BUG & BOM ! バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 10 ゴトゴトと進む牛車の中で、博雅はモジモジ身じろいでいる。 すっかり逃避行気分の晴明はひしと抱き締めた博雅を離そうとしないからだ。身動こうにも詰め込んだ荷物が邪魔で座り直すことも出来ない。だから密着しているのは仕方ないが、こうも引っ付いている必要はないのではないか。博雅的不満を晴明にぶつけるべく、トントンと胸を叩いたりしてみたがそのたび晴明は"分かっておる"だの"大丈夫だ"だの、彼に取っては的外れな返答をして取り合ってはくれない。 晴明の屋敷を出てもうどれほど経つだろう。 昼前に出発したというのに辺りは暗くなり始めている。笛さえあればどんな暗闇でも平気で歩ける博雅だが、こうしてあてもない旅路に晴明と二人きりとあっては恐ろしさがいや増してくる。 晴明が怖いという訳ではない。彼といると心強い。だから単に来たこともない土地で、辺りはすっかり暗闇で、窮屈な牛車の中という不安な状況に耐えられず恐ろしさばかりが募るのだ。 夜が更けるに従い博雅は大人しくなっていく。晴明の胸にもたれ白い狩衣を握り締めると、外の気配を感じないよう堅く目を閉じ震えていた。 箱入り息子は流されるままに振舞うことは出来ても、自分自身の身に起きた出来事には消極的過ぎるのだ。いま、人生で一番大それたことをしようとしている。彼の頭の中は様々な心配と恐怖で一杯になっていった。 一方、晴明の方は嬉しくて仕方ない。 なにせついに博雅を手に入れたのだ。独り占めである。しかも彼の思い人は自らの腕の中にすっぽり収まり震えている。未知の世界へ旅発つ不安を感じているのだろう、胸元を握り締めた指さえ微かに震え、頼るものは晴明一人と全身で訴えかけてきているのだ。 北嵯峨の山荘は、晴明所有とはいえそれを知るものは殆どない。知っているのは購入の際口を利いてくれた師輔一人で、晴明は博雅の知らぬうち彼の元へ式を放っていたから口封じは万全だ。ついでに博雅の処遇についても彼から計らうよう圧力をかけておいた。 逃避行の割には用意周到な、また博雅の殿上人としての信用を失うことのないような根回しは見事だが、それなら初めから逃げるだなどと考えなければいいのにそうはいかないらしい。 晴明にとって、蜜虫と結婚させ自宅へ通わせることが計画その一だとしたら、今度の逃避行はそのニに過ぎない。 要は博雅といられれば彼に取ってそれ以外の望みなどない。だからこの道行きはウッキウキのハネムーンに置き換えられていると言っても過言ではないのだ。 「博雅、到着したらすぐに風呂に入ろう」 「…なぜ」 「なんとなく」 「バカかお前は、今日は牛の日であろう。入浴すれば愛嬌を欠くぞ」 「…今更俺が愛嬌を欠いてなんだというのだ」 「それもそうだが。そういえば晴明、占いや呪いの道具もかなり持ち出していたな。やはり都のことは気になるか」 「いや、追っ手がかかればその目を晦まさねばならぬしな。第一、博雅につまらぬものなど取り憑いても困る」 「…お前は優しい漢だな」 「なに、博雅にだけだ」 当時の風呂は今のような形態ではない。博雅の身分から言えば湯を張った桶に下半身だけ浸かって上半身は練り絹(タオル)で拭う程度のことだった。薄い入浴用の衣を身についていたのだが、晴明としてはその単が濡れて肌に張り付いた様はさぞ艶やかだろうと考えていたに過ぎない。このことからしても彼の頭からは既に"人目を忍んで"などという言葉が抜け落ちているのが分かる。 怖いことに変わりはないが、晴明の優しさに触れ少し落ち着きを取り戻した博雅の腹の虫が鳴いた頃、牛車は漸く到着を告げるよう大きく揺れて停車した。 「なかなか綺麗に片付いているではないか」 「うむ。つい先日、手入れの匠を入れたばかりであってな。計ったような間であった」 博雅はキョロキョロと室内を見回す。少し手狭だが二人で隠れるには丁度良い程度であろう。几帳や脇息も整っているし、生活に必要だと思われるものはみな揃っているらしい。 持ち込んだ荷物は蜜虫や他の式たちがそそと運び込んでいて、庭では雑草を刈る女房までいる。 「式とはいえ女子の身で草刈りとはすまぬことだな」 「あいつは鎌を持っておる方が調子がいいそうだ。さあ向こうに乾飯を支度した。今宵はそれを食べて休め。明日はこの辺りの散策をしよう」 「散策などしていたら追尾のものに気付かれるかもしれぬぞ」 「ついび?」 ついび。ツイビ。…ツイギー? 「…ああ、追尾か。悪いこともしておらぬのに、なぜ追われねばならぬ。おかしなことを言っておらずに早く参れ」 ほらね。 完全に忘れました。この旅は既にハネムーンです。ということは、次に彼の頭に上る事柄といえば… 「今宵は疲れておるゆえ、明日にしよう」 「む?散策か?」 違います。 ハネムーンといえば後に続く言葉はひとつ。 「よい子を授かろうな、博雅」 ふふふ、と笑った晴明の呟きを博雅は聞いていなかった。