BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 6 「……………うーん…」 「どうした、博雅」 蜜虫に手渡された杯を唇に運んだ博雅は、中に残る黒い酒を見て唸った。二人の式は顔色も変えず…元から変わりようがないだけだが、さりげなく二杯目を注ごうとしている。 「黒酒は…」 「酒がどうした」 ぴく。蜜虫のこめかみに緊張が走る。 「やはり美味いな」 「そうだな」 きりりと締まった味がすると言いながら二杯目、三杯目と勢いよく飲み干していく。 ここのところ訪ねれば必ず晴明に迫られ、好きな酒も飲む気になれなかった。だからいま晴明と二人並んでいることも、この屋敷の庭から眺める景色も、博雅の心をウキウキと浮かれさせていたのだろう。そのピッチは晴明が苦笑するほどに早くなっていた。 「この庭もいいものだな。いつもは東の対で飲んでいるが、ここから見る月も随分見事ではないか」 「そうか。ではこれからはこちらでも飲むことにしよう」 寝殿の孫廂から望む月は確かに美しく、流れる風も甘く香りなんとも風情のある宵を演じていた。 空にはまだ微かな赤みがあり、紫や藍色、紺色、そして漆黒へと移り変わるグラデーションを生み出している。星が一つ。ふたつ。どこから、またなんの虫の声なのか、そういう理屈抜きで響く自然の楽の音が博雅の心をより楽しませているのだろう。彼は嬉しそうに晴明を見、そして杯の酒を飲み干していく。 彼がそういうものを好んでいるのは、実は晴明にもちゃんと分かっている。分かっていてもなお、求める心が強く彼を駆り立ててしまうのだ。抱き締めて思う様己のものとしたいのだ。 我が侭か?我が侭であろう。それも分かっている。 博雅の瓶子は早くも一本目が空になっていた。示し合わせていた常葉が素早く替わりのものを持ってくる。二人は視線を合わせ微笑んだ。 「なんだか暑くなってきたな」 「酒を飲んでいるのだ、そうもなろうよ」 「晴明も暑いか」 「ああ。暑いな」 「そうか」 納得し、また杯を傾ける。 肴の匂いにつられたのか、子犬たちが庭に出てきて小さな鼻をひくひくとさせているのを見て、博雅は自分の皿に盛り付けられた干し魚に手を伸ばす。するとすかさず蜜虫の手により晴明の分の肴が手渡された。晴明としてはそんなもので博雅が喜ぶなら安いものだ、文句を言うどころか微笑んでその様を見ている。 気前よくちぎったそれを放っている姿は実に愛らしい。まるで子供のそのままに振舞う彼に、なぜだか晴明は悲しくもなってきた。だって。だってこんなに好きなのに。こんなに思っているのに伝わらないなんて。せーちゃんかなしー。 なにやらシュンと項垂れだ晴明を見て常葉の心はザワザワと騒く。蜜虫の言った通り、これは一刻も早く殿に咲いて頂かねば。このように俯き、打ちひしがれたご様子の殿など見たくはないわ。見詰める瞳に"頑張れ殿、負けるな殿"と力を込め空の杯に酒を注ぐ。 そうして二人の空けた瓶子は合わせれば両手にも届こうかと言うところにまでなった。 「いややはり暑いな。どれ、脱いでしまおう」 「…博雅?」 晴明の声にも気付かず、楽器を操る以外はとことん不器用な博雅の指がたどたどしく狩衣を解いていく。見る間に単、指貫姿になると満足したのかまた酒を飲みはじめた。 言葉もなく、ただただ飲み続けていた博雅がまた唇を開いたが、今度も彼の口から出たのは"暑い"というそれだった。 単の襟元をパタパタとさせ、風を送り込んではいるが足りぬのだろう。思案げな目で胸元を見ていた彼は次に指貫を脱ぐことにしたようだ。確かに開放的だがそれでは夜着と変わりがなくなってしまう。そんな刺激的なものを見せられ自分の理性がもつはずもないことを十分承知している晴明は思わず掴んだ博雅の指を強く引き、どうしようかと焦ったものの離せば躊躇いなく脱ぎ始めるであろうと咄嗟に腕の中に抱きこんでしまった。 「こら晴明、暑いと申しておろうが」 「暑いのは分かった。いま水桶でも用意させるから暫し待て」 「いやだ。暑いと言うたら暑いのだ。離さぬか」 身を捩って逃げようとする博雅の体は確かに熱い。酒に酔ったものとは思えぬほど発熱している気がする。 「お前、熱でもあるのではないか」 「なにを言う。こら晴明、俺はこれを脱いでしまいたい。楽になったところでまた酒を飲むのだ」 「いかん、どうもまことに熱があるようだ。蜜虫、床の支度を」 「はい」 いよいよだわっ!蜜虫と常葉の目が光る。 二人は廂の上を軽く片付けると、背後にある塗り籠を手早く整えた。必要なものは枕元にそろえたし、畳の上の褥は新品である。ここまで整えたのだから、あとは晴明の本能の赴くままことに至れば… 「殿、お支度が」 「うむ。ほれ博雅、掴まれ」 「嫌だ。俺はまだまだ飲むのだ」 「子供のようなことを申すな」 クネクネと力の入らぬ体を捩る博雅をどうにか支えて歩く晴明の背後で二人の視線が絡む。 「蜜虫」 「はい」 「お前、なにを企んでおる」 「は?」 殆ど呟きのような声だったため思わず問い返してしまったが、その言葉の意味を理解すると彼女はハッと顔を上げた。勿論表情に変わりはない。 塗り籠の扉を押さえていた常葉は首尾よく二人が中に入ったあと、その扉を封じ込めるようにピタリと閉じて蜜虫を見た。佇む彼女に首を傾げる。 「いかがなさいまして?」 囁きながら近付き彼女に尋ねると、心なしか蜜虫の顔色が悪い。ように見える。 「これで殿もついに…我らも肩の荷が下りた心地ですわね」 「……………………よ」 「なにか?」 「殿が………気付いてらしてよ」 「……………………え」 「しかも、お怒りのご様子でしたわ」 二人の式が、微笑んだまま見詰めあう。 風が。 生温い風がぬわぁぁぁぁぁぁぁんと吹き抜けて… 「ど、ど、ど」 リフの大爆笑? どーーーーーーーーーーーーーーーしましょーーーーーーーーーーーーーーーっ! 蜜虫と常葉の声にならぬ叫びがもうすっかり闇と化した庭に響く。 煩げに、狗の親子が縁の下へと逃げ込んでいった。 さて皆さん、塗り籠の中が気になってますね? 気になってますか? 気になりますよねぇ。 待て次号。 ぷぷっ
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