BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 20 俊宏は呆然とした。 「夜明けは疾うに迎えたというのに…」 「のう俊宏、随分と霧が深いのではないか?」 結局明け方まで鼻を啜っていた博雅が、ゴソゴソと起き出して俊宏の袂を引く。寝不足で赤い目をしている博雅に心労をかけまいと、彼は勤めて明るい顔で振り返った。 が。 隣の博雅の顔さえ靄がかかって見え難いほどの霧である。 おかしい、とはすぐに感じた。 「殿、いいですか、なにがあっても俊宏の袂を離してはなりませんよ」 「どうしたのだ?朝霧ゆえ、そう心配する必要もないだろう」 「ですが何か起きてからでは遅いのです。いいですね?ここに座ったまま、霧が晴れるまで動いてはなりませんよ」 「分かった。動かずじっとしておればよいのだな」 頷いたのを確認してから、舎人の二人を呼ばわる。不安げな声を出してはいたが、それでも主人の身を守るため彼らも博雅の近くに寄って座り込んだ。牛が草を食む音のみが響く。 「こうも深い霧というのも都では見られぬもの。風雅ではないが悪くもない」 暢気なことをと思ったものの、掴まれた袂が微かに震えている。蝶よ花よと育てられた究極のお坊ちゃまに、未知の体験が恐ろしくないはずはない。俊宏とて恐怖を感じているのだからそれは当然と言えよう、哀れさとそして子供に感ずるような愛しさがこみ上げそっとその手を取ると慰めるように擦ってやった。 「直に晴れてまいりましょうが、それまではこうして、殿のお側におります」 「私も」 「私もおります」 普段であれば、いくら主人と言えどこれほどの端かに寄ることは許されない博雅を自らの身を呈して守ることが出来るのは舎人にとって僥倖でもある。まして彼の人柄は仕える者にとっては自慢なのだ、身分の差別なく接してくれる貴族がこの時代にどれほどいたか。腹心として俊宏はなんとも胸の熱くなる思いがした。 「しかし…晴明はやはり…」 「ご案じなされますな。この霧では安倍殿とて身動きが取れぬだけのこと。きっと、きっとお迎えに来てくださいますよ。」 「そうであればよいが…」 しゅん 靄のかかった博雅の顔がしょんぼりと俯く。 「殿、ご案じなされますな。俊宏様の仰せの通りにございます」 「おお、俊宏様の仰せに間違いはございませぬ」 舎人の励ましを受け、微かに頷いた博雅の手をしっかりと握り締め俊宏は前方の霧を睨みつけた。必ず、なにがあっても博雅だけは無事に屋敷へと連れ帰る。そして晴明に託すのだ。今度こそ彼に博雅の幸せを委ねるのだ。 彼の願い通り。 博雅の幸せのためだけに。 けれど。 一段と濃くなる霧に成す術もない四人は、静かに近付いてくる気配に気付くことはなかった。頭上に、敷き詰められた枯葉の上に、人か獣か判ずることの出来ぬ足音が響いていることに初めに反応したのは牛だった。 草を食む音が消え、長く、低く鳴き声を上げる。それは三度繰り返された。 「博雅様っ!」 俊宏の叫びに木立から鳥の飛び立つ音が鋭く響く。この霧の中で彼らには見えているのか、逃げ去るような羽音はいつまでも聞こえた。 博雅の名を呼ぶ男たちの声を掻き消すような羽音はやがて小さくなっていったが、答える声は一向になくやがて静寂が辺りを包む。 霧が。 あれほどに深かった霧がゆっくりと晴れていく。 そして幹に繋がれた牛がまた草を食み始めた頃、その巨体がぼんやりと彼らの目に入り視界は嘘のように晴れていった。湿った木立の中。 「…………博雅様……」 俊宏の手をしっかりと握っていた博雅の姿は、彼らの周囲には見当たらなかった。 烏帽子が、確かにそこに博雅が存在したことを告げるように烏帽子だけが落ちている。 「博雅…さま…」 俊宏が、呆然と呟いた。 …やたらシリアスだがちゃんとBUG&BOMですよ念のため。 かぼちゃパンツはいま、牛車の中でひしゃげている。 「博雅…どこにおるのだ、一体…」 言わずと知れたかぼちゃパンツの主晴明は、羅生門を抜け三キロほど走ったところでさすがに力尽きそこで倒れた。