BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  22


 

 

 

 

手を引かれるまま屋敷に戻された博雅は若干"おかしいかなー"とは思ったものの、逢いたさ見たさに身を焦がした晴明だという事実に判断力を鈍らせ大人しく付き従ってしまった。

通されたのは先ほど博雅が目覚めた部屋であり、起き抜けの床もそのまま褥の隣に座らされた。

 「博雅よ、まだ俺が晴明ではないと思うておるのか」

 「いや、晴明だ。…そうなのであろう?」

 「なにをそのように疑うのか…よい、それも主のいつもの手よ」

ふふ、と唇で笑みを作ると握ったままの指先をまたもやそこへ近付けた。

口付けられる。

 「そうして俺を試し、まことならば全てを見せよとでも言うのであろう。意地の悪い男だ、俺が逆らえぬことを知ってそのように焦らすのだからな」

 「意地が悪いのは晴明であろう。俺は待っていたのだぞ。お前の帰りをただ待ちわびて…やがて信じられなくなるほどに…」

 「泣くことはなかろう。それに焦らすのは主の方。俺は…恥らうことも許されず…」

晴明の体がしなだれかかってくる。なんだか分からないが温もりは確かに晴明のものであり、求めたものが漸く与えられた安堵に博雅の体からも力が抜けた。

今日こそは拒むまいぞ!

博雅は心の中で決意する。これまで晴明の手が伸ばされるたび、いい知れぬ恐ろしさを感じ逃げ惑っていたのだがそれが元でこのような回りくどい道を辿ることとなってしまったのだ。今日こそはこのまま、晴明の望むままにしよう。二度と離れたりすることのないように、堅く、堅く結び合うのだ。なに結びかは知らないが、宿直の晩に皆がよく口にするのだからきっとなにかを結ぶのだろう!

 

 「…………………」

 「…………………」

 「…………………」

 「…………………」

 「…………………せいめい?」

 「…………………ひろまさ?」

 

 ……………………………………………………………

 

寄り掛かり、博雅の胸元でのの字を書いていた晴明がムクリと身を起こす。

 「なぜなにもせぬのだ」

 「な、なにもとは?」

 「なにもかにも、俺がこうしているのになぜ手を出さぬ」

 「ええっ俺から出すものなのか」

 「当たり前であろう。主がせぬで俺に他の誰を通わせろと言うのだ」

 「かっ通わせ?いやだ、困る。晴明は俺を好きだと申したではないか。他の者を求めるなどと、今更そのようなことを言わないでくれ」

 「言わぬよ。言いはせぬが博雅、ならば余計に主が動かぬではどうにもならぬではないか」

 「おっ俺がなにかせねばならぬのか。そうか、そうだな、俺はとことん、閨がことには疎いのだが…そうか、そういうものなのか。すまんが晴明、この際恥じだなどとは言うていられん。この博雅にどうすればよいのか教えてくれ」

 「なにをふざけた――ははぁ、分かったぞ」

晴明の目がニヤリと細められる。離していた体を再度倒し博雅の胸にピタリと張り付く。

 「俺に自らしてみせよとでも言うておるのだな」

 「なに?」

 「己で帯を解き、この明るい日の中で全てを晒せとでも言うのであろう?いやらしい男だ」

 「はあ」

いやらしい、と言いつついやらしい目になっているのは晴明の方だ。

なにを言われているのか全く理解していない博雅は、のの字を書かれる胸をくすぐったいと思いつつ首を捻った。

なんだか妙だということは分かる。だがそれ以上になるとさっぱり分からない。見えてこない。

 「晴明」

 「なんだ」

 「お前、晴明だよな?」

 「俺だ。まだ言うのか」

 「いや晴明だ。間違いない」

 「博雅…よい、主がそこまで申すなら俺も覚悟を決めよう。だが御簾は下ろしてもよいな?」

 「ああ、構わぬが…」

なぜ御簾を?と反対側に首を倒す。晴明がなんのことを言っているのかさっぱり分からぬ博雅は、パチッと鳴らされた指の細さをただ眺めているだけだった。晴明の指だよなぁと思ったところで室内は封じ込められたように暗くなる。

 「これで……だれも覗けぬよ」

 「そうか」

人に見られるのは嫌なので賛成しよう。

素直で少々足りない博雅は、かわいらしくコクンと頷き了承を示す。それを見取った晴明もニッコリ微笑むと身を離し立ち上がった。

 「では博雅…しかと見ておるのだぞ」

 

