BUG & BOM ! 憂いのCHAMPION Hop Step Paradise 26 「では吉野に…仕事があると言うたのは嘘であったと申すのか…」 「すまない。嘘を吐くつもりではなかったのだ。博雅を傷付けようと思うてしたことではないのだよ」 「だがお前は吉野へ行くと申したではないか。やはり…やはり俺が疎ましくて…」 「ちっ違うぞ!断じてお前が疎ましくなったなどあるものくわぁっ!」 ガバッと起き上がりぺぺっとツバを飛ばしガシッと引き寄せ抱き締める。 早くも涙目の博雅は身を捩って晴明を拒もうとする。すっかりバカップルの様相を呈して来たがやってる本人たちは大真面目だ。顔を見せまいと横を向く博雅を追って、晴明の首もあっちこっちに振られている。お前らウィンブルドンテニス観戦者か!と突っ込みを入れたいところだが、取り敢えず痴話喧嘩の観察に集中したいと思う。 「これ博雅、俺の目を見ぬか」 「いやだ」 「博雅」 「いやだっ」 ぷいっとそっぽを向くその仕草がラブリー…うっとりしかけた晴明が、拗ねて唇を尖らせた博雅にハッと我に返ると抱き締めた腕を更に強める。 「お前に正直に話すと決めたのだ。嘘は吐かずありのままの心を晒すから、機嫌を直して聞いてくれ」 「いやだ。お前は既に嘘を吐いているではないか。吉野に行くと申してどこにおった?俺を残しどこに隠れておったのだ。これほど…これほど俺が…一人寂しく……惨めな思いでおったというのに…」 ひぃぃっく 「博雅…」 しゃくりあげる博雅に、今度は別の戸惑いが湧き起こる。これはまこと博雅なのか?俺のかわいいエンジェルちゃんか?どこまでもアホな晴明は思わず首を傾げてしまう。自分が"好かれる"という感覚を、本当はよく分かっていない上に、博雅に"人を好きになる気持ち"などないのではないかと思っている彼は、自分では至極尤もな疑問として考えてしまった。存外哀れな男である。 「寂しかったのか?」 「当たり前だ」 「俺がおらぬと思うて…泣いたのか」 「………泣いた」 「泣いたのか、博雅が。俺がいないと言うて泣いたのか」 「泣いた。晴明がおらぬのが悲しくて…飽いて捨て去られたのが惨めで…」 「だだだっ誰が飽いたりするものかっ!」 博雅が。 恋愛音痴の博雅が。 チェリーちゃん街道死ぬまで驀進と思われていた博雅が。 晴明を求めて泣いていた。 捨てられたと思い込み、それが辛くて、泣いていた。 「…泣いて………」 ホワーン 「俺になにも言わず消えてしまった上に、文の一つも寄越さぬでは捨てられたと思うて当然であろう。俺が拒むから…言うことを聞かぬから嫌になったのだろう」 「泣いて……」 ポワワーン 「吉野へ行くなどと申して、まことは吉野になど行かず隠れ潜んでおったのだ。そこへ俺が間抜けにも、逢いたさ見たさで吉野までも出かけて行ったことを耳にし仕方なく跡を追うたのであろうよ。外聞が悪いゆえ、密かに連れ戻し誤魔化そうと、」 「……泣い…て」 ポワワワーン 「晴明?晴明!聞いておるのかっ」 ギリギリギリ 思い切り耳を引っ張られた晴明が漸く我に返ると、大粒の涙を浮かべた博雅が唇を尖らせ睨み付けてきている。狸のようなその様子に愛しさは混み上げてくるものの、迫力の欠片もないそれでは恐ろしさなど微塵も感じなかった。ま、当然だろう。博雅ならドジョウすくいの"鼻にマッチ棒"をしていたってかわいいのだ、晴明にとっては。 「すまぬ。聞いておったよ」 「どこにおったのだ」 「それより博雅、弁明はせぬがお前先ほど"怒らぬ"と言うたではないか」 「言うてなどおらぬ」 「言うた。どのような嘘でも許すと誓うと、はっきりそのキャワイイお口が申しておった」 「言うておらん」 ぷいっ またそっぽを向く。その拗ねた子供そのものの仕草に晴明の動悸がまた早くなる。 「と、とにかくきちんと話すから聞いてくれ」 「嘘はもう嫌だ」 「誓って嘘は吐かぬ。いや、確かに都におったものを"吉野へ参る"などと言うたのは悪かったと反省しておる。だがお前に隠し立てをしとうないので正直に語って聞かせるのだ。お前も素直に聞いてみてはくれぬか」 「…聞いても…よいが…」 「聞くか」 「むむ」 「聞いてくれるか」 「ううむ」 「聞いてくれ」 「聞いてもよいが」 「聞くか」 「聞こう」 そういうことになった。 やりたかったんだ、これ。 「では全ては俺のためと申すのか」 「無理強いはしたくなかった。お前が自ら俺を求めている訳ではないなら、側にい続けることは苦痛でしかなかったのだ。子供が親を求めるように、好みの品を愛でるように、そういう"もの"と変わらぬ思いならいらぬ。