2006 シンタロー誕生日記念

 

 

 「喧嘩したの?」

 「…誰と」

 「シンちゃんが喧嘩する相手って言えば、お父様か僕かアラシヤマくらいしかいないじゃない」

 「最後のは喧嘩になんかならん」

はなから相手にしていない。

苛々と爪を噛んでいるところを目敏く見つけたグンマがひそひそと話しかけてくるが、この場合“ひそひそ”にまったく意味はない。悲しいかなこんなときに限って仕事も一段落してしまい、経費削減を呼びかけている折から自分が居残ることも出来ずすごすご帰宅する羽目になった。

誕生日は明日に迫っている。

先日、妙な雲行きになって以来、危惧した通りマジックの態度は一変してよそよそしくなった。普段が図々しすぎる男なのでこれくらいが丁度いいというのは決して負け惜しみではないけれど、それにしてもシンタローと目も合わせない状況は傍から見れば異常とすら言えるだろう。

グンマは、大方シンタローにちょっかいを出して叱られているに過ぎないと思っていたが、それだけにしてはどうもマジックの覇気がなさ過ぎる。年甲斐もなく無駄に生命力溢れる男なのだ、父親ながら飽きれたりもするけれどそれでも元気がない様子は心配になって当然だろう。

態度も体格も大きな弟は、父に対する遠慮という配慮を持っていない。あれだけ溺愛されれば仕方のないことかもしれないが、だからこそこういう場合、自分が間に立ってフォローアップに勤めなければならないという使命感がムクムクと沸いてくる。らしい。

分相応とか、そういう現実問題は棚の上に放り上げておいて。

 「明日はシンちゃんの誕生日だし、なにかすっごい企画でも立ててるんならいいんだけどね。そうじゃないならあのお父様の憔悴振りってかなり深刻だと思う」

 「俺は、そういうことを本人目の前にして、聞こえないと思い込みつつ語れるお前の方があらゆる面で深刻だと思う」

大きな食卓とはいえ、左右二人ずつ向かい合って座っている状況なのだ。因みにシンタローの左手がグンマ、向かいがマジックで彼の右隣がキンタローの席になっている。末の弟の席も勿論あるが、食事の支度はしていない。陰膳は戦争や旅に出た者の無事を祈るためのものだという、全人生かき集めても片手に満たない男の主張は尤もだが、もう少しマシな喩えをしてほしかった。

とにかく。

どんより濁った空気が漂う食卓も今日で三日を数え、いよいよ明日がシンタローの誕生日なのだ。今日の昼休みに訪ねた研究室で、トンガリ帽子に大きなリボンを取り付けながら微笑んだグンマは“盛大なパーティー”に期待しろと息巻いていたが、いまやその盛大さが恐怖に感じられて仕方ない。

喋らないマジック…有り得ない。

存在感のないマジック…有り得ない!

自分が手の届く近くを無防備に歩いていても、決して触れないマジックなんて有り得ない!

 

ぼそぼそと食事を終え、小さな声で“ごちそうさま”と呟いたマジックは背を丸めた寂しげなシルエットを隠すよう、足早にダイニングを出ていった。

 「あーあ、ほら、完全に拗ねちゃってるよ」

 「俺の所為か」

 「お父様のことに関して、なにかあったらぜーんぶシンちゃんの管轄でしょ」

 「なんでっ」

 「なんでって…ねぇ」

 「うむ」

分かっているのかいないのか、キンタローにまで深々と頷かれ余計に腹が立った。どうして自分が責められなければならないのかと、少しの罪悪感の影で感じていた苛立ちが吹き出して、心配する気持ちを凌駕した。

 「自分の思い通りにならないとすぐ腐って、それでみんながちやほやすると思ってやがるんだアイツはっ!」

 「確かに子供っぽいところはあるけど、でもそれだけシンちゃんが好きだってことだよ」

 「好きならなにをしてもいいのか?あーホンットお前は父親思いのいい子だねー、俺とは大違いの孝行息子だよバカのくせにっ」

 「シンちゃ、」

 「大人げないぞシンタロー。グンマはお前たちのことを心配して言っているんだ、それぐらい分かっているだろう」

 「うるせえ!」

説教は嫌いだ。マジックのことで誰かに、たとえ身内であっても自分より分かった風なことを言われるのはもっと嫌だ。

誰より知っている。解っている。その彼のことを解っていないと言われるのだけは許せない。認められない。

椅子を倒す勢いで立ち上がると、ドアに向かって真っ直ぐ進む。いっそ眼魔砲で吹き飛ばしてやろうかと思ったが、それが苛立ちで悔しさで寂しさだと知られるのは嫌だから思い止まり手で押し開けると自室へ向かう。

飛び込んだ室内は薄暗く、温もりの感じられない空虚だけが降り積もっているようだった。

いつもなら、部屋へと戻る自分の後を追ってうるさく話しかけ付きまとってくるマジックがいない。もう三日もこんな気持ちを強いられている。ひとりでいる。

原因は自分かも知れないけれど、それでもこんな風に放り出されるのは嫌だった。彼のいない時間など欲しくない。いらない。求めてない!

 

ベッドに俯せで倒れ込む。

気分が悪い。

胸が痛い。

苦しい。苦しい。苦しい。

 「あーくそ、腹立つ」

声に出し悪態を吐いて、自分を乱す相手の顔を思い浮かべる。

誕生日なのに。

年に一度、憚ることなく甘えられる日なのに。預けられる時なのに。

そんなこと、口に出して言うことは出来ないけれどそれでも自分にとっては必要な、大切な時間なのだ。言えないけれど。言えないけど。

傍にいてくれれば、それでいいのに。

そんな風に思う自分が恥ずかしくて、悔しくて、本当は自分だけが思っているような、好きなような気がして。そうとしか思えなくなって。

デリケートでシャイなのだ。俺は。ついでに言えば人知れずロマンティック、さりげなくペシミスト。どうしようもなくロンリーネス。

正気の時に思ったのなら、聞くものがなくとも顔を真っ赤にするようなことを平気で考えられる辺り相当落ちている証拠だろう。ことマジックに対しシンタローは面白いほどに打たれ弱い。これはある種の条件反射なのだろうか、強気な態度で、傍若無人に振る舞っているようでその実彼にだけはとんでもなく臆病なのだ。本心をぶつけるなどと簡単に出来ることではない。

どうしてだろう。

なんで擦れ違うのだろう。

素直ではない自分の所為か、追い求める割に本当は興味などないとしか思えぬほどあっさり手を引くことのあるマジックの所為だろうか。

よく、解らない。

 「…誕生日なのにな」

呟きが、ぽつん、と零れる。それは涙の粒のようで、余計に情けなくなったシンタローはきつく唇を噛み締め声を漏らさぬようにした。

 

あと、数分で、自分の生まれた日を迎える。

 

 

 

 

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