BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 3 博雅が篭城している塗り籠の前に、俊宏と蜜虫は並んで座っていた。 「殿、姫直々のお迎えにあらせられます。お心を決め、疾く出でまし給え」 「イヤだ!どうして俊宏は俺の嫌がることを勧める時だけ言葉が丁寧になるのだ」 「そのようなことはござりませぬ」 惚けてはいるが確かにそうだ。彼は手を焼く出来事になると理詰めで責めるから、必然的に口調も改まったものになる。 さて、蜜虫の訪問と聞いて家人一同はがっくり項垂れだ。 あの博雅が自ら惚れて結婚を申しこんだ姫とは、このほどめでたく処顕しとなり広く夫婦の契りを交わしたことが知れ渡った。これで源家も安泰と一同胸を撫で下ろしたところに泣きながら駆け込んでくる者があった。 博雅だ。 彼は晴明の屋敷から素足で駆け戻ると、自室に飛び込みわんわんと泣き伏せた。一体なにが起きたのか、早朝のため自邸にいた俊宏が呼び寄せられ訳を問い質すよう求められると、気が進まないながらも彼は優しく問い掛けた。 『晴明が…晴明が寝かせてくれぬのだ!』 聞いた瞬間は正直に"お盛んでらっしゃる"と胸のうちで呟いた。色事の知識がゼロな彼のことだ、ぼかした表現が出来ないのだと思っていたが続く台詞に首を捻る。 『あれは俺のことを妻だというのだぞ。妻なら妻らしく勤めを果たせと申すのだ。体を求めてきたのだぞっ』 うわーん 暫し止まって、それから俊宏は口を開く。今更でしょうと言い放つと、彼は大きな目でキッと彼を睨みつけ言った。 『なぜ俺があやつに抱かれねばならん』 思い返すだけでこめかみが痛くなる。 キスしたくせに。房事がままならぬかと聞いてきたくせに。 彼には"晴明と離されるのはいやだが、そんなことまでするとは言ってない"という主張があったが、晴明本人にも、俊宏にも、最早全てが後の祭りであったのだ。 「いいですか、もう何度も確認させていただきましたが、殿は安倍殿の元へ通われるのをお止めになれるのですか」 「出来ない」 「では通われるのですね。安倍殿を好いておられるのですね」 「晴明は好きだ」 「それではご自分の意思で、安倍殿の下へ行かれるということですが間違いございませんか」 「俺はあの庭を見ながら晴明と酒を飲みたいのだ。春には春の、夏には夏の、四季の庭や月を肴に、あれと心行くまで杯を酌み交わしたいのだ!」 「それならばなぜ、今はこうして"行かぬ"と駄々をこねられるのです。私は殿が二度と町口へ行かれないと仰せになられるなら都合がよいのですよ。今度こそ適当にどこぞの姫とでも結婚していただくつもりですから」 「嫌だと言うておるだろう。白粉の顔を舐めるのも、知らぬ女を妻にするのも嫌だ。俺は俺の好きにする。晴明と酒を飲む!」 「話になりません」 やれやれ、と首を振って見せると、蜜虫も深い溜息をついた。 言っていることは分からなくもない。ただ俊宏は晴明の口車に乗せられ、博雅の思いも"恋"だと思い込んでいるのだ。恋しい人の元へは行きたい、けれど契り交わすのは嫌。房事のままならぬ男の初々しい恐怖心が言わせている戯言に過ぎぬと、彼なりの解釈をしてしまった後なのだから歩み寄りは最早ない。 「私としては、全て安倍殿にお任せするつもりでおります」 「はい。こればかりはお二人のことでございますれば、周りの言葉など…」 ふう。気苦労の堪えぬ互いを視線で慰めあい、それから俊宏はよっこいしょと立ち上がった。続いて蜜虫も立ち上がる。 塗り籠に立てこもるとは言え中から溶接している訳ではないのだ。二人は扉に手をかけるとエイッと強引に開け放った。かんぬきが飛ぶ。 「わーっなにをするかっ」 塗り籠の奥で、床に使っている畳をバリケードとして立てかけ、角盥をヘルメット代わりに被った博雅がギャンギャン喚いている。その姿は情けないを通り越して哀れですらあったがもう溜息をつくのも疲れた。 「さあ殿、大人しくお車へ」 「嫌だっ」 「博雅様、兄が心待ちにしておりまする」 「嫌だっ蜜虫、帰れ。帰ってくれ!」 