BUG & BOM ! バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show 18 一条戻り橋の上で博雅が叫んだ言葉はキッチリ晴明の耳にも届いていた。 「晴明、晴明はおるか。博雅が参ったぞ」 ドタドタと足音を立て博雅が走ってくる。普段なら"みっともない"とからかうところだが今日は違う。奥からもバタバタと足音が聞こえ、それはドタドタに確実に近付いてくるのだ。 「博雅っ」 「おお晴明!」 ドタドタ バタバタ ひしっ 「殿…いま暫くお慎みください…」 随身した俊宏は、一人庭を抜けいつも晴明がいると言われる東の対の濡れ縁に向かったが、結局その手前の簀で出逢うことになった二人をしっかりと見る羽目に陥った。 因みに"ひしっ"としたのは言うまでもなく晴明の方で、博雅といえばそれを当然のことのように大人しく受けている。嬉しげに笑い、なにごとかの囁きに小さく頷く様はまるで恋に目覚めたばかりの少女のようだ。 たかが一晩離れただけで、これまでにはもっと長い時間を逢わずに過ごしたこともある。けれどいざ公認になった途端の不在に心細くなったのだろう。自分が"帰る"と言ったことも忘れて。 「博雅、聞こえておったぞ」 「なにがだ?」 「お前、戻り橋で言うたであろう。"早く晴明に逢いたい!"と」 「なんだ、聞かれておったか。恥ずかしいな」 「照れずともよい。俺とてお前に逢いたくて夕べもどれほど長々しい夜を過ごしたことか」 うん、愛い奴。と言わんばかりの目つきがいやらしい。 喉の下に這わせた指で博雅の顎を掬い上げる。そっと、怖がらせぬようそっと唇を寄せようとして… 「あー、安倍殿、殿には蜜虫姫にお話がございますゆえ、暫し私とお話いただきたく参りました」 「俺はきみに話などないよ」 邪魔された悔しさで睨み付けるが俊宏はどこ吹く風〜という顔でそっぽを向いている。 「いや晴明、まこと俺から蜜虫殿に話があるのだ。こ度のこと、なにやら面倒をかけたゆえな、きちんと礼やら伝えたいことがあるのだよ」 「構わぬ、あれは俺のし―――」 「し?」 俊宏がじっと見詰めてくる。 「し…死んだ母に似てよく出来た女だからな」 「はて、確か異母兄妹とお聞きしておりましたが」 「いやいや、あれの母親の下へは俺もよう参ったからな。俺のことも可愛がってくだされたよい女子であったよ」 苦しい言い訳だが俊宏にはその後のことがあるので追求はしなかった。一刻も早くこの場から博雅を遠ざけ話をつけてしまいたい。 「では殿、私は安倍殿とのお話が済み次第下がらせていただきます」 「うむ。気をつけて戻れよ。八重や清子には、くれぐれも…」 「まだ内密にしております。その辺りも、この俊宏にお任せくださりませ」 「頼む」 ニコニコと手を振ると、博雅は大声で"蜜虫どのぉぉ"と名を呼ばわった。すい、と現れた女の気配に少し不審さを感じつつ、鬼や妖しの気配を恐れる博雅がなにも変わった様子を見せないので、よもや彼女が晴明の式であるということなど思い至らぬ彼だった。 主と蜜虫を見送り、それから俊宏は上がっても良いかと目で尋ねる。なにごとかを察したのか、細い眉を片側だけ器用に上げた晴明は、優雅な身のこなしでいつも座す濡れ縁に視線を流した。 「…いまなんと申した」 「ですから、博雅様は気に病まれておられるのですよ。つまり安倍殿とご自身の…経験の差、と申せばよろしいでしょうか」 「経験…博雅の経験…」 言葉だけで体内の血液温度が一気に上昇する。毛穴という毛穴が開き、そこから小さな式が一斉に顔を出しコンニチワーの大合唱でもするような…喩えが気持ち悪すぎる。 ともかく晴明はジーンと感動していた。 博雅の経験。 未経験の博雅。 初体験の博雅。 『優しく…してね?』 「ふ…ふふ…ふふふふふ……」 「なんですその笑いは」 ギロッと睨まれたところで痛くも痒くもない。晴明は焦がれ抜いた博雅をついに手に入れる瞬間を迎えようとしているのだ、しかもこの実直なだけに手強い家臣を欺いて。 「私の話を聞いてくださる気はおありですか」 「ん?おお、これはすまん。いやあるぞ、なんだ」 ほれほれ、と手にした蝙蝠で催促する。 「家の大事を声高に、しかも私如きが申してはまこと許されることではございませんが安倍殿には既に十分ご承知の通りでございましょうからお話いたします。単刀直入に申しまして、我が殿におかれましてはこと"閨"でのご作法という方面に関しましては全くの無知の方にございます」 「ほう、確かにまたえらく大胆に言い切ったな」 「事実でございます。隠し立ては無用と判断いたし、出すぎたこととは承知しながら口にいたしました」 「いいさ。俺はそれが嬉しいということもあるのだからな、怒ることではないよ」 半分だけ開いた蝙蝠で俊宏に風を送る。主の恥を口にするなど、まず許される話ではないが確かにそこを伝えなければ始まらない。つくづく嫌な役回りだ、と俊宏は肩を落とした。 「とにかくこと婚儀や夜のこととなられますと、博雅様はまず不機嫌になられその話は止めよと留められます。それがご友人の間のことであれば退席するなどして過ごされるのですが屋敷などではいつも通り、大きな目に涙を浮かべ無言の抵抗をなさるのです」 「お前たちも苦労が絶えぬな」 「はい。