2006 シンタロー誕生日記念

 

 

   『シンちゃんがいま、一番欲しいものって、なに?』

 

ウキウキ、わくわく、ドキドキ、そわそわ。

思いつく形容詞はどれも子供染みて、しかもその喜色満面に輝いた表情を見れば条件反射でウンザリする。

毎年自分の誕生日が近くなるたび繰り返された光景だから、今更それについては特にコメントもない。欲しいものを言おうが言うまいが結果は同じで、祝われる側であってもより嬉しいのは一方的に相手なのだから、それに付き合わされる面倒が増えただけの状況を喜ぶことなど出来ようはずもないのだった。

いや、正確に言えば勿論、嬉しい。

一つ年を取ることに喜びを感じるほど若い訳ではないけれど、生まれたことを感謝される日はシンタローにとりなによりも嬉しいことだ。存在の不確かな自分を息子と呼び、諸々問題はあれど愛されている身の上なのだ、そのことについてはなんら不満も不都合もない。

けれどシンタローは、その日が近付くにつれ“ウンザリ”するように出来ている。

パブロフの犬だ。

美味しい餌をもらえると涎を垂らす姿はある意味悲哀を感じるが、それでももらえないよりマシだし不幸ということはない。けれどシンタローは犬ではなく、プライドとか世間体とか自分自身への言い訳とかなんとか厄介な感情を持て余しているタイプなのでこの状況は如何ともしがたい。

総帥として、また経営者として団の運営に支障をきたすほどの巨額の損失を生み出したのが身内とあっては贅沢は敵だ。元来慎ましい生活を苦とせず、悪く言えばがめつい気質を持つ彼にとって“借りることはいいこと”であり、“出すものは舌でも嫌がる”のが心情だ。ついでに言えば借りた場合、返さないのが秘訣だというのは誰にも言わない秘密だけれどこの際それは置いておいて。

とにかく、もらえるならありがたく頂戴したいところのプレゼントというやつを、彼は毎年最大限の警戒をしつつ受領検討せねばならないのだ。こんな馬鹿げたことはないだろう。

今年も間もなくやってくるその日に向けて、いよいよ諸悪の根源が動き出した。

ジロリと睨み付ける視線をものともせず、だらしなく笑った父親の顔を心底嫌そうに眺めながら、子供なら吹き飛ぶほどの盛大な溜め息を吐いてやった。

 

 「シンちゃんが欲しいものって、なにかな?パパに教えてくれる?」

 「……………」

 「あれ?聞こえてない?おーい、シンちゃーん、パパだよー」

 「黙れ」

目に刺さる近さで振られた手を叩き落す。

あー嫌だ。なんでこいつ、こうなんだろう。毎年毎年毎年毎年…エンドレスで毎年!しつこい、ウザい、暑苦しいの三拍子揃って耐え難い鬱陶しさを力の限りぶつけてきやがって!

人相が悪くなる。シンタローにとって自分は常に格好良く、青空に白い歯がキラリ、が似合うタイプなのだ。ナマハゲオヤジの如く人に不快感を与えるだけの顔などしたくはないのだ。

けれどこいつだけは違う。

諦めたと思いつつ、それでも律儀に相手をしてしまっている自分にも気付いているから余計に腹立たしくて、だからポーズだけでも拒絶の色は崩さず平常心を装いながら手元の書類に目を落とした。

そうだ、いまは執務中なのだ。それなのに、のこのこやってきてヘラヘラ笑って、神経を逆撫でて自己満足をしている彼が、父親が、マジックが信じられない。それが毎年。

 「忙しいのは分かるよ。でもだからこそパパも“あれが欲しい”って一言で言って欲しいんだよね」

 「…まずサプライズ、って意味、辞書で調べてから自分の行動について考えろ。俺の返事はそれからだ」

プレゼントといえば普通はなにを贈るか、なにが贈られるかを双方が楽しみにするものだろう。欲しいものを与えられるのはそれは当然嬉しいけれど、自分のためにあれこれ考えてくれたという喜びに勝るものはないはずだ。

