BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  1

 

 

 

 

 

 

俊宏は困っていた。

 

 「どうするのだ!俺は一体どうすればよいのだっ」

 

困っていた。それはもう完膚なきまでに困っていたのだ。朝から。昨日から。

もう半月も前から。

因みに先ほどから喚いているのは博雅であり、頭を抱えて唸っているのも彼一人だ。人払いをした源家の一室で、彼は今日も朝から悶え、人生最大の悩みを大いに嘆いている。

放り出したい。

全てを放り出して吉野の里にでも篭ってしまいたい。

耳元でわーわー騒ぐ博雅を、許されるなら蹴り転がして脱兎の如く逃げてしまいたいのだ。本当は。

そうしないのは俊宏の職務熱心さと源家大事の家令魂、そしてなにより結局はこのアホの子博雅を放っておけない父性と"負けてなるものか魂"の賜物と言えるだろう。

負けてなるものか。その言葉にも様々な思いが込められている。一つには幼い頃より仕えてきた博雅を生涯の主としようという意地。いま一つが物事の全てを中途半端では終わらせられない彼自身の正義感と思い込み。そしてもう一つ。

あの化け物陰陽師に負けて堪るか!という、最早宮中に渦巻く政権争いよりも熱く激しい戦いとなったそれに対する徹底的な戦闘意欲に他ならない。

俊宏は頑張った。

それは気の毒なほど頑張ってきた。

とにかく頭の切れることでは他の追随を許さぬ陰陽師相手に過ごさねばならぬ主のため、影になり日向になり何くれとなく世話を焼いてきたのだがその全てはことごとく無駄に終わっているのだ。

 

思い起こせば半月前。

晴明の姦計に騙され、彼の至上と仰ぐ大切な主人は"男の妻"として土御門に通う羽目に陥らされた。平安時代の婚姻は通い婚が殆どなので、本来博雅が妻であれば通ってくるのは晴明の方であるがこの場合は諸々の問題があるため博雅が通う側として決められた。

この辺りの詳細が知りたければ、前シリーズである"バカにつける薬と恋のPit-a-Pat Peep-Show"を全て読破していただければ分かるのでそうするように。

とにかく、疑わしいとは思いつつも俊宏としては博雅の幸せを第一に考え、晴明と縁を結ぶことを承諾してしまったのだ。

だって結んだのは縁だけじゃないって言ったんだもん。

胸のうちで呟き、俊宏はまた大きな溜息をついた。

そう、博雅は言ったのだ。

 『俺と晴明は、まあ…あれだ。そのようなことになっておるゆえ、今更照れることもないのだが』

と。

そのような、ことに。

なっておる、ゆえ。

照れることも、ない。

この言葉の意味するところを現代語訳するならば、"だってもうしちゃってるもん"ということに他ならない。しちゃってる。なにを?

そりゃあなた、あれですよ。

ちらりと博雅に目をやると、彼は頭を掻き毟ったため烏帽子が飛び髪は乱れきっている。こんなところに誰か入って来ようものなら忽ち"気触れ"と噂を立てられてしまうだろう。人払いしてあってよかったと胸を撫で下ろしつつ、それならいっそ自分も払って欲しかったと正直な家令は力なく項垂れた。

坊主が小姓を手元に置くことが当たり前としてあった時代だ。また政治的にも求められれば拒めぬ上に、自身の出世のためであれば男同士でその座を争うこともあった。歴史書を紐解けばざらに出てくることなので、男色自体は珍しいことでもない。

だがしかしっ!

なにが悲しくて醍醐天皇第一皇子の第一子として生を受けた、貴族中の貴族であり今も朝廷からは従四位下を頂く高貴なる殿上人である博雅が、化け物陰陽師の妻になど成り下がらねばならぬのだ。

 

ここで豆知識。この物語では現在三十歳の博雅はその官位が従四位下と史実に基づいている。後に従三位にまで叙せられるもののその官位に付いたのは九七四年。確実か!と詰め寄られればいまいちハッキリ断言は出来ないが単純計算で五十二から五十六歳。取り敢えず五十七歳の時に"皇太后宮権太夫"に任命されているので、五十を越えた頃には叙せられたか?という感じで。因みにこの役職、本来は従四位の勤める官職だが実は"皇族に縁ある高血統"の者にしか務められない役職だったので、従三位の博雅が兼任していたという事実があるのだ。選定が難しく空席だったこともあるこの役職に博雅がついているのはすごいことだ…けど…本当に身分だけだったんだな。という突っ込みはかわいそうなのでやめておこう。

 

さてこんな背景があって、博雅という人間がただのボンクラではないことは分かる。分かるだけに俊宏としては悔しいのだ。悲しいのだ。

臣籍に下った後も返り咲いて天皇になった者もいるというのに、博雅ときたら日がな一日笛だの篳篥だのとピープーピープー吹き鳴らしてんで自分の出世や家のことなど考えてもいない。いや家のことは多少考えているとは思うが、絶対に"そんなことない!"と言い切りたくなる事態を自ら招いてくれたのだ。この"はくがの三位"ならぬ"白痴の四位"は。

本人が、どーしても彼がいい!というので、俊宏は泣く泣く大切な主人を嫁に出した。勿論飽きたり酷い目に合わされたり、その他諸々隙あらば取り戻し今度こそ"性別、女"と履歴書に書ける姫のところに無理にでも捨ててくるつもりだが、なんだか幸せそうに笑う主を見ていると無碍に事を運ぶことも憚られ"幸せならいっか"という心地に漸く落ち着いたというのにこの始末。

頭に来た。

もー今日と言う今日は本当に頭に来た。

自分が言い出したんだし、自分が招いたことだし、自分が"晴明がいいっ"と宣言したのだから勝手にすればいいのだ。"もうやっちゃった"と言ったのも自分なんだから、今更そんなこと言われても知るもんか、俺の責任じゃないもんねっ!

