BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  18


 

 

 

 

 「それで、泣く泣く身を引くことにしたと言うのか」

 「あれは元より私をそういう意味で求めてはおりませんでしたから」

 「まさか。私に泣いて縋る博雅は心よりそなたを思うておった」

 「博雅には幼すぎるところがございます。こと恋に関することには全くと言ってよいほどに無垢な男…」

 「それは…分かる気もするが…」

真に惚れられた訳ではないと、プライドをかなぐり捨てた告白をした晴明はぼんやりと揺れる灯明を眺めている。

成明にしてみれば、本当の恋も知らぬ博雅がただ居心地がよいというだけで付き合っていた友人に本気で好かれそれを誤解しただけ、という説明は納得が行くような行かぬような不条理さを感じる。

幼い。それは確かにそうだろう。宮廷での彼の様子を見ていればそんなことは聞くまでもなく分かってしまう。どんな話にもニコニコと加わってはいるがその実、女や歌など浮いた話の内容は右から左へと聞き流しているのははっきり分かるし、同席していながらも頭の中では違うことを考えているなと誰もが気付きながらも無視していた。

無視、といっても蔑ろにする意味ではなく、互いにその方面の話であれば博雅の同意を得ることもないし博雅とて理解不能な話に相槌を打つ必要もない。だから宮廷での博雅は真っ白なままの彼を保つことが出来たのだ。

その博雅が。

泣きながら晴明の名を呼び続けた博雅が、そこまでの思いを"恋ではない"と疑われていることには承服しかねる。成明はこの目で見た彼の憔悴振りを知っているだけにやはり晴明の不実ではないかと疑ってしまうのだ。

しかし。

しかしいま目の前にいる陰陽師を見ても、彼がウブな博雅に飽きて捨てたなどという空気は微塵も感じられない。本気で愛したものに心が通じない時の痛みというものを成明とて深く知る訳ではないが、それでもこの晴明の落胆振りが偽りのものとも思えず困惑の度合いを強めるのだ。

 「博雅の、そなたに対する思いに嘘偽りがあるとは思えぬ。だがそれが晴明の求めるところとは違うということも…確かなことなのかも知れぬ」

 「あれは子供ゆえ、よく分かってはおらぬのです。私の気持ちが強く大きいほど、私は惨めになるだけなのでございます」

 「それを伝えたのか」

 「まさか。私にも自尊の心はございます。なに故自らそのように惨めなことを…」

 「しかし、伝えもせずに身を隠すなどそれこそは不実。なぜ心の内を語らぬ。思うたままを言わぬのだ」

 「俺はお前が好きだが、お前の"好き"は狗の子を愛でるようなものと変わらぬと…そう言えばよいのでしょうか」

 「それは…」

疲れた口調の晴明が、ぞんざいな態度に気付き姿勢を改める。

 「主上であられる身でありながら、かように私如きをご案じ頂き身に余る光栄に存じます。しかしながらこればかりは主上のご意向に沿えるものではござりませぬ。博雅様のことであらば、きっと流行り病のようなもの。早々にお忘れになられまた主上のお側にお仕えになられることと存じまする」

 「それでよいのか。まこと晴明はそれでよいと申すのか」

 「全ては博雅様の御為」

道っ端の子犬を見て駆け寄るのと同じ調子で懐かれているだけならば、いつかはその思いの差がもっと手痛い事態を引き起こすのは目に見えている。晴明ばかりが強く、大きくなる気持ちを持て余し博雅にこそ不実を感じるようになってはそれこそ笑い話にもならないのだ。

 「晴明の申し上は分かった。しかし博雅に伝えぬままというのはやはり承諾できぬこと。そなたの口より確かなところを伝え、また博雅のまことの心を聞いてからでも遅くはないのではないか?」

お説ご尤も。

勝手にセンチメンタルジャーニーで人の家に転がり込んだ晴明だから反論は出来ない。あの博雅に恋の悩みなどというものが理解出来ようはずもないと決め付け逃げ出してきたのだ、確かに彼にしてみれば旦那に行方不明になられているのと同じなのだから不安に思って当然だろう。