あとを追っていた二人の式に拾われ全力で吉野へ向かったのだが当たり前のように彼らの行方は知れず、今は牛車を止め常葉の聞き込み調査を待っているところだった。 「殿。殿、水をお持ちいたしました」 簾を巻き上げ蜜虫が竹筒を差し出すと、無言で受け取った晴明はそっとそれを傾けた。 「お力を落とされず。常葉が戻りましたれば、きっと我らにてお探し申し上げまする」 「博雅が…博雅の気が感じられぬなどと…一体なにがあったのか…」 「ご案じなされますな。きっとご無事であられます」 すっかり意気消沈の主人を励ます図…どこの主従も似たり寄ったり、と言うより"似たもの夫婦でよかったね"と言ったところか。 いやいまはそんな悠長なことを言っている場合ではない。通常晴明は博雅の身を守るため彼の周囲の気配を敏感に感じ取るピピピ電波を張り巡らせている。どのような電波なのかは知らないが、とにかく彼が言うには"全国津々浦々、どこにおっても博雅ならば分かる"そうで、その電波を感じるからこそ博雅が内裏や大路小路でどのような状態にあろうと本当のピンチ以外は落ち着いていられるらしい。 とは言えレーダーではないしGPS携帯もないこの時代、まして不慣れな土地で迷子となればなにがあってもおかしくない。しかも博雅の一行であれば明らかに"裕福な貴族"と分かる道行きだろう。盗賊に狙われず無事に夜道を進める保障は少ない方に分がある。 「ただ今戻りました」 「なにか分かりましたか」 ひしゃげた晴明の変わりに戻った常葉を出迎えた蜜虫が尋ねる。二人とも落ち着き払ったように見えるが心の中は大変焦っている。それが証拠に長い髪が少し逆立っていた。…鬼太郎の妖怪アンテナか。 「聞き及びましたところによりますと、昨日夕暮れ時に貴人の牛車がこの先の辻より山間へ入られたらしいとのこと。博雅様に違いありません」 「夕暮れに山へ…どなたかの庵でもお訪ねになられているといいのですが…こうしてはおられません。疾く、博雅様の下へ馳せ参じましょう」 「ええ。その通りですわ」 女二人が頷き合うのを涙目で見ていた晴明だが、愛する妻を無事取り戻すことも出来ずなにが夫だ!と思い直したのだろう。狩衣の袂で顔を擦ると、漸くいつもの張りのある声で出立を命じた。 太陽は既に西に傾いて久しい。 「間違いありません、博雅様のお車ですわ」 蜜虫が頷く。 山深いこの土地で、上等な十二単の姫を見ることなど生まれて初めての体験なのだろう。彼女に牛車の行方を尋ねられた青年は若干魂の抜けたような顔で、それでも牛車を見た方角を指し示した。 「半刻ほど前とのことでございますれば、きっとこの辺りにいらっしゃられるかと」 「殿、間もなく博雅様にお会いいただけますわ」 弾んだ女の声に晴明も力強く頷き、更に牛車を進める命を下した。 山道では"牛歩"に更に磨きがかかる。走った方が確実に速いのだがここまでで体力気力を使い果たした晴明は、大人しく座しながらただ博雅の無事を祈っていた。まだ感じられないままの彼の気配を無理に意識の外において。 「あれはっ常葉、あれこそは博雅様のお車では!」 「ええ、間違いございませんわ」 狭い山道を松明を翳しこちらに向け進んでくる車は、二人の式にも見覚えのあるものだった。女たちの声に顔を出した晴明も破顔している。 「安倍殿?安倍殿のお車ではございませぬかっ」 「俊宏様!」 忽ち走り寄る俊宏に迎える三人は漸く安堵の息を吐いた。 だがすぐに異変を感じ取る。 俊宏の顔色は青白く、従う舎人は絶望的な表情で牛を牽いていた。 「俊宏、博雅は!博雅はおるのかっ」 「やはり…やはりそちらにもおられませぬかっ」 言葉は同時に上がったが、互いの耳にはしっかり届いていた。 聞きたくないことが聞こえてしまった。 「どこへ…博雅はどこへ行った!お前が付いていながらなにがあったと言うのだ!」 晴明の絶叫が木霊する。 木立に響くそれは鋭く、そして胸突かれるほどに悲しい音色を持っていた。 二回続いてちょっぴり重厚な雰囲気でお送りしてみましたがどうやら三回目もこんな調子らしいですよ。これから書くから分からないけどね! |