BUG & BOM !  バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 11

 

 

 

 

 

ガサガサと草を踏み鳴らし山道を分け入ってくるものがある。

この際誰でもいい、助けてくれ!と博雅が身を捩ると、姑息にも晴明はその口を掌で覆い声を立てられぬようにした。

 「博雅様っひろまささまぁぁぁ」

 「…俊宏だな」

チッ

晴明が舌を鳴らす。

 「なぜここが分かったんだ」

 「んーんー、むーっ」

 「声を立てるな。見つかれば連れ戻されるぞ」

連れ戻される?その言葉に晴明はふと気付いた。そうか、自分たちはハネムーンに来たのではない。蜜虫との婚儀から逃れるため、手に手を取り合い逃避行を企てたのではないか。

 「博雅、このようなことをしておる場合ではないぞ」

 「ぶはっ!なっなにを今更、自分が始めたくせにっ」

 「大きな声を出すな、馬鹿者」

馬鹿者に馬鹿者呼ばわりされるほど悔しいことはない。しかし博雅はそうだった、と素直に自分の口を掌で塞いでしまった。

 「見つかれば連れ戻される。そうなれば二度と…もう二度と逢うこと叶わなくなるやも知れぬ」

 「それは嫌だ。晴明と俺は無二の友だ」

友、という言葉に引っかかりは感じるが今はそれどころではない。

 「参ったな、山荘にも人がおるだろうか」

 「蜜虫は?」

 「ああ、あれを残しては来たが…さて、どのような話をしたか」

 「蜜虫殿であればきっとうまく運んでくれたであろうが…俊宏のあの様を見る限りなにやら大事になっているようだな」

当然だろう。やんごとない身分の博雅が屋敷から脱走し、妻とその兄とともに身を隠すなど常識で言えばありえないしその理由もさっぱり分からない。殿様大事の俊宏が血相変えて探しまくるのも当然のことだ。

 「とのぉぉぉ、いずこにおわしますかっ、殿っ、博雅様っ!」

 「あのように名を呼ばわって…すまぬことをしておる心地だ」

 「では見つかっても良いのか?」

 「うう、それも嫌だ」

博雅の乱れた直衣を整え、まるで子供がおもちゃでも取り上げられようとしているかの如く抱え込む。ここまで思われているのか、と博雅は感動したものだが晴明にすれば何とかこの危機を逃れるための算段で頭の中は一杯だ。

こういうときに気の聞いた言葉で駄目押しすれば、或いは…ということもあるのに。

 「なぜあのシマリスがここのことを知り得たのだ。師輔か?あいつ、帰ったら屋敷中の梁という梁から蛇だの生首だのをぶら下げてやるっ」

 「しまりす?」

こう、首を傾げて"いじめる?"って…あれに似ている。イメージだけ。

 「性格はアライグマ君だがな」

晴明の呟きが益々分からず首を傾げる博雅を抱き締めたまま立ち上がる。幸い俊宏以外に人の気配はないようだ。

 「博雅、一旦山荘の様子を見に行こう。そこにも追尾の手があるようならまた移動せねばならぬ」

 「俺たちはまこと哀れだな。家人に追われるなど…俊宏に追い立てられるなど…」

 「泣いておる間はないぞ。さあ、ゆこう」

 「うむ」

サウンドオブミュージックのトラップ大佐とマリアの道行きの如く進む。目指すは自由の国スイスではなく晴明の山荘で、七人の子供たちもない。博雅の腰なら七人くらい産めそうだな、と考えている晴明はそれでも二人きりの逃亡劇にも酔っているからお笑いだ。

俊宏の姿は途中見えなくなったものの、山荘に戻れば案の定そこには貫之の姿がある。彼はとにかくワーワーと泣いていて、それを宥めているのが蜜虫だった。

 「貫之様、どうかお静まりあそばしませ」

 「これがっこれが泣かずにおられようか。姫とて悲しくはないのですか、このようなところまで引き連れられ、挙句実の兄に打ち捨てられようとは」

 「私、捨てられてなどおりませぬわ。兄上は博雅様と私をこの山荘にご招待くださいましたの。めでたいことだと心から祝してくださっております」

 「しかし賀茂殿はそうは申されませんでしたぞ。あの晴明のこと、荒鷲の如く博雅様を奪い去ったに相違ないと」

 「まあ、保憲様が」

ギリ、と晴明の歯が鳴る。

賀茂保憲といえば晴明の兄弟子にして師匠に当たる人物だ。のほほんとして大抵の仕事を"面倒くさい"の一言で放り出し、その殆どを晴明に押し付ける彼に取っては天敵中の天敵に他ならない。なにせ陰陽師を止めた理由が"頼まれごとばかりだから"という、主上が聞けば卒倒しそうな理由を事も無げに言われた日には、さすがの晴明もその晩は頭痛にうなされひどい目にあったものだ。

