BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  15


 

 

 

 

 「殿の御悩みをお慰めいたすは八重の勤め!」

 「いいや、八重殿、此度こそはわらわが参ろうぞ」

 「清子殿のお声は殿のおつむりに障るゆえ、ここはわらわにお任せになられて」

 「なんじゃそのものの言い様は。八重殿、そなた以前よりわらわを愚弄せんとするお言葉が多いようじゃ」

 「なにを申すか、清子殿、それを言われるならそなたの方こそ、常に我らを困らせるようなことばかりしておいでじゃ」

 「んまぁぁぁぁ、なんと、なんということを」

 「さ、ご理解いただいたならば疾く、あちらへ」

うんざり。

キーッ!と超音波な悲鳴を上げる八重と、やたら腹に響く罵声を浴びせる清子の二人の間に立って俊宏は胃がキリキリと痛むのを感じていた。

この二人はともに湯治などに出かける仲ではあるが、時折つまらぬことで諍いを起こす。女同士のことであり、二人とも博雅が誕生した時より仕える最古参なので誰も逆らうことが出来ない。余程の事態になれば俊宏が仲裁に入り事なきを得るのだが、今回のようにこと博雅に関することは互いに一歩も引かぬので面倒なことこの上ない。

仕方ない、ここは一つ貫之に泣いてもらうことにしよう。

オロオロと立ち尽くす若い女房に目配せすると、彼女はそそと立ち去りすぐさま貫之を伴い戻ってきた。

気の毒な貫之は八重と清子の間に入り、得意の"まあまあ"を繰り出している。これで二人とも日ごろ溜まった鬱憤を全て吐き出すまで貫之に食って掛かるのだ。終わる頃には博雅の話題から後宮に暮らした当時、公達からもらった文の数の競い合いになっているのだから付き合っていられない。

女房と連れ立ちその場を後にした俊宏は小さな声で彼女に尋ねた。

 「殿はいかがしておられる」

 「はい。内裏より戻られました後はお人払いをされたまま奥にお篭りに」

 「そろそろ夕餉をお持ちしなければな。よい、私がお運びいたすゆえ、支度を頼む」

 「かしこまりました」

愛らしい顔立ちの女房は台盤所に向かい去っていく。ああいう女が恋にやつれ食も細るというならともかく、いま、源家の屋敷深く日々泣き暮らしているのは博雅なのだ。これまでに輪をかけて情けないやらバカバカしいやら、俊宏としては八重と清子の喧嘩以上に付き合いきれないことではあるが、見捨てることも出来ないので根気よく接してやっている。

ああ、今日も一日殿に振り回されてしまった…

夕暮れのオレンジの空をカアカアと暢気なカラスが横切っていく。いいなぁ、自由になりたいなぁと俊宏が思ったかどうかは…

可哀想だから聞かないでおこう。

 

 

 「殿、夕餉の膳をお持ち致しました」

ふるふる。首が横に振られる。

 「なりませぬ。さ、こちらを向かれて」

細い灯明のぼやけた光の中で、博雅はこちらに背を向け座っている。この四日で驚くほどに痩せてしまった彼は手にした笛を吹くこともなく暗闇に視線を彷徨わせているようだった。

 「博雅様、本日はあわび煮をご用意いたしましたよ。お好きでございましょう」

ふるふる

 「殿、我が侭を申されるとまた清子殿よりきつくお叱りを受けますよ」

ふるふるふる

 「博雅様…」

可哀想だとは思う。思うがやはり遣り切れない。

博雅は三十路を迎えた立派過ぎる成人男子であり、天皇家の血を引くサラブレッドでもあるのだ。どこに出しても恥ずかしくないはずの源家の主が、いまこうして打ちひしがれたようにヘコんでいるその理由を知っている俊宏としては筆舌尽くし難い虚しさと憤りを感じる。

