BUG & BOM !  バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 13

 

 

 

 

 

 

 「は?」

晴明は自分の上げた声に驚いた。こんな素っ頓狂な声を上げたことなど今まで一度としてない。それほどに彼が口にしたことは突拍子もない話だった。

 「お前はそう思わぬのか」

 「さて、考えたこともなかったな」

 「では考えた方がいいぞ。どうあってもあれは嫌だ。たまらない」

後ろで聞いていた蜜虫は、許しもないのに思わず立ち上がり部屋の隅に設えた鏡の元へと歩いていった。顔を映す。手に取り、しげしげと見る。

口を開く。

 「しかし博雅、それを嫌っていては都の女は全てだめということにならないか?」

 「そうだな。皆がそうである以上は絶対に嫌だ」

 「だが"そうでない女"を捜すことは出来ぬよ。お前の身分からして網代の魚取女を迎える訳にも行かぬだろう」

 「だから結婚などせぬでもよい。いずれほどよき頃に養子を迎えればよいのだ。粋のいいのを三人ばかり見繕って俊宏が躾てやればよいのだ」

 「殿、まだそのようなことを」

 「俺は嫌といったら嫌なのだ。なぜ白い歯をわざわざ黒く塗らねばならぬ。顔は真っ白で死人のようだ」

 「…それが嗜みであるからなぁ」

晴明でさえ気の抜ける、博雅が妻を迎えない理由はズバリ"お歯黒"と"お白粉"だ。

平安美人の条件は、下膨れで引目鉤鼻で、唇さえも真っ白に塗りたくった顔と黒々塗り潰した丸い眉。お歯黒。

嫌だろうがなんだろうが、これが流行りだし貴族の姫の尤も"美しき姿"である以上、止めさせる訳にもいかぬし止めてくれる女もいない。

泣きながら博雅は、年上の妻を指差しこう叫んだ。

 

 『こわいよぉー、口が白くて黒いよぉー、夜中に食べられてしまうぅぅぅ』

 

ただでさえ年下の夫を迎えるなら、"食べる"立場は自分だろう。そのことに抵抗のあった姫は見事な張り手で博雅の頬を打ち据えた。気の強い女である。

 

 「夜中に尋ねてあれが出てきたら、いかに愛しいと思う方でも恐ろしい」

 「まあ…分からなくもない…ような気がする…かも知れない…」

さすがの晴明も面食らいながら後ろの蜜虫を盗み見る。

美しい、と評されている以上彼女もまた博雅が怖いという条件に全て当てはまっている。真っ向から否定された自分の顔をまじまじと見て、気の毒な蜜虫はがっくり肩を落としていた。

 「しかし殿、それも初めのうちだけですぞ」

 「そうだなぁ、いつまでも最高に気張った化粧で夫を出迎える女もそうはいまい」

 「あなたと同じ尺度で殿を測らないで下さい!」

貫之を庭へと押しやってから俊宏はズカズカと晴明の前に歩み寄った。

膝がつくほどのところに座る。

 「連れ添ううちに心は通うものです。どんなことがあろうと室として迎えられた姫を慈しむ心が大切なのであって、化粧などと上辺だけのことで結婚を計るなど愚かなことだと言っているのです」

 「と、俊宏は申しておるぞ」

 「いやだ。騙されないぞ。うちのものですら"屋敷の中だから化粧はするな"と言っても誰も聞かぬではないか」

 「年頃の女房たちはそれなりに美しくしておきたいものなのです」

 「だが俺は素のままの顔でこそ美しいと思うぞ。なにが悲しくてあのような碁石のような顔をせねばならんのだ」

 「碁石…」

背後で蜜虫が呟く。浮かんでいるのは微笑だけになにやら背筋が寒くなる。

柱の影から文句を言う子供のような博雅に、俊宏の目がキラリと輝く。彼は博雅の返答に一つの確信を得たのだ。

 「では殿、一つお尋ねいたしますが」

 「博雅、答えるなよ」

 「ん?」

ん?と晴明の顔を後ろから見詰める博雅に、俊宏は大きく手を叩き注意を引く。パンッという音に博雅の神経は傾いてしまい、それである意味勝負はついた。

 「身分を越えて愛された蜜虫姫のお顔を、殿はどのように思うておられますのか」

碁石顔が嫌なら当然蜜虫も同じ扱いになるはずだ。その碁石顔である蜜虫を妻として娶るというなら今の博雅の発言は翻されて当然のはず。愛すればそんな障害?を乗り越えられると身を持って証明されなければ話がおかしい。

