BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  21


 

 

 

 

 「ここは…どこだ?」

むにむにと目を擦りながら起き上がった博雅は、まず自分の状況が理解できず周囲をキョロキョロ見回してみた。

綺麗に掃き清められた屋敷の中にいる。

清潔で美しい几帳が爽やかな風に揺られ甘い香りを博雅の鼻腔に運んで来ていて、全く見知らぬ場所であるにも関わらずなぜだかひどく落ち着いた気分になっていった。

 「どなたかのお屋敷であろうか…確か俺は吉野の里へ参っていて…」

指をたて呟きながらこれまでのことを反芻する。

確か晴明を追ってもいいと俊宏から許され、供の者を引き連れ吉野まで来たのだ。けれど晴明の逗留する庵などは要として知れず、そのうち山道に迷い野宿をすることになったのだった。心細い夜をどうにか終え、朝が来て、それから…

 「それから…」

霧が、立ち込めていた。

 「そうか、あの霧の中ではぐれたのだな」

納得してしまった。

博雅は自分を落ち着いていると思っていたが、あまりに突然の、そして思いがけない事態に思考が追いつかず現実逃避気味の結論で満足してしまったのだがそれは仕方のないことかもしれない。なにせ"源家のぼくちゃん"は危機管理能力が低い。常に守られる立場にいた所為もあるがやはり生まれが大きく原因しているのだろう。なに不自由なく育った彼であれば当然のことだが、せめて"いま"がどんな時なのかくらいの自覚はして欲しい。

うむうむ、それではこちらのお屋敷の方に救われたのだな。

親心を解さずそんなことを思っている博雅は、寝かされていた褥から身を起こすともう一度辺りを見回した。

人の気配がない。それほど広いとは思えぬ造りなので、主の身分も高くはないと推察される。ふむ、とまた一つ頷きそれからのそのそ縁の方まで這いずって出た。

よく晴れた、気持ちのいい昼下がりである。誰の屋敷か知らないが手入れの行き届いた庭もなかなか見事であった。荒れ放題の誰かさん宅とは大違いで、思わず自らがその中に立ちたいとさえ思える作りだ。

きょろりと見渡すが当然沓はない。どうしよう、暫し考えたが結局博雅は素足で庭に下りることにした。戻る時になにかで拭えばいいだろうと子供の言い訳のようなことを思いながら爪先を下ろす。ひやり、と冷たさが走る。

空はこんなに晴れ、流れる風も心地良いのに湿り気のない地面がこれほど冷たいのは納得がいかない。いかないがそれで止める彼でもないので、予定通り花の咲き乱れる辺りへと歩いて行った。

博雅は草花の名前に詳しい訳ではない。季節を彩る、自邸に咲くそれらはどうにか端から言い当てられるが、ここにあるものは初めて見るような色とりどりで、形も大小様々なものに溢れていた。主が好むものなのだろうか、それとも吉野ではこれが当たり前なのか。本来、自らの手により育てるほどの興味を持たぬ博雅だが、その見事さに思わずしゃがみ込むと熱心に見詰め始める。

同じ形の花だ。

大きな、朝顔のように筒の先を開いたような花びらが彼に向け口を開けている。真っ赤な花と、真っ白な花。同じ茎から伸びた二輪の花に興味をそそられ、思わずじーっと見詰めてしまう。

不思議な花だった。一本の茎が地面から伸び、二つの花を咲かせているがその色は全く異なるものなのだ。そしてこの花は葉を持たない。茎と花だけのそれは子供の悪戯にでもよるものなのか、もしそうだとしたら哀れなことだが茎には元より葉が付いていた証になるような部分がない。つるりとした一本の茎は花を咲かせるためだけにあるかのようだった。

 

どれほどその花を見ていたであろう。

くるるるぅ、と軽い音が鳴り顔を上げた。自分の腹の虫が食物を所望する音だ。

 「夕べから…なにも食べておらぬものなぁ…」

指をくわえ辺りを見渡して見る。相変わらず人気はなく、食べられそうなものもない。どうしたものかと立ち上がった博雅は、よもや本能としか言い様のないフラフラした足取りで歩き出すと屋敷の裏手へと回って行った。