なぜか。

 「私は安倍殿を全面的に信用している訳ではありませんが、それでもあの時のご様子から殿を裏切るなどという気配は微塵も感じませんでした」

いやいや

首を振る。最近の博雅はなにを言ってもこうして首を横に振ることで返事の全てに換えようとした。ついでに目には大粒の涙が浮かんでいる。

 「お仕事なのですよ。殿とてお勤めがおありなのですからそこのところはよくお分かりのはずでしょう。安倍殿とて殿と離れられることはきっとお辛いことのはず。お気持ちはお察しいたしますがまずはお食事をとられ、心安くしてお戻りをお待ちしましょう」

 「晴明は…もう戻らぬ」

 「なぜそのようなことを仰せになるのです。なにかお心当たりがおありですか」

 「だから俺が悪いのだ。俺が不甲斐ないばかりに…愛想を尽かされたのだ」

ううっひっく

さめざめと泣き始めた博雅の背を擦ってやりながら、俊宏は聞こえないような小さな溜息をつく。嘆きたくもなるさ、だって博雅のこの症状は言うまでもなく"恋煩い"。

三十を過ぎた男が初めてかかる不治の病に心身ともに蝕まれ、泣き暮らしているというのだから全くもって笑えない。しかも俊宏にはあの晴明がいかなる理由があろうとも博雅を疎んだりすることはないという確信を得ているのだ。根拠はないが、なぜかそう思えて仕方ない。

博雅の言う"愛想を尽かされた"理由と言うのは、妻という立場を拒み夜の務めも逃げ回っていたからという、聞けばなるほどそうかなと思うことではあった。だが一族の恥を忍んで"殿はチェリーちゃんなんですよー"と暴露した時も、喜んではいたが嫌がるそぶりなど全くなかった。だから仮に、本当に仮に恋が冷めたのだとしてもそれが理由とは思えないのだ。

そしてそれ以外の理由を博雅は思いつかないので、俊宏としては事実無根と突っぱねる以外にないのだった。

大体、そんなに簡単に飽きたり諦めたりするなら、一度でも"ことに至ってから"の話だろう。聞き出したところでは博雅のチェリーは未だ守られているらしい。

 "珍味とは得てして美味きものではないが、口に入らないからこそ価値が生まれるのだ"

大切な主を珍味扱いするのは情けないけれど、こればかりは俊宏の思いに間違いはあるまい。そして晴明は逆グルメだと推察している。

逆グルメ。好き嫌いは余りなく、気に入ればそれがなんであっても延々食べ続けることが出来る。三食一週間インスタントラーメンでも絶えられるタイプの人間だ。

 「殿、安倍殿がお戻りになって、これほど消沈された博雅様をご覧になればきっとご自身を責められますよ。大切な博雅様をこの様に苦しめてしまったと嘆かれること、お分かりになりますよね?」

 「晴明は…俺のことなど好いてはいないのだ」

 「なぜそのように思われるのです?」

 「なにも言わずに消えてしまった。俺が意地を張ってあれの言う通りに従わぬから嫌になったのだ。そうに決まっておる」

 「人の意に染められ自我もなく従われる博雅様にこそ、あの方は思いを傾けることなどないと俊宏は思いますよ」

 「だが…いなくなってしまったではないか…なにも告げず消えたではないか」

 「消えたのではなく、お仕事で吉野へ参られただけのこと。じきに戻られましょう」

 「嘘だ…俊宏は聞いたのではないか?晴明に、もう飽いたからとでも聞かされているのではないか?」

 「もしそのようなことを言われたのなら、その場で安倍殿を切り捨てました」

彼なら多分やるだろう。俊宏はいつだって本気の男である。

持参した練絹で博雅の顔を拭いてやると、懐紙で鼻をかませ膳の前に座らせる。子供を扱うようなものだが博雅には有無を言わせぬ強引な態度が一番だと言うことを知っている俊宏は、膳の上の菜を交互に彼の口に放り込んでは咀嚼させ死なない程度の食事をとらせた。手間のかかる、世話の焼けると愚痴を零したところでそういう保護欲をかき立てる彼に仕えているのだから嫌はないしまた俊宏にはそれが嬉しいことでもあった。

