BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  23


 

 

 

 

ピクピクと引き攣るように蠢いているものは、小さな悲鳴混じりの声で必死に晴明の名を呼んでいるようだった。

 「知り合いか」

 「こんな虚け、知り合いなどではない」

うーん、とか、いたいーとか呻いているそれはどう見ても人間のようだ。晴明に付き合い、数多の鬼などを見ている博雅にもそれが人であることは間違えようがなかった。しかも晴明の名を呼んでいるのだ、少なくとも"これ"は彼のことを知っているのだろう。

 「随分と洒落たマネをなさいましたなぁ」

爪先で脇腹を蹴ると、呻いていた者はギャッと叫んだあと反対側に丸まってシクシクと泣き始めた。

 「私を弄るのは構いませぬが、よもや博雅をこのような目に遭わせあまつさえ蜜虫までも…」

 「違う!俺はなにもしていないぞ。誓って蜜虫のことは知らぬ!」

 「お見苦しいですなぁ、保憲様」

 「保憲?」

うにゃぁぁおぅ、と猫の声が聞こえた途端、丸まっていた体はささっと声の方に転がっていく。いつの間に現れたのか、そこには大きな、漆黒の毛を持つ虎が主人を守るように立ちはだかっていた。

 「これはいつぞやの猫又!ではまこと保憲殿であるのか」

 「お前が知っている保憲様とは微妙に違うぞ。これは俺の次元におわす兄弟子殿だ」

その兄弟子を足蹴にした晴明を、虎は、いや猫又は恨めしげに見上げている。しかし攻撃する気配が一切ないところを見ると、彼も晴明の恐ろしさは身に染みているものと思われた。…因みに晴明がこの猫又にしたことといえば、擦り寄ってきた時に触れたヒゲがチクチクと痛んだので頭に来て切り落としたことがあげられるだろう。その後暫く、彼は鬼の気配を掴み切れず死ぬ目にあっているのだ、恐れたとしても無理はない。