 「私はただ今、吉野に赴いていることと相成っておりまするゆえ、明朝にも帰京した旨を伝えまことの心内もお伝えいたすことをお約束申し上げまする」

 「私には博雅の気持ちまでは分からぬ。だが一途に、晴明のみを一途に思うていたことは確かに感じられたのだ。そなたへ向けるものが同じ気持ちではないというなら、ともに育てる道を歩んで欲しいと思う。幼いと決め付けるのではなく、手を引き導いてやってほしいのだ。泣かせるようなことはせぬと、今度こそ誓いなさい。私がここまで出向いたことを、決して無駄にはしないと誓うのですよ」

 「はい。我が祭神にかけお誓い申し上げまする」

ちょっぴり反省せーちゃん。

 

……長続きしないけど。

 

 

 

 

紀平に伴われ、成明が来た時同様静かに、速やかに去っていった。

目立たぬよう簀の隅で見送る晴明は一行の姿が消えるとその足で母屋へと向かった。師輔の寝所である塗り籠へ一直線に進む。

静まり返った寝殿に人の気配は微塵もない。しかし押し殺した彼の息遣いは確かに感じる。晴明の来訪は初めから分かっていたことであったから、それも無理のない反応だとは思うがなんとも惨めな姿である。

声を出さず、両手を合わせ一身に念仏を唱える師輔の耳にフゥッと生温い風がかかった。

 「ひっ」

 「おや、これしきのことで雑念を紛らすとは。右大臣といえどまだまだ修行の道は長いことでございますなぁ」

 「せせせ、晴明、なにっなにをっどど、どうやって入った」

 「どのようにして、と問われるならば」

スゥー

 「し、しぇぇぇぇぇぇぇ」

 「この様にして入りましてございます」

晴明の体がまるでムーンウォークのようにスーッと滑っている。いや実際ムーンウォークをしているだけだが、平安時代の人間からすれば正面を向いているのに後ろに下がっていくという動作は妖しのものとしか思えまい。が、晴明も平安時代の人間だと思うんだけど…どうかな、自信ないなこればっかりは。

 「師輔様、先ほど私の元に客人が参りましてなぁ」

 「そっそうかっ」

 「おかしな話ではありませぬか。ここに私がおりますことはどなたにも内密にしていただくこととなっていたはず…」

 「しっ知らぬ。まろはなにも知らぬっ」

 「ほほう。しかし彼の方は申しておられましたぞ。"師輔が是非にというので聞いてやった"と」

 「違う!違うぞ晴明、帝が先に申されたのだ。話してみよと仰せになられたのだ!」

 「…語るに落ちましたな」

ニターリ

晴明の笑顔が狂気染みたものになっていく。赤く薄い唇が見る間に横に引き連れて、あっという間に両耳の下まで届くほどに裂け開いた。

 「俺は"彼の方"と言っただけ。帝だなどとは一言も言うておらぬぞぉぉぉ」

 「うわーっゆっ許せ晴明、違うのだ、まろは話すつもりなどなかったのだ!」

 「今更なにを言うかぁぁぁ」

うはははははははははははははははははははははははははははははははっ

笑いながら両手を広げ、師輔の上に被さるように笑い続ける。目を逸らせない師輔は腰を抜かしたまま悲鳴を上げなんとか静まってくれと泣き叫ぶ。

 「かくなる上はその身をもって償わせようぞぉぉぉぉ」

 「たっ助けてくれ、なんでもする、なんでもするから喰わんでくれっ」

 「喰われたくはないのか。では言うことを聞くかぁぁぁ」

 「聞く。なっなんなりと申してみよ」

 「ではまず俺の屋敷に米を届けるのだぁぁぁ。酒は琵琶湖の涸れるほどに収めるがよいぃぃぃぃ」

 「こっ米と酒だな」

 「料紙も必要だぁぁぁぁぁ」

 「分かった。朱雀大路に敷き詰められるほども届けよう」

 「今の言葉、ゆめ忘れるのではないぞぉぉぉぉ」

 「わっ忘れぬ。忘れぬからもう許してくれっ」

 「では眠るがよいぃぃぃぃ」

ゴム仕掛けの人形のように飛び跳ねた師輔はあっという間に褥に潜り込むと、引っかぶった衾の下で激しく震えながら念仏を唱え始めた。

暫く師輔の周囲をムーンウォークで歩いていた晴明の気配が不意に消える。

 「ふん。俺を怒らせるとどういう目に遭うか…知らぬやつではあるまいに」

塗り籠の外に立つ晴明の手には料紙を切り抜いた人形が抓まれている。顔の部分は口らしく切り込みが入れてあるが、それは恐ろしげに左右に裂かれまるで獣のようだった。

 「俺が狐の子だという噂、流しているのが俺自身とは」

誰も気付かぬことであろうよ。

ふっふっふっ

 

