BUG & BOM !  バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 8

 

 

 

 

 

人間、一つ弱みを握られると後はなし崩しになっていくものだがその生き見本が藤原師輔、現右大臣であろう。

彼は建前上フリーである晴明を陰ながら支えるものの一人である。晴明の絶大なる陰陽師としての力は、味方につけておかねば恐ろしい。勿論、彼には人の世に深く関わるつもりなど毛頭ないが周囲の人間はそうは思わない。

師輔は、なにかにつけて晴明に有利に働くよう立ち回ってくれるが、このほど女の呪詛を受けて病に倒れた時の恩義をまだ還せずにいたのでこの話はまさに渡りに船だった。晴明の望みを聞き入れ、借りは常にプラスマイナスゼロにしておかねばなにをされるか分かったものではない。

そんな師輔の哀れな様など微塵も知らず…いや、知っているが当然だと思っている晴明は彼からの承諾を得てニヤニヤと腕を組んだ。

知らせがあってからすぐに博雅の元に使いをやった。蜜虫の養子先は師輔を挟み右大臣家縁の姫として整えたからあとは全てこの晴明に任せろと伝えたが、その使いとともにやってきたのは俊宏だった。幾分蒼褪めた彼は晴明を見ると憎々しげに睨んできたが後の祭りだ。しかも彼にも後ろめたさがある。立ち消えたとはいえ晴明に適当な女をあてがい、博雅から遠ざけようとしたのだ。よもやばれているとは思わずとも、根が正直で真っ直ぐな彼には確かに居たたまれないものがある。

晴明相手に感じる罪悪感など、哀れなのは余程俊宏の方だと知っているのは式くらいのものだ。

 

 「姫のご養子先は、事実上右大臣家ということになられたとか。まことにおめでとうございます」

 「いや俺とて可愛い妹の行く末を案じておったからなぁ。今まで隠しに隠しぬいてきたが、博雅と恋仲になったとあらば何とかしてやりたいと気を揉んでいたところよ」

 「しかし安倍殿に妹御がおられたとは初耳でございました。しかもかように美しき姫とは、失礼ながらいささか信じがたき心地がいたしました」

 「狐の妹はまた狐…とでも思うていたか」

ニヤァ

唇を歪めた笑いに俊宏の背が凍りつく。この漢、一筋縄で行かないのは重々承知しているがそれにしても恐ろしい顔をする。ここまで来て今更婚儀をなかったことにも出来ず俊宏としては早計だったか?と思わずにいられぬが、こうなれば背に腹は変えられぬ。

マリア様じゃあるまいし、いつまでも純潔を保たれていても困るのだ。博雅とて一家の主としての務めを立派に果たしてもらわねば一族の存亡が危うい。

やきもきと、あらゆる手を尽くしてきた家臣一同思わぬところで博雅本人が好いた姫をゲットしたのだ、反対する謂れは微塵もない。

晴明の妹という点を除けば蜜虫に何ら遜色はない。しかも右大臣縁の姫ともなれば体裁が整うどころか願ってもない縁組だ。"一苦しいニ"として主上よりも優れたものといわれる右大臣が中に入ってくれるのなら、この気味の悪い陰陽師が相手であってもやはり逃せぬ姫には違いない。

 「して、姫におかれてはいかがお過ごしであられますか」

 「おお、隣に控えておる。きみが来たと聞き可愛らしくもやきもきしていたからな」

どれ呼んでこようと立ち上がり、晴明は俊宏から見えない位置で吹き出した。

 「バカめ。俺を陥れようとした報い、今こそ受けるがいいさ」

なんの恨みがどうして俊宏に対しそこまで募るか。

いや、恨みなど特にない。博雅との間を邪魔はするが、俊宏は俊宏の務めを果たしていることくらい晴明にも分かっている。

ヒマなのだ。要は。

晴明は博雅のいない時間にヒマを持て余し、そして彼のことが愛しすぎてどうにもならないのだ。側におき常に眺めていたい、あの笑顔で名を呼んで欲しい、そういう純粋すぎる思いが逆に彼を危険な思考へと駆り立てているに過ぎないのだ。

過ぎないのだ、って、これほど迷惑な話はないが。

蜜虫に目で合図すると、彼女は両の掌を胸の前で合わせる。晴明が低く呪を唱える。

 

 

 「まあ、俊宏さま。昨夜は失礼をいたしました」

式によって運び込まれた几帳の後ろに座した蜜虫晴明が声をかけると、彼は明らかにホッとした顔で頭を下げた。

 「姫の思い、博雅様にも届きまして、無事婚儀を迎えられる運びとなりまする」

 「私、まだ夢を見ているようですわ。右大臣様のお声がかりで博雅様のお側におりましても恥ずかしくない身分を賜るなど…本当に…信じられない…」

 「姫、どうぞ涙をお堪え下さいませ。これは源、安倍両家に取りましてもまことにめでたきお話しでありまするぞ」

 「ええ、そうね。そうでした。泣いてはいけませんね」

エヘ

という感じの、可愛らしい笑いが俊宏の耳元にも届く。かわいい。この姫があの狐の妹などとは未だ信じられない。

ともかく彼女の身分も定まりあとは婚儀に付随する諸々を決めていけばよいのだが…

問題はすべてそこにあった。

 「しかし姫、先ほど伺いましたところ姫はこのお屋敷にお暮らしになられるとか」

 「はい。右大臣様におかれましては、私の処遇は兄にお任せになるとのことでしたの。養子のお話が整ったとはいえ今更どこぞに移り住むことも怖いと兄に申しましたら、それではここで暮らせばよいと仰っていただきその様に決めさせていただきました」