晴明の指先が、自身の狩衣のトンボを外す。

優雅な所作で脱ぎ落とされていくそれを、博雅はただ、ぼんやりと眺めていた。

 

…やだねー、やな感じだよー。

 

 

 

 

さて、もう一方の人々も、実はすごーく嫌な事態に陥っていた。

 

 

 

 

 「なんだ、起こしてしまったか」

 「おお博雅、無事であったか!」

 

両者の叫びはほぼ同時であった。

唱え続けた呪を終えた時、主従はそれまでいた吉野の山中より甘い風の吹く竹林に立ち尽くしていた。木立の中にひらりと見えた直衣に見覚えのある晴明は、見事な足さばきで竹の根の絡まる地を駆け抜けその袂を掴み締めた。振り向いたのは博雅で、捜し求めた彼はキョトンと大きな目を丸くして晴明を見る。

 「晴明、昨夜は無理をさせてしもうたと少しばかり悔いておったところよ。しかしそれほど動けるのなら大事はないか」

 「昨夜?」

晴明の右眉が上がる。背後に控える蜜虫がそそと前に歩み出て、博雅と晴明の間に割って入る。

 「殿、こちらは博雅様であって博雅様ではございません」

 「なに?」

 「おお、蜜虫殿。久しいな。確か藤は盛りを過ぎ、次の花の時期まで会えないものと思うていたよ」

ニコヤカに、そしてサワヤカに。キラリと白い歯が光るのを見て晴明が眉を寄せる。

 「しかしすまなかったな。起こさぬようそっと抜け出たつもりだが、俺のことだ、きっと騒がしくしてしまったのだろうよ」

 「おい、お前は博雅であろう?」

 「いかにも博雅だが…どうした」

どうした、と言いながら晴明の腰に腕を回してくる。その馴れ馴れしい態度は積極性から言えば喜ぶべき行為だが、ありえないその行動を受け漸く晴明も"博雅であって博雅ではない"という意味を理解した。

 「いや、恋に目が眩み危うく騙されるところであった」

 「なにを言っておるのだ。まあよい、起こしてしまったのなら慌てて帰る必要もあるまいよ。どれ、もう一度屋敷に戻り主の顔でも眺めていよう」

 「眺められるのは嫌いではないが、どうやらお前は"俺の博雅"ではないようだ」

 「相変わらず晴明の言うことは難しくて俺には分からぬ」

ハッハッハ

と、豪快に笑いながら回した腕で晴明をエスコートする。それにはついウットリしかけた晴明だが、彼には"博雅"という存在に対し絶対に譲れないものがある。それは。

  「俺は自分が主導権を握らねば気の済まぬ男なのだ。こら博雅、その不埒な手を離せ」

 「恥ずかしがることはあるまい、誰も見ておらぬよ」

 「見ているか見ていないかの問題ではない」

ピシャリ、と叩こうとしてやはり博雅の顔をしたものを邪険に扱うことは出来ずやんわり腕を払いのけると蜜虫の背後に隠れる。怖気た訳ではない。ただこれも確かに博雅であることは分かっていたので、そうなると強く出られないのだから仕方ない。

 「殿、時空の歪みが生じております」

 「うむ。どうやら俺たちは異界に飛ばされたようであるな。すると博雅もこの世界のどこかにおるということになる」

 「私、そこはかとなく嫌な予感が致しますわ」

 「まあ蜜虫も?」

 「こら、三人でこそこそと話し込むな。寂しいではないか」

円陣を組んで話し合っている三人の周りをウロチョロする様などは確かに博雅らしい。だが決定的な違いを見切った彼らはやがて頷き合うと博雅を振り返りビシッと指を突き付けた。

 「お前、攻めだな」

 「は?せめ?」

キョトンとした顔についクラクラしてしまう。そんな俺も攻めなのよと、不毛な自嘲に晴明の口元が吊りあがる。

 「ここは俺の暮す次元とは異なる世界なのだ。パラレルワールドだな」

 「ぱ?」

目も口も"ぱ"になっている博雅はやはり可愛らしい。だがここでは彼が晴明のダーリンであり、凛々しくカッコよかったり夜は積極的に押せ押せだったりするのだからやりきれない。いや遣り切れないのは晴明の主観でしかないが。

 「いや、おるとは聞いていたがまこと…博雅であるにも関わらず俺を…」

ブツブツブツ…

次元を分け、平行に存在する世界。パラレルワールド。交わることなく存在する時間軸の中には様々な状況や事象が少しずつ違った形で進行している。詳しいことは各自SF小説などで確認することとして、どうやらこの世界の二人は"博雅×晴明"だということのようだった。

 「しおらしい殿…」

 「愛らしい殿…」

蜜虫の呟きに常葉も返す。

 「やる気の博雅様…」

 「殿を押し倒す博雅様…」

 

考えられないっっっ!