 「殿。博雅様。この俊宏を謀られましたね」

 「な、なにがだ」

 「姫とのことは全て嘘でございますね?」

 「う、うそ?いや、嘘ではないぞ、うそなどでは、うそ、うそでは、うっ」

答えるな、と言ったのに…

最早、背中に張り付くセミのような博雅に晴明は盛大な溜息を零した。

 「殿が未だにお歯黒をお嫌いなのは分かりました。では姫には素顔にていていただかねばおかしいではありませぬか」

 「そっそれは…」

口篭もればもう負けだ。やれやれと肩を落とした晴明は、仕方なく背後の博雅を首だけで振り返り後は任せろと目配せをした。

渡りに船の申し出だが、この場合の相手が晴明である以上結果は二つになる。

一つは博雅などが思いつきもしない素晴らしい"屁理屈"で、見事危機を回避すること。そしてもう一つは"開き直ってそのままを貫き通すこと"、この二つだ。

切羽詰った博雅は前者のことしか浮かばず咄嗟に頷いてしまう。晴明に任せておけば何もかも安心だと、彼の中の子供が逃げを打った。

晴明の腕が背中に張り付いた博雅を剥がし前に回す。じっと、救世主になるはずの晴明を見詰めている博雅の目を当然彼も見詰めていて、その視線はなにやら熱く、熱く絡み付いている。ようにも見える。実際は博雅の懇願と晴明の思惑という食い違いはあるが、見ている側からすれば"それってさぁ"な感じの視線である。

 「博雅、もう隠し立てすることは叶わなくなったようだ…」

なにが、と問おうとした博雅は柔らかく腕を回してくる晴明の成すがままだ。優しく、それは優しく包み込むように抱き締められ晴明が着付けた白い狩衣の胸元に埋められる。

おお、さしずめ俺は雛鳥であるな。などと考えている博雅は大物かバカモノかのどちらかに他ならない。

 「認められぬでも良い。ただ我らは永久(とわ)にこうしていたいだけ」

 「なっなっなっなにをするか、このインチキ陰陽師!」

 「所詮は身分違い、妖しの恋と悪し様に罵られようことは重々承知いたしておる。けれどな俊宏、我らは出会うてしまったのだよ。こうして互いを見つけてしまった。なにがあろうと離れられぬほど、深く深く、結びついてしまった」

 「むっ結びって、結んだって、とのーーーーーーーーーーっ」

何度も言うが博雅は叱られると眠くなる。現実逃避をしているに他ならないが、今この瞬間もそれは有効である。つまり彼は眠かった。俊宏についた嘘がバレて余計混乱し、一刻も早くこの場を逃げ出したかったのだから仕方のないことなのだろう。

抱き締められた温もりは眠気に溶けた目を更に甘えさせたものにする。晴明をして初めて見る博雅の艶のある瞳にドキリとするのだから、それを見せ付けられた俊宏の焦りは推して知るべしというところだ。

 

 「博雅…」

 「せい…めい…」

 「とととととととととととととととと、とーーーーーーーーーーーーーーーーっ」

意訳。手前より、

なんとっなんとラブリーなっ!

晴明…寝てもよいか?

とのーーーーーーーーーーーーーーーーっおやめくださいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ

 

三者三様の思いは声にならない叫びとなって、北嵯峨の山に木霊した。

ただ一人。

未だ鏡を抱えたままの蜜虫は"お歯黒…やはりやめましょう。私もいやだったの"

と健気に思っていたがそれはこの場の問題解決にはなんの役にもたたぬことであった。






                                      続く →

 

novel