 「すべてあなたの仕組んだことですな」

 「俺は悪くないぞー」

 「ほう、では誰が悪いと申されます」

 「晴明だ」

 「私ですか」

 「そうだお前だ」

 「なぜ私が悪いのですか」

 「自分の胸に手を当てて聞いてみよ!」

 「ふーむ」

白くほっそりとした指を胸の上に乗せる。幾度か角度を換え、やがてうむ、と頷いた。

 「Cカップです」

イエローキャブにはちと負けますなぁという呟きに、後ろの常葉がこっそり自分の胸も押さえてみた。唇が"E"と形作ったがかなりサバを読んでいる。

 「こら晴明、いくらなんでも兄弟子であるのだ。保憲殿もいつまでそうしていないで身を起こされよ」

 「どの世界でも博雅様はおやさしいのですなぁ」

言いながら、猫又の影から顔を出した保憲はタラリと鼻を垂らした情けない様子で晴明を窺っている。サッと印を結ぶとキャッと頭を抱える。解くとビクビクと見上げてくる。

サッ

キャッ

ビクビク

サッ

キャッ

ビクビク

サッ

キャッ

ビクビク


 「いい加減にせぬか!」

博雅の一喝で渋々指を解いた晴明だが、猫又の頭をグイッと背けグズグズクシャクシャの保憲の目前に顔を寄せる。

 「汚い」

 「お前が俺と知りつつ縛したりするからだっ」

 「弟弟子の式を殺めたりするような輩には当然の報いでしょう」

 「お前はこれのヒゲを切ったではないか!」

 「年端も行かぬ童の頃のことを持ち出すとは…やれやれ保憲様もヤキが回ったものですなぁ」

 「なにが年端も行かぬだ、つい先頃にもしでかしてくれたではないかっ」

 「私がなにをしたと仰せです」

 「お前が北嵯峨より戻ってすぐ、俺の屋敷で怪異が続いたのはお前の仕業ではないか!まず俺の沓に牛糞を詰め込んだろう」

 「おや、それをお履きになったのですか?ばっちいばっちい」

 「かまどの中に大量の牛糞を詰め込んだのもお前だろう!」

 「それで煮炊きしたものを食しておられるのか。おお、保憲様は逆グルメであられる」

 「やかましい!昔から晴明のここ一番は牛糞と決まっておるのだ。白を切ることは出来ぬぞ!」

 「シラは切れねど、ほれ、白はこうして着こなしておりますよ」

優雅にくるりと回って見せる小憎らしさ。ぎぎぎと歯噛みする保憲を哀れに思い、そして博雅はそのような態度の晴明にも悲しみが湧いてくる。

 「晴明…」

そっと後ろから腕を回し抱き締める。

 「どうしたというのだ。いつものお主らしくもない」

 「うわーっ耳元で喋るのではない!」

飛び退り、わーわーと猫又の背後に隠れこむ。気の毒な猫又はビクリと身を竦ませた。

 「忘れておったわ。よいか博雅、お前にとって俺は俺でしかないが、俺にとってお前は俺の博雅ではないのだ」

 「言っている意味が分からぬ。晴明、今日の主はおかしいぞ。やはり俺が…」

 「だからそれは言うなというておろう!見ろ、鳥肌が立った」

プツプツと浮かぶそれをアピールして、それから思い付いたように隣にいた保憲の頭をポコンとグーで殴る。

 「なぜこのようなことをされた。悪ふざけにも程がありますよ」

 「己のしたことを棚に上げてっ」

 「私がなにをしたと言うのですっ」

 「だから牛糞を詰めたではないか!屋敷のありとあらゆる所にっ」

 「知りませぬなぁ」

 「嘘を吐け!大方、俺が晴明の山荘を博雅様の随身に教えたことを根に持ってしたことであろう」

 「おや、心当たりがありましたか。では同罪ですな」

 「俺は尋ねられたことを答えただけ。その時のお前がよもや駆け落ち中などと知っておれば口が裂けても言わなんだわっ」

 「ふふん」

この保憲という男は、博雅とは違う意味で頭に春が住み着いている。名門の家に生まれ、類稀なる呪力を身に付けていながら"毎日ご飯が食べられればいいやー"という、実にいい加減でアバウトな生活をしていた。また、実に"いじめてちゃん"な人格でもあったので、晴明のようにどこかひん曲がったものからすれば格好のスケープゴートと言えるだろう。なんせ叩けば泣くし蹴れば転がる。修行中、苛々した時にはこっそり背後を付けまわし足などを掛けて転倒させてやったものだ。その度に父であり二人の師でもある忠行からは"落ち着きがない"と叱られていた。

このかわいそうな保憲には"オイディプス"というあだ名を付けてやろう。不幸の雪だるまみたいなものだし丁度いい。

 「しかし保憲様、逆恨みにしては手の混んだことをしでかしましたな。私だけではなく博雅様を巻き込むとは…恐れ多くも皇孫であられる博雅様をかような目に遭わせただで済むとは思われますな」

 「危険はないようにしてある」

 「十分すぎるほどに危険です」

 「いや、ない」

 「ある」

 「ない」

 「ある」

 「ないっ」

 「あるっ」

 「ないったらない!」

 「あるったらある!」

 「ないったらないったらないっ」

 「あるったらあるったらあるっ」

 「ないったらないったらないったらないっ」

 「あるったらあるったらあるったらあ、」

 「だからいい加減にせぬかっ!」

 

今度も博雅の怒号でピタリと止まる。

 

 「よいか、晴明はいかな理由があれども相手は兄弟子であることを忘れてはならぬ。そして保憲殿は…蜜虫殿に手を掛けたことを…」

藤の花びらが降り積もったそこは、いまはもう跡形も残さず枯草が敷き詰められているばかりであった。

 「いや、ですから私は蜜虫になにも手出しなどはしておらぬのです」

 「ではなぜ蜜虫は消えたっ」

サッ

キャッ

ビクビク

 「晴明、いい加減にせぬと…」

攻め顔で言われると一瞬怯む。勿論、晴明には"この"博雅であっても組み敷くことは容易いが、やはり見慣れぬものには違和感があるのだ。

 「では私が納得のいくよう話していただきたい。蜜虫はなぜ消えたのです」

 「だから知らぬと申しておろう」

半泣きの保憲はフカフカな黒虎の首筋に縋りつき身を隠そうとしている。

 「確かにあれはもう時期も過ぎた藤花です。自然の理により還してやらねばならぬところではありましたが…」

愛情はあるのだ。長年使ってきた式であるし、近頃では特に、いつでも側に侍らせていた。暴走傾向にもある安倍家に中にあって、重要なポイントは押さえていた気心の知れた女なのだ。

 「博雅のこと、蜜虫のこと…まことにこのまま捨て置くことは出来ませぬぞ」

 「博雅様のことは仕方ない、素直に叱られてもよいぞ。ただ、この異界には悪しきものの近寄れぬよう結界を張ってある。博雅様がおられるうちはまことに危ういことなどないのだ」

 「悪ふざけにしては過ぎたことですよ」

 「ううっそこも反省はしよう」

 「しかも、悪しきことはないと申されるが、いまも博雅がどこにおるのか分からぬまま」

 「俺ならここにおるぞ」

 「いや、お前ではなく…」

ややこしい。眉間を指で叩きながら、さてなんと言えばよいのだろうと首を傾げた時、クイと袂を引くものがあった。

 「なんだ。常葉よ、どうした」

 「はい、なにやらよからぬ気配が…」

 「なに」

常葉が顔を向けたのは、竹林を抜けた光の差す方である。なんとなく全員がそちらを振り返り、首を伸ばしたところで…

 

 

 

 

 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 「博雅っなぜ逃げるのだ!ひろまさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁくるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 「ひろましゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 

 

 

 「…なんだ、あれは」

晴明が呟く。

 「晴明と…俺ではないか」

博雅が呟く。

 「殿、博雅様でございます!」

蜜虫が叫ぶ。

 

 

 

ん?

 

 

 

 「博雅様ぁぁ、こちらでございますぅぅぅぅぅ」

しっかりみっしり、唐衣を着込んだ蜜虫が袂を上げて博雅を呼ばわる。

 

 「…………………………………蜜虫?」

 「はい」

頷く蜜虫。 

 「みっみっみつむしどのぉぉぉぉっ!…ん?んん?んんん?」

蜜虫の声に方向転換して走ってくる博雅。かっこで括れば"受け"。

 「せっせいめいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」

 「ひっひろましゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 

 

 

 

さー、ややこしくなってきたぞ、と。

 


                   
                                        続く →