BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 12 朱雀大路へ戻ってきた牛車は、朱雀門の前で右折しそのまま土御門方面に進路を取った。 後を追う三人は精神的に既にフラフラの極限状態に追い込まれているが、この期に及んでどこに向かっているのか気付かない辺りが哀れと言えよう。 「博雅…お前は俺を裏切り後宮へ上がるというのか…いや、あの男に脅されやむなくそうするより他にないのであろうが…それでも余りに…あまりに惨い仕打ちではないか、ひろましゃあぁぁ!」 ヨロヨロと歩む晴明に、両サイドに控えた式が支え"しっかり!"と声を掛けている。ってゆーか、あんたたちが余計なことをしたり言ったりするからこうなってるんだよと、誰か教えてあげて欲しいものだが適任者がいないのでこのまま話は進んでいく。 網代車はいよいよ一条大路へと差し掛かり、晴明の屋敷はすぐ目の前に迫っていた。 「主上…」 「どうしました?」 「やはり…怖いのです」 「怖い?」 「はい。このまま晴明の元へ行き、顔を合わせるのが怖いのです。既に見限られた身でありながら浅ましく戻って来ようとはと、あれに嘲われでもしたら私は…私はもう…」 「そのような気の弱いことでどうするのです。仮にそうであったとしてもあなたに非はないのですよ。さあ、そう怯えずに堂々となさい」 背中を軽く叩かれ、博雅はずずっと鼻を啜った。さすがは主上、このような情けない自分を見ても叱るどころか励ましてくださる。基本的にプラス思考の博雅は赤くなった鼻を再度啜ると頷いた。 牛車は土御門大路、安倍晴明邸の前へと厳かに進む。 「なんだ、うちの前ではないか」 「殿のお気持ちが通じたのでしょう」 「罠でございますわ。殿をおびき寄せようということに間違いございません」 「これ常葉、無闇に事を荒立てることは殿の御為になりませぬ」 「ここで言い合うていても仕方ない。蜜虫、様子を見てきなさい」 「かしこまりました」 疑心暗鬼の集団と化した彼らだが、蜜虫だけはどうにか理性を取り戻したらしい。晴明の屋敷、つまりテリトリーに戻ったことで幾分かの安堵があるのだろう。それにまた常葉をやって余計なことを言われては堪らない。心労は男の毛根を直撃するのだ。 "我らの殿をツルリと禿げさせる訳には参りませぬ" 握った拳を震わせ蜜虫はいままさに停まろうとする牛車に向かい進んでいった。 そう言えば平安時代にも禿げは多かったのだろうか。貴族も平民も男はみな烏帽子などを被っていたものだが、禿げていては都合が悪かったのではないか。だが万年栄養失調気味の平安貴族にフサフサを期待するのもどうかと思うし…うーむ、これはどう調べればよいのか。分かった方はぜひ知らせてください。 などと疑問を浮かべている間にも蜜虫は停車した車の側に佇んでいた。勿論姿が見えないため、松明をかざす従者たちは注意を払うことなく車から降りてくる人物の方だけを見ている。 騎乗していた侍は素早く下馬すると、身を乗り出した単を被く男に手を貸しそっと舎人たちの中に紛らせ、そしていま一人が降りる気配を見せると慌てたように腕を差し出しそれを留めているようだった。 「あの男、俺のいぬ間に人の屋敷で博雅に手を出すつもりか」 「殿、ご下命くださいませ」 この二人を残したら残したで危ないことになっている。だが晴明としても相手が帝であるという自覚はあるらしい、忌々しそうに唇を噛みつつも蜜虫の動きを目で追うことで堪えた。 やがて、侍の止めるのも聞かず一見して貴人と分かる男が牛車から降りてきた。辺りを物珍しそうに見渡し、それから静やかに安倍邸の門前へと向かう。舎人に囲まれていた男もその後に従い、一行はその門が開くのを待っているようだった。 「殿、博雅様が"門が開かぬ"と嘆かれておいででございます」 戻ってきた蜜虫が告げる。 「常ならば開く門が開かぬということは、やはり晴明は俺を見限ったのではと落涙されておられまするが」 「見限った?なんだそれは、なぜ俺が博雅を見限らねばならぬ」 「しかし確かにそう申されておられます」 「なんだか分からないがとにかくあの男を屋敷に入れるのは嫌だ。ええい帝という位を盾に取り悪行を重ねるとはなんとも小癪な」 すっかり我を失った状態の晴明にはなにを言ったところで"可愛い博雅がたぶらかされている"としか思えなくなっているが、これは全て常葉と蜜虫による曲解が作り上げた妄執であり博雅の名誉から言えばとんでもない侮辱もいいところだ。なんせ今の彼は身も心も晴明に預けきった"妻"なのだから、それが間男とともに夫の屋敷で不貞を働こうなどと思われていると知れば本気で憤死しかねない。 いまも彼はカリカリと門を爪で引っ掻き、情けない声で晴明の名を呟いている。聞いている成明と紀平はそれは胸潰れる思いで哀れな博雅を見詰めていた。 