BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  4

 

 

 

 

 

 

門の前に立ち、博雅はハタと気が付いた。

 「俺は…来てしまってよかったのか?」

五芒星の描かれた、古びた門は紛れもなく陰陽師安倍晴明の屋敷を守るそれである。人の手もなく開閉するそれはいま、博雅に向かって"ウェルカム!"と叫んでいるかのごとく開ききっていた。博雅以外であればもったいぶったように少しばかりしか開かない、なんとも主の本意を写し取った嫌な門である。

 「ここに来てしまったのはなぜだ?蜜虫殿が酒の用意をするというからだ。俺は晴明と、晴明の庭を見ながら酒が飲みたい。そして蜜虫殿の舞も見たい。だから来てしまったのだが…うーむ、なにやら大切なことを忘れているような…」

バカだ。ウルトラバカだ。生きるということに対しここまで純粋で疑いのない人間では、きっといつかは酷い目に…って本当はもう遭ってるんだけど本人に自覚がないから黙っていよう。

とにかく。唸りながらも一歩、庭へと足を踏み出した博雅の背後で門が音もなく締まる。

これで朝までなにがあっても開かない開かずの門となることに彼が気付くのは五分ほどあとのことだが、この時の博雅は首を傾げ"なんであったかな"と呟くのが精一杯であった。

 

さて蜜虫はと言えば、博雅を降ろし門が閉じたのを確認するとそのまま牛車を常葉に任せ自分はふわふわと宙を舞い屋敷の一角へと向かう。晴明手製の薬草を収めてある倉まで行くと、そこでなにやらを探し始めた。

こういうことにかけては細かい晴明である。用途によってきちんと整理されたそれらは病を治すものから呪いに使うもの、頼まれて作った妖しげなものと数多く置かれている。

乾燥させただけでこれから煎じて使用するものもあれば、既に練り上げられ異様な匂いを放つものもある。味噌でもあるまいに薬を醗酵させるのであれば専用の倉も立てて欲しいわと、普段用がなければ近付くこともない蜜虫が溜息をつく。晴明が聞けばうるさいと怒るだろう。

薬棚のあちこちに手を伸ばしこれは違うあれは違うと思案していると、博雅の悲鳴が響いてきた。門を潜って五分、漸く状況に気付いたらしい。けれど屋敷周りには結界が張り巡らされているため声が漏れることはない。暫し手を止め気配を探ると、ドタバタと屋敷の中を走り回る慣れ親しんだ音が聞こえた。

 「やはり必要なようですわね」

はあ、と可愛らしく肩で息をついた蜜虫だが、やっていることは犯罪の域に達するだろう。なんせその気のない博雅に一服盛って既成事実を作らせようというのだ。俊宏が聞けばいくらなんでも許してはくれまい。

しかし俊宏同様、主に対し強い忠誠を誓う蜜虫はその手を休めることなく幾つかの薬草を選り出した。煎じ飲ませるもの、煙を嗅ぐもの、すり込むもの。

 「よく分からぬけれど聞いた限りはこのような…まあ、これでいいでしょう」

いそいそと歩き出した蜜虫の独り言は、誰にも届かず霧散していく。

 

…確実なものを選んだのではない、ということですね?蜜虫さん…

 

 

また一つ悲鳴が聞こえる。

 

 

 

 

 「これ博雅、そのようなところに篭らず出てきてくれ」

 「嫌だ!なんだその手付きはっ、まずそれを止めよ」

手付き。クネクネと、おいでおいでをしているこれであろうか。晴明は自分の手を見て、それから優しく笑いかけた。博雅に。

 「何も怖がることなどないのだ。出て参ればこの手でよい子よい子とおつむを撫でてやろう」

 「バカっ」

博雅が隠れているのは、晴明の大切な書物を収めた一室にある二階厨子と二階厨子の間の隙間だ。"厨子"とは両開きの収納ケースのことをいい、二階厨子と言えばその二階部分の扉がない、今で言う車輪のないワゴンのようなものだ。