 

二人の式がムンクの叫びと化している中、ひとり状況の掴めない博雅は拗ねたように口を尖らせている。こういうところに変わりないが、やはり漂う違和感は拭いきれない。なんと言っても彼は晴明が好きなのだ。大切なのだ。求めているのだ。

夜な夜な白い狩衣を剥ぎ取り、乗っかっちゃったりしてるのだーーーーーーーーーっ!

 

 「恐ろしや…」

 「あな恐ろしや」

ブルブルと震える式の意見に深く頷き、"やはり乗ってこその俺よ"と、別にそこが基準じゃないだろうという迷惑気味思考の晴明はポツンと立ち尽くす博雅を振り返り頭の先から爪先までを眺め回した。

 「しかし惜しいのう。どこから見ても博雅であるのに」

 「どこを見られても博雅だ。おい晴明、やはり少しおかしいのではないか?無理をさせすぎたか」

 「よせ。やめてくれ。そのようなことを想像させるな」

そりゃ男なら誰だって自分が押し倒されてる場面には抵抗あるだろうよ。…たまにはない人もいるけど。

困惑顔の博雅と、両手で耳を覆う晴明。ムンク叫びの式。余談だが"ムンク"さんの描いた"叫び"というタイトルの絵、が正しいのであって、あの落花生型のオッサンが"ムンク"な訳でも、絵そのもののタイトルが"ムンクの叫び"な訳でもない。…知ってるか。それにしてもあれがオッサンなのかどうかは分からないけど。

四者三様とでも言おうか、なんとも気まずい空気の流れる中に突如高らかな笑いが響いた。

 「むっどこかで聞いたことのある声だ」

素早く構えた晴明は咄嗟に博雅を背後に庇う。あら、腐っても博雅ラブ!の精神は失われないのね。すごいすごい。

 ふはは…ふはははははははははははははははははははははははははははっ

感心している場合ではなく、笑い声は遠く近くに響き渡り、相手がどこにいるのかが掴めない。ひらり、と宙に舞った蜜虫が高い木立の間をするりするりと抜けて行き、やがて樫の巨木の前で突然その姿を消した。

消した、という言い方は適切ではない。彼女の体は薄紫の藤の花びらとなり、四方に散っていったのだ。ぱあっと広がる花びらたちは、はらはら、はらはらと雪の如く湿った土の上へと降り落ちやがて静かに消えていった。

 「…蜜虫っ」

晴明の低い声が博雅の耳に入る。押し殺したそれがとても悲しく響いたので、彼女が消えたのは晴明ではなく誰か…敵のしでかしたことなのだと分かった。

しかし晴明の立ち直りは早く、蜜虫の消えたその樫の幹に目掛けて呪を唱え印を結ぶ。彼女の命を無駄には出来ない、博雅も腰の太刀に手を伸ばしなるべく低く構えていた。

 い……………め…………いた………せ…め…………

何者かが樫の巨木の上で苦しんでいるようだった。キリキリと絡めた指を締め上げる晴明の印により、身を縛されきつく捕らえられているのだろう。目には見えない戦いは、圧倒的に晴明が有利なようだった。

 「こら……………めい……せ…め……やめ………」

今度ははっきりその声が聞こえる。妖しのものというより人のものに思えた博雅は、じっと目を凝らしガサガサと揺れ始めた枝を睨み付ける。声が聞こえたと同時に更に締め付けを強くした晴明も一歩、一歩と前へ進んでいった。

 「晴明………やめ…よ……晴明っ」

 

ふんっ

 

鼻息も荒く絡めた指を前に突き出し、最後の呪を唱えきる。

 

 

 

ボタリ

 

 

 

なにかが、地面へと落ちてきた。

 


                   
                                        続く →