BUG & BOM ! バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 6 博雅のもとに押し入ってきた時と同じように、ワアワア騒ぎながら家人たちが出て行く。みな口々に"めでたい"、"忙しい"と喚きながらこんな真夜中に家中の者を起こす勢いでバタバタと走り回っているらしい。 倒れたままその音を聞いている博雅は、御簾の外に座したままじっと自分を見ている蜜虫をぼんやりと眺めていた。 蜜虫だ。何度見ても彼女は蜜虫に違いない。 俺は蜜虫と結婚するのか?いや、蜜虫の顔をした晴明の妹だった。だがそんな急な話に納得していいものか。第一、晴明のところで会った蜜虫は式だったはずだし、何より先ほどこの娘の語った"ラブストーリー"は一切覚えのないものだ。月は、誰のものでもなく中天で美しく輝いているではないか。 はてなマークの飛び交う頭の中で、それでも博雅は考えた。彼にしては的を射た内容だったが所詮全てが疑問系でしかないのが悲しい。 うーん、と唸っていると何かの気配が動いた。顔を上げると女の姿が近くなっている。そしてあれよあれよという間に御簾の中に入ってくると、博雅の体をぐいと引っ張り起こしてくれた。 「しっかりしろ」 「ああ、すまん。………は?」 「まったく、お前というヤツはどうして自分の家来のいいように扱われたまま黙っているのだ」 「いや、別にいいように扱われているつもりはないのだが…」 返事をしてから考える。ありゃりゃ? 「お前は…まこと蜜虫なのか」 「バカ」 「バカとは、分からぬから聞いたというのに」 「そうか、分からぬか」 「分からぬ。晴明の妹の話など聞いたことがなかったし、将来を誓った覚えもないのだ」 蜜虫がまたニヤリと笑う。品のない微笑が女の口元に浮かぶのを見て、博雅はふと気が付いた。この笑い、自分はよく見知っている。 「…晴明…」 「おう」 晴明の、笑み。 なにか悪戯をしでかした時の、彼の。 「お前…晴明か」 「漸く分かったか」 「本当に晴明なのか。蜜虫ではなく、晴明の妹ではなく、安倍晴明本人なのか」 「俺が俺だと言うたら俺だ」 美しい女のまま、蜜虫の声のまま、言って胡座をかくと横柄な態度で博雅の肩を叩いた。 「お前が余りに遅いから様子を窺いにきたのだ。心配したぞ」 「様子をって、お前これはどうなっているのだ?蜜虫はどうなった」 「あれに憑いておるのよ。俺本体は表に停めた車の中だ」 「はあ?」 さらりととんでもないことを言い除けた晴明に言葉を失う博雅は、首を伸ばして見えもしない牛車と目の前の蜜虫晴明を交互に見遣った。 「本当に晴明なのか」 「ああ、俺だよ」 「晴明の妹ではないのだな」 「俺に妹はおらぬ」 「ただ俺の様子を探るため、蜜虫に憑依したと申すのだな」 「心配だったのだ」 ケロリと言い放つ。 「いくら待ってもやって来ぬから、いても立ってもいられなくなった。どうせ俺の元へ出向くのを止められているのだろうと思ったが、様子を見にやった蜜虫がお前が俺に会うのを拒んでいるなどと申すからな。どういうことかと確かめにきたのだよ」 「それはな、お前にとっては大きな世話にしかならぬ話をせよと皆から責められ困り果てていたからだ」 どうにか状況を掴み始めた博雅がきちんと座り直すと、蜜虫晴明は彼ににじり寄りその手を取った。最早我が物顔の振る舞いだが博雅は気付かない。再開を喜んでいるのだろうと、その程度にしか思わない。 「なにを言われた」 「それがな、俺がお前の元にばかり通って結婚をせぬから、それなら先にお前に姫をあてがい俺と疎遠にする計画だったのだよ」 「なんとっ」 「家令頭の姪御が丁度よいだろうという話に纏まったらしく、俺にその姫を勧めろとしつこく言われ、そんなことを言いに行くのは嫌だと揉めておったのだ」 「それで俺の屋敷に向かうのは嫌だと申したのか。蜜虫はそこだけを聞いてきたのだな」 博雅の、握った指をナデナデしながら呟く。俊宏め、本当に出来すぎの随身よ。 不穏な光を浮かべる蜜虫晴明に気付かず、博雅は暢気に溜息をついた。肩の力が抜けたようである。 「いやよかった。俺はお前にそのようなことを言うのは嫌だったのだ。晴明はなにものからも自由であるから、もし婚儀がまことのことであったとしてもそれが俺の、いや他人の仕向けたことであるなど決してあってはならんと思うていたのだ」 「案ずるな。俺が誰かを伴侶として迎えるならば、それはお前以外にはおらぬからな」 「ん?」 「いや、なんでもない」 低く呟いたので彼の耳には入っていない言葉を心の中で繰り返す。 ふふん。俊宏め、今ごろ俺を出し抜いたと思うておるのだろうな。いや、俺の妹の話を信じたのなら、まんまと謀られたことも知らず浮かれておるのだろうよ。 いい気味だ。ニヤリと流し目をいまだ騒がしい外に向け、それから博雅を振り返り微笑みかけた。 