どうしてくれようか、晴明がギリギリと歯噛みをし始めたその時事態は急激に動いた。 「博雅!」 「博雅様っ」 成明の腕が博雅を支える。が、彼に男一人を支える力などあるはずもなく結局後ろに控えた紀平が二人の男を抱える羽目に陥った。彼も不運である。 晴明、が"しぇいめぃ"に変わり、"てー…めー"に変わった頃、博雅の足が突然縺れて倒れたのだ。いま彼は成明の腕の中で"て…めー"と呟いている。てめー、なんて言葉は使ってはいけませんよ、と嗜めるまでもなく、単に気を遣ってしまっただけのことだが見ている晴明は溜まったものではない。可愛い可愛いひろましゃが、ついに間男の手に落ちた上にその瞬間を見てしまったのだ。 「ふ…ふふふ…」 「殿、お気を確かに」 「確かさ。確かすぎて嫌になるほどな」 どうしてくれよう。まずは憎き成明の息の根を止めてやる。ついで都にあらん限りの悪鬼、悪行を振りまきこの平安京全てを呪い尽くしてくれるわっ! と、かなり本気で思った晴明の耳に奇跡的に成明の叫びが届いた。 「紀平、晴明を、晴明を探しなさい」 「しかし安倍殿といえば比類なき陰陽の師、私如きが探し仰せられましょうか」 「いまはかようなことを申しておる時ではない。これでは…このままでは博雅が…博雅の身が危ういっ」 晴明の眉が寄る。 「このように哀れな…惨い最期を遂げさせる訳にはいきませんっ」 さ…いご? 誰が? 「ひっひっひっ」 しつこいようですが、笑ってるんじゃないですよ。 「ひろましゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ」 加速装置がついているとしか思えぬスピードで晴明が走り込んでくる。巻き上げられた土埃で目をやられた舎人たちが悲鳴を上げる中、滑り込みで博雅の元に突っ込んできた晴明が成明を突き飛ばして愛し可愛い彼の妻を力の限り抱き締めた。 「びろまじゃあぁぁ、しぬなぁぁぁぁぁ、うわぁぁぁぁぁ」 「せ…めぇ」 「博雅っひろましゃあぁぁぁぁ」 感動的、というよりやっぱり汚い。晴明の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているし、抱えられた博雅の頬にも飛び散っている。 「死ぬな博雅、我らはまだ結婚したばかりではないか、これからではないかっ」 どっかで聞いた台詞だ。 「…お前でも…泣くことがあるのだな…」 いや前にも牛車の中で号泣したから。 それより突き飛ばしたのが帝だということを思い出して欲しい。やっぱり今度も成明を庇って下敷きになった紀平も不幸だが、取り敢えず晴明の目にはどちらも映ってはいない。 「なぜだ博雅、なにゆえかようなことになった」 「分からぬ…お前の心変わりが、俺には分からぬのだよ…」 「俺の心変わり?なんだそれは、何を言うておるのだ」 「晴明…俺はただ、お前とともにおることを望んでいただけなのだ。好いてくれぬでも構わぬ、偽りでも、飽いたのでも構わぬ、ただ側におりたかった。友としてでよいから…側におりたかったのだ…」 「いるだろう。俺はいつでもお前の隣におったであろう」 「帰らぬようになる日が来ることは…分かっていた…晴明は、俺などの手に届く男ではないことなど…分かっていたのだから…」 「なぜ俺が帰らぬのだ。なぜお前を手放さねばならぬのだっ」 殆ど悲鳴の絶叫が響く。 さて、ここで周囲の人に視点を変えてみましょう。 「なんと…なんということに…」 ふらふらと崩折れるのは常葉。 「また新たな薬の作用が始まりましたか」 冷静な蜜虫。 「博雅が…私の大切な博雅が…」 はらはらと落涙する成明。 「お…重い…」 その成明の下敷きで苦しむ紀平。因みに成明に退く意志は全くない。 博雅は、晴明の腕に抱えられ細く、儚く微笑んでいた。思い人の胸に抱かれ自分は幸せだとさえ言いたげな甘い瞳で彼を見ている。 「お前に出逢えたこと、俺は決して悔いたりはせぬぞ」 「当たり前だ。俺とてお前を得たことを生涯の宝とすると言い切れる」 「その言葉だけで…よい。それを頼りに、常世への道を…歩もう」 「なにを言うか、俺を残してどこへ行く。博雅、博雅頼む、俺を捨てるな、残していくな。陰陽師などという職に拘りはないのだ、お前がこの卑怯者に脅されながらも守るほどの意味などないのだ。だから二人手を取り、誰にも知られぬところへ参ろう。脅かされることなく二人きりで過ごそう」 「嘘であっても…嬉しいよ…せい、めい…」 「博雅?博雅っ、ひろまさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」 あら? どうなっちゃったの? どうなったと思います?ねぇ。
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