BUG & BOM ! バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 7 『なにもしないから放っておいてくれ!』 とは、蜜虫の姿では言うことも出来ず、仕方なしに自分の体へ意識を戻した晴明は一人屋敷に戻っていた。置き去りにした蜜虫はなんとかうまくやるだろう、朝になったら戻って来いと言い含めておいたので彼女なら卒なくこなしてくるはずだ。 さて忙しくなった。 晴明には蜜虫などという妹はいないどころか、その存在は式なのだ。それをどこぞの姫に据え源家との婚儀を済まさねばならないというのはさすがに骨の折れることだ。 まず俊宏の勢いであれば、確定した話として持ってくるに違いない。その前にこちらの都合のいいように事を運んでおかねばならないので、こちらも寝ているヒマなどなさそうだ。 「取り敢えず蜜虫の養子先だな。さて誰に押し付けようか…」 自室の設えに目をやりながら考える。 晴明は藤原忠平に目を掛けられ、その後には息子の師輔に何くれとなく世話になっている。"なっている"というより彼から持ちかけられる相談に乗ってやっていることから、顧問弁護士とパトロンのような関係といえば早いだろう。師輔にはかなりの瑞兆を頻繁に感じる、彼はいずれとんでもない大物を生み出すはずだから付き合っておいて損はない。 そうだ、つい先日の呪詛の件。 師輔の具合が悪くなったと呼び出され、あれこれ調べていたらなんの事はない一度手をつけた女に恨まれ丑の刻参りを受けていたのだ。女の方の執念は殆ど手切れ金を寄越せ!程度のものだったので、両者の間でうまく立ち回り事なきを得た晴明は、ついでに師輔の弱みを手に入れた状態となりここ暫く懐も暖かかった。 "あるところから、ないところへ" それが晴明の持論である。師輔のように有り余る財を抱えているところからならいくら搾取しても構わない。特に貧しい暮らしをしている訳ではないし、頂くといっても必要以上を求めるわけではない。博雅と飲む酒に値の張るものを要求する程度だから、実にかわいらしく奥ゆかしいではないか。とさえ彼は思っていた。 見渡す室内にある調度は、だから藤原家からの頂きものが多い。 晴明の頭に電球が浮かぶ。…だからエジソンは生まれてないって! 「そうか、師輔が出てきたとなっては俊宏如きの太刀打ちできる相手ではあるまいよ」 ニヤリ。唇の端が吊り上り、美貌が壮絶なまでの笑みを浮かべる。 哀れな俊宏。そして博雅。 敵に回すにはあまりに大きすぎた相手の存在を思い知るのはあと少しのことだ。 手を鳴らし式を呼ぶ。 昨日の蟷螂がご丁寧に鎌を持って現れた。 「お前、人形となっておるのだ。鎌は放しなさい」 「恐れながら、これがないとバランスが取れぬのでございます」 「女装束に鎌など、それでは使いに出せぬではないか。よい、お前は家の中のことをしなさい。常葉をこれへ」 「はい」 式も甘やかすとろくなことをせぬな。 自分は棚の上に置き忘れたままの晴明だ。 程なく現れた常葉に師輔に宛てた文を持たせ使いにやると、今度は部屋の中を見回し考える。新婚夫婦の部屋を仕立てねばならない。 「俊宏の目を躱すには本格的にせねばならぬな。女物の支度などは師輔殿にしていただくとして…ふむ、俺は本格的に夫婦の部屋を設えねばなるまいよ」 なにせ愛する博雅を迎えるのだ。相応の支度をせねばなるまい。 なんといってもまずは塗り籠だ。これまで晴明は眠くなったらどこででも横になっていたので、几帳で囲まれた中に薄縁が敷いてあればそれで済んだ。けれどあれで博雅は高貴な生まれだ、自分の寝姿を人に晒すようなことを嫌っている。いつだったか酔って濡れ縁に眠ってしまった彼に薄物をかけてやりそのまま寝顔を眺めていたのだが、目を覚ました後大分しつこく叱られたのだ。 「そういうシャイなところがまた可愛いのだが」 ふふふと笑いながら顎に手をやる晴明は、博雅が言った通りなぜ叱られたか分かってはいない。彼は眠る博雅の頭から勝手に烏帽子を外した。寝苦しいだろうと思ったからだが本来帽子を取ることは官位を失うことにもなりかねぬ大事だ。それに加え博雅自身も帽子や冠を外すことを極端に嫌う。 そのときも"烏帽子を取るなら単で内裏をうろついた方がマシだ!"と叫んでいた。更に晴明は烏帽子を取った博雅の寝顔を、これ以上ないほどの至近距離で見詰めていたのだから怒られても当然だが、また"怒った顔もラブリー"としか考えていなかったためその怒りも博雅のプンスカ振り上げた拳の分だけ無駄に終わった。 