「しかし、これで俺とお前のことをとやかく言うやつがいなくなるな」 「どういうことだ」 「博雅、お前はこの状況を理解しておらぬのか。いいか、たった今、俺とお前の婚儀が決まったのだぞ」 「なにを言うか。蜜虫はやはり式の蜜虫であったのではないか。第一、お前が適当に作り上げた話だぞ。まったく人騒がせなことをしおって、見よ、どうするのだ俊宏たちのあの騒ぎよう」 屋敷の中はバタバタと人の走る気配が続いている。仮に本当に結婚が決まったとしてもこんな夜中に騒ぎ立ててなにをするというのだか、博雅には皆目見当もつかぬが彼らが喜んでいることだけは分かるので、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。 握った指を自分の指で撫で擦りながら、蜜虫晴明はこれからのことを算段する。 「困ったな、これは晴明の悪戯だったなどと言えばお前への目が更に厳しくなるぞ。どうするのだ、たださえ信用のない俺が益々悪名高くなった陰陽師の元へなど通わせてもらえるはずもない」 「なに、案ずるな。これはこのまま進めることとしよう」 「進める?なにを」 「婚儀をだ」 「婚儀を?どういうことだ」 「お前と蜜虫は晴れて処顕しを迎えるのよ」 「バカを申せ。蜜虫は式ではないか」 「いや、俺の妹だ」 「いないと言い切ったその口で今度はいると言うのか」 「妹はおらぬ。だがお前と婚儀を執り行う蜜虫は、ここにほれ、ちゃんと存在しておるよ」 ひょい、と右手で自分を指差す。左手は博雅の指を握っている。 「……………なんだ、それは」 「だから、お前はこの蜜虫と餅を飲むのだ」 「…なぜ」 「なぜもなにも、結婚は決まっただろう」 「決まってない。お前がした冗談ではないか。どうする、あれほど浮かれておるものどもに"晴明が仕組んだ冗談でした"などと、俺は恐ろしくて言えぬぞ」 「だから、冗談などではなくまことのこととするのだ。さすれば博雅、お前は俺の元へ来ることを誰にも咎められずに済むぞ」 「どういうことだ?お前の言うことは難しすぎる」 「なに、簡単なことだ。みなを謀るのよ」 「謀る?」 「ああ。よいか、家人には蜜虫を俺の妹と思わせたまま婚儀を済ませるのだ。どこぞの養子になどと申しておったがその手配は俺がしよう。適当に藤原の姫にでも仕立て上げ、お前とは晴れて夫婦の契りを交わす。すると当然、お前は妻の下へ通うようになるのだが、この妹が晴明の屋敷で暮らすこととなれば、夫のお前は当然俺の屋敷へ赴くことになる」 「藤原の姫になるなら、その屋に暮らすのではないか?いや、俊宏の勢いではこのままここへ留め置くことも辞さないぞ」 「そこはなんとでも言い逃れるさ。方角が悪い、大切な妹を身分違いの家に嫁がせるならせめて妻として世間が認めるようになるまで我が屋敷に留めたいなどな」 「そううまくいくものか。第一俺が結婚するという事態はどうしてくれる。俺はお前を妻に持つことになるのだ、そんなバカな話があるものか」 「俺が妻では嫌か」 「そういう話をしているのではない」 「博雅、いい機会だから尋ねるが…」 握った指を力任せに握り締め、蜜虫晴明はぐいと顔を近寄せた。 藤の香りが清々しい。 「お前、俺が好きか」 「好きだ」 アッサリ。 「そう言い切られるとなにやら嬉しい感じがせぬな」 「なぜだ?俺はお前が好きだぞ、でなければ酒を飲むためだけに通ったりはせぬ」 「…酒を飲むため"だけ"に通っていたのか…」 いくらかショックで握った力が緩む。 「嫌いなものと飲んでも美味くはない。酒は晴明と飲むのが一番美味い。これは大して美味くないと思う酒であっても、お前と飲むと格別の味になるぞ」 「博雅…」 ジーン 「晴明」 「博雅」 「晴明」 「ひろましゃあ」 「殿。博雅様」 感動に打ち震える蜜虫晴明が、段々と博雅に顔を寄せていった。彼に感化されなんとなく嬉しげな心持で大人しくしていた博雅の唇まであと少し!というところで声がかかる。 「殿、今宵はもう刻限も大分遅うございます。姫には別室にてお休みいただいて、また明日にでも目通りいただくということで」 御簾の外では俊宏が目を輝かせている。幼い幼いと思ってきた博雅がきちんと男女の晦日ごとに目覚めていたことが嬉しくてならないのだ。 本当は留め立てしないでやりたいが、一応外聞を考え今夜は抑えていただこう。 多分、一生抑えてもらった方がいいのかもしれないという事実を、出来すぎの随身はこのとき知る由もなかったのだ。 なぜ知る由もなかったか知る由もなかったが、とにかく俊宏は最後のところで詰めの甘さを露呈した。 相手は陰陽師、安倍晴明。一筋縄ではいかないことなど、疾うに知れたことだったのに! さあどうなる、博雅!
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