権力の為、私利私欲のために宮中に渦巻く暗雲はどこまでも厚く黒く殿上人の肩に圧し掛かっているこの平安の都において、どこまでも白いままにいられる博雅は希少でありそして大切に守るべき人であるといえよう。だから彼が彼らしくあるように、俊宏は常に心を配り大事に大事に育ててきたのだ。そりゃもう種から花を咲かせるが如くの愛情を注いで。

食事を終えると博雅はまた両手で握った笛を吹くこともなく、丸めた背中で暗闇に視線を飛ばしていた。その背をそっと撫で続ける俊宏には、時折聞こえる鼻を啜り上げる音がとても愛しくそして哀しく、なんとかしてやらねばならないという気持ちが固まっていった。

母であり父であり、兄でもある俊宏は子供電話相談室の係員でもあるのだ。

恋愛相談にはあまり向いていないという自覚はあるが仕方ない。なにもかもが殿のため!と拳を固める随身の耳に、また一つ鼻を啜り上げる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 「晴明…あの女房はなぜ庭に穴を掘り続けるのだ。今朝方も家人が一人足を取られ、危うく埋まるところであったのだぞ」

 「右大臣様、あなたはその鼻でなにをいたしておりますか」

 「鼻?」

 「その鼻は今この時にもなにかをしておりましょう。なにをしております」

 「なに、とな。…ううむ、息を吸うておるが、そのことか」

 「そうです。人は息を吸い、花は水を吸う。犬は獲物を捕らえ鬼は人を喰らう。蜻蛉が庭に穴を掘ることも、それらと何ら変わりはないのですよ」

 「…分からぬ」

 「分からぬと仰せであればそれもまたそこまでのこと。おお、あの雀は博雅に似ておる。あのようにちゅんちゅんと鳴いて、なんとまあ愛らしいこと」

 「晴明」

 「なんと言うておるのか。俺がおらずに寂しいとでも泣いているのかよ、のう博雅」

 「これ、晴明」

 「む、博雅、それはミミズだ。そのようなものを食うてはならぬぞ」

 「なぜ博雅が雀になるのだ。これ晴明、まろが呼んでおるに、答えぬか」

 「ならぬというただろう!ああ、口元でぷるぷるしておる…気味のいいものではないぞ、博雅」

 「晴明…」

無視しているのか、それとも本当に失念したのか、晴明の背後に立つこの屋の主、師輔はガックリと肩を落とすととぼとぼ去っていった。いまや西の対に近付くものは誰もおらず、右大臣家は水を打ったような静けさに包まれていたがその張本人は"デリカシーのないやつはこれだから困る"と思っているので埒があかない。

見事な景観の庭にはいまやあちこちに穴があき、廂にはその穴を掘り続ける女の主人がだらしなく寝そべっている。注意をしたくとも師輔からして及び腰なのだから最早この家で晴明に逆らうものなど皆無であった。尤も注意をされてもそれで直る彼でないこともまた分かりきってはいたのだが。

しかし迷惑な二人だ。

長年の想いが漸く実を結び晴れて"両想い"となったいまこそ誰に遠慮もなくイチャつくことが出来るというのにこの始末。

晴明は初心な博雅を惨いと嘆き、博雅は晴明の不在を心変わりと思い込んでいる。"吉野へ行く"なんて余計なことを言うものだから俊宏も帰ってくるのを待っている訳だし、このグルグルと回る円を一体どうすればいいのか、また誰がそんなややこしい役を買って出てくれるのか。

まずいないな、そんな人。

と冷たく突き放したところで待て次号。

 

 

それにしてもこのシリーズにしては真面目に恋愛物語になっているではないか。これはホント、目覚しい進歩ですよお客亭。

 

お客亭って…




                                      続く →