BUG & BOM ! バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 5 八重と清子に抱き起こされて、一瞬彼岸の彼方へ飛び立っていた博雅も漸く現の世界へと戻ってきた。だが戻ったところで状況に変わりはなく、蜜虫の顔をした女はいまや独壇場と化した室内でうっとり自己陶酔に浸りながら"堅い誓い"を語っている。 「初めてお逢いしましたのは、私が兄の屋敷に届けものをしたときのことでございます。博雅様は私を見ると、それはそれはお優しく微笑まれこう仰られたのですわ。"晴明にこのような美しい妹がおるとは。なぜにもっと早く知らせてくれなかったのか"、と」 博雅は思う。"もっともなにも、いま知ったぞその事実" 混乱していた。式だと思っていた蜜虫が晴明の妹だなんて信じられない。彼女は博雅の前で消えたことがあるし、物の怪に我が身を呈し守ってくれたことすらある。だから式神であることに間違いはないはずだが、かといってこれほど突拍子もないことを突然言い出す理由も分からない。 はっ! もしかして。 「私、一目で博雅様に魅了されてしまいましたの。身分違いということは重々承知いたしておりました。ですから博雅様のお側にお仕え出来るだけでもいい。そう幾度も兄にお願いいたしました。けれどいつでも兄はつれないお返事ばかり。お立場を考え、私もそれ以上なにも言うことができず苦しい思いだけを抱えておりました」 はらはらと涙を零し、よよと泣き崩れる。八重はもらい泣きをし、清子は博雅の肩をむんずと掴んだ。痛い。 「そんな折、博雅様がお越しになられているところに丁度私が参りましたのは、三月前の望月の夜だったのでございます」 そうか。博雅は痛む肩をモジモジさせながら頷いた。 蜜虫という妹がいるのは事実なのだ。そしてこれはその妹に違いない。晴明は自分にも妹の存在を隠し、可愛いその妹の姿を映した式を身近に置いていたのだ! なんと勘のよい。博雅は自分の頭を自分で撫でたいが清子がいて腕も動かせない。 「博雅様は仰いました。美しき月をすらりと示され、私にこう仰られたのです。愛しいあなたに、あの月を差し上げましょう。欠ける時も満る時も、片時もあなたから離れぬあの月をあなたに」 うっとり 貫之などは細めた目でその情景でも想像しているのか、薄ら寒い微笑で宙に視線を飛ばしている。 「勿体無いお言葉ですわ。私、嬉しくて…嬉しいけれど、どうすればよいのか分からずただ震えておりました。ええ、震えておりましたのよ」 言いながら本当に震えている。両手は胸の前でクロスし、純粋培養の姫君ぶりをアピールしているかのようだ。 「私は本当に身分もなにもなく、ただ生涯を博雅様のお姿を目に留められればいいと思っておりました。けれどそのようなお言葉を頂き心が揺れ動いたのでございます。激しく揺さぶられ、どうにも抑え切れなくなったのですわっ」 ああっと今度は顔を手で覆う。忙しい人だ。 「ですから今宵、私の気持ちをついにお話し申し上げる覚悟で兄の屋敷に参りました。博雅様も、心待ちにして下っていると聞き、勇気を振り絞り参ったのでございます。ところが待てども待てども博雅様はお越しにならず、私の不安は年経た羅生門の如く激しく軋みを上げ始めたのでございます!」 キーッ、と、袂を噛み締める。 「このようにして、兄の止めるのも聞かず私はここまで参ったのでございます。ご迷惑と承知で、けれど一目そのお顔を拝見仕るまでは帰ることも出来ぬと…諦めることも出来ぬと…ううっ…うううっ…」 「ああ、泣かないでくだされ姫よ」 俊宏が、厳しい表情で蜜虫を抱き起こす。なにかの決意に燃えた瞳でじっと彼女を見詰めている。 「諦めてしまわれるのですか」 「…は、いえ…ですが…」 「あなたはそこまで殿のことを思ってくださるのに…殿から頂いた月があるのに、諦めてしまわれると言うのですか」 月を…やっただろうか。