冷たい土を踏み進むと、やはり美しい花の咲く庭が広がっている。今まで見ていたものとはまた少し違った花が咲く庭には、大きな樹木もそびえ頭上からは鳥のさえずりが聞こえてきた。

木には果実らしきものが実っている。

桃に見えた。

 「…食べたい…」

是非ともあれが食べたいと、博雅は必死に指を伸ばしてみた。爪先立ち、精一杯まで伸びあがる。

 「桃が食べたいのか」

静かな声だった。

聞き馴染んだ響きだった。

忘れようにも忘れられない、誰より愛しいもののそれ。

聞き間違いようがない、それは捜し求めた彼の想い人のもつ甘く優しい囁き。

 「晴…明?」

 「桃が欲しいのか、博雅」

 「晴明!」

勢いよく振り返ると、果たしてそこに立っているのは確かに晴明その人だった。白い狩衣が風を受け袂をなびかせている様は美しく、かすかに微笑んだ唇から漏れる忍び笑いが彼の存在を際立たせていた。

 「晴明…ここに…ここにおったのか…」

 「なんだ、俺はいつでもここにおるではないか」

 「ここに?おお、ではここがお前の山荘か。まこと、ここで仕事をしておったのだな」

 「おかしなことを言う。ここは俺の屋敷ではないか」

 「………………え?」

思わずキョロキョロ辺りを見回す。相変わらず美しい花々が咲き乱れた庭はきちんと手入れのなされたもので、見るものの心を和ませる光景だった。博雅としてもこの様に整えられた庭は好きだが、晴明の屋敷といえば鄙びた野山をそのまま移したかのような荒れ放題のものであり、今は既に見知ったそれが好ましくさえあったのだ。

 「ここは…土御門ではないだろう。俺は吉野までお前を探しに参ったのだから」

 「博雅?お主がなにを申しておるのか分からぬ。昨夜は俺を訪ね、そのままここに泊まっていたのを忘れたと申すか」

 「え?…はぁ?」

博雅の頭の上に"はてなマーク"が乱れ飛ぶ。だって俺は晴明を探して、俊宏たちと共に吉野へ参ったはずだぞ?そしてひどい霧に巻き込まれ、はぐれてしまい…

うーん…漠然とした記憶に腕を組んで考える。なにかがおかしいような気がした。

 「お前はまことに晴明か」

 「俺が晴明でなければ、主は博雅ではないということになるな」

 「俺は博雅だ。それに間違いはない」

 「では俺も晴明だ。間違いない」

むむー…腕を組み、今度は首を捻る。唸り声が彼の困惑の度合いを知らせている。

 「博雅よ、俺を弄ろうというのか。ならば自身で確かめればよい。…昨夜のように」

すい、と晴明の足が進められる。軽やかというより、初めから重みなど持たぬような足取りはあっという間に博雅の前まで来ると、冷たい手がそ、と博雅の指を取った。ゆっくりと、彼の口元まで運ばれる。

 「主の申すまま…好むまま。この晴明はいくらでも乱れようぞ」

 

 

………………はいー?

 

 

 

 

 

 「殿、なにやら妖しの気配が…」

 「いや、鬼や物の怪の気配とはちと違うぞ」

晴明、蜜虫、常葉の三人は牛車を残し徒歩で道を進んでいる。俊宏や舎人は二台の車を見張るためあの場に残してきた。もし、万一のことでもあればという措置だが残れと言われた時の俊宏は激しく抵抗していた。博雅の身に害が及ぶ危険があるならそれは間違いなく自分の責任なのだからと、泣いて縋ってきたものの連れていくことで足手まといになることもあると説得し漸く残してくることが出来たのだ。

深い霧が立ち込めたという辺りまでやってくると、式たちの髪が幾分逆立つ。その靡く方向に目をやった晴明は不機嫌そうに鼻を鳴らし足を進めた。いやぁ、妖怪レーダーは役に立つ。