それが幸いなのか不幸なのか、決めるのは博雅なのでなんとも言えないが取り敢えず晴明の中で"博雅との初夜"は明日に持ち越されたようだった。 何も気付かぬ博雅は、乾飯はあまり好きではないのだがなどとブツブツ言いながら自分の為に設えられた上座へと座り込むと、言葉を裏切る勢いでムシャムシャそれを食べ始めた。 その無邪気な様を盗み見る晴明の目を見れば、全てではなくとも彼の悪事に気付きそうなものだが、悲しいかな博雅は晴明という漢に絶対の信頼を寄せている。彼が自分に対し悪しきことなど働くはずがなく、常に博雅の身を安全且つ快適に保つことを約束してくれる言わば"セコム"のようなものなのだ。 勿論、セコムに対し愛情は湧かないから晴明に対する気持ちの方がもっと高尚で大切だが、家人に"めっ"だの"しっ"だの叱られるおこちゃま博雅からすれば身を焦がすような恋などよく分からぬし、自分の気持ちが"恋しい"というものだというハッキリとした自覚すらないのだ。 晴明からすれば"こんなところまでノコノコついて来て、今更なにカマトトぶってるんだよっ"というところだが、博雅の中では当初の目的通り"蜜虫との結婚などという目晦ましで大切な晴明との仲を壊されたくない"という必死な思いがあるのだ。 さあ、夜が明ければこの食い違いがまざまざと見せ付けられることになるだろう事態を、二人はどう切り抜けるのか。 コッカドゥードゥルドゥーと平安時代の鶏が高らかに朝を告げた時。 目を覚ました博雅の前には、満面の笑みを浮かべた晴明がいる。 一刻も早く外へ行こうと、その浮かれた表情が如実に物語っていた。 「秋に参ればさぞや紅葉が美しかろうな」 「また来ればよいさ。博雅、足元に気をつけよ」 「分かっておる。先ほどからそう幾度も同じことを申すな、俺とて童ではないのだ、それくらいのことは分かっておる。うわぁっ」 言った瞬間に博雅の体は木の根に足を取られ大きく前に倒れ臥した。手を差し伸べようとした晴明も間に合わず、そのまま彼は強かに胸を打ちつけ蹲った。 「博雅っ!」 「っ、…痛い…晴明」 「だからあれほど申したに、どこが痛むのだ」 「胸を打った」 助け起こしながら辺りを見回す。チャンスか? 「痛いぞ晴明、息が苦しい」 「どれ看てやろう」 チャンスではないか? 山の中には当然彼ら以外人影はない。この辺りは晴明名義の土地となっているので里の者もあまり踏み込んでは来ないのだ。尤も彼は留め立てしないので季節の木の実などを拾いに来るものはいるがこの時刻ではまだ誰も登ってきはしない。 夜の闇の中というのも色気はあるが、顔が見られないのもつまらぬ。 初夜は"夜"と書くがなにも夜でならなければならぬ必要はないはずだ。晴明の中で答えは出た。 いただきます。 「なにをしておる」 「看てやると言うたろう」 「いい」 「なにを恥らうか」 「当然だろう。なぜこのようなところで衣を肌蹴ねばならぬ」 「打ったのだろう。何かあってからでは困るのだ」 「もう大丈夫だ。痛くない」 何かの気配を察したのか、博雅は伸ばされる晴明の腕を払い身を捩った。そのまま立ち上がろうとするのを見透かし素早く足を掴むと強く引き寄せる。 勢い込んで倒れてきた博雅を抱き寄せると、そのまま彼が逃げられぬよう強く拘束し耳元に唇を寄せた。 「怖がらずともよい。俺に任せておけばそれでよいのだ」 「なっなにを任せよと」 「…言わせるか」 ニヤリ 「い、いい。聞かない。聞きたくない」 プルプルと頭を振り、そのまま博雅は暴れだした。当然だろう、いかに鈍い彼といえど、この体制が示すのはアレしかない。 「晴明、手を放せ」 「いやだ」 「晴明っ」 「なぜだ。…おお、外は嫌か。可愛らしいことを」 「なにを勝手にっ、バカ、うちも外もないわ、手を放せというたら放せ!」 「放さぬよ。もう生涯、博雅のことを手放したりなどせぬ」 「待てというのにっこらっ!」 十二単は言わば鎧だ。脱がせる時は結構面倒だが晴明は最短十八秒の記録を持っている。 その十八秒が早いのか遅いのか定かではないが、彼曰く"ツルリとむけばよいのよ。ツルリと"ということなので、やはり他者には真似の出来ない何かがあるのかもしれない。 大体、十二単を身につけている姫といつどこで…という辺りは博雅には生涯内緒にしておきたい。この期に及んで"オンリーユー"を呈示したいなど図々しいことこの上ないが。 とにかく博雅が身に付けているのは直衣だ。晴明も日常で着付けるそれなら十二単よりも着脱は易い。 博雅としては必死に抵抗しているつもりだが百戦錬磨の晴明に叶うはずもない。あれよの"あ"を言う間もなく、博雅の胸元は寛げられている。 「やめよ晴明!」 「案ずるな。良い子を成そうな、博雅」 「子?」 絶句する博雅。微笑む晴明。 大自然に抱かれ今まさに源博雅最大のピンチ! 「ひろまささまぁぁぁぁ」 はて、誰の声?
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