どんなに忙しくてもシンタローは誰かになにかを贈るときは自分で考えたし、受け取ってくれた瞬間の笑顔を見るのが楽しみだった。だから彼にも、何度もそう言ったのだ。子供心に父からもらえるものならなんでも嬉しいと、繰り返し言い聞かせてきたのにいまだ実行に移されたことは数少ない。

 「パパはね、シンちゃんが欲しいものを贈りたいんだよ。そりゃ考えるのも楽しいけど、見当違いのものをあげてガッカリさせたくないし、なによりシンちゃんが必要とするものをあげたいと思うのが、パパにとっての最善なんだよ」

理屈は尤もだ。そうは思う。けれど元来物欲の少ないシンタローはあれこれ欲しがる性質ではないし、自分が欲しがればその分奪われる立場に曝される人間が少なくないことを突きつけられるてきたトラウマで、なにかを要求するということは避けているといっても過言ではなかった。

小さな頃はとにかく父親が傍にいればそれでよかった。あとはなにもいらなかった。ひとりにされるのが嫌で、怖くて、願うことはいつだって父親を中心に回っている。パパと一緒に遊びたい、一緒に食事がしたい、手作りのカレーがいい、お風呂に入って髪を洗ってほしい、笑ってほしい抱き上げてほしい優しく名前を呼んでほしい、パパ、パパ、パパ。

思えば恥ずかしいことこの上ない過去だが、変えられないのだから仕方ない。それにそれこそが自分の原点であることは嫌というほど分かっている。自覚がある。

結局、この父と離れられないのは、束縛されている訳ではなく自ら望んでのことなのだ。本当に嫌ならいくらでも逃れる術はあったし、実際それを躊躇う彼ではなかった。

だからこそもどかしいのだ。

毎年“なにがほしい”と聞かれるのが嫌なのだ。

答えられるはずもない自分の気持ちを突きつけられて、認めさせられて、顔から火を噴きそうな現実に人知れず耐えるその甘く疼く屈辱をこれ以上味わわせないでほしいのだ。

だから、シンタローは無視をする。諦めていなくなるまで仕事に没頭した振りをする。そうすれば一時的には諦め、次は自分の秘書やシンタローの同期に助けを求めそちらに迷惑をかけ始める。美貌の叔父にだけは絶対に相談しないのが彼のなけなしのプライドなのだろうが、基本的に父に関して素っ気無い態度を崩さないシンタローなので周囲も諦めているからそうなればこっちのものだった。

大体三日前くらいまでは纏わりつかれるものの、それを過ぎれば誰かしらから仕入れた知恵か、もしくは伝家の宝刀を抜き払って当日を迎える。前者はそれなりの品物に化けてのことだが、後者はいわゆる“ご奉仕”だ。

一番いらないもの、とシンタローは吐き捨てているが、後腐れがないしそれなりに悪くもないので文句を言いつつ収めてやっているのだ。勿論、マジックには言わないけれど。

父とどうこう、という仲であることに対し未だ完全に納得している訳ではない。血の繋がりがないと分かって安堵したのはその点についてのみだが、このあたりの事情は考えると落ち込みそうになるので極力触れないようにしている。シンタローはデリケートなのだ。タブーを承知で声高に愛を叫べるほど無神経ではない。

と、そんな苦悩を知ってか知らずか、恐らく分かってはいても理解するつもりのないマジックは日々彼を追い求めることにすべてをかけている。ほかにいくらもやらねばならぬことはあるはずなのに、二言目には“シンちゃん愛してる”で万事片付けようとする。

総帥職を譲ったのも、実は息子ストーキングを徹底するためだったのだろうと真顔でキンタローに言われたことがあるが、あながち嘘とはいえない。怪しげな芸能活動に割く時間とシンタローにかまける時間は頭一つシンタローに軍配が上がっている。逆になればなったで腹が立つものの、決して嬉しいとは言えない日常に疲れているのが正直なところだった。

 

