BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 2 「ええい、博雅はまだ来ぬのか」 苛々と爪を噛みながら晴明が歩き回る。腰に手を当て前屈みになるその姿は、さながら動物園の熊だったけれど幸い蜜虫は動物園を知らないので"まあ、殿ったら。おかしなお姿"という感想を抱くだけで済んだ。 済んだ、って十分バカにした感想だが取り敢えず晴明に聞こえなければそれでいい。普段であれば式神の思考は主である晴明に伝わってしまうものだが、ここ半月ほどの彼はなにをしても上の空、仕事もなにも全て放り出して苛々ウロウロし通しなのだ。 なぜか。 答えは一つ。恋焦がれ、頭がおかしくなるほど思い続けた博雅がついに彼の妻となったのだ。いや誰も"妻"だなんて言ってないけど彼はそう思っていたし、俊宏とて余りにバカバカしい状況にそう言って博雅を突き放しているのだから"妻決定"でももういいことにしよう。 さて、ではなぜ"嬉しハズカシ新婚さん"の二人が、こうまで悶えているのか。 話せば実に簡単且つバカらしいことなので言いたくはないが、言わないと物語が進まないので言ってしまおう。 晴明は、自らの思いを貫き博雅を手に入れた。 博雅は、自らの願い通り"酒の飲み場"を死守した。 初めから微妙にずれた二人の思いは、修正も試みないうち有耶無耶のハッピーエンドを迎えてしまったのだから始末に終えない。 晴明としては博雅からキスをもらえたことでゴーサインも同時に獲得したと思っていた。幸い彼の随身の俊宏をうまく騙し遂せたのだ、遠慮もなにもする必要がない。さあ今宵は朝まで離さぬよと、赤いバラの代わりに庭のトリカブトを口に銜え情熱のタンゴを舞い踊った。因みに銜えていたのが茎だったので実害はない。俊宏的には"根っこを噛んでくれれば…"ということだがそれすらも後の祭り。 一方博雅はといえば、自分が妻になるなんてこれっぽっちも思っていないし、彼は純粋に好きな友と好きな酒を飲むことを、晴れて許された開放感でちょっと浮かれてしまったに過ぎない。で、なにをしたかといえばチューなので、"ちょっと浮かれて"では済まない事態を自ら作り出してしまったのだから自業自得の事態だが。 だって。博雅は思う。だって好きだと言うから。一緒にいたいと言うから。晴明とであればイヤではないと、彼は自らの唇をちょこんと晴明のそれに合わせてしまった。 ファーストキスではない。 博雅にとっては生涯二度目の感動的シーンだ。一度目も晴明なところがこの男の運の尽きであると言えるが、ともかく二人の恋物語は大団円で終了! するはずもなく、半月の間攻防戦を繰り広げることとなる、ただの"戦闘開始"となってしまったのだから笑うことも出来ない。 晴明の主張、それは"初夜"を迎えることである。結婚したのだ。ゴーサインも本人から出たのだ。我慢する必要などどこにもない。 そして博雅の主張としては、"誰が妻だ、誰が!"というのだから、この攻防がどれほど虚しくバカバカしいかということが分かってしまう。 全てを悟った俊宏は、それでも晴明に文句を言いに行った。契り交わしてもいないなら、まだ取り戻すチャンスはある。だがその時も彼は舌先三寸で丸め込まれた。 曰く。 『博雅は、ことそちらに関しては疎くてな。心はこうして固く結び合うたのに、体を繋ぐことを恐れておる。きみは"契り交わしていないなら"というが、あのように泣いて震える博雅にどうして無理強いなどできようか。だが、それでも離れたくないと言うのだ。共寝しながら触れることも叶わぬ…その辛さがきみに分かるか』 はらはらと落涙。 そうまで言われれば悪いのは博雅だと認めざるを得ない。 自分で選んだことだし、それでも離れたくないというなら覚悟を決めるべきは彼の方だ。そこのところは男として俊宏も充分に理解している。更に晴明の作り話で二人の絆はナイロンザイルより太いと思い込まされているのだ、後に引けない以上思い切って踏み込んでしまえ!と乱暴ながらそう思わずにいられなくなったとしても無理はないだろう。 そんな訳で、晴明はやる気満々、博雅は毎日迎えに現れる"夫"の使いに怯えるという、本当に鬱陶しい状況となっているのだった。 以上、前シリーズより半月間の解説と補填、終了。 「誰ぞ博雅を迎えに行け」 「では私が」 蟷螂が鎌を振って答えると、控えていた蜜虫がそっと立ち上がりその鎌を奪い叢に放る。あなやっと叫びながら庭に駆け下りたのを確認してから晴明の前に手をつき頭を下げた。 「本日は私が参りましょう」 「しかしお前が行っては…いや、よいか。新婚早々渡りの少ない夫を急かす妻。