しゃがんだ博雅より少し低いものの、ぎっしり書物の詰め込まれたそれはとても重く、その隙間にはまり込んだ博雅を引っ張り出すにはかなり強引に捕らえなければならないだろう。いくらなんでもそこまでの無理強いをしたくない晴明は、さてどうしたものかと首を傾げた。

 「晴明、酒が飲みたい」

 「ああ」

 「晴明、俺は縁でお前と酒が飲みたい。蜜虫殿が舞を披露してくれると言うたのだ。意地悪をせずそうしてくれ」

 「蜜虫?はて、そういえばあれはどこにおるのだ」

博雅を無事捕獲したはずの功労者の姿を一度も見ていないことに気付いた晴明の意識がふい、とそれた途端博雅がその隙間から這い出た。走り出そうとして…

 「お前、なにをしておる」

 「…痛い…」

長いこと隙間に挟まっていた博雅の足は完全に痺れていて、咄嗟の動きに付いてきてくれることはなかった。もんどりうってすっ転んだ博雅は床に鼻を擦りつけ、赤くなった鼻の頭で情けなく晴明を見上げる。

 「かわいそうに。ほれ、なにもせぬよ。一先ずお前の言う通り、酒を飲みつつ蜜虫の舞を楽しもう」

 「一先ずだけでは嫌だが、お前がそう約束するなら」

くすん、と啜り上げた鼻で答える。その姿の愛らしいことと言ったら、先日縁の下で生まれた狗の子のようでそりゃもう喰っちゃいたいくらいイトシィーっ!って感じなのだが、せっかく出てきた博雅をまた隙間に戻すよりはとスケベ心はポーカーフェイスの下に隠し込んだ。

手を取り引き起こすと、グズグズと文句を言いながらも指は絡めたまま歩き出す。こういうところが博雅の迂闊さであり、晴明に付け入らせる隙を作っているのだ。自覚がないのは罪にはならないといっても程がある。

 

さて、スケベ心をどうにか理性で包み込んだ晴明が縁に立つと、前方に不穏な気配が渦巻いている。穴だ。穴があいている。さっきまではなかった、妙にサラサラした砂の盛り上がった中央にポッカリ開いた大きな穴。

「博雅…母屋へ行こうか」

「嫌だ!晴明、お前やっぱり嘘をついていたなっ」

「違う違う、そうではない」

「卑怯だ、俺など酒でどうでもなると思うておるのだろう、ひどいぞ!」

手を離せっ!と喚く博雅の体に被さるようにすると、今度は激しく震え始める。さすがに哀れになりそっと背を撫でてやると、言葉通り確かに晴明を好いてはいる博雅は唇を"うっ"とさせ彼の顔を見詰めた。

 「庭にな、穴が開いておるのよ」

 「穴?…………なにっ」

 「またお前が落ちると大変だ。引き出すだけで苦労するし、なにより砂を飲んだろう」

 「うむ。口の中に入ってくるのだ。じゃりじゃりしてとても苦しかったぞ」

なんだかんだ言って密着しつつ甘えたように白い狩衣の袂を引く博雅。まったくお前ってやつは…

 「俺もこの北の対の庭が好きではあるが、そこはあの蜻蛉も同じなのであろう。ここはあれに譲り、我らは向こうで…な」

な?ってアンタ…

 「うむ、分かった」

分かっちゃいないくせに簡単に頷いて、晴明に手を引かれながら歩き出す。

それを見送る蜻蛉の目は、獲物を取り逃がしたことを憤慨しているかのように今日もギラギラと輝いていた。

 

 

 「あら、殿はいずこに…」

やってきた蜜虫は二人の姿を探し首を巡らせる。庭には二羽鶏がいない代わりに蜻蛉が頑張っている。穴の淵に座り、口元が動いているところを見るとなにやら捕らえたのだろう、それは幸せそうに笑っている。

 「これ蜻蛉、殿は何処に参られた」

 「はい、母屋へ行かれると申されておりました」

 「母屋へ?まあ、では見事ご寝所へと…」

表情は殆ど動かぬが、嬉しげな蜜虫の気配が伝わったのか蜻蛉も楽しげに微笑んだ。手には巨大なミミズを握っている。

主の首尾を知った蜜虫は、いそいそと母屋へ向かいそっと寝所の様子を窺ってみた。

以前にも話したが晴明はここと定めた寝所を持たない。眠くなればどこででも横になってしまうので、袿の一枚もあればそれで事足りてしまうのだ。

その晴明が博雅を連れ母屋へ!

