はい。私、ただただこちらへ参らねばと、ただその思いのみで牛車に揺られておりましたので、今こうしてここにおりますことをまことに恥ずかしく、恐ろしくも思うのですが…その思いとは裏腹に、ただ、ただ博雅様のお顔を拝見仕りたい、ご無事をお確かめしたいと…ああっ」 袖に隠れた指先で顔を覆う。微かに震えた様がなんとも哀れで、そしてなんとも健気に見えた。博雅以外。 「なにを言うておるのだ、蜜虫は」 「殿っ、めっ」 叱られた。 「失礼ですが、あなた様のお名をお聞かせ願いませぬか」 「はい。兄には申し訳なきことと存知まするが、ここにこうしております以上、何もかもお話せねばなりませぬ。その覚悟は出来ております」 兄?いや、なに? 一人ボケで、しかも心の中で呟いたのでは誰も笑ってはくれない。しかし博雅は首を傾げるしかなく、二人の女房と一緒になってその"覚悟"とやらを聞くため身を乗り出した。 「実は、私の兄は…私に取りましては異母兄となりますが、土御門に屋敷を構えます陰陽師、安倍晴明でございます」 「なにーーーーーーーーーーーっ」 「これ殿っ、めっ、しっ」 二人がかりで頭を叩かれた。従四位の面目はまるでない。 「安部殿に妹御がおられましたとは」 「兄は優しい方です。ご自身の職務を鑑み、私の身に迫る危機を慮り内密にしてくださっているのですわ」 「確かに、あなたには失礼だが安倍殿の評判はあまり…陰陽師というご立派なお勤めのこととはいえ、それはさぞお辛いことでしょう」 「はい。幼い頃より私を本当に可愛がってくださいました兄は、今も何くれとなく私の世話をしてくださっておられるのです」 「それはご兄妹仲睦まじく、素晴らしいことでございますな」 ありがとうございます、と蜜虫は深々と頭を下げる。博雅の中にはハテナマークが行列になって行進している。 「して、その妹御がなぜかような時刻に我が殿をお訪ねなさるのか」 「それは…」 さらり、と視線が投げられる。 その色香に蜜虫を見知った博雅でさえドキリとした。俊宏も心の中で大きく頷く。 しかし当の博雅はその違和感に気付いていた。蜜虫は心根の優しい、いい女である。博雅のことをとても大切にしてくれる。けれど彼女は所詮式なのだ。その表情に感情を織り交ぜることは本来無理だと晴明が言っていたのを覚えている。いつでも微笑む蜜虫に、嫌なことがあればそう申してもよいと言った時、彼が教えてくれたことなのだが。 だが、今の目。あの流れるように注がれる目には覚えがある。いつどこで見たのか、思い出せずもどかしいが、自分は確かにあれを知っているような気がする。いや、気だけではない、知っているのだ。 …でも、どこで? 「私…ああ、申し上げてよろしいのでしょうか。私の口からそのようなこと…」 「構わぬ。殿もそこにおられるゆえ、お話しくだされ」 勝手なことを言っている、という認識はその場の誰にもない。最早博雅は源家のおこちゃまでしかないのだ。朝暮の膳には旗が立っている始末である。 「私は…私と博雅様は、三つ前の望月の夜に、堅く行く末を誓い合った仲なのですわ」 なっなっなっ なにーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ 今度は博雅がひっくり返る番だった。
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