「帰りまする。博雅様とともに」 「やめろっ来るなっ二人とも近付くでない!これ誰ぞおらぬか、八重!清子っ」 「人払いさせたのは殿でございますよ」 問答無用。畳を踏み越え喚く博雅に近付く。 むずと首根っこを掴み角盥を剥ぎ取ると、往生際悪くジタバタ逃げ出そうとしたがその先にいる蜜虫が足を引っ掛け転ばせた。俊宏は見ない振りをする。 「安倍殿がお待ちですよ」 「いやだっ、俊宏頼む、嫌なのだ」 「ご幼少のみぎり、殿は鰯がお嫌いでしたが今は酒の肴に所望されます。食わず嫌いはよくありませんよ」 「なんだその言い方はっ!俊宏、いくらお前でも無礼ではないかっ」 「はいはい、明日の朝、お戻りになりましたらふかーくお詫びいたします」 体格で言えば博雅の方が大きいのに、襟首を掴んだままスタスタ歩いていく俊宏の後ろを蜜虫が静々とついていく。 屋敷の中を博雅の声が、ドップラー効果を起こしながら移動する。誰の耳にも聞こえているが、"殿が何を言っても無視。せっかくの姫を逃したくなければノータッチでいること"と言われている一同は耳を塞いでやり過ごす。お気張りやす、おややを授かるまでのご辛抱でございますよ、と。 …授かったら怖いから。 ではいってらっしゃいませ。明日の早朝、私がお迎えに上がりますまでは安倍殿のお屋敷にてお過ごしください。 そう言うと俊宏はポイッと博雅を牛車の中に放り込み、蜜虫が乗り込む姿を見送った。 んもぉぉぉぉう、と一声牛が鳴き車輪が回る。バサッと開いた御簾から博雅の顔が出るがすぐに消える。腕が出る。消える。足が出る。また消える。 内部では蜜虫が彼を取り押さえているのだろう。役目を終えた俊宏は遠ざかる牛車に手を振るとそのまま踵を返し八重の元へ向かった。なにせこれから博雅の衣を新調する件についての打ち合わせをするのだ。大体、閨がことなどという超私的な話は本来彼の関知すべき事柄ではない。相手が姫であり、正妻や側室、世継のこととなれば彼の出番ともなろうが博雅が言っているのはズバリあっちそのままの話なのだ。構ってられるか! どすどすと足を踏み鳴らし歩いていく俊宏の背中が、なぜだか小さく見えていた。 結局、心配なのね。 一方、博雅と蜜虫は、狭い牛車の中で静かな戦いを繰り広げていた。 尤も彼女は既に博雅と話すことなどなく、ただ速やかに安倍邸へと送り届ければいいだけなのだ。いつも通り微笑を浮かべた唇で静かに控えていた。 そして博雅は隙あらば逃げようとしてはいたものの、僅かでも身動いた途端蜜虫のデコに怒りマークが浮かぶので内心ちょっとビクビクしながらそれでも諦めきれずに御簾の隙間から見える"自由の地"を鼻の下を伸ばしながら盗み見ていた。 「博雅様」 「なっなんだ」 「殿をお嫌いでございますか?」 「は?」 「晴明様は、お嫌いでございますか」 「嫌いな訳ないだろう。晴明はこの博雅の大切な友だ」 ふんぞり返る。 「では、屋敷に訪ねてくださることはお嫌ではないと」 「ああ。二人並んであの縁で飲む酒は最高にうまい。呪の話など、時には興醒めすることを言い出したりもするがあれがよい漢であることを忘れたことなど一度もないぞ」 「それを聞き安心致しました。それでは到着いたしましたら早速、酒(ささ)の支度など致しまして、私の舞を見ていただきとうございます」 「おお、蜜虫殿の舞か。それは楽しみだ」 互いにニッコリ。 蜜虫は思う。 こういう素直で愛らしいところに殿はお惹かれになるのでしょうね。けれどお気持ちが確かであればあるほど、求める心も強くなる…恋とは、恋とはまこと罪深く、そして潔いものなのですね。 惜しい。そういう"恋"をテーマの詩的な言葉は晴明の前で言わないと。 酒と舞という言葉に、早くも自身の頭が舞いだした博雅には蜜虫の本心など分かるはずもない。彼女が全面的に晴明の味方であることを失念していたのも失敗だ。 "さて、薬棚にはなにかほどよきものがあったかしら…" 一服、盛らせていただきます。
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