BUG & BOM !  バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 9

 

 

 

 

 

叢に身を潜めた博雅は、俊宏が去っていくのを確認すると慌てて晴明の屋敷へ飛び込んだ。

清子の目を盗み逃げ出してきたのだが、間一髪で鉢合わせは避けられた。あのまま駆け込んでいたらきっちり顔を合わせることになっただろう。

なにやら厳しい顔をしていたことから俊宏の思惑は外れたのだと察せられる。彼は屋敷を出る時に"姫はなんとしてもどこかのお屋敷か、もしくは直接こちらへお迎えする"と声高に叫んでいた。送り出す家人どももみな一様に同じ事を言っていたが、それほどまでに晴明を嫌われると博雅としては面白くない。

確かに変わっているし、人付き合いがいいとは言えない。無愛想だし、冷たいし、時々は博雅であってもついていけぬと思うことがあった。でも。

 「晴明の良さは付き合うてみねば分からぬのだ!」

拳を振り上げ簀をドタドタと進むうち、いつも彼と酒を飲む濡れ縁に晴明の姿を見つけた。

 「晴明!」

子犬が駆け寄るかのように走ってくる博雅を、目を細めて眺める。

ああ、お前は本当に愛らしい…これをスィートハートと言わずしてなんとしよう。

 「晴明、俊宏が来ておっただろう」

 「ああ。なにやら不満そうだったが師輔殿の介入を得ては抵抗も出来ず引き下がっていったよ」

 「引き下がった?」

 「蜜虫はこの屋敷で暮らすことになった。だからお前が通ってくるのだ」

 「晴明、そのことなのだが」

 「取り敢えず座れよ、博雅。酒でも飲まぬか」

 「まだ昼前だぞ」

言いながらもちょこんと座る博雅に、それでは白湯でもと言いながら控えていた蜜虫に茶菓の用意を言い渡す。団茶の用意もあったが博雅が茶を好まない所為でここでは酒以外と言えば白湯くらいしか出すものがない。蜜虫は薄く微笑んだいつもの表情でそそと下がっていった。

 「まったく、本当に冗談かと思えば本気なのだな」

 「なにが」

 「俺と蜜虫殿の婚儀だ」

 「なぜ蜜虫を嫁がせねばならぬ。よいか、お前はここに妻がいるものとして、正々堂々と通うことが出来るようになる。もう誰に邪魔立てされることなく俺と酒が飲めるのだぞ」

 「…そうか」

 「そうだ。なんだ、気付かなかったか」

 「ああ。俺はてっきり晴明が蜜虫殿を妻にせよと言っているのかと思ったぞ」

 「なぜお前を蜜虫にやらねばならぬ」

 「それはそうだが、お前のすることは説明不足過ぎて俺には分からん」

 「はは、そうか。それはすまなかった」

ちっともすまなそうではないいつもの笑みで晴明が笑うと、少しばかり気分を害した博雅が唇を尖らせる。その表情も可愛いと思われているのだから埒があかないが、すぐに他のことに気を取られ忘れてしまう博雅にも問題はあるだろう。

 「すると、俺はここに妻がいることにして堂々と訪ねることが出来るわけだな」

 「そうだ。妻のいる家ならば夜半に帰ることもない。眠い目を擦って帰り支度をすることもなくなるのだぞ」

 「それはありがたいこと尽くしだな」

嬉しそうな博雅に、蜜虫の持ってきた菓子を手渡すと子供のように握り締めそれを齧った。

餌付けか?