 「しかし、そうなると博雅様がこちらへお通いになられることになります」

 「いけませんか?」

 「いけない、ということはございませんが…」

まさか面と向かって"アンタの兄貴の血筋だってばれたら困る!"とは言えない。

 「やはり…やはり養子として藤原姓を名乗っても私が安倍の女であることは覆せぬ事実…ですがそれではあまりに兄上のご身分を…兄上を…なっ蔑ろに…」

ひっく、としゃくりあげながら俯く。慌てた俊宏は顔の前で手をパタパタ振りながら取り成すように声を上げる。

 「いいえ、いいえ姫様、そのようなことは決してございません。ございませんとも」

 「ですが私がここで暮らしては確かに外聞も悪いのでございましょう?」

 「それはまあそうですが、今更うちの殿に外聞を求められる方もそうはいらっしゃいません。あ、いやとにかく、その辺りのことは姫がお気に止まずとも、我々と安倍殿でお話を進めさせていただきますので」

 「私、博雅様ご同様に兄のことも大切に思っております。鄙暮らしにて都の作法など何も心得てはおりませぬので、暫くの間はこちらで、兄の下で色々と学ばせていただきたいと思っております」

 「ご立派なこお心構えでございます。俊宏、姫の御為に力を尽くさせていただく所存にございます」

 「心強いお言葉。博雅様もさぞや俊宏様をご信頼申し上げておられるのでしょうね」

 「姫、私は殿の随身でございます。その様に呼ばわられますと困ってしまいます」

 「まあ、ですが私のようなものが源家の信頼厚き殿方を見下すような物言いなど出来かねますわ」

本当に、心底"まあ"という気持ちを込めた物言いに俊宏の頬も緩む。いきなり右大臣の娘ほどの扱いになったのだ、愚か者であればなにを勘違いしたか突然威張り散らしたりもするだろう。ところがこの姫の純粋なこと、本当にあのいけ好かない陰陽師の妹などとは思えぬ嗜み深さではないか。

すっかり絆された俊宏はうんうんと頷くと深く手をつき答える。

 「姫におかれましては、我が殿の室となられるお方。どうぞ私のことも姫にお仕えする一の家臣とお思いくだされば、俊宏、それが身に余る幸せにございます」

 「勿論、勿論でございますわ。博雅様がまず頼まれます俊宏様でございますもの。私もきっとあなた様を一番に信頼申し上げまする」

 

カンッペキ

 

胸の中で晴明が呟く。ふふふ、俺もよくやるよなぁ。なんでこの俊宏如きに頼ったりするものか。お前は精々博雅の衣の穴でも塞いでおれ。と、そこまではさすがに考えはしなかったがそれに近いことは思った。

俊宏は、実に柴犬に似た顔立ちをしているから狐の晴明とは折り合いがつかぬのだろう。

多分。

 

 「それでは私、下がらせていただきます。兄がお話をしたいと申しておりましたので」

 「はい。それでは婚儀のことなど、本来姫にお聞かせすることではございませぬが、色々とお話などございましたら目通り叶えていただくこともございます。その折には、必ず俊宏が参りますので、お心安くしてお過ごしくださいませ」

 「承知いたしました」

互いに深々と頭を下げ、蜜虫晴明はさやさやと衣を鳴らし下がっていった。

すい、と体から魂を抜く。

 

 「ふふん、俊宏め。うまく騙されてくれたな」

 「殿…お話は進んでおりますが、まことに思惑通り運ばれるのでしょうか」

 「運ぶさ。俺だぞ?蜜虫。お前が案ずることなど何もない。俊宏が来た時に、ああして可愛らしい姫を演じておればそれでよいのだ。おお、そのうち俺が憑かずともよいように、お前も少し"愛らしき姫"というものを学んだ方がよいだろう」

 「ですが博雅様は…」

 「好きだと言ってくれたのだ。その言葉、あのような人格をした博雅の口から出たのだから、俺は生涯信じたいと思うぞ」

 「それは確かに…」

あの博雅がはっきり"好き"だと口にしたのだ。笛や月ではなく生きた人を"好き"と口にするからには、彼なりの好意がそこにあることについて疑う余地はないだろう。

でも。

蜜虫は思う。

でも、私の顔で、声で、博雅様を謀っているような気がしてとても居心地が悪いのです。

浮かれ、俊宏の元へ戻る晴明にその言葉は届かない。

彼が幸せであれば基本的に蜜虫に異論はない。そして晴明であれば確かに博雅を誰より愛し大切にするだろうことも分かっている。

だから心配はないのだ。二人のことで気に病む必要はないのだ。

ないのだけれど。

 

 「それでも心配なのは…やはり殿のご人格が問題なのだろうか…」

 

呟いた蜜虫の後ろを、鎌を振りたてた蟷螂が行過ぎる。






                                      続く →

 

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