いやらしい笑みを残し白い狩衣は颯爽と歩き出した。

はい。湯水のように湧いて出る晴明宅の酒の出所がこれで判明しましたね。一介の陰陽師が都でもかなりいい暮らしをしていられるにはそれなりの理由があるのですよ。

まあそのおかげで政敵からの呪詛だ厭魅だ謀反の疑いありだというような揉め事の一切を防いでもらえるのだから安いものだ。

師輔の孫、平安時代一の大物である藤原道長に晴明が重用されるのもきっと…

 

罪なことをなさるのは、正しくアンタの方だよ、せーちゃん。
 

 
 

 

 

 

 

 「なにっいない?」

 「はい」

鶏の声とともに屋敷へと戻った晴明は、意を決して博雅の元へ使いを送った。

話したいことがある、とさながら子供の告白みたいなことを言伝たのだが戻ってきた使者はアッサリ彼の不在を告げた。

 「蜻蛉、お前、よもや穴でも掘って博雅の下へは行っておらぬのではないか?」 

 「いいえ。殿のご下命通りお屋敷まで参上仕りましたが、家人の方の仰せになられますには昨日昼頃、俊宏様を伴われ吉野へお出ましになられた由」

 「吉野?なんだってそんなところへ行くんだ」

 「何故でござりましょう」

はて、と首を傾げる蜻蛉。憮然とする晴明。

そして。

 「まて」

 「はい」

 「待て待て待て」

 「はいはいはい」

 「吉野か」

 「吉野でございます」

 「吉野へ参ったと言うのか」

 「吉野へ参られたと」

 「博雅は吉野へ行ったのだな」

 「俊宏様と吉野へ参られました」

 「間違いないか」

 「間違いございませぬ」

 「間違いないのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ」

オーマイゴーーーーーーーーーーッ!

 

 

この当時、貴族は荘園を持つことが許されていた。博雅はさほど広くはないものの、作物の豊富に実るよい土地を治めている。さすがは出仕と同時に従四位に叙されただけの貴族である。因みに貴族と呼ばれるのは一般的に五位からだと覚えておこう。

一方晴明はこの物語では三十歳程度。史実でも四十歳のときで六位が限度の彼は貴族ではない。そして荘園も持たない。あるのは彼が私財を投じて手に入れた庵が精々で、それだって裏街道を驀進する"闇のせーちゃん"が顔を利かせて入手したイワクツキの物件たちだ。

さて、今度は日本地図を頭に浮かべよう。

京都と奈良は隣り合わせている。隣にはあるが歩いていくしかない距離から考えれば当たり前のように遠い。そして"吉野"と呼ばれる地域はかなりの面積を有しているのだ。詳しい所在地が分かっていない限り簡単に人を訪ねられるようなものではない。

晴明が荘園を要していれば、里の者に訪ね聞くことも出来るだろう。だが彼の所有する庵は山里深い獣道を昇りきったところにちんまりと建つ小さな庵が一つきりだ。そんなところを尋ね当てられる訳もない。

 「どどど、どうして大人しくしておらんのだっ!大体俊宏がついていながらなぜかようなことに!いや、いやいやそのようなことを言っている場合ではないな、すぐさま追いかけねば。追いついてせめても誤魔化し…」

誤魔化す。

 「誤魔化してはいかんな。俺を追って吉野までも訪ねる博雅に嘘をついてはイカン。追って、あれに謝らねばならぬ。泣かせて済まぬと、辛い思いをさせて済まぬと…」

 「殿、お鼻が垂れておられます」

 「うむ」

うむじゃないだろう。

 

 

余計な嘘をつくからこんなことになるんです。

さあどうするの?

ってゆーか、博雅と俊宏は一体どこにいるのでしょうか。

困ったねぇ。

 


                   
                                        続く →