BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  10


 

 

 

 

 「あれか」

 「はい」

常葉に導かれ駆けつけた晴明の視線の先に一台の網代車が停まっている。

華美な装飾が一切ないあたり、逆に高貴なる身分の者が忍びに使用しているものと判じられる牛車であった。

その車の周囲には六人の従者が付き従っている。みな車の周囲に腰を下ろし、響く琵琶の音に聞き入っているのだ。中には目元を押さえた者もいて、その音の素晴らしさを視覚にも感じることが出来る。

 「確かにあの手はあの男のもの」

 「朱雀大路にて博雅様を拉致し、ここまで参られましてございます」

拉致?は?

 「おかしいと思うたのだ。あれほど見事に我が屋敷より消え去るなどありえぬ。きっとどこぞの盗賊にでも拐されたのかと思うていたが…よもやあの男が自ら出向いておったとは…」

ちょっと待て晴明、なにかおかしくないか?

隣に立つ常葉は黙って晴明の膝元に座っているが、遅れてやってきた蜜虫もこれには首を傾げた。

 「殿、博雅様はあれに」

 「おお蜜虫か。よう突き止めた、もう心配はないぞ」

 「心配、でございますか」

はて、傾げた首のまま常葉を見る。相変わらず彼女は座っているだけだ。

 「人の妻に手を出して、帝といえどただでは済まさぬ」

 「殿、晴明様、なにを仰せになられておられるのですか」

 「博雅を拉致したのはあの男であろうが。琵琶などで懐柔しおって、小賢しい」

怒りに燃える晴明は、その細い指をきつく握り締めている。白い顔も赤味を増し、怒り具合を如実に表していた。

うーん、蜜虫は考える。なんだか話がずれている気がするのは気のせいか。

 「常葉」

 「はい」

振り向いた常葉に手招きをし、晴明から少し離れたところに誘い出す。

 「あなた、殿になんとお知らせしたのです」

 「見たままを語りましたわ」

 「朱雀大路を疾走されていたおりに出くわした牛車に乗り込まれたことをですわね?」

 「ええ」

思案。

 「博雅様が、ご自身で帝のお車に乗り込まれたことを、ですわね?」

 「博雅様が、大きな声で殿を呼ばわりつつ走り回られ、現れた侍に刀を突きつけられながら、悲しげに泣きつつ殿のお名を呼ばれ、しかし招かれるまま牛車にお乗りあそばしたことをお伝え申し上げましたわ」

 「そこです」

 「どこです」

きっ

いつでも微かに微笑んでいる常葉の目は殆ど閉じている状態だ。けれどこういう瞬間…つまりなにごとかの異常を感じた時などはこうして鋭い視線を飛ばすこともある。

 「そこここと、場所のことを申しているのではありません。常葉、あなたは殿に虚偽の話をしてしまったことになるのですよ」

 「なぜです?」

  「博雅様は拐された訳ではありませんでしょう。ご自身で帝の下へ参られたのですから」

 「まあ蜜虫、それではあなたは博雅様が自ら不貞を働いたと申されますの?私、そのようなことは断じてないと信じておりますわ」

 「私とてそのような、不貞だなどという恐ろしきことを…それに博雅様が殿を裏切られるはずはございませんもの」

 「その通り。ですからあれは、拐し以外のなにものでもないのです」

 「そう言われると…なにやらそのような気も…」

こらこらこら!

納得しかけた蜜虫がちらりと視線をやると、そこに立っていたはずの晴明の姿が消えている。慌てて周囲を見渡せばすぐに見つけることは出来たものの、普段人前では冷静沈着な彼が泣きながら式神召喚の呪を唱えている。

前方の牛車からはいまだ哀切なる琵琶の音が響き、辺り一面を闇の中からひっそり霞がかかったように浮き上がらせていた。晴明は河原の大岩の影からその様子を睨み、現れた式に何事かを命じていた。

召喚されたのは蜻蛉だった。

彼女は手に鍬を握っており、晴明の下命に頷くとおもむろに穴を掘り始めた。ものすごい勢いである。

 「まあ蜜虫、蜻蛉はなにをしているのかしら」

 「…大方の察しはつきますわ。戻りましょう」

二人が連れ立って晴明の元へ戻ると、彼はベソベソと泣きながら蜻蛉に向かい"井戸ほども掘り進めよ"と命令している。すぐ脇は河原なんだからそんなに掘ったら間違いなく水は出るだろう。だがこんなところに井戸を掘ってどうするのか。

違う。晴明が穴を掘らせているのは別に井戸水を湧き出させようということではない。

蜜虫はそそと晴明に近付くと小声で言った。

 「殿、それでは博雅様までも穴にはまってしまいまする」

 「なにっ」

なにって、牛車ごと落とすつもりの落とし穴なら、同乗している博雅だって当然落ちるに決まっている。そんなことも気付かないほど動揺しているのは確かだろうが、それにしたってバカすぎて嗜めるほどの気力もない。