さて、無視し続けること数分の間に、マジックはなんとか会話の糸口を掴もうと必死に言葉を並べ立てていた。

いっそ気の毒だが甘い顔を見せれば付け上がる。誕生日なのに、寝室から出られなくされるのは今年こそ避けたいというのも本心で、いい加減なにか適当なものを要求しようかとも思った。

酒とか。…酒とか。酒とか。

繰り返すがシンタローは物欲が少ない。もらってありがたいのは消費してしまうものくらいで、中でも酒なら自分に付き合って飲む者もいるし一石二鳥の品である。しかもこれなら、不自然にならずさりげなく、マジックを誘うことも出来るのだ。

彼ならそれが濁りきった池の水であろうと、シンタローに誘われたという事実に目が眩み甘露甘露と飲み干すことも出来るだろう。この辺に感情のずれがあるのだが、なにせシンタローはシャイなのだ。

デリケートでシャイ。かなり鬱陶しいよね。

とは、濡れた障子紙ほども頼りないと酷評する兄であるグンマから叩かれる陰口であったが、当然“陰”なのでシンタローの耳には入っていない。よかったね、グンちゃん。

そんな家族の思惑を踏まえ、段々とおとなしくなってきたマジックに溜め息を吐きつつ“じゃあ酒”と言おうとした。

その瞬間。

 「…パパには、なにも願ってくれないの?」

タイミングが悪い。

悪すぎる。

シンタローは器用ではないのだ。言葉や思いは頭の中にグルグル渦巻いているのに、それを音に変換するには時間がかかる。感情を素直に伝えるには精神的に未熟だった。この年になっても、マジックに関わることはすべて、なにもかもが苦手だった。

一番大きく、なにより影響を持つ存在だから。マジックだから。

勿論それも言えないので、開きかけた口を所在無くモグモグと動かしていると、暗い目つきになったマジックが媚びる様な視線でシンタローを見詰めてきた。

 「なにかあるでしょ?パパにしか出来ないこと、して欲しいこと、あるでしょ?」

甘えろ、という言葉のくせに甘えているのは彼の方。シンタローだって寄りかかりたいのに、そうできない性格が邪魔をして損ばかりしている。なのにマジックは寄りかかることを当然とでも思っているのか、すべてをシンタローに投げかけ自分はヘラヘラと笑っている。頭にくる。

出鼻を挫かれたそれだけのことにこんなに腹が立つのは、いつまで経っても進歩しない自分たちの関係を見せ付けられた気がするから。

マジックの態度がもどかしいから。

理解しあえない距離感が切ないから。

 「…………が、いい」

 「え?なになに、なにかほしいものあったの?」

 「アンタがいないのが、いい」

 「…え、と、それはどういう意味かな」

 「毎日しつこくてウザくてうるせえから、誕生日くらいは静かに過ごしたい。アンタがいないのが、いい」

 「私が、シンちゃんの前に、現れないのが、いいの?」

 「ああ」

ひどい!

シンちゃん、パパの愛を試してるのかい?

それだけは嫌だっ!それ以外でもう一声!

またまたぁ、そんなこと言って本当はパパのこと大好きなくせにぃ〜。

 「…そう」

猫なで声で、擦り寄って。

 「そう。分かった」

腕を伸ばして隙があれば抱きついて。

 「誕生日だもんね。欲しいものがあるなら、プレゼントしないとね」

抱きしめて。

 「――え、お、おい」

キスをして。

 

 

ゆっくりと閉じていく扉を呆然と見送る。

なにが起きたのか理解するのに、情けないが数秒を要した。分かってからも暫くは、掛けた椅子から立ち上がることも出来なかった。指先が、微かに震えている。

 

突き放すのは自分の役目だ。

嫌がるのは、疎むのは、拒絶するのはいつだってシンタローの側であり、溢れるほど与えようとして失敗するのがマジックの愛だった。

それなのに。

 「なんだよ…なんで引き下がるんだよ…」

呟きが、室内にこだまする。

焦燥感に息も詰まりそうだった。

 

 

 

 

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