 「異界との層が歪んでおるようだ」

 「では博雅様は」

 「ここにあって、ここにない。俺の目にもまだ見えぬのだ、余程のことが起きているのだろう。…蜜虫、結界を張るぞ」

 「御意」

頷いた蜜虫が唐衣の帯を解く。すらりと脱ぎ捨てたそれを常葉が受け取り、手近の幹に着せかけた。その間に蜜虫は袴の帯を緩め腹部の隙間に手をいれた。

 

 タラララッタラー

         タッタッター 

 

 「はれ、今の音はなんぞや」

 「殿、これに」

なよやかな手付きで蜜虫が差し出すのは"四次元ポケット印の結界セット"だ。晴明は気にする様子もなく"うむ"と言って受け取ったが、普段半眼の常葉はカッと目を見開き蜜虫の腹の辺りを探っている。ダメダメ、丸いゴム鞠みたいな手じゃないと吸い付いてこないよ!

驚きの常葉は捨て置き、二人はいそいそと結界を張り始める。払い串の小さなものをあちこちに挿しているだけだが、一見無秩序に見えるそれも実は都に比類なき陰陽師が生み出した超強力結界術であり、これを施せば"やっぱり晴明、百人乗っても大丈夫"という結界に仕上がるのだ。

 「敵の正体がなんであるのか分からぬからには迂闊に手を出すことが出来ぬ。博雅の姿を見付けることに専念し、捕らまえたならば直ちにこの結界内に引き込むのだ」

晴明の命を受け、二人の女が深く頷く。たとえ我が身と引き換えようと博雅を救い出す。その決意の堅さを示すように、蜜虫は微かに口元を綻ばせ晴明を見詰めた。

 「殿、私の仲間も既に散り行き、狂い咲きよと後ろ指指される身なれば、これにてお暇をいただきとうございます」

 「うむ。だが戻れるものなら戻って参れ。そちがおらぬとなにかと不便だ」

 「勿体無きお言葉。蜜虫、殿のお側にてお仕え致すことを至上の喜びに思うておりまする」

主への別れの言葉が済むと五衣を脱ぎ捨て単と長袴の姿になり、裳についている小紐をブチリと引きちぎってたすき掛けをする。因みに小紐とは十二単を着つける時に使う紐のことで、なんと総重量二十キロはあるあの装束は、裳につけられた小紐のみで留められているのだ。晴明がツルリと剥けると言ったこともこれで頷いていただけるだろう。ま、彼の場合はその下の小袖までもを脱がせる時間をカウントしているので、やっぱりコツでもあるのだろうが。

三人が結界内に立ち入り、その中央に立つと晴明の呪を唱える声が静かに流れ出した。口の中で、微かに紡がれるその美声は木立を抜け辺り一面に広がっていく。やあ、このシリーズ初の"陰陽師"っぽいことを始めちゃったよ、うっかりただのバカだと思っていたけど本当に陰陽師だったんだねぇ。

そう言えば後に天文博士となる晴明だから、星占いも得意です。月間内裏新潮で好評連載中につき、機会があればお試しください。一番当たるのは"今月のワーストワン・アンラッキーくんはだれ?"のコーナーで、星座占いなのに名指しでくるから恐ろしい。因みに今月のアンラッキーくんは右大臣藤原師輔さんでしたー。

 

脱線はともかく、晴明の呪が唱えられている間、あっちの話も進んでいるようなので戻ってみましょう。

 

実は"今月のひとのことを笑ってる場合じゃないよ・ワーストツー"の欄には、晴明の震える文字で小さく『ひ…ひ……ひろましゃ』と書かれていたことを本人は知らない。なぜか。

回覧版形式で回ってくる書物を、いちいち読んだりはしないのだ、博雅という漢は。だから伊勢物語を知らなくとも、それは当然のことと言えた。そんなものをチマチマ読んでいる暇があれば笛や篳篥を奏でていたいという、根っからの楽バカであるが故の悲劇。

…ってゆーか、喜劇。

 

 

さて、その楽バカはどうなってるかな?

 


                   
                                        続く →