ですがここに来て、その…安倍殿とこのような運びとなられ、私としましては大変歯がゆいのも事実ではありますが、それならばそれで仲睦まじくお過ごしいただきたいと考えるようになりました」 「そうか。応援してくれるか」 「仕方ありません。博雅さまのお望みですから」 はっはっは。心の中で勝利の笑いを高らかに響かせる。しかしすい、と近付いてきた俊宏の動きにただならぬものを感じた。気のせいではない、彼はなにやらの決意を胸に秘めたような表情でじっと晴明を見ている。 「殿のお悩み、察していただけますか」 「悩みとは」 「昨日の帰路にて安倍殿が取り乱された一件でございます」 「ああ、あれは…な」 あの博雅が自ら口付けてくれたのだ、泣くなと言われて泣かずにいられる訳もない。だが晴明にもプライドはあるし、なにより俊宏に対し心のうちを見ることもないので惚けるように蝙蝠をパチパチと鳴らし庭に目をやった。荒れた庭の中ほどには、その音を聞きつけた蟷螂が下命を待つように手をこまねいているが、端から見れば両手の鎌を振り下ろす危ない女にしか見えない。俊宏の視線が向いていなくて良かった。 「安倍殿は博雅様とは異なり、その、そちら方面についても"非常に"明るいとお察ししますが」 「それほどでもないが」 ふふーん、そりゃ子供の博雅が泣いて許しを請う程度にはイロイロ出来ちゃいますよ。 余裕の笑みにそれを読み取った俊宏はギロリと晴明を睨みつけておく。泣かせるようなことは許さない。蝶よ花よと育てられた博雅には、各方面で清らかなままにいて欲しいのだ。 しかし。 何を置いても博雅の幸せが最優先されるべきことであると信じる俊宏は、彼が望むならどれほどの無理でも出来るのも事実だ。今も晴明を前に遠まわしなことを言っていても始まらないと察すると、膝を進め彼との間を縮め眉間に皺を作り低く囁き始めた。 「これ以上ないほどぶっちゃけて申しますが、殿は閨の嗜みをまるでご理解されてはおりません」 「…ほう」 「手順もなにも全てが聞き及んだことのみで、ご自身がそのようになされたことは皆無でございました」 「そうか」 そうか。と晴明は心の中で繰り返す。真っ白なのだな、博雅よ…せーちゃんウレピ! 「その辺りは既に安倍殿もご理解いただいておられるとは思いますが…やはりこう、殿は…博雅様は、ゴロリとマグロのように…その…」 「晴明一口メモ。縄文時代には既にマグロを食べていたらしいが、その名で呼ばれるようになったのは江戸時代からで、今は"シビ"というのだ」 「…そのシビが…いま誰に話していたのですか」 「気にするな。時代小説は色々と面倒なのだ。それで?博雅がなぜシビになる」 「ですから…作法を実践されたことがない故に、どうすることも出来ずただ横におなりになられているのでしょう?」 横になる博雅…恥らいつつ、どうすることも出来ずただ横になる博雅… 「安倍殿、鼻からなにやら…」 「おお、イカン」 懐紙を取り出し鼻血を押さえる。全く、今夜という今夜は絶対にやるぞ!俺をこんな目に遭わせた報いは受けてもらわねばな。泣かせてやる…きっと美味き声で鳴かせてくれる! 思わず悪人面になる晴明を胡散臭げに見る俊宏は、これは今宵も連れ帰った方がいいのではと不安になる。百戦錬磨の晴明に純真無垢を誇張してしまったのは早計だったか、後の祭りとはいえ悔やまれるのは拭えぬ事実だ。 「殿はそこをお気に病まれているのです。自らは何も出来ぬことを恥じ、そしてそれを安倍殿が嘆かれておいでなのではと」 「有り得ぬな。博雅がなにをしても、どう振舞おうと俺には可愛いとしか見えぬ」 「…そう威張られても…」 ふんぞり返った陰陽師に溜息をつきつつ俊宏は思った。 割れ鍋に閉じ蓋。 この二人は周囲がワーワー口を挟まずとも、これはこれで幸せに過ごしていくのではないか。身分や人の噂をものともせず、こうして睦まじく相手を思い続けるなら無理に結婚を押し付けてもあの博雅が幸せになれるとは限らない。 晴明、と。 その名を出すときの彼の笑顔は実に楽しげで、俊宏をはじめとする家臣一同も本当は分かっていたのだ。ただこの得体の知れぬ陰陽師に騙されているのだと思い込み、どうにか引き離そうとしていたに過ぎないのだから。 「安倍殿は…まこと博雅様を思うておられるのですね」 「おう、それだけは誰にも負けぬな」 器用な漢は生きることに対してのみ、考えられぬほどの不器用さを持ち合わせている。それは博雅でも稀にしか触れられぬ彼に取っての人間臭さであったが、こうして博雅を我が物にしたという自信が閉じ篭りがちな彼という人格を開放しつつあるのは確かだ。 晴明は、源博雅という人間がいなければこの世というものに一切の未練のない寂しい魂を持っているから。 「お二人で…どうぞお二人、こうして過ごすことを選ばれたのでしたら…」 言葉に詰まる。 まるで娘を嫁に出す父親の気分で、俊宏は熱くなる目頭を晴明に見られぬよう顔を伏せ言葉を繋ぐ。 「どうか博雅様を泣かせるようなことだけはなさらないで下さい」 「俊宏…」 感動的なシーンだ。実に感動的である。 ではここで晴明の心中を覗いて見ましょう。 『えーっ、そんなこと言われても今夜さっそく鳴かせるつもりだったのにーっっ!』 やっぱり連れて帰った方がいいと…
次回、いよいよ最終回です。 どーなるのかーなーっ!! |