暫くモグモグと嬉しげに口を動かしていた博雅の表情が、段々、ゆっくり曇っていく。

眉間に皺を寄せなにやら考えるように唇を尖らせ、微かに首を傾げて見せた。

 「どうした」

 「いや晴明、今俺はなにやら腑に落ちないものを感じているのだ」

 「なにが腑に落ちぬ」

 「俺が蜜虫殿と交わす婚儀は偽りのもので、ここに通うことを俊宏たちに咎められぬようにする策なのだよな?」

 「ああ、そうだ」

「では俺と蜜虫殿は偽りであっても婚儀を取り交わし夫婦になるということではないか?」

「まあそうなるな」

「そうなると、俺は蜜虫殿の夫であり、蜜虫殿は俺の妻ということになる」

「回りくどいがそうだ」

「では俺は正式に妻を娶ることになるのではないか?しかも式だぞ、人ではないものだ」

「お前にしては気の聞いた展開じゃないか」

「晴明っ」

「怒るな、誉めたのだから」

「…誉めたのか?」

疑わしい。じろっと横目で睨むと手に持っていた菓子をポイと口の中に放り込む。

 「確かに、お前と蜜虫の婚儀が正式なものである以上、お前は蜜虫の夫となる」

 「待て。それはいくらなんでも乱暴ではないか?」

 「そうか?だがこれでお前は生涯俺のものとなったのだぞ」

 「……………へ?なんで?」

口の端に菓子のカスをつけたまま首を傾げる。この平安時代にハムスターがいたなら間違いなく晴明はそう喩えただろう。いやエジソンまで出しておいて今更だが。

 「蜜虫がここにおるうちはお前はこの屋敷に通うのだ。俺の元へと通ってくるのだよ」

ウットリ

 「それはそうだが…では俺は蜜虫という隠蓑を着てまで晴明と人目を忍んだ会い方をせねばならんのか」

 「お前のうちの家人どもはみな口うるさいからな。それに世間の目もあるのは確かだ」

 「お前と俺が会うことは、世間から見れば悪しきことか。人目を晦まさねば会えぬほど醜いことか」

見る間に博雅の目に涙が浮かぶ。

 「こ、こら博雅、なにを泣くか」

 「だってそうだろう。俺が晴明を好きな気持ちは世間から見れば悪いことだというのだろう?こんなことまでせねば俺とお前は酒を飲むことさえ出来ぬ。そんな悲しいことがあるか。悔しいことがあるかっ」

 「博雅…」

そっちへいったか。

二人は最早、ただのラブラブバカップルに過ぎないが、言ってる方は真剣そのもの。博雅の心はまさにロミオとジュリエットに他ならない。

 「蜜虫殿が嫌いなわけではない。けれど偽りの夫婦になるなど俺は嫌だ。そんなことをせねば晴明とともにおられぬのはもっと嫌だ!」

 「博雅っ」

ヒシッ

クスンクスンと泣き声を立てる博雅をギュッと抱き締め、晴明はその時になって漸く自分のしたことを反芻してみた。

博雅は蜜虫と結婚する。偽りとはいえ、相手が蜜虫とはいえ結婚をするのだ。世間的になんら問題のない立派な夫婦として認められることになる。

では自分は?

博雅は、晴明の仕組んだ通りこの屋敷に通うことにはなるだろう。そうすれば思惑通り誰に咎められることもなく二人のんびり過ごすことが出来る。蜜虫が彼らの間に割って入ることはこの屋敷にいる限りはありえないのだ。しかし。しかし、と考えを進める。

偽りでもなんでも博雅が自分以外のものを伴侶として迎えるのは事実なのだ。ましてそれをでっち上げたのが他ならぬ自分という現実に晴明は今やっとぶち当たった。

 「じょ、冗談ではないぞ!なぜ俺の博雅を蜜虫にやらねばならんのだっ」

主人の叫びに、控えていた蜜虫は"ああ、漸くお気付きになられましたか"と一人ごちた。

 「ここに蜜虫がおるうちは構わぬが、あの俊宏のことだそのうちお前の屋敷へ迎えると本気で騒ぎだすだろう。その時、俺はどうするのだ?まさか兄もワンセットでなんてことは出来ないのだぞっ」

誰に向かって怒るのか。

普段、頭脳明晰にして恐ろしいほどに計算し尽くされた企みを張り巡らす晴明も、こと博雅に関することではそのアンテナが全く反応しなくなる。

一人で激昂する晴明に言葉もなく、蜜虫は微笑んだままその騒ぎを見守っていた。

 「なんということだ、目先のことに囚われとんでもない事態になってしまったぞ」

 「俺はまだ結婚などしたくない。ここでこうして晴明と酒を飲んで、好きな楽を奏でていたいだけなのだ」

 「泣くな博雅、お前の婚儀など決して認めぬ。お前は誰にも渡さぬぞっ」

 「俺は笛が吹きたいんだぁぁぁぁ」

微妙に擦れ違っているが堅く抱き合った二人は本格的にロミオとジュリエットになってきた。かなり勝手に。

 「博雅、お前をどこへもやらぬぞ」

 「しかし俺の婚儀は師輔様まで関与した一大事だぞ。どうするのだ」

 「…逃げよう」

 「逃げる?」

 「そうだ逃げよう。手を取り合い、どこまででも逃げるのだ。俺とお前と二人きりの自由の地を目指し走り抜けるのだ!」

 「出来るのか、そのようなこと…第一どこへ逃げる」

 「取り敢えず俺が修行をした北嵯峨の山荘へでも行こう」

 「北嵯峨か。美しかろうな」

 「ああ、それはそれは風光明媚な土地だ。まずはそこに身を寄せ、その後のことはまた改めて考えよう。よいな博雅、俺についてきてくれるな」

 「うむ。行くぞ晴明。お前とともに」

 「ゆこう」

 「ゆこう」

そういうことになった。…って今さら原作ぶっても…

 

そして。

 「原作より何より、私はどうすれば…」

身の回りのものをかき集める二人を前に、蜜虫は微笑んだまま呟いた。

取り敢えずついていくしかない蜜虫に心から同情。






                                      続く →

 

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