では塗り籠をなんとかしようと思いつつ、寝所と定める部屋を物色することにした。 が。 「…主の俺が母屋にいるのだから、妹は北にせねばならぬか」 複雑だ。蜜虫は師輔縁の姫となるのだから身分的には晴明より上になる。だが妹なのは確かだし、ここにいるなら北の対でいいだろう。けれど通ってくるのは博雅で、これまた自分よりうーんと上に位置する殿上人。 身分違いの婚儀とはかくも面倒なものか。自分で考えついた悪事のくせに、なんだよもぅなどと爪を噛み始める晴明は、自らを棚の上に乗せすぎて最早爪先立ちくらいでは取ることの出来ない状態にしている。 「かといって俺が北に移るのもおかしなものだし…まあいいか、博雅が来る夜は北で眠ると決めればそれで問題はない。すると北の対に塗り籠を新調せねばならぬな」 ウッキウキで歩き出す晴明の頭の中には、春より暖かな世界が繰り広げられている。 『晴明…恥ずかしい』 『案ずるな。お前はみな俺に任せて、目を閉じていればよいのだよ』 『目を閉じて…晴明はなにをするのだ?』 『ふふ、分からぬか?さても深窓の姫君の如く初々しい我が妻よ』 『いや、やめよ。怖いぞ晴明』 『怖くはない。俺たちは夫婦になったのだからな、当然の務めを致すまで』 『な、なにを致すのだ?』 『愛し合うのだよ』 『愛し合う?それは怖いことではないのか?』 『怖くなどないと申したであろう。さあ博雅、目を閉じなさい。俺がお前を夢の国へと誘おう』 『晴明…優しくして』 『優しくするさ。優しくな』 「…やさしく…」 「――――の、とのっ!殿!晴明様っ」 ビクッと目を開くと、目前に笑ったまま怒りマークをデコに貼り付けた蜜虫が座していた。 「なんだ蜜虫、よいところであったのに」 「どのようなところであられますか。晴明様、蜜虫は生きた心地がいたしませんでした」 「ふむ。お前にはあらぬ方へ話が進んでおるだろうがそれは俺も同じこと。まあこのようなこととなったのだ、腹をくくり務めてくれ」 「殿はまことに、私と博雅様を結婚させるおつもりでございますか」 「バカを申すな。あれの夫は俺だけだ」 「…そういうことを申し上げたのではなく…」 大体、どうして男の博雅が晴明の元に嫁ぐものか。その辺りは全て吹っ飛ばしているのだろうな、と蜜虫とて分かってはいたが敢えて口にされると本当に脱力する。 「今朝ほどお暇いたしますとき博雅様にお目通りいたしましたが、なにやら大変困惑なされたご様子でした。殿のことゆえまさか冗談ではあろうと仰せにございましたが…」 「冗談で婚儀など決めるものか。蜜虫、お前は師輔の血筋であるが、鄙(ひな/いなか)ものである姫ということになる。大方師輔が手をつけた女房に産ませたものと誰もが勝手に解釈するであろう。間もなく返事も参るだろうから、お前にはそのつもりでおるように」 「右大臣様にまで話が及んでおられまするか。確かに冗談事ではござりませぬ」 「俺を蔑ろにした罪は重いと、俊宏に思い知らせてくれるのだ」 「はあ、ですが博雅様にはなんと」 「あれはテンポが遅い。話に加えていては事が進まぬゆえな、片付いてから話してやるのでお前が案ずることはない」 自分の結婚に口出しできないのはこの時代の姫であれば当然のことだ。だが博雅は女ではないし、晴明のしたことは彼の方こそ蔑ろにしていると言えるのではないか。 「博雅様も、心労の絶えぬことでございます」 「なに、すぐバラ色に染めてやる」 美しく咲くが、所詮散るのが花です。 藤花の精霊として蜜虫は大きく溜息をついた。 止まらない。もうこの人は止まらないのだ。それなら蜜虫に出来るのは、彼を見守り助けることしかない。あくまで式である身をこの時ほど悲しく思ったことはない蜜虫であった。 「殿、常葉が戻りました」 「おお、もう戻ったか。首尾はどうであったかな」 やっぱりウキウキの主人を、蜜虫と、知らせに現れた蟷螂の二人が見送る。 「殿はなにやらゴキゲンでございますな」 「お前、蟷螂、鎌を振り回すのはおやめ」 「ですがこれがないとバランスが取れぬのです」 びむっびむっ と空を切る鎌を避けながら蜜虫は再度溜息をついた。 「博雅様…」 朝の光が蜜虫を照らす。なにやら目頭が熱いのはきっとその所為だわ、と蜜虫は自らに言い聞かせる。 鎌の音は暫く止まなかった。
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