 「保憲め、どうせ尋ねられたこと以外もペラペラ喋ったに違いない」

 「彼は嗜み深い方と見受けたが…違うのか」

 「嗜みというよりは何も考えていないのだ。大方俺たちのことも尋ねられるままに話したのだろう。…いや、しかしここを買い取ったことを知るのは師輔のみ…さては式かっ」

博雅の手を握ったまま晴明があちこちに視線をやる。

濡れ縁に座した蜜虫の後ろに何か黒いものが見え、伸び上がって確認した晴明は再度舌を鳴らした。

 「あそこにおる黒猫。あれが保憲殿の式だ」

 「おお、愛らしい猫だな」

 「可愛いものか、あれは猫又だぞ」

あの式を使ってここを探らせたのか。困っている俊宏を救ってやったと思っていることだろう保憲に怒ったところで仕方ない。彼には自分のしたことが善意であるという認識しかないのだから。

 「どうする晴明。蜜虫の言う通り、ここには物見遊山で参ったことにするか」

 「そうすれば問題はないだろうな。しかしそれでは益々お前と疎遠にさせられてしまう。せっかく蜜虫を俺の屋敷へ留め置くことにしたのに、下手をすればどこかへ移されかねないぞ」

それもこれも自分がしたことだという自覚はない。すごいぞ晴明!

蜜虫に宥められ、漸く泣き止んだ貫之は山荘の門の方をじっと見ている。機転の聞かない奴だ、逃亡者が一度戻るとして堂々と門から入ってきたりするものか。

どうしようかと二人が思案していると、裏口を回ってきたのか息せき切った俊宏が戻ってくる。忌々しげに唇を噛み、目は油断なく周囲を見ている。

 「姫、姫はあくまで博雅様はご自身の意思でここまで参られたと申されるのですな」

 「はい。私も嬉しさのあまりそのままこちらへ参りましたが…よもやお屋敷の方に一言の断りもないままとは存じませんでした」

 「ですがなぜ、姫のようなか弱き女性を一人残され二人で山歩きなどされるのですっ」

 「…私に、山道は…」

檜扇で口元を隠し蜜虫が微笑む。

 「確かに姫に散策をお勧めにならない辺りは常識的と申してもよいかもしれませぬが」

蜜虫は源家との婚儀が決まった姫君だ。だから緩やかであっても山道を歩かせるなんてとんでもないことだろう。しかしここにこうして一人残しておくのは、それもまた無用心すぎて非常識である。

 「兄と博雅様は、それはそれは仲のよろしいご友人であられます。兄には勿体無いご寵愛でございますが、博雅様は身分の隔てもなく御自ら接してくださっておられますわ」

 「うちの殿は道端のねずみであっても分け隔てをせぬお方ゆえ」

 「おい、いくらなんでもねずみは隔てるぞ」

 「博雅、声が大きい!」

慌てて口を塞いだがもう遅い。いまや地獄耳の俊宏は主人の声を聞きつけ凄まじい目で辺りを見回す。

 「殿っ、どちらにおわしますかっ!俊宏が本当に怒らぬ前に出てきなさいっ」

 「…もう怒っておるよ」

しゅん、とした博雅の頭を撫でてやる。涙目になっているのは長年の習慣によるものだ。

仕方ない、と晴明が身を隠す茂みから姿を現すと案の定俊宏は何事かをギャンギャン叫びながら走り寄って来た。

 「なにをしていたのですかっ」

 「なにもしておらぬ。俊宏くん、うるさい」

 「煩いとはなんです!うちの殿を勝手に連れ出しておいてその言い草」

 「なんの、博雅は安倍家の婿も同然の身。祝いにどこぞへ物見遊山に参ったとて罰はあたるまい」

 「婿にやった覚えはありません!」

俊宏の怒りは尤もであるが、こういう時は冷静さを欠いた方が負けだ。まして相手はあの晴明である。

睨み合う二人の間に割って入るのも恐ろしく、博雅はそのままボーっと立ち尽くしていた。

が。

 「殿…なんですその手は」

 「て?」

ん?と示された方を見遣る博雅が目にしたものは、しっかりと晴明の指を握り締めた己の指。

 「こっこここ、これはっ」

 「なーにーをーしーてーいーたーのーでーすーかぁぁぁぁぁ」

般若の面とはまさにこのこと。

元から俊宏が怖い博雅は、当然逆効果の如く晴明の後ろに隠れた。ビクビクと肩越しに目だけで盗み見てくる。

 「こら俊宏、博雅はお前の主人であろう。その様に睨むものではない」

 「睨ませてる張本人が何を言ってるんです」

 「なぜ。俺と博雅は少しばかり山を歩いてきただけだぞ。山道に不慣れな博雅が転ばぬよう手を取ってやっていたに過ぎぬ。…それとも俊宏、なにかあると申すか?」

艶やかな唇。漢にしては白すぎる肌。妖しい光の差す瞳。

 「俺と博雅の間に、何かあると申すのか?」

 

 

気迫の勝利。

 

黙り込んでしまった俊宏にフンと鼻で笑うと晴明は博雅と指を繋いだまま濡れ縁から屋敷に上がった。悔しそうな俊宏もそこに立ち尽くしているわけにもいかず、蜜虫の案内で貫之とともに奥へと上がっていった。

その姿を見送ると、丸くなって寝ていた黒猫がすいと起き上がり外へ出て行く。叢に飛び込むとあっという間に気配は消え、その場は誰もいなくなった。

静寂が辺りを包む。






                                      続く →

 

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