蜜虫に。あれはどちらかというと晴明が俺にくれたという風情だったぞ?それにあの時確かにこの顔の女はいたが、黙って酌をしてくれたのは式の蜜虫だとばかり思っていた。 博雅は唯一自由になる首を傾げることで疑問を表現してみた。例により誰も見てはいなかったが。 「ですが、私はしがない陰陽師の妹。博雅様のお側に仕えるが精一杯の贅沢にございまする」 「それはあなたが"今のあなた"であるならばのこと。然るべき家柄の養女となり、恥ずかしくないお支度を整えられれば世間のしがない目も隠し遂せることでございましょう」 「そんなっ、そのようなことがっ」 博雅の首の角度が大きくなる。 待て。待て待て。蜜虫が式か、まこと晴明の妹であるかは判じられぬが話が飛躍しすぎていないか?こんな夜更けに身に覚えのないラブロマンスを語られ、然るべき家柄の養女になるところまで進むのはいかに俊宏といえど乱暴すぎるような気がする。 式か人間か判じきれぬ博雅に、その時点でもの申す資格は潰えている。ということも誰も教えてはくれない。 「では私…私は博雅様のお側におられますの?お許しいただけますの?」 「勿論。我が方としては直ちにお迎えしたいと思います」 「ああ、嬉しい。私しかとお勤めいたします。どのような仕事でもお引き受けいたしますわっ」 「姫に勤めがあるとするなら、この源家を存続させる、健やかなおややをご出産なされることですよ」 「まあっ」 まあ。 博雅の首は完全に肩に乗った。ついでにパタリと倒れこむ。 つっかえ棒になっていた清子は、たまらず御簾の外に飛び出し間近で見る蜜虫の美しさにおいおいと声を上げて泣いていた。八重はその反対側で博雅の亡き両親に一心不乱に祈っている。 なんだろう。 今なにか恐ろしいことを耳にしたような気がする。 気のせいかなー? 「殿、おめでとうござりまする」 「おめでとうござりまする」 貫之と俊宏が、交互に言って頭を下げる。倒れたままの博雅は、御簾の外の光景にどういう反応も返せずただ呆然としていた。 いや、呆然と言うのはかなりの意識が作用している状態だろう。今の博雅は本当にボーっとしているだけだった。言葉の一つ、思いの一つも浮かばずはしゃぐ家人の姿を眺めているに過ぎないのだ。 なんだろう。えーっと。なにがどうなったんだっけ? 「俊宏」 「はい」 「晴明に姫を紹介する話はどうなったのだ?」 「そんなものは忘れてください。これより博雅様は大変お忙しくなられますので、益々町口にはお出向きになられませんなぁ」 「そうなのか?」 「当たり前でしょう。婚儀が整うまで何かと慌しくなりますが、ご自身のことですからしっかりとお心をお定めください」 「はあ」 「殿、お気張りやす」 「お気張りやして」 二人の女にも励まされる。そしてその二人の女に囲まれた蜜虫は、あの妖艶な笑みを御簾の中の博雅に向け投げかけていた。 ニッコリ。 というか、ニタリ。 「これ」 「なんです?」 「俊宏ではない。これ、蜜虫よ。お前は蜜虫であろう?」 「はい、博雅様」 「みつむし?それはまた変わったお名であるな」 貫之が呟く。 「"諱(いみな)"…でござりましょう。どうせ殿しか知りえぬものです、問題ありません」 身分が低いとやたら連呼していた女に、高貴な者のみが持つ諱などあるはずがない。俊宏は、所詮陰陽師などを生み出す家の付けた名など名乗らせるつもりは毛頭ない。通り名は適当に、聞こえの良いものを宛がってしまえばそれでいいのだ。バカボンのパパなのだ。 「バガボンドってマンガは…絶対、バカボンの関係書籍だと思う」 博雅の呟きはとても虚しくその場に転がった。
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