と、胸中で大絶叫した俊宏は黙って両手を耳に当てた。博雅の顔を見ながら。

 「なんだ俊宏、その態度は」

 「もう聞きたくない、ということです」

 「なんだと、お前はそれでも俺の家来か」

 「家来ですよ。父でも兄でもなく家来なんです。身の回りのお世話をさせていただく者として源家にお仕えしておりますが、それが?」

 「なんという言い様、俊宏がそんなやつだとは思わなかったっ」

 「なんとでも仰ってください」

再びうわーっと騒ぎ出した博雅を置き去りにして部屋を出る。これ以上付き合っていては身が持たないし仕事も進まない。ここ三日ばかりは出仕の予定もなくこうして屋敷でごねまくっている主人だが、その間にしておかなければならないことは山ほどあるのだ。ほつれた袍を繕ったり、庭の手入れを指示したり、朝暮の膳の相談にまで乗っている俊宏は本来毎日フル回転の忙しさだった。

 「俊宏様、あちらで八重様が殿のお召しを御新調なされることにつきご相談申し上げたいと」

 「いま行きます」

源家で一番若い女房が頭を下げて去っていく。ああ、身分なんかどうでもいいから殿にもああいう淑やかで気配りのある姫を迎えていただきたかった…カクン、と垂れた首で去っていく女房の背を見ていると、背後からドタバタと近付いてくる者がある。

 「こら俊宏、俺の悩みはどうするのだっ」

 「殿のお悩みは殿のお悩みとして、ご自身でお考え下さい」

 「冷たいことを申すな。俺ではどうにもならんからお前に頼っているのだろう」

 「悩むことなどないではありませんか」

 「なに」

俊宏は疲れていた。

困って困って困りすぎて、ついに考えることを放棄した。

好きにすればいいんだ。

 「"そういうことになっている"」

 「む?」

 「殿が仰ったんです。"晴明とはそのようなことになっておるので、今更だ"」

 「なんだ、それは」

自分で頭に乗せたのだろう烏帽子がひん曲がって今にも落ちそうだ。

俊宏は、わざと大きな溜息をつくと博雅をジロリと睨み付ける。

そう。博雅の言った言葉は彼に"既に一線は越えた"と思わせるに十分なものだった。男色という言葉を当てはめるのは嫌だが、二人がそうである以上、"そうなってしまっている以上"留め立てするのも忍びないし、また仲を裂くようなこともしたくはなかった。

そう思い、泣きの涙で認めた"晴明との契り"だったというのに!

 「殿がご自分で仰ったでしょう。いくら私でもいい年した殿の…その、閨の嗜みに付いてなどというご相談にはそうそう乗っていられません」

 「なぜだ」

なぜ?

すう、と息を吸い込む。

 「いいですか、殿は安部殿と一線を超えたと仰ったのです。だから私は諦めもしたし認めもしたのです。それが今更、"毎日迫られて困る。本当はまだなにもなかった"なんて言われても、私にはどうすることも出来ません!」

 「とっ俊宏、声が大きい!」

むぐっと俊宏の口を塞ぎ、ズルズルと縁を引き摺っていく。人気のない辺りまで来ると口を塞ぐ手は緩めたが代わりにしっかり握った指は解かない。

 「お前、まさかと思うが怒っておるのか?」

まさか、と思えるところがすごい。

片眉がキリキリと吊り上がるのを自覚しながら手を振り払う。…振り払われまいと博雅が必死に掴んでくるので、なんだかブンブンとシェイクハンドしているような状態だ。

 「なあ頼む、今宵も町口へ参るのだ。なんとかしてくれ」

 「嫌です」

 「主人に向かってその口の利きよう、俊宏、お前は俺をなんだと思っている」

 「安部殿の北の方です」

 「きっ、」

絶句した。

意地悪かな?とは思うが自分が受けた仕打ちを考えればまだまだ序の口と言えるだろう。隙を狙ってエイッと腕を振ると、ようやく開放された手を素早く袖の中に隠した。

 「殿、いい加減お覚悟なさればよろしいのです」

 「覚悟?」

ジリジリ、と俊宏に迫る博雅の顔は必死だが、それ以上に俊宏とて必死なのだ。なにせ自分が許可してしまった手前、今更ほかの家人に"実はあの時ならまだ取り返しはついたんです"とは口が裂けてもいえない。

言えない、と言ったところで誰にも打ち明けてはいないのだが、それにしたって一番口喧しく"結婚ケッコン"と騒いでいた俊宏が本人の好きにさせてやろうと言い出したことで一同納得してしまったのだから、こうなると全責任が彼の肩によっこらしょしてしまうという事実だけが残される。

 「いいですか、殿は既に安部殿と抜き差しならぬ、なさぬ仲になっておられるのです」

 「なっておらんと申しておろう」

 「なってもらってないと困るんです」

 「反対していたくせに!」

 「状況が変わりましたからね。大丈夫、ご心配されずとも、安部殿にはそういった方面の知識は陰陽の技ほどもご存知のようですし、殿はお心安くしてお任せになればよいのですよ」

 「ま、任せるとは?」

 「ですから、」

 

  『やさしく………してネ』

 

 「しっしっしっ」

 

 

しなくていいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!

 

 

 

博雅の絶叫が響き渡る。

                                      続く →