安倍邸の造りは少しばかり変わっている。寝殿造りであり母屋と東、北と二つの対の屋を持つかなり立派な屋敷であったが"見えている範囲"の延べ床面積にするとそれほど広くはない。室内の殆どが何かしらで仕切られた妙な空間として存在し、どこになにがあるかを把握しているのは晴明だけだ。隠し部屋もかなりな数があると見て間違いないだろう。

この屋敷を購入する際、口利きをしてくれたのは藤原忠平である。彼は現右大臣師輔の父であり、晴明の師、賀茂忠行とともに何かと世話になった恩人でもある。仕事に絡む晴明の目は噂通りの切れ者であり、その時点で既に忠平の血筋にある凄まじいまでの瑞兆を彼は見抜いていたのだ。そのためことあるごとに藤原家には恩を売り、生活に関することはおんぶに抱っこに肩車と、左団扇を実現させているちゃっかり者さんでもあった。

華美ではないが設えがしっかりとした安倍邸の母屋は、唯一塗り籠の存在する"主"の部屋として今か今かとその出番を待っていたに違いない。

逸る心を抑え蜜虫が足音を忍ばせ近付くと、なにやら話し込む声が聞こえてきた。

左手、孫廂の方。

 「博雅、それでは苦しいよ」

 「おおいかん、つい嬉しくてな、握り締めてしもうた」

 「気持ちは分かるが…焦らずとも逃げたりせぬ。こうして漸くお前の手に…」

 「バカ、妙なところを触るな」

 「よいではないか。ほれ、ここはどうだ」

 「あ、よせ、晴明…ならぬよ…」

蜜虫の唇が横一杯に引き上げられる。

いよいよだわ。

いよいよなのね。

ああ、案ずることなどなかった。やはりお二人はこうなることが定め。殿があれほどに求められたのですから、そのお心はいつか必ず博雅様にも届くと信じておりましたが…

にゅぃぃぃぃぃん、と引かれた唇のまま、今度は眦が下がり始める。嬉しいのだ。けれど悲しいかな表情筋が乏しいだけに、極端な顔になってしまうだけのこと。彼女に罪はない。

 「殿…このような差し出がましきことをせぬうちに、見事本懐を遂げられましたこと、この蜜虫、まことに…まことに嬉しゅうござりまする」

この喜びを初めに誰に伝えたいですか?

ハイ!実家のお母さんにっ!

感動の渦に飲み込まれつつ、それでも抱えてきた薬草を落とすことなく声のする方へと近付いていった。気配は完璧に消している辺り、デバガメ体勢は完璧だ。

 「あっ晴明…………っ、ばかぁ…だからダメだと言うたろう」

 「おお、すまぬな。濡れてしもうたか」

 「どうするのだ、このように…恥ずかしい」

 「案ずるな。どれ、俺に任せてみよ」

 「うむ」

 「しかし博雅…」

 「なんだ?」

 「かわいいな」

 「…………………バカ」

殿、天晴れ!

思わず懐から取り出した扇を振り翳す。

肝心なところは見損なったが、いま覗けば間違いなく"事後"の艶めかしい姿などが堪能できるであろう。嗜みをかなぐり捨てた態度ではあるが案じ続けた晴明の晴れ姿だ。しかとこの目で見届け、彼に仕える式たちにも伝えてやらねばならぬ。

では。

塗り籠の脇から、うまい具合に立ててある几帳の影へ移動すると蜜虫はそっと目を覗かせる。

 

 

 

 「あ………ああああ……………」

 

 

力ないその声は、いったい?




                                      続く →