BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 7
「こら博雅、大人しく横になれ」 「暑い…暑いよ晴明」 「氷を持ってこさせるから待っておれ」 褥に座らせ、晴明はすいと立ち上がろうとした。しかし博雅の指が狩衣の尻を掴んでいて進めない。 「どうした?」 「どこへゆく」 「常葉に氷室へ参るよう伝えてくる。それと、お前に水を持ってきてやろう」 「いい」 「いい?」 「いらない。ここにいてくれ」 「博雅?」 眉を寄せ、じっと博雅の顔を見下ろす晴明はやがて溜息をつくと屈み込んだ。彼の額に掌を当てるとかなりの発熱を感じる。 蜜虫め、なにをしおった。 忽ち潤んでくる博雅の大きな目に見詰められ心の臓が張り裂けんばかりに騒ぎ出す。しかしこれで手を出しては本物の愛ではないことくらい分かっている晴明としては、なけなしの理性と根性をかき集め優しく微笑むしかなかった。 「辛いのであろう?」 首を振る。見詰めたまま。 「博雅」 また首を振る。涙が落ちた。 「晴明…晴明、どこにもゆくな」 「ゆかぬよ」 「まことか」 「ああ。ここにいる」 そっと手を取り指先を包むと、少しは安心したのかこくんと頷く。拙い仕草にまた胸が痛む。 「だが暑くはないのか?」 「…暑い」 「氷は欲しくないか」 「欲しい」 「では、すこうしばかり、一人で待っておられるな?すぐに戻るゆえ、ここにいてくれ」 「帰ってくるのか?」 「当たり前であろう。俺が、博雅以外の誰の元へ"帰る"というのだ」 思案するように首を傾げ、それから博雅は微かに頷いた。目は晴明を見詰めたままに。 ポンポン、と手の甲を叩き、それから晴明は素早く身を返し塗り籠の外に出た。扉を閉め、足早に進む先は勿論、何事かを仕組んだ己の式神の元だった。 「蜜虫」 台盤所を覗く。先ほどの片付けも済んだ後なのだろう、綺麗に整えられたそこには何の気配もなかった。屋敷全体にも彼女の波動は感じられない。 「おのれ逃げたか」 呟きながら手を打つとすっと現れたのは蜻蛉で、彼女に氷の用意を頼むと晴明自身は東の対へと急いだ。その庭にしっかりと根を下ろした藤の木。それが蜜虫の正体である。 「蜜虫、これへ」 返事がない。手を打つ。…反応がない。 「火を放とうか」 「これに」 覚悟したのか、藤の木の幹が微かにたわんだように見え、そして見る間に女の形をとり始めた。唐衣裳を着込んだ美しい女房が現れる。 「お前に聞きたいことがある」 「はい」 「博雅に飲ませたのものはなんだ」 「はい…」 はい、と答えはしたがその後が続かない。 「どうも様子がおかしいと思うてはいたのだ。お前、博雅の酒になにやら仕込んだのであろう」 「申し訳ありませぬ」 崩れるようにしゃがみこむと、蜜虫は白い、美しい指先を庭の土につき平伏した。 「差し出た真似であることは重々承知いたしておりました。ですが私、今宵こそ殿には本懐を遂げていただきたく、博雅様の酒に細工を致しました」 「なにを混ぜた」 「はい。薬倉より持ち出しました、"惚れ薬"の調合に用いますものをいくつか…」 「無茶なことを」 「申し訳ございませぬ」 いつの間にか蜜虫の隣で同じように手をついている常葉がしかと晴明の顔を見詰め薄い唇を開いた。 「蜜虫のみの責ではござりませぬ。私にも同様のお叱りを」 「叱りはせぬ」 笑いを含んだ口調で晴明が言った。二人の式が不思議そうに顔を上げる。 「お前たち、俺のことを案じてくれたのだろう?ちと乱暴な手ではあったが、それを叱ることは出来ぬ。確かに俺自身の欲望が招いたことなのだからな」 儚い笑みに胸が締め付けられる。どうしたせーちゃん、えらくカッコイイぞ! 「しかし博雅のあの様子、"惚れ薬"とはちと異なるように思うのだが…蜜虫、お前どのような処方をしたのだ」 「はい。以前、右大臣様の元へお届けいたしました時と同様に」 「師輔にやったものであれば間違いないが…そういえばあの時は笑ったのう。あの虚け(うつけ)、評判の姫であると聞き及び忍んで行ったはよいがとんでもない醜女(しこめ)でな、赤くて大きな鼻をしておったそうな」 思い出したのか下卑た笑いの晴明はそこでふと気付き蜜虫を見た。 「あの時の処方をなぜお前が知っておる?手伝わせたのは文虫ではなかったか」 「はい。その後、文虫より聞き及びましたものを真似て作りましてございます」 「どのようなものをどれほど使うた?」 「はい…」 思い出しながら処方を告げる蜜虫の言葉に晴明の眉間に皺が浮いてくる。 「待て。あれには薬倉にあるようなものではなく、常識で考えればありえないものばかり使うてやったのだぞ」 「はあ」 「墓地の土、蟇の肉、雄牛の胆汁などといった、唐渡の怪しげなものばかりを混ぜてやったのだが、そのようなものは薬倉には置いていない。