外聞も悪くて送り出さぬ訳にはいかぬであろう」 「そのような…」 「なんだ」 「いえ」 そのような悪人面をせずとも、殿はご立派な"博雅様の夫"でいらっしゃいますのに。 やれやれ、と溜息をつきながら支度のため下がっていく。 この半月と言うもの、蜜虫は一度も藤に戻っていない。いい加減咲く時期も過ぎ、季節外れの狂い咲きと仲間にはバカにされている彼女だが、それもこれも大切な主のため今日も彼の愛する博雅を迎えに行くのだ。 晴明邸の式神は、現在蜜虫を筆頭に蟷螂(かまきり)、蜻蛉(かげろう)、百足(むかで)という女房姿の女がいる。みな高価な唐衣裳をまとう美しい女たちであったがそれぞれクセのある生き物たちで出来た式だけに扱うのは難しい。 蟷螂については前作でイヤというほど書いてきたが、新顔の蜻蛉はトンボではないので要注意だ。彼女はウスバカゲロウであり、幼体は"アリジゴク"と呼ばれている。成虫になれば三ヶ月ほどの寿命の間に食事をとることはないが、アリジゴクでいる間は捕らえた虫の体液を啜るという"昆虫の吸血鬼"に他ならない。 文虫という蚊の式を使う晴明だから蜻蛉がいたところで不思議はないが、この女は目を離すとすぐに穴を掘り身を潜める。女房姿の時はそのままなにをするでもなく、目をギロギロさせ周囲を窺っているだけなので実害はないが、気味が悪いし危なくて庭をそぞろ歩くことも出来ない。つい昨日は晴明の手を逃れ庭に走り出た博雅がその穴に嵌り大変な騒ぎとなった。なんせアリジゴクなのだ、もがけばもがくほどに沈んでいく。砂漠の砂でもあるまいになぜ庭の土がこのようなことに!と叫んだのが晴明だったので余計虚しかったのだが。 そして百足。彼女は実に大人しい、可愛らしい女であった。よく気が利くし女房としての躾も行き届いている。だが。 「殿…私の不在の間にまた百足が粗相いたしましたら…」 「心配ない。博雅には戻り橋で必ず俺の名を呟かせろ」 「はい」 頷いた蜜虫の背後で、なにか大きなものが蠢いている。 「これ百足、横着をせず立って歩きなさい」 晴明の声にモジモジしながら几帳の影に隠れ込む。彼女は人の姿をとらない時には"ムカデ"として過ごしているため、二本足で歩くことは苦手でも仕方ないのだと分かってはいる。けれど見ている方は気味の悪いことこの上ない。 博雅は初めて彼女がもぞ…もぞもぞ…と這っている姿を見たときに当然の如く物の怪と勘違いし、泣きながら刀を振り回し晴明の名を呼ばわった。その姿は実に彼を楽しませたが怖がる博雅が哀れなのも事実だ。以来、博雅の前には現れぬよう厳しく監視の目を張り巡らせている安倍家であった。 さて、博雅を迎えに行くこととなった蜜虫は牛車の中で思案している。 「今宵こそはなんとしても殿と契り交わしていただかねば…」 迷惑な話だが、蜜虫にとっては晴明こそ主である。彼の意志を最優先させることが彼女の勤めであり使命なのだ。博雅には諦めてもらうよりほかない。 しかしなぜあそこまで嫌がるのだろう。 頑なに縁で酒を飲み続ける姿は蜜虫としては理解できかねる。なぜって。 「殿は…それはもう…」 ポッ …こらこら蜜虫。 ヤダ!晴明は博雅オンリーなのっ!バカッ!と仰る腐女子のみなさんには申し分けないが、この晴明、十二単を"ツルリ"と十八秒で剥く男なのだ。足せば三十。 よく分からないがとにかく、こと情事に関することは後宮に顔もうろ覚えになるほどの女を抱えた主上より尚盛んであったし巧みであった。しかもその全ての女を覚えているのだから彼が帝として立てば実に丈夫な天皇家が存続したと思われる。…ヤだけど。 下世話な話が続き居たたまれないが、とにかくあの晴明に博雅では役不足なことこの上ない。飽きたらどうするんだ、と思われても仕方ない晴明の所業を思い蜜虫は可憐な溜息を一つついた。 「初々しいご様子をいまは楽しんでおられるけれど…果たして殿に忍耐のなきことと、妻としての務めなど果たされるつもりもない博雅様のことを思うと…」 細い首を傾げ彼女は呟く。 「一服盛ってしまった方が早いかしら」 所詮、この女も"晴明の式神"ということだ。 「蜜虫様、ご到着にございます」 「ありがとう。悪いわね。常葉」 彼女と同じく、長いこと晴明の元で働く常葉はほんのりと赤い唇に微笑を浮かべた。同じ式でありながら、今の蜜虫は晴明の妹、右大臣藤原師輔縁の姫という立場なのだ。 「疾く、博雅様をお連れ申し上げて」 「そうね。殿の御為にも私、気張りますわ」 ぐっと拳を握り気合を入れる。 突然現れた主人の妻の車に慌てた源家の下男が走り寄る。 "子羊ちゃん陥落獲得隊"の蜜虫は、優雅に檜扇で顔を隠した。
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