 「蜻蛉、これ、穴はもうよい。埋め戻しなさい」

 「ですがこれは殿のご命令」

唐衣裳の裾の乱れも艶やかに蜻蛉が鍬を振り上げる。仕方ない、といったように常葉がその鍬の柄に手をかけると蜻蛉は漸く止まり晴明を見詰めた。

 「よい。穴は戻しなさい」

 「…はあ」

残念そうだ。

実にがっかりと掘り進んだ穴を塞ぎ始めた蜻蛉を背に、蜜虫は晴明の足元まで進むとそこに座し彼を見上げた。

 「御賢明なご判断にございます。博雅様の御身に大事あっては俊宏様がお許しになりませぬ」

それはそうだけど、博雅より時の帝を落とし穴に落としたなんてことがばれたらすぐさま謀反で首を撥ねられると思うんですが、どうでしょう。

まあこのメンバーに"帝は偉い人"などという意識は皆目ない。あれはただの種馬であり、世の中を平穏に保っておくだけの駒に過ぎないのだ。トランプで言えばジョーカーに当たる。ゲームによっては強いんだけど存在は邪魔臭く、七並べではお助けアイテムだがババ抜きでは厄介ものにしかならない。人に都合よく扱われる、まあ可哀想といえば言えなくもない存在。それが晴明をはじめとする彼らの共通意見だ。

 「しかし…それではどうすればよい。博雅を無事救い出すにはどうすればよいのだ」

 「お心を静めてお考え下さいませ。殿のお知恵に適うものなどこの都、いえ、この宇宙の中において一つたりともございませぬ」

 「そうか。そうだな。あの琵琶バカ如きに遅れを取る晴明ではなかったな」

ふんぞり返る。赤い目がいっそ哀れに思えたが、取り敢えず自分の襟持ちを完全に捨てることだけはなかったようだ。主人の浮上を手を叩いて褒め称えながら蜜虫は頭の中で算段する。博雅の身を無事取り戻すにはどうすればよいのか。さすがの晴明も帝の牛車に襲撃などかければ洒落や冗談では済まされようはずもない。

なにか…なにかよい知恵はと思案している蜜虫は、既にこの一連の事態が自分の引き起こしたことだという認識の欠片もなくなっているのだから恐ろしい。所詮晴明の作り出すもの、"自分エコロジー"の結集であるのは言うまでもないことだった。

 「蜜虫様、私はどうすればよろしいでしょう」

 「屋敷に戻って、蟷螂が辺り一面刈り込まぬよう見ていなさい」

 「お前も無闇に穴を掘るのではありませんよ」

 「はい」

所在無く立ち尽くしていた蜻蛉は蜜虫と常葉にそう言われ静々と去っていった。歩いて帰るつもりなのか、鍬を肩に担いだその姿を見られれば間違いなく物の怪として逃げられるか弓の一本でも射掛けられるかといったところだが死ぬ訳ではないので放っておこう。

さて、これで問題は"牛車の中の博雅をどう救出するか"に戻った訳だが、ここで噂の本人がどうしているかを見てみよう。因みに琵琶の音はいま、たった今止まったところである。

 

 

 「博雅よ、もう泣かないでください」

 「ですが…ですが主上、晴明が…」

 「案ずることはありません。私が晴明の屋敷まで送り届けましょう。きっとそこに彼はいます。あなたを待っていますからね」

 「まことにござりまするか」

 「ええ。きっと」

博雅の手を取りポンポンと優しく叩いてやる。本当にどっちが年上だかわかりゃしない光景だが、アホ二人の心温まる触れ合いには相違ない。

 「しかし、あなたと晴明との…秘め事、と申せばよいのでしょうか。正直、私は驚きましたよ」

 「恥ずべきことなのでしょうか。晴明を好くのはいけないことなのでしょうか」

 「この世に"いけないこと"というものは確かにありましょう。ですがあなたの心のうちに秘めたる思いを、なぜあなたではないものに判ずることなどできましょう。博雅、あなたはなにも悪しきことなどしていないのです。それに、よくぞ私に聞かせてくださいました。あなたのその私を信じてくださる気持ち、しかと受け止めましたよ」

 「主上…」

 「博雅」

しっかり。

因みにこの"しっかり"は二人が固く手を握り合ったことを表しているが、同時に"このうすらバカ、しっかりしろ!"という意味も含まれている。

こんなやつらが都の要にいるんだから、そりゃ平安時代も崩壊しよう。

と、『日本の先導者、その歴史と歩み』を語っている場合ではないのでカメラはまた最強陰陽師の方にスイッチングしてみよう。ああ忙しい。

 

 

 「琵琶の音が止んで…あやつらなにをしておるのかっ」

 「私が見てまいりましょう」

ふわり、と常葉が宙に浮く。蜜虫が止める間もなかった。

見たままを語るのは忠実な部下として当然だが、その"見たまま"を自分の都合の良いように解釈する晴明に聞かせるには彼女の話は刺激が強すぎる。それも"殿命"という心が生み出すものだから蜜虫とて分からぬでは決してないが、今度はなにを見てどう言い出すのか気が気ではない。

従者たちには見えない常葉が網代車の屋根に降り立つ。そのまま、箱の中を覗くように屈み込んだ彼女は水干の袖で口元を隠し晴明の方を見た。

 「なんだ、なにをしておるのだっ」

焦る晴明と、別な意味で焦る蜜虫。やはり自分が見に行けばよかったと、今更悔やんでも後の祭りなことを知っていてさえ思わずにいられない。

嫌な予感がする。

とんでもなく嫌な予感が。

 

 「殿、戻りましてございます」

 

ふわりと地に降り立った常葉が晴明の前に手をつく。

緊張が、彼らの周りを包んだ。

 

 

 

 「主上におかれましては、博雅様をその胸に抱きこう仰せになられておられまする」

 「なっなんだ、なんと言うていたのだ」

 「はい」

 

 

  "心のうちに秘めたる思い、しかと受け止めましたよ"

 

 

 「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!」

 

 

だからね、都合のいい…いや、悪い部分ばかり抜粋して要約して自己流解釈を加えた物言いをしてはいけませんって、もう何度も言ったでしょ!…言ってないか。




                                      続く →