お前が処方したものは明らかにでたらめななんの効果もないものにしかならぬはずだ。逆に腹でも下すのが関の山だぞ」 「しかし文虫の申す通りに致しましたゆえ…」 「埒があかぬ。お前の使ったものをここへ持ってきなさい」 「はい」 命じられると二人の式はすぐさま彼の前に薬草を並べ始めた。そのどれもが確かに師輔に渡した"惚れ薬"に使用したものではあるが足りぬものも多々ある。 「これで全てか」 「はい」 「ふーむ…」 「蜜虫、まだこれが残っていますよ」 常葉の差し出した草を受け取る蜜虫。ああそういえば、と頷きかけて彼女の目がビヨンと飛び出す。感情のない式とは思えぬ表情だが、確かにその目は大きく見開かれ飛び出しているように見えたのだ。 「こっこっこれはっ」 「お前、それはハシリドコロではないかっ」 「ははははは、はいっ」 「それを混ぜたのか、そのようなものを博雅に飲ませたのかっ」 「ももももももももももももももも」 くるりと背を向けた晴明は、ベン・ジョンソンより早く走り去る。ベン・ジョンソンとは喩えが古いが、平安時代からすれば恐ろしく先を見据えた表現だろう。さすが晴明。 さて、原作とマンガをご覧の方には馴染みの深いこの"ハシリドコロ"という薬草。詳細をご存知ない方のために紹介するとおよそこのようなものである。 ハシリドコロ。 ナス科の植物。全草に猛毒のアトロピンやヒヨスチンアミンを含み、これを食べると幻覚症状を引き起こし、錯乱状態でかまわず走り回るので、ハシリドコロの名がついた。 フキやゴマナにも似ているので、ついつい誤食してしまう事例が多い。 恐ろしい。昏睡状態になることもあるので、みなさんは十分注意するように。 で、話を戻して。 「ひっひろましゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ」 両手の指を揃え体の脇で真っ直ぐ振り上げられる晴明の腕はまるで止まっているように見える。それだけ高速で動いていると言うことだが、その慌てようは確かに頷けるものなのでよしとしよう。と言うより、博雅がハシリドコロを飲んだのは確かなのだ、慌てない方がおかしいだろう。 駆け付けた塗り籠の扉が開いていた。 中を覗くが博雅の姿はない。 「博雅っどこにいる博雅、返事をしろ!」 叫び、庭に飛び出すがそこにも博雅の姿はない。何事かと起きだした狗の親子がウロウロするばかりである。 「殿っ博雅様はいずこに」 「分からぬ、いなくなった」 「ハシリドコロ…その名の通り"人を走らせる"薬でありましたか」 「感心している場合ではありませんよ常葉っ」 どうもピントがずれた女だ。晴明の使う式の中では頭のいい方だと思っていたのだがそうでもないらしい。いやそれを言い出したら蜜虫もそうなんだけど。 「申し訳ございません。私…私どうしてハシリドコロなど…あのような薬草など…」 「薬にはフキを入れたのだ。旬の美味いフキが手に入ったところでな、冗談で加えてやったのを文虫には"ハシリドコロ"だとからこうたのだが…すぐにこれはフキであると教えておいたに…」 「私、確かにフキであろうと…乾いて干からびておりましたゆえ、おかしいとは思いましたのに…」 「殿、かくなる上は文虫も召し出して」 「出来ぬ」 「なぜでございます」 常葉の問いに晴明は目を伏せた。 「先日、博雅が叩き潰してしもうた」 「ああっ既に報いを受けておりましたか」 崩折れてる場合かっ! 「よもやこのようなことを言うている時ではない、お前たち、他のものも連れて博雅を探して参れ。俺は解毒薬を処方しておくゆえ、きっと無事に連れ戻すのだぞ」 「かしこまりました」 二人の式の姿が青白く光る。輪郭がたわんだと見えた次の瞬間にその気配は消え去っていた。同様に、屋敷のあちこちから何かが弾ける気配がする。式たちがそれぞれに博雅の気配を追って飛び出していったのだ。 踵を返した晴明は真っ直ぐ薬倉に駆け込み、そこにある薬の中からハシリドコロの解毒に用いるものをいくつか選び出し作業台に寄った。乾いたそれらを擦り、潰し、こねながら口の中では博雅の名前を呟き続ける。 さあどうなる、源博雅。 彼は無事に救出されるのか。そして解毒は間に合うのか。 このシリーズ初のシリアスな展開に最早読者は置き去り状態の様相を呈してきたが、まあそれは一先ず置いておいて先へ進むことにしよう。 とか言ってるけどページの都合で、丁度時間となりました、ちょと一息願います。 また次の、ご縁までぇぇぇぇぇ って、この一節知ってる人がいたらすごいよ。 広沢虎造の浪曲、森の石松金毘羅代参より次の幕への休憩を請うものだからね!
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