惨めなだけだと…思うてな…」 「俺が晴明を好いておらぬと言うのか」 「俺の思いばかりが大きすぎて、お前には受け止めきれぬのではないかと」 「確かに、確かに俺はお前と比べ恋には疎いし頼りもないが…」 きゅっ、と晴明の白い単の胸元が博雅の指に掴まれる。寄る皺の波さえ艶めかしい。 「晴明を思う心は確かなのだ」 じっと見詰められると気が狂いそうになる。純粋で、真っ直ぐで、染み一つない純白の魂を持つ博雅だからこそ惹かれた。悪しき噂を立てられ人々から敬遠される自分に髪の毛一筋ほどの疑いもなく対峙してくれた彼。いつでも真実を見詰めてくれる彼。いつも、どんな時も晴明を信じ共にあることを"楽しい"と、"幸せ"だと言ってくれる博雅を、いつしか愛しいと思い始めてもうどれほどの月日が過ぎているのだろう。 恋は風化せぬままに。 奇跡のようにあり続けた。晴明の胸に。 こんな男だからこそ、一途に思い続けることが出来たのだろう。いっそピュアと言い切れる、晴明だから貫けた恋なのだ。 薬を盛ったこと、帝とのこと、なにより姿を隠した本当の理由、思われてはいないという"思い込みの事実"から逃げようとしたこと。好きになりすぎて、釣り合いの取れない二人の心に傷付いたこと。全ては博雅を思うが故のこと。 この先もずっと、ともにありたいということ。 好きだということ。 全てを打ち明け、真っ直ぐに見詰める瞳はどこまでも澄んだ蒼い色をしていた。博雅の姿のみを映す、晴明の眼差し。 「俺が…好きなのだな」 「お前が愛しいよ、博雅」 じわぁぁぁん また涙の浮かびはじめた大きな瞳に映るのが自分だけだという事実に、もっと早くに気付いていれば泣かせるようなことはなかっただろうに。 …水差して悪いけど、博雅が"晴明好き!"と思い始めたのは蜜虫特性惚れ薬の効能に因るところが大きいと思いますよ。 でもま、元から晴明のことは好きだった訳だし、あの薬で増幅されたのならやっぱり"はじめから持っていた気持ち"な訳だし。なにより晴明がそれでいいならいいんだけど。 あ、いいのね。しっかりと博雅の腰に腕なんか回しちゃったりして、真剣に見詰めあってるところを見ると、"雨降って地固まる"でいいってことにしておこう。 「俺は…晴明、俺はお前のことを…晴明のことを…」 「俺のことを?」 「晴明のことを………」 なにか恐ろしいことを口にするような顔をするから、そっと寄せた唇で額に口付けてやる。怖くはないはずだから。幸せになれる言葉だから。それが本当に恋なら、口にした途端この世に存在するどんな強力な呪よりも強く、偉大な術が二人を縛ってしまうけれど、それでもそれは幸せと名付けるべきものなのだ。永遠に解けることのない甘い呪縛なのだ。 「晴明の…ことを…」 恥ずかしがり、俯いてしまう。晴明の胸に凭れてくる。落ち着きなくニギニギされる手が本当はどこへ辿り着きたいのか分かっていた。晴明の背に回してしまいたいのだと知っていた。 "いいのか、俺。後悔はないか。いつか晴明に捨てられる恐怖に怯えるような、そんな事態が起きることも覚悟の上のことなのか" ぎゅうと瞑った目ではなにも見えない。見えないだけに恐ろしい。また彼を失うあの痛みを感じることなどあれば、今度こそ自分は平静を保てぬかも知れぬ。それに僅かな間でも晴明が余所見をすれば…自分でない誰かを好いたりしたら、それこそ"博雅"は"博雅"でなくなってしまうかもしれない。よく分からないが恋とはそんなもののような気がする。 「博雅…俺はお前を、心の底より好いておるよ」 優しい、柔らかい声が耳元で囁く。抱き締められた背中がゆっくり、温かくなってくる。 こんな風に穏やかに接してくる晴明など知らなかった。くすぐったくて、暖かくて、けれど同時に怖くもなって、握った拳は益々震えるのに抱き締められたことは嬉しくて仕方ない。 「俺は…」 ぽつり、と。 零れるような呟きが博雅の唇から晴明の耳元に届く。 「…俺も、晴明のことを………」 小さくて、それは聞き逃してしまうような微かで頼りない、震えた音であったけれど。 「好いて………おるよ」 泣くまいぞ!!!!! ぐぎーっと歯を食いしばったのは晴明の方でした。 前科があるからね。 長かった。ほんっっっっとに長かった!! いままでお付き合いくださったみなさん、ありがとう!晴明は今宵、皆様と博雅のおかげで花開きます。満開です。全開です。そんでもって全壊です! 鼻の下の伸びきった晴明は、それでもそっと、出来るだけ優しく胸元の博雅の顔を白く細い指先で持ち上げ、その唇に―――― くちづけた。
|